本日は「大人になったら何がわかりますか? 精神科医になったら何がわかりますか?」というテーマでお話します。
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わからないことが多い
僕が子どものときに「大人になったら世の中のどれくらいのことがわかるのかな?」「人間てどういうものかわかるのかな?」と思っていました。
大人ではなく、精神科医になったら人間や社会のことがもっと良くわかるのかなと考えたりしていました。
当時の僕は成績がそんなに良くなかったので、医学部なんて夢のまた夢みたいな感じでした。
だから憧れさえもしませんでした、精神科医になれると思っていなかったので。
そんな仕事もあるんだな、程度にしか考えていませんでした。
でも、小説や映画の中で精神科医というものが出てきたときに、こういう仕事の人はどんなことを知ってるんだろう、ということは想像したりしていました。
時を経て、何の因果か何の問題かわかりませんが、精神科医になることがたまたまできて、たまたまこうやって仕事をして、なぜかたまたまYouTubeを撮るようになったんですが、じゃあそんな益田裕介が何を知っているのかというと、当然わからないことは多いです。
人間とはどういうものか、社会とはどういうものか、わかっていません。
診察室の中で患者さんから色々な話を聞きます。
1日40~50人から話を聞きます。
色々な仕事の話や色々な家族の話を聞くので、だんだんわかることは増えていきます。
今はインターネットがあるので、患者さんと話をしながらインターネットでも調べたりすると、いろいろなことが頭に入ってきますが、かといって社会はよくわかりませんし、人間の心というものを理解するのはすごく難しいです。
目の前の患者さんに何をしたら良いのか、精神医学的にはどうしたら良いのかという最低限のアドバイスをすることはできますが、その本質を理解するのはあまりにも難しいです。
人間の心や社会がなぜ理解できないのかというと、複雑系だから、です。
アレがこっちに絡んでいて、こっちはアレに絡んでいて…と考えていくと無限に広がっていきます。
どっちに転ぶかわかりません。
ロジカルに考えていても思わぬ伏兵がやって来て崩れたりするので、完全な未来予測は困難だし、それはすなわち人間の心がどう動くのか、どう変化していくのかを言い当てるのはできない、ということです。
産業構造の変化で病気も変わる
ただ、わかっていることもあります。
社会はどうやって変化していくのか、どういう風に変化していくのか、ということは、この流れを見ると何となくわかります。
基本的には科学進化によって社会は変わっていきます。
科学は技術です。
技術が進化することによって産業構造が変化し、産業構造が変化することによって社会や家族のあり方が変化してきます。
そして、社会や家族が変化していくことによって、人間の価値観や考え方、幸せの形が変化していくようにできています。
技術進化は起き続けるので、変化もし続けます。
精神科の病気は、基本的には産業構造が変化すると病気は変わったり生まれてきます。
社会や家族が変化することによっても変わります。
価値観が変化することによっても病気のあり方が変わります。
すごく流動性のある学問で、技術進化に伴って病気の構造は変わっていきます。
それはまた今度お話しします。
昔、1900年くらいの頃は、神や悪魔を信じていた時代なので、妄想がもっと強く出ました。
狐憑きや悪魔憑きといわれる症状が出てきたけれど、今日では神様を信じる人が、少なくとも日本では少なくなってきたので、妄想も「インターネットに支配されている」ということを言うようになってきました。
昔は統合失調症の人も「神様に見られているんじゃないか」「神様や悪魔に操作されている」と言っていましたが、最近は、「インターネットを通じて監視されている」「体にチップを埋め込まれて操作されている」と言ったりしています。
そういう変化が起きています。
産業構造が変化したことによって、「発達障害」という病気が出てきました。
今まではマルチタスクができなくても許されていた、コミュニケーション能力がさほど重視されずに職人としてただ一つのことを淡々とやっていても許されていたのが、許されなくなったことで発達障害という病気が浮き彫りになってきました。
