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リーダーを求める本能について

00:30 リーダーを求める本能
04:13 不安のはけ口
06:14 そもそも問題は起きていない
10:45 なぜマスダは天才と呼ばれないのか?
12:24 なぜ意識があるのか?

本日は、リーダー(英雄、ルール、制度)が欲しい、こういうものが無いと不安だ、というものを求める本能について語ります。

リーダーを求める本能

人間にはリーダーや長(おさ)を求める本能があります。
人間は集団的な生き物で群れで生活しています。
他の動物と違って、あるいは同じで、群れで生きる生き物です。
基本的にはリーダーを立てて、リーダーの指示で動くということを好みます。

ですから、混乱や不安が起き、何か嫌だな、不安だな、と思うとリーダーを求めます。
リーダーが来てくれないかな、こういうリーダーがいて欲しいな、こういう問題を解決してくれる、今の現実を打破してくれるリーダーを求めます。

混乱や不安が大きければ大きいほど、集団としてファシズム、より強いリーダー像を求める、より単純で分かりやすく、現状を否定し、こうすればいいんだ、と1イシューで引き付けるようなリーダーが自然と力を持ってしまうということが歴史上何度もありました。人間の本能としてどうやらあるようです。

ファシズムだったり、自己愛性パーソナリティ障害のようなリーダー、つまり「オレはこうなんだ、オレは凄いんだ、オレが直してやるんだ、オレがこの世の中を変えてやるんだ」ということは普通は言えません。
それはウソですし、一人の人間がそんなことをできるわけがありません。

変えることはできないのですが、変えられると思うわけです。
そんなことは普通に考えていればあり得ません。
しがらみなどが色々ありますし、成るべくして成っていることをたった一人の人間が変えられるわけがありません。

ですが、それを演技ではなく、心の底から言うのです。
それはなぜかというと、自分は他人よりも優れているという思い込みがあるからです。
そういうものを自己愛性パーソナリティ障害と言います。

パワーが激しく、皆の不安とその人の病的なナルシズムが噛み合ってファシズムが生まれたり、自分が凄いんだ、他の人よりも何倍も優れているんだ、だから救えるんだというのは、ある種のマキャベリズムで、他人のことをコマとしか思っていません。
大を救うには小は仕方がないと思うようなところだったりします。

こういうリーダー像が人気を得やすいというのは、歴史的にもわかっています。
人間の本能としてそういうものがある、ということです。

精神科の患者さんや不安な人はこういうリーダーを求めてしまいがちですが、冷静に考えてみるとそういうリーダーになり得る人たちは、精神や福祉よりも経済を重視しようというタイプです。
右翼的な思想の人が多いです。

右翼と左翼どちらが正しいか、というようなことは僕はあまり考えません。
どちらかというと、元々自衛隊出身なので、右翼側といえば右翼側です。
でも職業としては左翼側なので、ちょっと複雑な立ち位置です。
みなさんのことを考えると、こういうリーダー像は僕らにはあまり適していないという感じはあります。

不安のはけ口

実際に今は変化の時代ですし、これからITや色々なことで人が減るとか、団塊世代が後期高齢者になるなどがあり、日本は窮地に立たされるというか変化が起きます。
変化が起きるときには、色々な会社が業績不振になったりして不安に襲われたりします。

そういう中では弱者が痛めつけられます。
不安のはけ口、スケープゴートにされがちです。
会社の業績が悪くなり、集団病理が悪化、そうするとパワハラが増え、うつが増えるということはよくあります。
そういう中で実際によく見てみると、こういうリーダー像が選ばれがちだった、ということもわかっています。

ファシズムの話は何も国のように大きなところで起きることではなく、特殊な性格の人、100年に1人のようなある意味の天才がいるから起きるということではなく、どこにでも小さいファシズム、小さい自己愛性パーソナリティ障害の人がたくさんいます。
そこで、会社で問題が起きたり、会社では問題が起きてなくてもそういう人が家庭に入ったときにパワハラ、いじめ、虐待が起きたり、ということはよくあります。

不安があってこういうリーダーが出てくるというのは、人間のある種の本能なので仕方がないといえば仕方がないのかもしれませんが、本能を抑えるために意識はあるのです。僕らの心というものがあるので、意識としてここら辺を抑えていってあげる必要があると思います。

そもそも問題は起きていない

何か問題が起きているように見えるけれど、そもそも何も問題が起きてないことは多いです。
僕はよく言います「それの何が問題なんですか」と。
ひろゆきっぽいですよね。
「それ、何が問題ですか」というと、大体患者さんは怒ります。
「問題でしょ!」と怒りますが、実際には本当の意味で問題が起きていないことは多いです。

例えば人類は飢餓の問題はもう克服しているので、食べ物なんかは問題がないといえば問題がないです。
「学校の成績が下がるんです」というのも、下がったなら下がったなりに生活すれば良いということが実はあります。
成績が良いことと年収は本当の意味で関係があるかというと、そうでもなかったりします。
昭和の世界観、大企業に入れば給料が良いと思っているような世界観で生きてる人が多いです。
学歴よりも自分でやっていく力の方が大事だったりします。
親に言われた通りに勉強をしてロボットみたいな人よりも、親に反発して勉強はしないけど自分が好きなことをガツガツやる人の方が、たぶん生涯年収は高いです。

ですが、大人になってから、大学に受かってから好きにすれば良い、と親は言いますが、そういうものではありません。
大学に受かってからではもう遅いのです。
もっと若いエネルギッシュなときに自分自身でやる、自分自身で恥も気にせず喋る、ということが大事です。

