本日は「きれいな女性/男性が来た時、治療者は?」というテーマでお話しします。
これはよく聞かれますし、話題になります。
医療関係ではない人と話をしたり飲み会に行ったりするとだいたい聞かれます。
「きれいな人が来たときに、向こうが好きって言ってきたら益田どうするの?」と。
その話をしようと思います。
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共感するほど誘惑される
きれいな人が来たときに、その人の好意にこちらがドキドキしますかということですが、まあ動揺します。
相手はこちらに好意を向けたり、助けて欲しいという思いだったり、医師に対して父親転移をしていたり(理想の父親像を重ねる)、安心させて欲しいと願ったり、安心感を感じたりします。
人間の脳は1つのことだけを考えるのではなく、いろいろなことを考えます。
当たり前ですよね、体も右手を動かしながら左手で頭を掻いたりできます。心臓も動かしています。それは脳みそがやっています。
これは肉体を動かす脳がやっているわけで、感情についても同時にいろいろなことを考えます。
そういうものを治療者は向けられます。
また、僕らは患者さんに共感しています。
患者さんの立場に立ち、患者さんの気持ちはどう動いているのだろう、ということを考えます。
患者さんが言葉にできないものをその患者さんに乗り移って言葉にしようとしているので、共感すればするほどその誘惑に気づくというか、誘惑されてしまいます。
それはそうですよね。
相手は自分のことが好きだなということがわかるわけです。
相手が気づく前にこちらが気づくこともあります。
「あれ、この人もしかして、僕に対して性的な意味での好意を向けているかもしれない」と先に僕が気づき、それで僕が照れた感じの返答をしてしまったときに、患者さんがギョッとして「私は主治医のことを好きだと思っていたんだ」ということに気づいて恥ずかしくなり、自分を責めてしまうというようなことまで起きます。
これはよくあります。
気づいたら我慢する
僕らは気づいたらとにかく我慢します。
当たり前ですが、気づいたら我慢します。条件反射です。
そう自分に言い聞かせます。
僕には家族、奥さん、子どもがいますし、医師の仲間、スタッフがいて、他にも多くの患者さんがいます。
そこで僕がこの人を好きになってしまったら、全てが壊れてしまいます。
一番悲しいのはその相手です。
患者さんが一番困るわけですから、とにかく我慢します。
「あ…」と早めに気づいた方が良いのです。
「僕はこの人を魅力的に思っているな」「ちょっと我慢しておかなければダメだな」と早めに気づくようにしています。
当たり前の結論ですが、そういうことです。
僕は防衛医大出身で、防衛医大は男子が多かったですし、レスリング部だったので男くさいところにいました。
卒業したら病棟には看護師さんがたくさんいますし、患者さんの半分は女性です。精神科は女性の方が多かったりします。
学校を卒業したばかりの頃は、女の人は多いし、外出は自由だし、冷えたビールは飲めるし、その自由に圧倒されました。あの時の興奮、困惑はすごく覚えています。
あれから10年以上経つのでその時ほどには誘惑を感じませんが、よく思います。
防衛医大でなくても医学部は男子が多いので、きれいな女性が来たときに誘惑を感じるのはわかります。
自分もそうだからたぶん他の人もそうだろうとわかるので、互いに監視しあって我慢しているのです。
これは病院あるあるです。
看護師さんやスタッフの人に、きれいな人や芸能人のような人が来たときに、「益田先生、もしかして照れたりしちゃったんじゃない?」と言われたりするのですが、これはセクハラやパワハラとも違って互いに気をつけようよという合図なのかなと思います。
心は傷ついた子ども、体は成人
診察室は特殊で、狭いところで密室です。
2人きりの空間で、患者さんはその瞬間、傷ついた子どもでもあります。
子どもの時の心や無力さ、無防備なところで自分の気持ちを吐露します。
でも肉体は成人の女性だったりするわけです。
体は大人なのですが心はすごく子どもで、このようなアンバランスな状況に僕らは閉じ込められ、いろいろな複雑な気持ちを味わいます。
彼女らは、子どもなのですが自分の持っている武器は成人の肉体です。
だからすごく助けてほしいという気持ちと、治療の場が大事だと思えば思うほどどんな手を使ってもそれを手放したくないという気持ちがあり、それが恋愛感情のようなものになることはおかしくはありません。
