本日は「オンライン空間を交えた治療戦略」というテーマでお話しします。
僕のクリニックに通ってくれている患者さんは、だいたいYouTubeを見てから来られる方が多いです。
YouTubeを見て来る。
診察と診察の合間にも、自分で気になったことやわからないことは、YouTubeで僕の動画を見てきてくれる方が結構多いです。
一般的なうつ病、統合失調症、躁うつ病のように薬物がメインで治療するパターンであれば、そんなに動画を見る必要はないのですが、トラウマの問題、発達障害の問題、パーソナリティの問題の場合は、やはりカウンセリング的な要素がとても重要なので、自分から積極的に治療に臨んでいく、自分から学んでいくことはとても重要です。
そういう中でYouTubeを使うと治療効果が高いのです。
その話を今回の精神神経学会でポスター発表してきました。
6月の16、17、18日とやってきまして、17日(金)の3時半ぐらいにポスター発表をしてきました。
こんな感じで臨床していますよという話をしてきました。
筑波大の松崎先生も助けてくれたんですね。ポスター発表の時に。
とても心強く無事終えられたのですが、色々なドクターから興味を持ってもらえて、色々な質問をしてくれました。
その発表前後にも色々な先生から質問を受けましたし、本当に会ったこともない他大の病院のドクターからも質問を受けました。
本当に、面白いというか、興味深く思ってくれたようです。
やはりその中でドクターたちが一番この観点が抜けているなと個人的に思ったのは、内的対象や内省に関わる部分なんですね。
今回はこの話を中心にしたいと思います。
コンテンツ
治療者が内的対象になっているか
臨床というのは、患者さんの中に治療者という存在がどれだけうまく機能するかが重要です。
疾患にもよるのですが、治療者というものが患者さんの中に立ち上がってきて、助言を与えてくれるような内的な対象になっていくような、見守ってくれるような存在になっていくというのはとても重要です。
僕自身も昔カウンセリングを受けていたことがありました。
治療経験というか、カウンセリングの勉強のために、週2回、5年ぐらい受けていたのでなんとなくわかります。その意味が。
そういう経験が僕はあるので、今もなお内省をしていくこと、治療者がいる上で内省をしていくということと、治療者不在の中で内省をしていくことの違いというのがなんとなくわかります。
治療者が心の中にいて、自分を何かこう見守ってくれている自分を支えてくれているという感覚を持ちながら治療に臨むか、臨めないか、臨んでいるか、臨んでいないか、全然違うんですね。
YouTubeというのは、テキストよりも、Twitterの文字やブログの文字よりも、やはり伝わるものは大きいなと思います。
もちろん僕自身が文才がないとかそういう要素もあるかもしれないけれど、やはり動画は強いなと思います。
動画は僕自身の思いというか、正確に言うと精神科医や社会が持っているもの、医師が持っている優しさというのを伝えやすいんだろうなと思います。
だから患者さんもそういうものがあった上で治療していく。自分のことをわかっていけるので治療効果が高いという感じです。
診療時間は短い
精神科に通ったことのない方は驚かれるかもしれないですが、診察時間はとても短いです。
精神科は初診は30分+α。
再診(2回目以降)の診察だと5分+αぐらいしかありません。
もちろん病院によってはもう少し長く取れたり、時間帯によっては長く取れたりするかもしれませんが、基本的にはこういう感じでやっています。
良いことばかり伝えたら他のドクターは困ってしまいますから、僕はちゃんと精神科医の真実を伝えます。えこひいきなしに診療をしていくとこうなります。
YouTubeである程度情報を持っていく、自分で勉強してから受診すると、病歴や診断も早く話を終えることができます。
相手が困っているポイントや医療ができることがわかった上で来てくれると、すごく治療方針を決めやすかったりします。話し合いがしやすかったりします。
もちろん、これに対しては意見があると思います。
何か変な情報が入った上で来るということはバイアスがあるということだから、医師は他の診断を除外してしまうのではないか。
