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完璧主義(べき思考)に関する雑感

01:25 「こうでなければ」のハードルが高い
05:57 負けていることを納得して理解していく
08:12 世界そのものが「現在進行形」でつくられている
10:55 脳とは何なのか?
12:59 その都度直していくしかない

本日は「完璧主義への雑感」というテーマでお話します。

「完璧主義」、つまり「べき思考」ですね。
これについてどういうことを考えているのか、何となくざっくばらんに今考えていること、感じていることを語ります。

完璧主義の人は結構います。
こうじゃなければいけない、こういう風にしなければいけない、と思う人のことを「完璧主義」と言います。
うつ病にしても不安障害にしても、こういう認知の歪みを持っている人はたくさんいます。

よく患者さんは、これくらいできなければいけない、こうじゃなきゃいけない、と言います。
聞いていると「あれ、僕もできてないぞ」ということもあって、患者さんは僕のことをどう思っているのかなと思います。
患者さんは必死に相談しているけれど、あれ、僕もできてませんが…バカにされてる?いや、バカにされてはなくても眼中にないのかな、と思ったりします。
「東大とか行けなくて私はダメなんです」とか言うかもしれませんが、僕も東大へ行けていません。

「こうでなければ」のハードルが高い

患者さんの「こうじゃなきゃいけない」というハードルが高い、ということがあります。

他の人は太っていてもいいんですよ、勉強しなくてもいいんです、頑張ってなくてもいいんです、だけど私は頑張らなくてはいけないんです、ということを言ったりします。

よく聞いてみると、子どものときに母親から「こうしなければいけない」と言われていたり、母親が結構すごかった、父親、あるいは他の兄弟や家族がすごかった、ということがあったりします。
家族の「~しなければいけない」ということをトレースしていることが多いのです。

家族や母親に「こうしなければいけない」と言われたから刷り込まれてそうなってしまったということもあれば、家族の人たちは「こうしなければいけない」とパワフルだったり抜きどころを知っているので上手くやれていたのが、それをマネしたけれど自分はできなくて完璧主義で潰れてしまっているパターンもあったりします。

・悔しい

こういうことを見ていると、人間というのはやはり「悔しい」と思うんだなと思います。
悔しさをなくすにはどうしたら良いかとよく聞かれますが、それは無理です。
人間である限り、動物である限り、人間の本能の基礎的な部分に「悔しさ」というものがあるのではないかと思います。

こんな猿の実験があります。
AとBという猿にいつも同じような餌を与え猿は満足していたのですが、Aにだけ餌の他にバナナを与えるようにしました。
そうするとBの猿は怒って嫉妬し、餌を食べなくなってハンガーストライキをするようになりました。
それほど動物にとって、僕らにとって、悔しさは基礎なんだろうと思います。
悔しさ、こうしなければいけないとハードルを高めることは、自分たちの本能的なものだと思います。

そこそこに生きればいいじゃないか、と第三者は思いますが、そういうことを言うとだいたい怒ります。
いやいや、お前は何でそういうことを言うんだ、バカにしてるのかと怒りますが、でもそもそもどうしてそこを怒らないといけないのかと思います。
そこそこ生きていても楽しくやっているし、僕だってそこそこ生きているわけなので、あなたもそこそこで良いんじゃないの、と思うのですが、そうはいかない。
それは、「嫉妬」というのが強い感情、本能の底の方にある原始的なものとして強くドライブさせるものだからなんだろうなと思います。

・切り替えの下手さ

もう一つは「切り替えの下手さ」です。

完璧主義の人は切り替えが下手です。
高めるのは高めるで、完璧を目指すなら完璧を目指すで良いのですが、一つのことにこだわり切り替えていけません。
「悔しい」という感情と「切り替えの下手さ」が相互に高めあっているのが、「完璧主義」という思考の本質なのかなという気がします。

・長所を見る?

それならば長所を見ればいい、悪いところもあるけれど長所に目を向けた方が良い、とアドバイスをしますが、このアドバイスはだいたい上手く行きません。
完璧主義の人に欠点ではなく良いところを見なさいと言っても、それを納得して治療が進むということはまずありません。だいたい診察室へ来る前にすでに言われています。

結局勝ち負けにこだわっており、負けていると思っています。
他の分野で勝っていても、勝っているとは全然思わないわけです。
さっきの猿の話と同じで、この前まで同じ餌で満足していたのだからバナナがなくても文句を言わなくても良いじゃないかと思いますが、そう思わないのが人間らしいというか、そういうもんなんだなと思います。

負けていることを納得して理解していく

では治療はどういう風に行うかというと、結局、負けているということを納得して理解していく、ということです。
勝ってる部分もあるかもしれないが負けてる部分もたくさんある。
そしてその「負けているという不完全さ」を受け入れていくことが治療になります。

完璧主義の治療は、「完璧でないことを受け入れること」です。
当たり前といえば当たり前です。そのまんまです。

そのために「メタ認知」を高めていきます。
俯瞰的にものを見たり色々な角度からものを見ることによって、負けを相対化していくことが重要だと思います。

最近使うたとえとしては、YouTubeを見てきてくれる患者さんがたくさんいらっしゃるので、僕のYouTubeの話が使えます。

「僕はYouTube大学の中田のあっちゃんの動画を見てこのYouTubeを始めて、中田のあっちゃんみたいな動画を撮りたいと思ってやっています」と言うと患者さんは「うんうん」と言います。
だけど僕は中田のあっちゃんみたいなサムネも撮れていないし、喋りは下手だし、ときどき唾の音や舌の音やチカチカする音が聞こえるから、到底及ばないわけです。

