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メタ認知を鍛える。最新の脳科学的見地から、俯瞰的にものを考えるコツを探る

01:22 脳は現実をあるがままに見ない
04:46 身体反応・記憶・言語
09:17 感情とは
12:48 本の紹介
14:40 記憶・認知
19:07 メタ認知を高めるには 

本日は「メタ認知を鍛えるにはどうしたら良いのか」をテーマにお話します。

メタ認知とは何かというと、色々な角度からものを見ることができる、色々な角度から考えることができる、俯瞰的にものを考えられる、感情に支配されずにものを考えられる、感情と自分を切り離してものを考える能力のことです。

これが全くできない人はいないので、得意か不得意か、程度の問題です。
メタ認知が得意であればあるほど、不安に支配されにくいし、うつになりにくいと言われています。
柔軟にものを考えたりアイデアを出しやすいとも言われています。

このメタ認知を身に付けるにはどうしたら良いのかというお話を今回します。
これはその話をするための図です。
ちょっとわかりにくいですが、最後までお付き合いください。

脳は現実をあるがままに見ない

最初に脳科学の話をします。

脳の中でどういうことが起きているのか。どういうことが起きているから私たちには心が生まれてくるのか、意識が生まれてくるのか、ということをあまり考えたことがない人が多いのではないかと思います。
あるからあるんでしょ、としか思っていない人もいるかもしれませんが、結構不思議です。
どうして生まれてきたときから意識はあるんだろう、死んだらどこへ行くんだろう、と考えたことはないですか?

僕は好きだから考えるのですが、一応意識というのは「脳の中でつくられている幻想、現象」です。
幻想というよりは現象なのではないかと言われています。

わかっていることは、僕らは脳の中で現実のあるがままを見たり認識することはできない、ということです。
見たものを脳の中で再構成している、と考えられています。

僕らは現実をそのまま見るのではなく、意味を加えて見ています。
相手が怒っているか怒っていないかというのは、ちょっとした眉毛の上がり方や目がちょっとグッと強く開いているとかだったりするのですが、それが僕らには怒っている顔に見えます。

このことは考えてみれば不思議です。
同じ写真を見ても前後の文脈がないとよくわからなかったりします。
写真の顔がウワーッと言っていても、それが喜んで叫んでいるのか、怒って叫んでいるのか、悲しい出来事があったのでウワーッとやっているのか、写真一枚だけではわかりません。
その前後の文脈や会話で、その人が喜んでいるのか怒っているのかわかります。

頭の中ではこのように意味が加わって見えています。意味がない状態では見えていません。
早速難しい話をしますが、そういうことです。

例えば、だまし絵は意味がわかる前と後では全く違う見え方をします。
手品もそうです。
タネが明かされる前は全然わからないし、何が起きたんだ、という感じですが、タネが明かされると、意外とこんなことだったんだと見えたりします。
映画でも伏線は最初張られているのがわからないのでトリックやトラップはわかりませんが、ゴールがわかってもう一回見直すと、こんな粗がある、これが伏線だった、と違って見えます。

全く同じものを見ていても意味が変わる、何かを理解すると違った見え方がする、それが人間の認知です。
物理的な現実と社会的な現実といいますが、あるがまま(物理的現実)を見ているのではなく、我々はそれに意味を加えて(社会的現実)見ているわけです。

意味を付け加えているのが私たちの意識や心です。

怒られているとき、客観的に、私は怒られてるな、私が悪いのかな、と思っているときにグッと視野が狭まって自分の世界に入ってしまいます。
周りが見えなくなってどんどん自分の世界に入っていきます。

身体反応・記憶・言語

次に、自分の世界や自分の心がどういうものなのか、についてお話します。

心とは何かというと、意味です。
意味を与えるものだったりします。

どういう要素で意味ができ上がっていくのかというと、身体の反応と記憶(学習の成果)と言語だと考えられています。

つまり、怒られてるな、嫌だな、自分はダメなヤツだな、相手は怖いな、と思うときは、心臓がバクバク動いたり、脳内では脳内ホルモンが出たり、コルチゾールが出てストレス反応が出たりといった身体の変化が起きます。

