本日は「知る痛み」というテーマでお話しします。
精神科の治療は「自己理解」と「他者理解」と「しなやかな思考」が大事だと僕は他の動画でもよく言っています。
自分のことを知ることで他人のこともわかるし病気のこともわかっていく、そして自分や他人のことがわかれば良い道筋を行動へ移していくことができます。
昔の中国の偉い人、孫子が言った「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」みたいな話ですが、精神科の臨床も一緒です。
自分のことを知る、相手のことを知るということがとても重要です。
コンテンツ
自己理解
これも復習ですが、自分のことを理解するとはどういうことかというと、大事なポイントは5つあります。
1. 診断
自分はどういう病気なのか。
2. アセスメント
自分は心理学的にみてどういう性格なのか、白黒思考なのか意地っ張りなのか、負けず嫌いなのか、平凡恐怖、普通になってしまうのが怖いのか、自己愛が強いのか。
3. 家族
自分はどういう家族だったのか、生い立ちを深く理解する。
4. ライフステージ
自分は今何歳でどういう問題があるのか、今思春期だからこういう問題を抱えている、20代ならこういう悩みが多くて自分も同じように悩んでいる、30代なら妊活の問題が多い、50代になったら介護の問題や思春期の子どもを抱えている悩みがある、という風に人生は年齢ごとに課題があるので、それをちゃんと理解していること。
5. 会社や社会
社会とはどういうものなのか、社会の中で自分の会社や業界はどういうものなのかを理解していく。
そういう自己理解が重要です。
他者理解
他人に対しても同じような理解が重要です。
他者を理解するポイントとして大事なのは、他人と自分は違うということです。
溝があるということです。
親子は家族だから以心伝心だよね、と思っても実は親子も他人なので、意外とギャップがある、溝がある。
溝があるからすごく孤独を感じるのです。
そして質が違ったりします。
価値観が違うと、自分と他人は話し合っても相容れない部分がある、ということを理解しなければいけません。
どんなに話しても全然気が合わないということが起きます。
歩み寄ろうとしてもできない部分はどうしてもあります。
発達障害の人やカサンドラ症候群の人が悩んでいることも似ていますが、それだけではなく普通の人間関係でも同じようなことがあります。
話し合って理解し合えるほどの差であれば、それは多様性とは言わないのです。
我々人類は多様性がある。
多様性があるというのは、話し合っても理解し合えないほど多様であるということです。
そして、なぜ話し合っても理解できない同士が、同じところで社会として機能しているのだろうということがあります。
本当に不思議なのですが、どういうわけか上手く機能するというのが人間社会の不思議です。
こういうことを理解することです。
知ることは痛みをともなう
今聞いてギョッとしたかもしれませんが、これを知ることはとても苦しいのです。
自分はどんな人間なのか、相手はどんな人なのかを知るのは痛みを伴います。
なかなか受け入れ難いのです。
マスダは頭がそんなに良くない、意外とケチだ、集団生活が下手だ、運動神経が悪い、英語ができないなど、自分の嫌なところを言っちゃいましたけど、知りたくないですよね。
僕も今になってだんだん受け入れてきていることもあるけれど、全然受け入れられなかった時期もありました。
でも痛みを伴ってだんだん理解してきたという感じです。
精神科の治療は、患者さんにその痛みを押し付けるわけです。
君は障害があるんだということを突きつける、君は悲しい過去だったんだ、生い立ちだったんだ、君が受けてきた家族からのものというのは世間よりも不幸だったんだ、そういうことを突きつけないといけないのです。
それはとても痛みを伴うことであります。
「知る」とは
知るというのはどういうことなのか、ということをもう少し詳しくお話しします。
知るということを三つの段階に分けます。
1.明確化、直面化
まず、治療者は困り事を明確化していきます。
わかりやすくしていく。
あなたが考えているのはうつなんですね、うつでパワハラを受けていたんですね、と言ったりします。
これは薄々わかっていても改めて言われるとギョッとするし、すごく傷つきます。
あなたは夫婦の問題で悩んでいるかもしれないですが、旦那さんは実はもう別れたいと思ってたんですね。
患者さんが自分で言っているのです、診察室の中で「旦那は別れたいと思ってるんですよ、別れたいと言ってくるんです」と言った後に同じことをおうむ返ししてもすごく傷つきます。
そういうことを「明確化」と言ったりします。
本人が気付いていたこと、気付いてなかったことを改めて言うことを「直面化」と言ったりします。
