本日は、相手の「知的能力」「成熟度」に配慮する、というテーマでお話します。
「知的能力」や「成熟度」という言葉を使うと、人を値踏みしているような感じに聞こえます。
僕も嫌です。
益田は知的能力低めだな、成熟してないな、と言われたら嫌だし、そういう形で評価されたり値踏みされていると思うと嫌な気持ちになります。
実際の医療の現場では、どういう言葉を使うのが適切なのかはわかりませんが、このようなことでどういう人なのかということをアセスメントしていきます。
お茶を濁すのであれば「心の特性」という言い方になるのかなと思います。
しかしぼんやりさせると良くないので、思い切ってカギ括弧付きで、「知的能力」「成熟度」という言葉を使います。
今日話す内容は、臨床心理の世界ではアセスメントにも通じる内容かなと思います。
コンテンツ
人間を評価する
多くの人は、人間をあまり評価していないと思います。
評価してはダメだといわれて育っているからかもしれません。
相手のことを、「どんな人間なんだろう?」と考えているようで考えていなかったりします。
「どんな性格だろう?」「性格占いで占ってみよう」などはしていても、細かく「大人なのかな、子どもなのかな」とはせずにぼんやりとしています。言語化が不十分だったりします。
相手をきちんと見ていないのではないかなと思います。
相手を見てきちんと評価することをしません。
それは面倒だから、相手の立場に立って考えることが困難だからということの他に、心理的にハードルが高い、障壁があると思います。
この人は○○大学を出ているからこんなもんかな、この人は年収○○だからこうなのかな、というのは値踏みするみたいで嫌ですよね。
でも僕らはある程度します。
精神医学は人間を科学する学問です。
科学をしながら、相手にとって良いもの、薬物治療、カウンセリングの手法、福祉の導入など色々ありますがそれを提供します。
そのために冷静に、客観的に評価できるものはどんどん取り入れていきます。
それは普通の人が考えていることとちょっと違うだろうなと思います。
心は多様だと言いますが、確かにその通りで人間の意識は概念によってつくられます。
その人が所属している文化、これまでの経験で心の形は変わってきます。
脳の中も全然違います。
一見同じようなことを感じているように見えて、脳内で起きている活動は結構違ったりします。
「新雪の丘」を想像してみてください。
何もない真っさらなところにソリを走らせると跡ができます。
そうすると次のソリも似たようなところを通って行って、段々跡がクッキリしていきます。
例えば一番最初に食べたラーメンが美味しかったら、また食べて、ラーメンは美味しい、ということがどんどん強化されます。
その結果、ちょっと臭みのある豚骨ラーメンが出てきても美味しいと感じて食べます。
逆に一番最初に食べた豚骨ラーメンの臭いがきつ過ぎたら、ラーメンが美味しくないと思って、ほんのりと臭うだけのラーメンも受け付けないとなります。
それは、過去の経験が今食べている味に反映されるからです。
文化も同じです。
家族がみんな納豆を食べていたら大人になっても食べるし、逆に周りが納豆を食べていなかったら、海外の人が納豆が臭くて食べられなかったり、関西の人が(今はあまり聞きませんが)食べられないということがあります。
同じものを味わっていても脳内で起きる感じ方は全然違います。
そしてそれは味覚だけではなく、人との接し方、文学の感じ方等々あらゆるものに及びます。
このように心というのは多様で、個人個人で全然違うようにできています。
知的能力
僕はラーメンが好きなのでラーメンで例えてしまうのですが、ラーメンの感じ方が違うように、色々な要素が違いますが、どうやってこれを理解していくのかというと、その理解の仕方として「知的能力」や「成熟度」を配慮したりします。
これは一般的にもそうなのかなという気がします。
知的能力はどうやって測るかというと、色々な方法がありますが、有名なのは「WAIS」です。
今回はWAIS-IVで説明します。
能力を4つに分けます。
・言語理解
言葉の理解や常識、歴史を知っているか、言語の意味を知っているかということ、パソコンのHD(SSD)