身体の変化が起きると、脳が「自分には変な反応が起きてる!」と身体反応を過去の記憶と照らし合わせます。
そして過去にも年上の人から勢いよく語りかけられたな、これは怒られているんだ、という記憶が引き出されて、ああ自分は今怒られている、だから辛いんだ、悲しいんだ、自分を責めたい気持ちになってるんだとなり、自分の心が悲しいという気持ちになります。

これを無意識、コンマ何秒でパパパッと脳が計算し、悲しいという気持ちを自分が味わっている、情けないという気持ちを味わっているということです。

言葉がどうしてここに加わるのかというと、抽象的なものの処理をするために言葉があるのです。
動物にも身体反応が起きるし、記憶もあります。
人間と違うのは言葉です。

言葉を使えるか使えないかで、より抽象的なものの考え方、自己、自分というものができ上がってきたり、社会というものができ上がってきたり、怒る、情けないという複雑な感情、複雑な考え、複雑な意識が生まれてきたりします。

動物にも身体反応や記憶があります。
場合によっては人間よりも優れたセンサーがついていたり、記憶力も人間より優れていることもあります。
ですが、言語がないので人間のような心が生まれていないのではないか、と考えられています。

世の中のあるがままを見ているのではなくて、人間は脳内で現実をシミュレートし、意味を付け加えて理解しています。
その意味を生み出す心はどういうものかというと、身体の反応と記憶と言語によって成り立つ、というところまで説明しました。

脳内でシミュレートした現実を「社会的現実」と言います。
これは複数存在します。

自分のものの見方が変われば別の意味で考えることができる、手品や映画の伏線と同様に、同じものを見ていても違ったように感じることができます。
視点を変えると別の見方ができたりします。
人間のものの見方や価値観、視点の違いによって複数の見え方があるということです。

複数の見え方がありますが、決してあるがままの現実を見ることはできません。
それは、僕らが言葉をもう覚えてしまっているからです。
言葉を忘れることはできないので、基本的にはあるがままではなくこういう(社会的)現実を見ています。

感情とは

感情はどうやって出来上がるのかについてお話します。

感情とは、身体の反応を心というか意識がどうやって理解してきたか、ということです。

身体の反応は、快があるのか不快なのか、覚醒度が上がっている(心臓がバクバクしている)のかゆっくり動いているのか、これくらいのセンサーしかないのではないかと言われています。
この二軸のどこかに社会的な文脈などが色々加わることにより、「感情」が生まれてきているのではないかと言われています。

これを「感情円環図」と言います。
ジェイムズ・A・ラッセルという人が提案した考え方です。

子どものときは、自分が怒っているのか、イライラしているのか、悲しいのかよくわからなかったりします。
ウチの子はまだ5歳なのですが、怒られたりしてアーッて足を叩いて地団駄を踏んだりしていると、ウチの奥さんが「何でそんなことするの」というと、子どもは「わかんない」と言うんです。

奥さんは「ウソおっしゃい!」と言ったりしますが、本当にわからないんです。
ただ覚醒度が上がって心臓がバクバクし不快だ、という気持ちなんです。

地団駄踏んでるから「アンタ怒ってるんでしょ」と奥さんは言いますが、子どもは「わかんない」と言っています。
奥さんに対して怒っているのではなくて、子どもは自分を責めているのかもしれないし、情けない気持ちなのかもしれないし、お母さんに怒られて反省したいのですが、ドキドキしてしまっているから抑えが効かなくて地団駄を踏んでいます。
この時には何が何だかよくわからない感じです。

これが大人になってくると、より複雑に、お母さんに怒っているけどそれ以上自分に怒っているとなったり分かれていきます。
それは経験や記憶、そのときの語りかけ、社会や家庭の文化で今の感情が細分化していきます。
もともとはこういうものだったりします。

