本日は、1900年くらいの精神科医療と現代2022年の日本の精神科医がやっている精神科の治療の違いを検討します。
この動画を撮ろうと思った理由は特にありません。
さっき『情報の歴史』という本を読んでいました。本というか図録で、面白いので眺めていました。
1900年頃と今は全然違います。
精神医学が誕生したのは1900年くらいです。
1856年頃にダーウィンの進化論が出て、それまで科学のメスは物理学には入っていましたが、生物学や人間の心にはメスが入っていませんでした。
聖書の世界では神様が生物を造ったと言っていますが、そうではなく「進化」したから生まれてきたというのがダーウィンの進化論で明らかになりました。
人間の心もスピリットではなくて、「脳が生み出している現象」だと科学のメスが入ったのも1900年くらいからです。
おかしくなっているのは悪魔が憑いたとか呪いではなく、脳の病気だということが一般化したのが1900年くらいからになります。
細かく言うと「もっと前からあるよ」とか色々あります。
ピネルの人権運動などありましたが、大体1900年くらいからかな、と僕は思っています。
フロイトと何度も言っていますが、どうしてフロイトの話を僕がするかというと、その頃は治療法がありませんでした。
催眠術、カウンセリングで人の心をいやすところから精神医学が始まり、薬が本格的に運用されるようになったのが1950~60年なのです。薬を使うようになってまだ50~60年、それまではカウンセリングや分類をやっていたということになります。
そんな昔の話をしなくても良いじゃないかと思われるかもしれませんが、多くの人が考えている精神医学のイメージは意外と1970~80年くらいのイメージ、ふかふかのソファーに座りドクターと患者が難しい顔をしながら心のこと、トラウマを語り合うのが精神科のイメージだと思います。
そんなイメージはないですか?
僕はそういうイメージがあったんです。
だけど、実はそんなことはもうほとんどやっていません。
だから誤解があるのかな、と思います。
その誤解の原因は、古典的な精神医学のイメージに囚われているからではと思ったので、古典的なイメージと今日の治療を比較することで、精神科とはどういうものなのかを理解してもらえればと思い今回の動画を撮ります。
いつも台本なしでしゃべっていますが、どうしてこういう動画を撮るかというと僕の頭の整理も兼ねています。
本を見てエイヤーッと何も考えずにホワイトボードに書いて、一気にガーッとしゃべるスタイルでいつも動画を撮っています。なので聞き苦しい点もたくさんあると思いますがご理解ください。
毎日一本撮るのは結構大変なので、こんな感じでやっています。
1900年の精神科医療と今日の医療を比較するにあたり、4つのテーマを設けました。
脳科学の変化、人文系の変化、治療構造の変化、治療対象の変化です。
1つずつみていきます。
コンテンツ
脳科学
精神医学は脳科学をベースとした医学、医療行為です。
カウンセリングも脳科学的な知見をベースに組み立てられています。
もちろんそうではない部分もありますが、原則は脳科学に準拠しなければいけません。
1900年頃は、脳みそのこともよく分かっていませんでした。
反射の研究をしたり、普通の解剖や顕微鏡を使って染色した解剖をしたり、疾患の分類をしていたくらいです。
今日はどういう風に脳を理解しているかというと、雑に言うと、AIやデータを使う、ニューラルネットワークの利用。また、脳の局在論、解剖をして「この部位はこの働き」ということは基本的には否定されているので、fMRIを使ってシステム論として考えたり、DNA+αで考えたりします。
ビジェネリックな変化、人間の遺伝子だけではなくそこに寄生しているウィルス、腸内細菌も含めた全体的な遺伝的変化、情報のやり取りも含めて脳を理解していることになります。
難しいですね。
とにかく昔と違うということです。
脳のイメージが全然違います。
フロイトの時代は、こうしたらこうなるんじゃないか、こうすればこういう結果が得られるんじゃないかと割りと単純な一対一対応に近い科学のイメージでした。
ですが今は複雑系で、こうしたらどうなるか分からないがシステムに影響はあるかも、とシステム論として考えているので脳の捉え方は全然違います。
人文系
精神医学は科学だけではなく背景にある社会問題、言論、哲学の影響を受けます。
人文系も大事です。
フロイトの頃は構造主義の始まる前くらいの感じです。
国民国家ができ始めたり、国家同士の戦争がようやく始まるという感じです。
その後に第一次世界大戦、第二次世界大戦が起こりますが、それまでは国家や民族というものが今ほど明確ではありませんでした。