患者さんがこうだと思った診断に対して、医師は従ってしまうのではないかとか。
色々な問題はあるかもしれないけれど、それ以上に病気のことをわかってきてもらえる、精神科というのはこういうものだとわかって来てもらえることの効果の方が大きいです。
ですから僕のクリニックは治療方針を決めやすかったりします。
健康と病気の間に不幸がある
だいたい精神科医療とはどういうものかというと、健康から病気になっていくという単純なものではなくて、健康から病気になる中間地点で「不幸」というものがあります。「不運」と呼んでもいいかもしれません。
精神疾患というのは、遺伝的な問題+環境ストレスの複合的な要素で発症するので、ストレスが大きくかかる原因の状態、というものがあります。
このストレスが溜まるから、病気に移行してしまうということなのですが、症状は実は結構軽く治るんですね。
酷いうつ、酷く寝られないとか食べられないというのはある程度回復します。
ですが「不幸」から「健康」ですね。病気になる一歩手前というか。
すごく現実的な問題、現実的な生活、現実を生きる苦しさ、困難さをどう解決していくのかということがとても重要なのです。
これは医療の問題なのか?という話もあります。
それは福祉の問題じゃないの、個人の問題じゃないのと思うかもしれないけれど、実際の臨床は患者さんの全人格を見るわけなので、アルコールは飲まなくなったかもしれないけど、孤独の問題を抱えている、人生に対して前向きになれないという問題があるのであれば、やはり「生きづらさ」も扱っていかなければいけないんじゃないかなと僕自身は思っています。
この生きづらさを扱っていくためには、やはり時間が必要だし、時間もそうなんだけれど、患者さん自身の積極性とか、あとは知識ですね。
精神医学的な知識、哲学的な知識、心理学的な知識も必要だったりするので、そういうことを扱おうと思ったらやはりYouTubeや何かの情報発信は必要なんじゃないかと僕は今思っています。
ただ、これがすべてのドクターがやれるのかという問題があります。
今回も言われましたけど、「益田のYouTubeを見てから来てくれている患者さんは多いよ」と言ってくれるドクターもいましたけど、益田の動画を見たせいで、それを訂正するところから始めなきゃいけないから迷惑だみたいな、こんな言い方ではないですが、こんな強い方じゃないけど、ちょっとされたときに僕も謝りました。
他のドクターはそれができないのに僕がやって、そういうズルさみたいなのはあるのではないのかとも思いましたが、ここまで来たら一気に行こうかなと思っているのと、この動画を見ている患者さんは、そういう他のドクターの事情も考慮してほしいというのもあります。
うまく言えないですけどそんな感じですね。
オンライン自助会
あとは臨床の中でオンラインを交えるということなので、ワークブックをホームページに載せているのでそれをやってきてもらうというのもあるし、YouTubeのコメントを見ることで自分のことを客観視する力がつきます。
あとは自助会ですね。
自助会も作っているので、SlackやDiscordなどで他の患者さん同士のやりとりというのも今から始めたいなとは思っています。
とにかくオンライン空間を交えた治療戦略というのを、今後考えていかないといけないのではないかと思います。
その上で海外のものをローカライズしていけば良いというものではなく、やはり僕ら自身が考えていって、何かを作っていく発想、今あるサービスをどう利用していくのか、どう現実的に落とし込んでいくのか、ということはとても重要なのではないかと常に考えているということですね。
とにかく患者さんというのは孤独だし、患者さんは不幸の中にいることが多いです。
良い存在、良い対象を持ち得ていない方が多いです。
もちろん、医師以外にも良い友達、良い親や良い教師がいるのですが、やはりそういうものを持っている恵まれた患者さんはそんなに多くはないと思います。
時に恨まれるかもしれないのですが、「良い存在」というもので僕らがあること。
そしてそれを患者さんに取り込んでもらえること、取り込みやすいようにいることということは、とても重要なのではないかと思います。
精神医学
2022.6.25