本日は「病気の告白」というテーマでお話しします。
自分の病気を告白したり公表したり、家族に伝えたり友人に伝えるということは、とても勇気がいりますし、それが良い方へ転ぶこともあれば、残念ながら悪い方へ転ぶことももちろんあります。
それで病んでしまう、傷ついてしまう方がたくさんいらっしゃいます。
今回はそのことについて、臨床感覚を交えてお話しします。
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病気の告白のメリット
病気の告白のメリットは大きく分けて3つあります。
1.話すことで楽になる
話すことで楽になるというのは、そりゃそうだろうという感じがしますが、案外精神科の患者さんは「話して何が変わるんですか?」「話すことに意味があるんですか?」「相手が知って何か変わりますか?」「助けてくれないのに話して意味があるんですか?」とよく言います。
全然違います。話すと楽です。肩の荷が降ります。
それがどうしてかという理屈はよく分かりませんが、秘密というか自分の弱点を話すと本当に楽になります。
困り事をシェアするということ自体に動物的な本能があるのでしょう。
動物の本能として困ったことを話すということにインセンティブがあるようにできているんだと思います。
種全体として考えたとき、困ったことをみんながシェアする、というのはすごく良いことです、他の人が困らなくなるので。だから何かあるのでしょうね。
2.話すことで次に進める
話すことで次のことが考えられるようになる、ということがあります。
失敗、不幸、残念なことは自分の中に留めているとウーンと考えてしまいますが、パッとしゃべると「何かいいや」もうこれは失敗したんだと割り切って、次に進むことができたりします。そういう意味があると思います。
3.助けてくれる、かもしれない
助けてくれる人も時にはいますから、話す価値はあるかなと思います。
病気の告白のデメリット
病気を告白することのデメリットです。
こういうことになるんじゃないか、という不安についてよく臨床で聞くことを4つ挙げます。
1. 甘えだと言われる
病気なんかない、あなたはうつじゃないと患者さんはよく言われたりするようです。
精神疾患というものは存在しない、と思っている人たちは一定数います。
人間の心は基本的には脳みそからできています。
もしかしたら魂というものがあるのかもしれませんが、あまりそういうことは僕は考えません。
脳みそはあくまで臓器なので「弱る」わけです。
脳も臓器なので心臓、胃や肝臓が弱るように弱ったり、人によってはガンになりやすい胃や高血圧になりやすい心血管系があるように、「弱りやすい脳」もあるわけです。
うつになりやすい脳、不安を感じやすい脳もあるはずです。
人の気持ちが分かりにくい脳、ミスしやすい脳もあるわけです。
それがわからない人がいます。
人間は全て平等な魂を持っているというか、努力すれば何でもできると思っている人がいますが、そんなことはありません。
また脳が疲れるということがわからない人たちもいます。
頭を使えば疲れます。
バーンアウトという「燃え尽き症候群」のようになってしまうのですが、そういうことに対して甘えているからだ、根性が足りないんだと思っている人も一定数います。
これは天動説と地動説と同じで、地球が太陽系の中で周っていることを説明しても理解できない人もいるのと同じです。
2. 的外れなアドバイスをしてくる→それに従わないと怒る
それで言いたくないと思うこともあるかもしれません。
これは逆転移と呼ばれるものです。
相手が、自分の弱っている心の部分を押し付けて、投影して何かを言ってくる。
「こういう時こそ寝た方がいいよ」でもそれはお前が寝たいだけだろ、「こういうときこそ旅行へ行ったほうがいいよ」「美味しいものを食べた方がいいよね」いやそれはお前が自分を甘やかしていたいだけなんだろ、ということです。
「旅行とか行っている場合じゃないんだよ」「僕は寝たいんだよ」と言うと逆に怒ってきたりします。
「お前のこと心配してるから言ってやってるんだよ」とか。
こういう人ももちろんいます。
3. 人にバラす人
こういう人も時々います。
1%に満たないかもしれませんが、悪い人というのは確かにいます。
いわゆるテイカーと呼ばれる人で、何かこう悪い奴です。
「あいつって病気なんだって」と言って自分の地位が上がると思っているのか、出世競争からドロップアウトさせようとしているのか、中長期的に見たら自分の利益にならないのですが、そういうことをする人たちというのもいないとは言えないと思います。
