本日は「臨床家と学者・研究者は何が違うのか」というテーマでお話します。
僕は臨床をする人、普通の医者です。
普通の町医者で臨床家ということになります。医者の中では割とオーソドックスなタイプの人間です。
ただ、メディアに出てくる、情報発信をするという立場で考えると、なかなかこういう立場で情報発信をしている人はいません。
YouTubeをやっていて、バズって、YouTubeをやるからには本気でやっているんですね。
編集の人やクリニックのスタッフもいます。
家族の時間を犠牲にしてでも僕はエネルギーを費やしているので、趣味でやっていたら家族に対しても申し訳ないです。
ある程度ビジネスとして成功しなければいけないので、そういう意味で真面目に頑張ってやっていました。
頑張ってやる中で色々なものを参考にしたり、諸先輩方を参考にしたりして学ばせてもらっていました。
でもいまいち自分と問題意識が違う、立場が違うということに悩んだり、自分の実力のなさを悔いたり、自分が研究や勉強に時間を割けないことに憤り、モヤモヤを感じたりしていました。
でもこれが僕なんだと改めて思い直しました。
これが自分だし、今出来ることをやっているんだと思う中で、言い訳じゃないですが、皆さんにも違いを知ってもらえればと思いました。
皆さんは医者には黒幕がいると思っていますよね?
医学の世界には黒幕がいる。
その人たちが日本の精神科医を操作してるんじゃないか。
僕らみたいな下っ端は、黒幕の手のひらの上で踊っていると思われがちです。
これは半分正解ですが半分違います。
黒幕とはどういう人たちなのか、を含めてお話しします。
コンテンツ
医師の4つのタイプ
医師は4つのタイプに分かれます。
一つは臨床家と呼ばれる人たちです。
いわゆる「お医者さん」です。皆さんの目の前にいるような医者です。
実業であったり、職人であったりします。
普通に医学を学んで臨床実践をしている人たちです。
それにプラスして、研究職や経営者的な側面、行政的なものをちょっとふりかけみたいな味付け程度に皆やるのですが、研究職がメインの人もいます。
研究職がメインで臨床が半分や半分以下の人もいれば、病院の経営が中心で臨床は半分以下というパターン、日本の医療政策を作ることがメインで臨床が半分以下という人もいます。
月に1回とか時々研究的なことなどに携わるタイプもいれば、普通の医者は臨床家の位置にいます。
リーダー職やトップになる人たちは、研究職や行政、経営がメインで、指導的な立場になる人が多いです。
研究職の偉い人たちの集まりとしては、大学や学会があります。
行政としては厚労省、経営者の集まりは開業医の集まりである医師会があります。
大きく分けるとこういう感じです。
それぞれの立場によって問題意識が微妙に異なります。
臨床家だと目の前の患者さんが良くなればいいという感じです。
給料は勝手に振り込まれるから良いか、という感じですが、経営者としては、こういう方針でいかなければいけない、と考えなければなりません。
ある程度病院の色を出さないといけないなど色々考えたりします。
研究職であれば、どういう研究をしていきたいのか、そのためにはどういう臨床をすることで研究へのフィードバックがあるのかという視点が要求されます。
行政の側だと、国全体で見た場合に医療費はどうなのか、ひとりの命よりも百万人を救う方を優先するのか、ということを考えたりします。
ですから問題意識が微妙に異なります。
臨床家の人たちは、自分はこんな医療がやりたい、こんな技術を身に付けたい、という風に職人っぽい人たちが多いです。
研究職・心理師と医師の問題意識の違い
人文系の研究職や心理師さんたちと僕たち精神科医は問題意識に違いがあるのか、どのように異なる課題を持っているのか、ということをお話すると面白いかなと思います。
同じ「精神分析を学ぶ」と言っても、臨床家から見る精神分析と、精神分析を学んでいる人たちの精神分析は全然違います。
認知行動療法を学んでいる人たちと、認知行動療法を実践している人たちもちょっと違います。
問題意識や課題感は違うと思いますし、互いに言い分があると思います。
YouTubeのコメントを見ていて「臨床家の先生はこんなことを考えているんですね」というコメントがよく来ます。
「僕は大学でこういうことを学んでいて、精神分析も勉強しているんですが、テキストに書いてあることはこういう風に理解しているんですね」逆に「こういう風に理解するといいですよ」と教えてもらうこともあります。なかなか興味深いなと思います。
でもやはり問題意識や課題感は違います。
何だかんだ言っても医師は脳科学をベースにしており、他の科のこと、内科や外科のことも知りながら、その延長線上で精神科を捉えているので違うと思います。
僕は精神科医をメインにしながらも、内科や外科などメジャーな科の付属品、マイナー科はそういうもの、メジャーな科とは違うエキスパートのことを僕は精神科医だと思っています。
でもベースにあるのは内科や外科だと思っているので、そのあたりは精神科医以外の人たち、医師以外の人には想像しにくい世界なのかなという気もします。