中学生や高校生だからバンドで自分のオリジナルやコピーを文化祭でやってワーッとか言って、中学生や高校生が相手だから、あの子かっこいい、すごいとか思われるわけです。
同じことを大学生がやっても、みんなも頭が良くなってしまっているので、恥ずかしいと思ったり、あの人たち変だな、と思ったりするわけです。

なまじ勉強をするよりもそういうところを伸ばした方が良いこともあるので、何なのかなと思ったりすることもあります。
あまりそういうことは言わないですが。

そもそも何も問題が起きていないことに対して、僕らは「問題が起きているのではないか」と思いがちです。
それは未知の競争相手だったり、予言の問題だったり、べき論に支配されて勝手に問題を作り上げていることもあると思います。

この話をどうしてしようと思ったのかというと、自分がやっているオンライン自助会でもこういう問題が起きたからです。
利用者さんが、凄い不安がある、混乱している、というときに「益田先生は忙しいからサブリーダーをつくってください」という意見があったのですが、「そもそも何の問題が起きているんですか」と聞くと「決まってないのが不安なんです」と。

「何も問題が起きてないでしょ、誰も悪口とか言ってないし、教材があるからこれを整理していきましょう、のんびりやりましょう」と言ったのですが、何も問題が起きてなくても焦って不安になる人がいて、それはどうしてかというと、こういうことなんだろうな、ということを考えました。

別に何の問題も起きていないんです。
誰と闘ってるんだ?という風に思います。

僕自身もよく思います。
奥さんによく「何と闘ってるの?」と言われます。
YouTubeの再生回数や登録者数、クリニックの売上げ、雇用、何でもいいのですが、何と闘っているのか、別に贅沢もしないので気にしなくても良いじゃない、と奥さんによく言われます。
でも妙に時々はまって闘ってしまいます。
今回は前回より動画の再生回数が少ないな、とか。
でも何も問題は起きてないわけです。
そういうことはよく思います。

なぜマスダは天才と呼ばれないのか?

こういう問題を考えていくときに、何で僕はリーダーになってないんだろう、なぜマスダは天才と呼ばれないんだろう、と思いました。
恥ずかしいですが。

今、書籍の計画を立てていて8月くらいに本が出版されるのですが、それのアオリ文にどういう形のキャッチコピーを作るか考えてくれているのですが、「天才精神科医の本」というものは出るのかなと思ったら出てこないんですよね。
他の本を見ていると「天才○○のXX」などがあるので、自分は何で天才と呼ばれないのかな、ということを考えました。

当たり前と言えば当たり前です。
僕は天才じゃないから呼ばれないんだろうと言われたらその通りです。
でも天才を装うことはできるわけです。
医者で、若くして成功してYouTubeでバンっと伸びた天才精神科医、と言えるわけじゃないですか。
でもみなさんがご存知のとおり天才でも何でもなく、普通の人間だし、みなさんも天才と思ってないですよね。

それはなぜなのかというと、僕がこういうことをちゃんと意識しているからということもあります。
自己愛性パーソナリティ障害のようなことをやっていない、自己愛をアピールすることがないからということもあります。
色々考えました。

なぜ意識があるのか?

でも人間というのは、リーダーを作る、誰かは天才だ、誰かは他の人より優れている、という固定観念は好きではないというか、あまり治療的でないなといつも思っています。

それは、僕らはなぜ意識があるのか、ということです。
なぜ本能に従って生きるのではなく、他の動物のように本能だけで生きている、意識があったとしてもその関与の力が弱い、ということでなく、意識がかなり本能を抑えられるのはなぜかということです。

なぜ生まれながらのリーダーがいないのか、なぜ女王アリは人間には生まれていないのか、ということもあります。
群れで生きるのであれば、人間の中で優秀な人を例えば20人に1人とか作っておいてランダムで産まれるようにし、その人をリーダーに立てた方が良かったりしますが、生物学的にそういう選択を人間はしていません。
それはなぜなのか。

なぜ人は悩んでいても患者さんではないのか。
精神科の患者さんであることと、一般の人で悩んでいる人というのは、同じように見えて一本の線が引かれています。
何も問題が起きていない、人間としてあるべき姿、人間として健康、幸せな姿というのは決して悩みがないということではなく、今の僕のような姿を健康で幸せな状態と呼ぶのだと思います。

だけど僕自身はそんなに…幸せかといわれたら、不幸ではないと思いますし、患者さんと比べると遥かに幸福な生活を送らせていただいていますが、何か物足りない感じはやはりあります。でも患者さんではない、ということを考えます。

このモヤモヤっとした感じを考えているということが、混乱や不安をちゃんと留めていられるということであり、リーダー像を求めていないということの表れなんだろうなと思います。
わかりますかね?

難しいですしこの話はモヤモヤっとしますが、マスダはなぜ天才と呼ばれないのか、どうして僕は自分のことを天才と思わないのか、どうして僕は自分のことを優れていると思わない、謙虚ではなく本当に思わないのですが、それはなぜかというとこういうものを否定しているからです。

そして不安や混乱があってもある程度は抱えられる、ということなんだろうなと思います。
この動画の視聴者さんたち、マスダのことを天才だと思ったことがない人たちも、この本能に支配されずにきちんと不安や混乱を抱えられているということだと思います。

今回はリーダーを求める本能について解説しました。


2022.6.10

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