・知覚推理
パズルが解ける能力、応用力、アルゴリズムの量
・ワーキングメモリ
一度に記憶可能な量、パソコンでいうメモリー
・処理速度
問題を片付けるスピード、パソコンのCPU
人によって差があります。
色々なことを知っている人もいれば、あまり知らない人もいます。
パズルが得意で勘が良い人もいれば、勘が悪い人もいます。
一度にバーッと言って理解できる人もいれば、一度に覚えておける量が少ないので見通す力が弱くマルチタスクが苦手な人もいます。
問題を解くのが速い人もいれば遅い人もいます。
運動神経に差があるように頭の能力にも差があるのは当然といえば当然です。
例えば、サラリーマンの方はプレゼンをする時、専門用語を使ってはいけない、相手は無知だが賢いと思ってプレゼンしなさいと言われると思います。
知識はきちんと説明する。相手は賢い人でロジカルに考えることができるので、きちんと説明すれば通じるという話です。
でも本当に「無知だが賢い」が成立するかというと難しかったりします。
人によって賢さが違いますし、知識だけの問題ではなく考えていくスピードや理解する力が結構違います。
その人に合わせた言語、その人に合わせたたとえを使わないと、同じうつ病と説明しても伝わりません。人を見て説明しなければいけません。
成熟度
他にも、成熟度の話ですが、この人は感情に支配されやすい人か、自分を客観視する力はどれくらいあるのかを考えたりします。
固定観念に縛られているか、柔軟に物を考える力はどうか、議論の場で常識を否定したりすると混乱したり怒ったりするかどうか、ということを考えます。
あとは、年齢、経験、立場を考えながら、その人の成熟度を判断します。
知的能力についてはWAISのような形で定義されています。
成熟度はどうやって定義しているのかと言われそうですが、なかなか難しいです。
文化によっても違うと思います。
文化的によくわかっているということを「成熟度」といったりするのかもしれません。
立場、家族歴を見ながら精神科医はその人を評価します。
長男だったのか、次男だったのか、末っ子だったのか、どんな家族だったのか、虐待はあったのか無かったのか、等々を見ます。
知的能力も高い低いだけではなく、凹凸を見たり発達障害的な特性を見たりします。
発達障害的な特性があれば、柔軟さが弱い、客観視しにくいということがわかってきます。
関連性があったりするのでイメージしやすくなったりします。
こんな感じで人のことを判断したりしないですよね。
こういう項目があります。
この人はこういうタイプだ、と4タイプに分ける訳ではないのです。
僕らはこういう項目に分けて考えています。結構難しいです。
これをアセスメントと言うのですが、診断も加えて、この人はどういう人なのだろうということを理解します。決して4タイプに分けるとか、10タイプに分けるとかではなく、もっと複雑な分類や理解の仕方をしています。
それを一個一個使うというよりは、複数ある分類法を使いながら相手を理解している、ということがあります。
なぜなら、過去のデータを持ち出して行かなければいけないので、自分の経験もあれば他の治療者の経験も利用して相手を理解した方が良いので、複数のアルゴリズム、自分の中や過去のデータを引き出しながら相手を理解しています。
一番最初に戻りますが、過去のデータを利用しながら相手を見たり、何かを理解したりするので、それは精神科医も同様で真っ白な状況で相手を判断している訳ではないのです。
過去のデータと照合してやっているという感じです。
多くの人は、細かく分けて言語化し、相手を見るということはしていないと思います。
しなくても良いと僕は思います。
僕だってプライベートのときはしないですから。
ですが、実際の臨床現場ではこういうことを考慮しながら相手はどういう人なんだろうということを考えて、同時に過去のデータを引っ張り出してトータルで理解するということをしています。
こういう発想は多分なかなかないと思うので、やってみて慣れてくると相手を理解する力が上がってくると思います。
心について考察
2022.4.1