国家や文化が違えば考え方が違う、ということがわかったのが構造主義というもので、それが始まる前でした。
それから言語学です。言語によって我々の考え方や好み、価値観が規定されているというこがわかったのもこの頃です。
それ以前は言葉によって僕たちが支配されていることがわかっていませんでした。
権威主義が強く、この本では派手で騒々しい価値観がカルチャーだったようです。
新聞を皆が読むようになったのもこの頃です。
夏目漱石の時代です。新聞の連載小説をみんなが楽しんで読んでいた時代です。
初めて芸能人が出現したのもこの頃です。
今日では皆さんご存知の通り、「主流」とはどういうものかはよくわかりません。
ポスト構造主義ということになりますが、哲学でも言論でも何が主流かはよくわかりません。
分断されており、SNSを使っていろいろなところでドンパチをやっているという感じです。拡大している。
日本に関して言うと高齢化です。
文化自体が高齢化しているので、おじいちゃん好み、おばあちゃん好みの文化が有力になっています。
権威が失墜し個人で決めれば良い、個人の好みが尊重される時代に変わってきています。
派手やブランド的な要素から親しみやすさ、陰キャと自分たちのことを呼んだりしていますが、陰キャが生きやすい世界に変わっているというのがカルチャー面での変化かなと思います。
治療構造
治療構造の変化もあります。
フロイトがやっていた治療は、週5回で1回の診察時間が50分、話し合いで薬は特にないという治療でした。
今は月に1、2回、診察時間は5分+α、薬を使い、福祉制度を導入したりするというのが医師がやっている治療です。
個人がやるような治療からチーム制に移行しています。
僕の場合はSNS、YouTubeも利用しています。
オンラインを含めた治療構造を目指している。オンライン診療やオンラインカウンセリングもそこに含まれますが、会って50分という世界観から、面談時間は短く、個人ではなくチーム制、SNSで情報交換を行うような治療構造に変わっていたりします。
治療対象の拡大
色々な生きる困難さが精神科の治療対象に加わっています。
あらゆるものが医療や科学の対象になってきています。
例えば認知症や高齢者のうつも精神科の治療対象です。
今では当たり前ですが、フロイトの頃は「70歳以上は精神分析の適用はない」として、治療対象ではないという言い方をしていました。
老化現象や認知症は、昔は医療の対象ではありませんでした。
思春期やひきこもりの問題も診るようになってきていますし、発達障害の理解も広がってきています。
知的な特性や境界知能も含め、精神科の治療の対象になっています。
その家族、発達障害の方の奥さんの落ち込みやうつも治療対象になっています。
虐待の問題、フロイトの頃も虐待があった、性的虐待があったということは、わざわざ公表しなくてはいけないくらい秘匿化されていたものでした。
PTSDという概念も戦争の後に生まれてきています。1900年はまだ国家間の戦争、国民を総動員した戦争はなかったのでPTSDは知られていませんでした。
本格的に知られるようになったのはベトナム戦争以降で、当時はなかった概念です。
高齢者とも似ていますが、緩和ケアの問題もあります。
終末期や死の恐怖、がんの恐怖、痛みの恐怖、痛みの辛さも治療対象になっています。
アルコール依存、ドラッグの依存、ギャンブル依存などの依存症も今日では治療対象になっています。
昔は統合失調症、うつ病、躁うつ病という内因性疾患だけだったのが、より広く診られるようになってきています。
治療対象が拡大していくというのも、おそらく続くと思います。
僕が後何年生きるか、まだまだ生きますが、百年後2百年後はもっと治療対象が拡がっていると思います。
精神医学が果たすべき役割として治療対象が拡がっていくということは思います。
この120年で結構変わっていますね。
ここはこう治せば良い、ここはこういう機能だ、という局在論やこういう風に治療していこうというものから、システム論に変わっているのは全然違います。
人文系も権威的なものから多種多様なものに変わっているし、治療構造も個人が濃密にやっていたものから医師個人の関わりが少なくなりチーム制に変わっています。
治療の対象も幅広く多種多様になっています。
精神科の診療を受けるに当たって、自分の病気のことを知るのも重要ですが、そもそも精神科医とはどんなものか、精神医学はどんなものかということをある程度理解していないと治療には入りにくいです。
誤解があると、今受けている治療が自分の想定してたものと違うなと思い混乱しますが、今はこういう風に変化しているので、ここら辺を理解しつつ治療を受けてもらうと良いと思います。
今回は、1900年と2020年の医療を比較してみました。
精神科医の裏側
2022.3.22