心とは何かというと、身体の反応+記憶だったり、言語、5歳児が知っている単語数は少ないので、それが増えていくことででき上がってくるという感じです。
これを「構成主義的情動理論」と言います。

人間の脳の中には、「感情そのもの」はありません。
「怒り」という脳のシナプスはありません。

ただ覚醒度と快・不快の記憶の組み合わせで怒りがその都度その都度生み出され、同じようなレールを通るから「あ、これは怒りなんだ」と本人が理解したりするようです。

本の紹介

この話でどうして今回動画を撮ろうと思ったのかというと、余談になるのですが、本を読んだからです。

元々積み本としておいてあった本ですが、リサ・フェルドマン・バレットさんの『情動はこうして作られる』や『バレット博士の脳科学教室』これはこの本を読み終わった後に面白かったので買って読んだのですが、この本を読んで参考にしました。

僕は哲学者でもなければ、この作者のような脳科学者でもありません。ただの臨床家で精神科医です。

僕らは、正しい脳科学の知識を伝えようとか、実験で確かめていこうという意図はなく、最新の脳科学とそんなに外れていない話で、且つ、患者さんと共有しやすい心の概念、モデルを使えればという感じです。問題意識が違います。

患者さんにどうやってメタ認知を今の脳科学と外れすぎない形で伝えられるのかとずっと考えていて、認知行動療法や精神分析の概念を脳科学の文脈でどうやったら説明できるのか、とよく考えていたのですが、ちょうどこのリサ・フェルド・バレットさんが同じような問題意識で解決してくれていたので、今回この動画を撮っています。
もし興味がある方は読んでみてください。
僕が言っている話とちょっと違いますから、それも楽しんでいただければと思います。

余談終わりです。

記憶・認知

身体の反応から感情が作られます。
文化によっても感情の形は違うし、家族関係や親子という小さいカルチャーの中でも、同じような身体の反応があっても、本人がどう感じるのか、どういう言葉で自分の感情を表現するのか、ということは違うという話をしました。

もう少し細かいことを言うと、記憶や認知の仕方も学習によって決められます。
情動、感情だけが作られるのではなくて、記憶や認知のあり方もその都度作り直されます。

記憶は、一度憶えてしまうと写真のネガのようにずっと脳内に残っていくものではなく、パーツパーツだけがあり、それが組み合わさって記憶や認知のあり方が出来ます。

脳の最初の状態を「新雪の丘」と言ったりします。
雪が降ったばかりの丘を想像してください。
そこを最初にソリが走ると跡が残ります。
次のソリは、最初のソリが走った跡の方が通りやすいので、そこが道になっていきます。

脳とはそういうもので、子どものときに憶えたものを反復していく、という要素があります。
よく使う道、よく通る道は記憶として定着していく、考え方や認知のあり方として定着していく、ということがあります。

例えば子どものころお母さんから怒られたとき、怒られると怖いなということがわかります。
これを最初に憶えたとき、お母さんが許してくれない人だったり、常に家の中でプンプン怒っていると、不安になりやすいです。
生まれ持った体質もありますが、虐待を受けた子どもは、 「あ、怒っているかもしれない」と内心ビクビクしてしまいます。

それはなぜかというと「新雪の丘」の話で、子どものときに大人が無言でノシノシ歩いていると次の瞬間「コラッ!」と怒られた記憶があり、その記憶が道になってしまっているからです。
毎回大人が無言で歩いているのを見るたび「怒られるかもしれない」とビクビクしてしまいます。

逆に、怒ったあとにすぐ許してくれるお母さん、謝ったらすぐ許してくれたり褒めてくれるお母さんだったりすると、大人になってからもポジティブです。
上司に怒られても、そのうち機嫌は直るだろう、怒られたけど仕事を淡々としていれば褒めてくれるだろう、許してくれるだろうな、と楽観的に考えられるということがあります。