恋愛的なもの、性的なものを使って、それを武器にしてこちらの気持ちを惹きつけたいと思うのは恥ずかしいことではありません。それは普通のことです。
幸せは外の世界で手に入れるもの
当たり前ですが、求めているのは益田裕介ではなく別の誰かです。
彼女、彼を幸せにしてくれる誰かです。
それは診察室で手に入るものではなく、外の世界で手に入れなければいけないものです。
主治医は彼ら、彼女らを幸せにすることはできません。
制限がありますし、その制限を取り払ったところで幸せにできません。
それはなぜかと言うと、「主治医」というものを壊すからです。
欲しいのですが、手にした瞬間、それは安心できる主治医、治療者というものを壊してしまう。
性的なものやお金ではなく、単純に職業としてその人を真剣に治療したいということや、誠実さ、人間が持っている「赤の他人だけど優しい」というものを壊してしまいます。
そうすると患者さんは「赤の他人に助けを求める」ということを覚えられなくなってしまいます。
なぜなら、医師でさえ誘惑に負けてしまうのに、ましてやこの人たちは助けてくれないだろう、この人たちも誘惑に負ける人たちなのだ、と信用できなくなってしまうのです。
だからかわいそうですし、不幸になってしまいます。
概念を演じる
ですから、僕らは「概念を演じる」ことを常にやらなければいけません。
いつも思っています。
僕は「益田先生は立派です、すごいです」とYouTubeのコメントで言ってもらえます。同時にカスだとかアホだとか言われますが、95%くらいは僕のことを褒めてくれます。
95%の人がそう言ってくれるのですが、それは益田裕介を言っているのではなく、概念に対してです。
主治医、精神医学といったものに対して共感して褒めてくれているので、別に益田裕介ではありません。
益田裕介なのか、編集のさわきさんなのか、小松さんなのか、切り抜きの人たちかわかりませんが、とにかく益田裕介的なもの、チームで演出している概念に対して褒めてくれています。
そして概念を演じるということはとても重要です。
その概念が、赤の他人への信頼を取り戻す、ということです。
患者さんたちはどうにかして壊してやりたいのです。
「やっぱり世界は信用できないじゃないか」と言ってやりたいのです。
一番最初の家族関係が不幸にも良い家でなかった場合、家族から虐待があり良い家族ではなかった場合、でもよその家は幸せそうに見えたときに、よその家も一皮めくれば自分たちと同じなんだと言いたいですよね。
私だけが不幸だったのではないと思いたいのです。
だから壊したいのです。
その共謀関係に入ってしまえば本当に行き場をなくしてしまうので、我慢しなければなりません。
投影はよく起きる
診察の中で、何気ない感じで言うこともあります。
「恋愛はどうなんですか?」「恋人はいるのですか?」「パートナーの人と暮らしているのですか?」と。それは患者さんの今の調子を知るために聞きます。
その時に患者さん側が、「あれ?なんでそんなこと聞くの?」「もしかして私のこと好きなんじゃない?」と思うことがあります。
これはよくあります。
こういうことを「投影」と言います。
自分が相手のことを好きなときに、相手の方が自分のことを好きだと思うことです。
そういうきっかけで恋愛感情に気づくことはよくあります。
そういうことを言う主治医はダメなのではないか、誘惑しているのではないか、と批判されることもありますが、それは少し違います。的外れな批判です。
これはこちら側の責任ではないなと思います。
それはなぜかと言うと、投影はどんなきっかけであれ気づく時は気づくからです。
何を言ったから投影が起きた、というものではありません。
気になる方は「主治医を好きになったら?」という動画も撮っていますのでそちらを見てください。
一周回って「幸せ」とは
我慢、我慢と言っていますが、「益田先生のストレス解消は何ですか?」と聞かれます。
「断酒して、女性も我慢して、ギャンブルもしないですよね、じゃあ何が楽しいんですか?」と聞かれます。
結局、一周回って、家族がいる、治療仲間がいる、スタッフがいる、患者さんがいる、ということがストレス解消というか幸せです。
まあ陰キャなんですよね。
陰キャだからこそ誘惑に負けやすいという問題もありますが、我慢してやっています。
ゴシップを期待した人は申し訳ありません。
我慢しています。
精神科医の裏側
2022.4.12