「旦那って全然家に帰ってこないんですよね、不思議だと思いませんか」と言ったりするので、「旦那さんのシャツに口紅がついてたんでしょ?香水の匂いがしたんでしょ?」と言うと、「そうなんですけどたまたま会社でついちゃったそうです、たまたまぶつかっちゃったらしいですよ」と言ったりします。
「それってもしかしたら浮気の可能性はないの?」と言ったりすると、そんなの絶対に考えてるだろうと思っても本人だけは本当に考えておらず、そうすると涙がすーっと流れてきたりします。
それは無意識のものを意識下へ持ってきた、直面化と言ったりします。
知る痛みですね。
それは、「侵襲性」という言い方をするのですが、やっぱりこういうテーマを取り上げると傷つきます。
傷つくので、傷つかないように、本人が今扱えるようなテーマだけを話すように外来ではしています。
でもやっぱり傷つく。
傷つくときには、本人は恥をかかされたような感じ、自尊心の傷付き、悲しみ、怒り、否定したくなったり、契約、これをすれば良くなるんじゃないかという思いに囚われます。
2.混乱、整理
そして混乱します。
混乱するのですが、頭の中で段々と整理していきます。
やっぱりそうだったんだな、自分が今困っているのはパワハラの問題でうつになっちゃって、旦那に浮気されているんだな、ということがなかなか飲み込めないけれど整理されてくる。
3.理解、受け入れ、創造
整理された後に理解されたり受け入れたり、じゃあ次からどうしようか、旦那と仲直りするにはどうしたら良いのか、パワハラ問題については弁護士さんに相談したら良いのか、家族と相談してもう一回人生を新しくリセットしたほうが良いのかな、ということを考えたりします。
最初に知って、うやむやにしているのです。
本当はパワハラしていないのかもしれない、仕事が多いのはたまたまかもしれない、旦那が帰ってこないのはたまたまかもしれないと思うけれど、でもうつなのはどうしてだろうと思ってきて、やっぱりそうだったんだね、と受け入れていくというのが痛みであり治療であったりします。
前半はそんな感じです。
後半、理解するときにはどうしても「コペルニクス的発見」というものが必要となります。
今までの常識を壊して、新しい認知を手に入れたりしなければいけないことがあります。
科学哲学的には「パラダイム・シフト」と言ったりします。
それを受け入れるにはすごく手間がかかるし、頭の整理の時間がかかるし、言語化には時間がかかるし、驚いたり虚無感に襲われたり、別れというか寂しい気持ちになったりします。
そういうことが起きます。
治癒は「飛躍」
例えば哲学的な発見というものがないと、うつというものは本当の意味で良くなってはいきません。
発達障害にしても何にしてもそうなのですが、ただ自己理解や他者理解、しなやかな思考と言っても、今までの自分の延長線上に治療というものがあるのかと思ったら大間違いで、治癒というのは「飛躍」なんです。
今までの自分とは全く別の自分に変わっていくような変化を実感します。
ある時を境にグッと変わることもあれば、ゆっくり変わっていくこともあります。
半年くらいかけて、半年前とは全然違いますよね、ということもあれば、ある時を境にグッとわかってグッと変わることもあります。
そういうことは診察の中ですごく感じます。
ゆっくり変わっていく人もいれば、診察の中でグッと変わった人も見たことがあります。
治癒が起きる瞬間は本当に感じます。
「発見」とは
・心は脳
発見というのは何かというと、例えば心は脳の問題なんだ、ということです。
精神科は甘えだとか言ったりするのですが、そもそも脳の病気なのだから、脳も病気になるよね、臓器なのだから、ということです。
当たり前のことなのですが、なかなか一般の人や考えたことのない人には受け入れ難かったりします。
努力をすれば学習できる、どんなものも学習できるんだと言うけれども、人には向き不向きがあるしできない人はできなかったりします。
脳は臓器なのでそういうものです。
老いることもあり、無意識というものもあります。
脳という臓器には自分には認知できないところがあったりするということです。
・他人はコントロールできない
他人はコントロールできないという、当たり前といえば当たり前の事実も意外と理解できなかったりします。
家族は別なんじゃないか、恋人は別なんじゃないか、愛し合っている者同士、信頼し合っている者同士は、コントロールとは言わなくても以心伝心できるんじゃないか、という錯覚や幻想があります。
そんなことはありません。
それをストンと理解できるのかということです。
・世の中は運が支配
世の中は運が支配しているということ、運の存在や遺伝の問題を本当の意味で理解できなかったりします。
自分はうつが良くならないのは、頑張りが足りないからでしょうか?