4. 軽々しく言うな
精神科の病気は避けなければいけない、語ってはいけないものなんだ、恐ろしいものなんだ、不謹慎だ、と考えるタイプの人もいます。回避するような人たちです。
トラウマの人たちと似ています。
「軽々しく言うな」と言う人たちもいます。
うつ病にも重い軽いはありますし、PTSD、トラウマにも軽い重いはあるし、発達障害にしても軽い重いはあります。
病気は、同じ病名であっても軽い重いがあるわけです。
では軽い人は言ってはいけないのかというと、そんなことはありません。
軽い人は軽い人ですごく悩んで苦しいし、重い人は重い人で逆に割り切って少し楽な部分もあるので、重いから苦しい、軽いから苦しくないということではなく、みんな苦しいわけです。
ですからあまり「軽々しく言うな」と言うのはよくないのではないかと思います。
病名を軽々しく言ってはいけない、それは「命」ということを軽々しく言ってはいけない、「お金」というものを軽々しく言ってはいけない、喋ってはいけないというのと似ているような感じで、そういう人たちも一定数います。
相談相手
だから病気の告白というのはとても難しいし、相談相手を選ぶのが重要です。
相談をする、病気の告白をする方が良いことはわかっているけれど、相手を選ばなければいけません。
ではどういう相手が適切かというと、普通の人はよくわかるわけです。
健康な人はどういう人に告白したら良いのか、どういう人が信頼できる人なのか、ということが本能的、直感的にわかります。
ですが、患者さんが元々機能不全家族で育っていたり、虐待を受けていた、経済的貧困で機能不全家族だった、ブラック企業に勤めている、会社が保守的すぎて精神疾患を認めない、男女雇用の均等制をわかっていない、しなやかさが欠如した会社で働いている、というようだと、良い相談相手を見つけにくかったりします。
本能的にどういう人に相談したら良いのかよくわからなかったりしますし、相談できるような環境ではないので相談相手が見つけられない、ということがあったりします。
そのような人だからこそ精神科へ通院することになり、うつが悪化したりすることが多いので、社会の中では少数派でも、そのような環境にいる・いた人たちの方が精神科ではメジャーだったりします。
だから気軽に相談したら良い、ということは患者さんにはなかなか言えません。
よく聞かないと、その人たちが相談相手を探せる人たちなのかどうかわかりません。
一般的には若い世代、若者ほどメンタルヘルスへの関心は上がっていると言われています。
ですが、40代、50代の人でも人生経験を積んできて心に余裕があり、メンタルヘルスに関する関心の高い人も結構いらっしゃいます。
50、60まで生きていると部下や同僚に必ずうつ病の人がいた、あるいはいます。
自分で自分を傷つけてしまった人も周りにいて、それを経験している人たちもたくさんいるので、そういう人たちが助けてくれる側になることもあったりします。相談相手になってくれることもあります。
逆にそういう人たちが軽々しく言うな、という風にトラウマを避けることもあったりします。
でも相談相手になってくれることも結構あります。
自助団体や福祉の人、医師、心理師も相談相手としては良いかなと思います。
ただ、コメントを見ていてもよく思うのですが、「私はこの人たちに傷つけられた」「医師に相談したから嫌な目に遭った」「心理師なんか役に立たなかった」というコメントも多いです。
確かにそういうこともあります。
ただそれはトレーニングの問題なのです。
トレーニングをきちんと受けたことがあるのか、受け続けているのかによって腕の差があったりするので、前半にお話しした相談のデメリットがあったりします。
やはり話すとすごく楽になります。ただ話すだけでも楽になります。
臨床をしていて、自分は何も出来ていないんじゃないか、患者さんに価値を提供できてないんじゃないか、こんな臨床をしていて大丈夫なのか、良いアドバイスができていないんじゃないかと日々思いますし、上手くやれていないと反省しますが、一方でただ話せる場を提供しているということだけでも意味があるのだろうと思います。
患者さんが安心して喋れる場所を診察室以外で探すのは本当に難しいので、自分なんかは大したことをしていないと思いつつも、話せる場や治療的伴走をしていることには価値があるのかな、と思ったりします。
前向きになる考え方
2022.1.27