及ばないからといって、じゃあ毎日の動画配信をやめるということはしませんよね、このサムネが気に入らないから今日はアップしませんとか言いませんよね、台本がいまいちだから(台本は作っていませんが)、今日の喋りはいまいちだから今日はお休みしますとか言いませんよね、と言うと、患者さんは「まあそりゃそうですよね。中田のあっちゃんとは全然違うじゃないですか」と言って笑います。

当の本人は中田のあっちゃんには負けないと思って頑張っていますが、外から見ているとそんなもんです。
実際に僕らが診ている患者さんへの対応、世間の人が見ている他の人のことはだいたいそういうものだということです。

世界そのものが「現在進行形」でつくられている

本日は雑感ですので色々ダラダラとしゃべろうと思うのですが、もう一個のたとえとしては、「世界は完璧なのか問題」というものがあります。

僕はキリスト教の本の中の、山田晶先生が書いた『アウグスティヌス講話』という昔の本があるのですが、これが結構好きで時々読み直します。

世界は完璧に造られたはずなのにどうして悪人がいるのか、というキリスト教的な聖書のロジックというか矛盾の解説があります。
神様は世界を完璧に造ったが、今なお造り続けている、と言います。
神様は世界を完璧に造った。だが現在進行形で完璧を目指して造り続けている。完成はしているがそれが現在進行形である、というロジックの面白さがあります。

僕らもそうです。
完璧にできたと思った次の瞬間、その前提が崩れて次のものを目指します。
いわゆる完璧主義は不可能なんです。
それは、世界そのものが現在進行形で造られているからです。

精神医学というのも作られ続けていて、精神科の病気も現在進行形で変わっています。
そして、精神科の病気が変わるから、症状が変わるから、患者さんの価値観が変化していくから、治療者のカウンセリングのやり方、精神療法のやり方、診断の仕方も同時に変わっていきます。
時代に合わせて変化しています。
それはなぜかというと「進行形」だからです。

なぜ世界が進行形なのかというと、技術の進化があるからです。
技術の進化があるから産業構造が変わり、産業構造が変わればおのずと僕らが暮らしている社会や家族の生活スタイルが変わります。
生活スタイルが変われば価値観が変わります。

それに合わせて、技術が進化すれば新しい病気が見つかることがあるし、産業構造が変わればそこに付いていけなかった人やはみ出た人が病気になります。
価値観が変われば治療法も変わっていきます。
当たり前の話です。

脳とは何なのか?

長くなりますが…
「脳って何なのか」ということです、同じ話ですが。
最近考えているのは、脳は無限に近いAIのプログラム(無限と言ってもそんなに無限ではないと思いますが)、何か一つの機能を持つ機械学習したAIのプログラムが、無限に近くあり、そのAIの束のようなものを「自分」という「自己の概念プログラム」が括っていると思っています。
なんとなくわかりますよね。

画像認識のAIを見ると、それは僕らがやっていることだけれど、画像認識AIのプログラムコードとデータは莫大なものです。
それを僕らは脳内に収めているわけです。

それと似たような機能が無限にあって、それを束ねているので、精神科はどういう学問ですか、脳ってどうなってるんですか、心ってどうなってるんですか、と患者さんに究極的には説明ができません。
画像認識のプログラムでさえ説明できないのですから、たぶんできません。
僕ら人類が「心」というものを説明することはおそらく不可能に近いのではないかと思います。
ましてや診察室の中で説明することになると、ほぼ不可能なのではないかと思います。

脳をロボットやAI技術で拡張した上であれば診察室の中で説明できるかもしれませんが、今の生身の肉体同士の会話の中で説明することは困難だろうなと思います。

その都度直していくしかない

つまり、この2つのことから何が言えるかというと、「完璧なんてできない」ということです。
僕らは現在進行形でミスがあればその都度直していくしかありません。

自分には障害がある、能力的な欠点や劣性なものがある、ミスがある、失敗してしまった、現実を知ったら辛かったということがあります。
そこから落ち込みますが、落ち込むことをできるだけ減らして、そこを直そうという風に切り替えていく必要があります。
切り替えていくことで、現実1.0をバージョンアップして現実1.1にしていくわけです。

それは僕のYouTubeと一緒で、今日は上手くいかなかったな、今日はこのサムネがいまいちだったな、今日は僕のしゃべりのここがダメだったな、ということは日々あります。
皆さんが感じているように僕だって感じています。
じゃあ明日から直そうとします。

直して行った先にはYouTube大学の中田のあっちゃんに追いつきますか? 追いつきませんよね、そんなもの。収益面でも追いつかないのは当たり前です。
それはわかっているけれど、でもそうやって頑張っていくのが人間らしいというか、普通のことなのかなと思います。

皆さんもそこまで僕に求めてないですよね。
時々そういう人もいます。中田のあっちゃん目指してるってお前のYouTubeマジで醜いな、という誹謗中傷が来ることもありますが、でも別に、そうかもしれないな、と思ってほとんど気にしなかったりします。

今回は、完璧主義への雑感ということで、思っていることを喋りました。


2022.4.13

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