それは、最初の刷り込みのようなものです。
最初の記憶が脳に出来上がると、その考え方が強化されていきます。
それが記憶や認知のあり方です。

不安障害の人は、普通の人よりも、ただの大人の笑ってもなく怒ってもない写真を見たときに怒っているという人の割合が多いと言われています。
不安に対する感度が強いからなのですが、それは生まれ持った体質もありますが、学習の結果とも言えます。

社会的な現実、自分の中で脳内をどういう風に構成しているのかということは、皆が同じように受け取るのではなく、記憶の要素で見え方が変わるということです。

メタ認知を高めるには

ではメタ認知を高めるにはどうしたら良いのか、ということになるのですが、1つはこうした脳科学的な事実を知ってもらうのと、「観察する」ということです。

自分は今すごく心臓がドキドキしているな、不安を感じているな、そういう観察をします。
怒ってるかもしれないな、でも実際にはおじさん二人が「うーん」とか声を出しているだけなので、そんな大したことはないな、殴ってくることはないな、と色々な要素で冷静に観察する自己をつくることが重要です。

社会的な現実をたくさんの観点から見ることが重要です。
こういう見方もできるな、視点を変えたら別の見方もできるわけです。
新人だから教えてくれているんだろうとか、そういう見方もできるし、この人は自分が調子が悪いからこっちに怒ってきてるんだな、オレが悪いわけじゃなくてアイツの問題だな、という見方ができるとか、複数の視点で見ることができることが重要です。

複数の視点で見るためにはどうしたら良いのかというと、概念を覚えることです。
色々な知識を得る、色々な物語やストーリー、価値観、哲学、精神科のものの考え方でも良いのですが、色々なことを知ることで色々な解釈ができます。
さまざまな解釈でものを見ることができるようになることが重要です。
そうするとメタ認知は高まっていきます。

これで大体僕が話したいことはしゃべったかな。
なんか難しいですね。
この動画も3回目なんです、撮り直すの、実は。
しゃべったのかどうか途中でわからなくなりました。
台本も今後は作っていった方が良いのでしょうけど、なかなか時間がないので、思いついたり、臨床的にしゃべりたいなということを毎日動画に撮っているのですが。
 
この概念は重要だと思いますし、他の話に応用が利くので、ブラッシュアップして半年後くらいに撮り直していければと思います。

脳はどんなものなのかということがわかりやすいし、構造主義や哲学的概念も内包しやすいし、色々な視点で見た方が良いというのは、認知行動療法や精神分析など色々な精神療法の統合にも役立つ概念、フレームなので便利だと思います。

哲学者や脳科学者と僕ら臨床家の違いはどこかというと、理論やモデルの扱い方です。
哲学者ならこの概念を、言葉の定義をより厳密にしていき、考えていないことは何か、モレはないかと考えていくだろうし、脳科学者ならこういうモデルに対して実験的に裏付けできるのかということを考えていくと思います。
こういう発表しようとしたときに、エビデンス、こういう論文から引っ張ってきました、こういう実験データがありました、ということを補足しながら説明すると思います。

僕ら臨床家はあまりそういうことをしません。
患者さんと喋っているときにエビデンスを出してくることはないです。
それはなぜかというと、患者さんが理解できるような形で共有できれば、それで良いと思っているからです。

これが真実だとは思っていないし、科学だとも思っていません。
ただ最新の脳科学とそんなに矛盾せず、なおかつ、患者さんが俯瞰的にものを見やすくなるためのモデルを提供できたらそれで良いのではないかな、という程度なんです。
それが良いのか、と言われるとアレですが、臨床家というのはだいたいそういうものです。
臨床家視点として、これはわかりやすいモデルかな、と思います。

今回は、メタ認知を鍛えるにはどうしたら良いのか、ということについて、脳科学的な観点を交えながらお話しました。
何かの参考になれば幸いです。


2022.3.14

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