結局僕らは、生きる目的やどうやって生きたら良いのか、幸福とは何か、人間とは何か、人間の心とは何か、ということを追求していくこと、悩みや苦悩、自分の心と向き合うことを追求していくことを目的とはしません。
医師は、基本的には「症状を除去」することが目的なので、症状を取り除いた先のことまではあまり考えません。
そういう実学的というか道具主義的なところが医師らしさなのかなと思います。
医師同士で喋っていると、比較的僕なんかは心と向き合って追求していくことが好きなのですが、医師以外の人と喋ると僕はかなり現実的で道具主義的だなと思ったりします。
このような違いがあります。
今まで、YouTubeがないときは、情報発信する手段は限られていました。
臨床家以外のトップの人たちしかできないことでした。
今はそれが出来るようになってきた、という感じです。
書籍よりもはるかに影響力のあるYouTubeというものを民主化して、誰でもできるようになった。
その結果僕みたいな存在が偶然うまれました。
と言いつつ必然性もあります。
研究職の人や経営者の人、行政の人は新しいものにチャレンジしにくいです。
立場があり、責任があるので、こういう形で自由に発信することはできません。
その点、僕がやりやすかったというところで、YouTuberが臨床家から生まれてきたというのは必然性があったのかなという気はします。
臨床的実感
臨床的な実感を僕はすごく重要視していますし、臨床的な実感からしか僕は情報発信はできません。
研究者であれば実験データや論文などから、行政もそうです、統計データから何かを発信する、これが正しいと言えます。
僕らは自分で感じたこと、自分で考えたことを話しています。それが臨床家です。
良いか悪いかは別としてそういうものです。
個別的な体験と科学の中間の営みです。
アーティストや芸術家、小説家のような個別性は断固拒否しますが、かといって科学的なことだけを話しているわけではありません。
その中間をやっているという感じです。
一応、エキスパートの意見なんですよね。
イチローがバットを振るみたいな形で、根拠があるような無いような感じです。
科学的な根拠はなく、皆がやっているからということでもなく、自分の中でこれが最適だと思っていることを、理論を探しながら、科学的な裏付けを探しながら発信しているということになります。
結局エキスパートの意見は正しくもあり、誤りでもあります。
エビデンスベースで考えると信頼性は低いです。
かと言って、エビデンスの取れないもの、取りにくいものはたくさんあります。
臨床の中での実感、臨床の中での気付き、発見というのは、それをRCT(ランダム化比較試験)のような形で科学的に再現可能なものとして正しさを証明するにはすごく時間がかかります。
また、それを行うには困難なテーマもたくさんあります。
実験で証明する頃には時代が5年、10年進んでしまっており、その臨床的な実感や正しさはもう終わってしまっている場合があります。
賞味期限が切れている場合があります。
人の心は変わっていくし、人の心をどう扱っていくのかという手法も変わっていくのは、芸術やアートの世界、それよりもポップカルチャーと似ています。
そういう意味でなかなか難しいです。
でもエキスパートの意見にはそれなりの意味や価値があるという感じです。
ただ誤りには気をつけなければいけません。
カリスマであったフロイトは、エキスパートの意見、精神分析はそういうものでもありましたが、やはり誤りというものもあります。正しさもあり、誤りもあるということです。
時間が証明してくれるものでもあります。
かといって無価値ではないですし、このような立場です。
僕自身のこと
僕自身青年期から中年期に入ってきて、最近色々悩んでいました。
腰を悪くして、がむしゃらに働いて臨床をやってきて、椅子に座って身体をちょっとひねって、カルテを見たり患者さんの顔を見ながら臨床を真面目にやっていたら腰を壊してしまいました。
ヘルニアみたいになって、がむしゃらに働くことが正義ではないというか、限界が来ている中、自分の人生をもう一回振り返ったときに、自分が今後何ができるんだろうということを考えました。
できることと言ったら、今の臨床、YouTube+α、YouTube以外にも何かメディアで発信できることをしようと思ってますし、自助会を手伝うということだけなんだろうなと思います。
ある意味経営的なことをやっていくとか、クリニックをこれ以上大きくするとか、研究職として何かをやるとか、論文を書くとか、当たり前ですが行政のこともできません。
研究職などのエキスパートになっていくプランは見えやすいですし、イメージがついていたのですが、自分はそういうイメージではないところに向かっているということを知りながら、孤独と言えば孤独だし、孤独じゃないと言えば孤独じゃないんですが、何かそういうことを考えました。
問題意識や課題の捉え方、正しさというものとの向き合い方はそれぞれの立場で結構違うので、それを皆さんに知ってもらえたら面白いのではないかと思います。
そういう違いを分かって、色々なことを吸収して多角的に物事を捉えてもらうと、治療や精神医学との向き合い方も変わるのではないかと思います。
今回は、臨床家と学者、研究者は何が違うのか、というテーマでお話しました。
精神医学
2022.7.3