自分がパワハラされたのは、自分が発達障害で気が回らなかったからでしょうか?
自分の判断は間違ってたんでしょうか?
…というのは、自分が悪いのではなくてただ運の問題だったりします。
生まれの問題だって運ですし、その判断が正しかったか間違ってたのかは結局は運であることが多いのですが、その運というものを良い意味で理解できたらよいのです。
自分が成功したのは運だったんだな、運ってこういうものなんだな、と思えたらよいのです。
こういうことを言うと失礼だけれど、僕がYouTubeをやって伸びているのはたまたまです、運だと思います。
そして僕はもともとYouTubeをやりたいとは思ってなかったわけで、でもたまたま伸びた、と。
本当にこれは運だと思います。
僕が本当に目指していたものとか成功したいと思っていた分野とYouTubeとは遥かに違います。
だけれども、そちらは努力しても全然上手くいかなかったのに、YouTubeは大して努力しないで伸びたのです。
だから運なんだなとわかった、と。
これは良い意味での運の理解です。
だけど逆なのです。
本当に嫌な思いをしますが、患者さんは挫折から運を学ぶのです。
僕もあります。
向いていると思って入った自衛隊が向いてなかったということが。
でも小さい挫折ですよね、そんなのは。
だけどそうではなくて、本当に苦しい、なぜ病気になったのか、なぜ自分はこんな目に遭っているのか、ということが本当にただの運であり、不運であった。
そしてそれは何か別の形で補償してほしい、そんなの不平等じゃないか、神様は酷いじゃないかと思うのですが、残念ながらそれが不運ということです。
これを本当に理解するのは大変ですが、理解していきます。
・構造主義
構造主義という形で書いてありますが、場所が変われば常識が変わるということです。
見方が変わらないというのは常識を疑って壊してないということです。
親たちも世代が違うので全然違う価値観を持っています。
理解してもらおうと思っても世代が違うから理解し得ないところが必ずあるという、そこを腹に落とさなければいけないのですが、苦しいです。
サンタクロースはいない
これらを理解するのはすごく苦しいし、痛みを伴います。
常識が壊れて今までと同じ見方ができなくなる。
それはサンタさんはいないんだよ、ということと似ていると思います。
それを知るというのは傷つきます。
サンタさんがいないということは診察の最初から言いません。
それは、子どもに対してサンタさんはいないよね、と言わない、ある程度年齢がたたないと言わないのと同じです。
僕らも患者さんに最初から言いません。
ある程度準備が整ってからでないと、人生の中のある種の不幸な事実というものを伝えたりはしません。
でもマスダは動画で言ってるじゃないか、と言われたらそうですが、でもこういうのは動画で何度言っても右から左だと思います。
適切なタイミングで適切に聞かないと心に響きません。
神経症的な問題、コペルニクス的転回
前半の恥や自尊心の傷付きを恐れるから知ることを避けるというのを「神経症的な問題」と言ったりします。
こういう気持ちの問題を避けたいから、逆にヒステリーのように手足が動かなくなる、健忘が起きるということがあります。
これから起きる感情のアップダウンをすごく恐れるというのが前半の問題で、神経症的な問題だったりします。
後半のコペルニクス的な転回、常識を疑って全部壊し別の見方をするというのは、「知的な問題」のせいで妨げられていることも結構あります。
発達障害の人はこだわりが強かったりするので、境界知能や精神発達遅滞の人もそうですが、視点視座を固定してしまっているものを別の角度、別のパラダイムから見ようというのは、知的な問題からできなかったりします。
何度言っても、他人のコントロールはできないということや、心は脳なんだということで固定観念を壊すことがすごく難しかったりします。
そういう問題もあります。
ある種のパーソナリティ障害の人も似たような形だったりして、伝わらないということもあります。
頭が良い人で東大とかに入っていて賢くても、理解できない人は理解できません。
とても不思議なのですが、そういうことがあります。
でもこういう問題を解決していくと、理解、受け入れ、創造ということが起きます。
でもとても痛みを伴う作業だということです。
苦しいです。
だから苦しくないように、できるだけ痛みを感じなくなるように、痛みを感じても崩れないような精神療法などを日々技術として研究しているのが精神科医療です。
今回は知る痛みをテーマにお話ししました。
前向きになる考え方
2022.2.12