今までは集団で子育てをしていたのに、核家族化が進み、その影響で子どもを育てられない夫婦が顕在化してきました。
昔は、夫婦が子どもを育てられなくても、磯野家のようにおじいちゃんおばあちゃんがフォローしたりしていました。
サザエさんは、財布を忘れて買い物に行ってもフネさんがフォローしていたのが、サザエさんだけで子育てしようとすると子どもとけんかをしてしまう、虐待をしてしまうという形で複雑性PTSDのような問題が出てきます。
価値観が変化することにより一人暮らしの人が増え、一人で孤独になって引きこもりになったり不安障害のようなものが出る、など色々あります。
治療も変わっていく
治療もそれに合わせて変わっていきます。
価値観が変わっているので、昔だったら医者の権威があったので、権威がある人の治療法、権威がある人のある種の優しさを見せる森田療法が効くというところから、権威がある人の解釈、分析というものがあったり、それがもっと対等だよ、フラットだよとなることで認知行動療法のようなものに変わってきています。
今はもっと親しみやすい治療ということで、僕なんかYouTubeまでやってますからね、もうどんどん変わっていくし、変わっていかないと患者さんの心、悩んでいる人の心には響きません。
治療とは何かというと「心に響かせる」ということです。
感動してもらう、感動させる、というのが治療です。
そう言うと演劇的でウソ臭く聞こえますが、かぎ括弧 付き「感動」ですよ。
いわゆる映画やテレビを観たときの感動とは違いますが、治療者が患者さんの心に近付いて掴んでいく気持ち、それが治療にはすごく重要です。
もしそれが上手く行ったら、「ああ」と気づけば、治療者だけではなく家族も友だちも先輩も上司も、自分は気付いてなかったけれども心を掴もうとしてきた、感動させようとしてくれてた、癒そうとしてくれてたな、と気づけます。
1回それがあると他のことが見えてきますが、でもその1回がないからなかなか見えてこない。
その1回をどうやるか、というのが、治療の醍醐味です。
それを行うために、価値観や社会の変化に敏感でいなければいけないということがあります。
理想・欲望 vs 現実・本能
よく臨床の中で考えることは「理想・欲望 vs 現実・本能」ということです。
患者さんがこれに悩んでいることが多いです。
理想では何とかすべきなんだ、自分は頑張るべきなんだ、と言うけれど、それが叶わず現実t的にはできないので悩んでいます。
医師や治療者は横柄なのではないか、冷たいのではないか、という風に思うけれど、でもそれは現実ではなく、患者さんが調子が悪いからそういう風に見えてしまうだけです。
調子が悪いから周りの人が悪い人に見える、すごく被害的になってしまいます。
調子が悪いときは心細く、攻撃されているように感じます。
そう感じやすいのではなく、感じるように脳みそができているのです。
だから相手をそう思ってしまいますが、実際には違います。
そのような本能があるから苦しいということです。
もう少し抽象的なことを言うと、人間には身近な人を優遇するという本能があります。
しかし、身近な人を優遇するのは他の人を差別するということなのでは、愛するのは素晴らしいことに見えて本当は素晴らしいことではないのではないか、自分の親は兄弟を差別していたのではないか、自分だけが愛されてなかったのではないか、ということを考えます。
そう考えていると、究極的には人間こそ不要なんだ、と逆襲のシャアみたいなことを言い出したりします。
そういう感じになりがちです。
患者さんは、理想やこうあるべきだ、と頭でっかちになるとそう考えがちですし、現実や本能の怖さ、残酷さを知るにつれて、やっぱり人間は不要だ、ということを考えます。
だいたい1回は考えます。
患者さんに限らずみんな思います。
そういうことを横で見ていたりしますが、人間は要らないかと言われれば、要らないかもしれませんが、でも自分たちは人間だし、コロニーに落とされたくないですよね。逆襲のシャアは観たことがないので合ってるかどうかわからないですが。
こんな感じで毎日悩んだり生きている、ということです。
子どものときに色々僕も考えたりして、精神科医になったらどんなことがわかるのかなと時々想像したりしたことがありましたが、案外なってみてこうやってやってみても、わかることはそんなにないなと思ったりします。
ということで今日は雑談回でした。
精神科医の裏側
2022.4.9