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昭和・平成・令和と人々はどう変わったか? 精神医学は?

00:00 OP
00:43 精神疾患は社会を反映する
05:12 治療者側の変化?
06:05 治療法の変化
08:38 治療者側の責任

本日は「人々はどう変化してきたのか?」というテーマでお話します。

昭和、平成、令和と時代が変わっていく中、精神疾患のあり様はどう変わってきたのか、ということをお話するとともに、治療もどう変化してきたのかということもお話しします。
そして僕らが持っている価値観もどう変化してきたのか、今後どうしていくのが良いのかということも僕なりの見解を述べます。

精神疾患は社会を反映する

精神疾患は社会や文化、その時の世相を反映します。
人々の元々持っている性格や価値観を反映させたものが病気の時に強く現れます。

元々泣き虫の人はうつになるとより泣き虫になり、元々怒りっぽい人はうつになるとより怒りっぽくなります。
何となく想像がつくと思います。
酔っぱらったときに本人の素が出るように、病気になったり調子が悪くなったりすると、本人の弱い部分が強く出てきたりします。

そのような単純な例以外にも、その変形として、トラウマがあって傷があるから誰かに甘えるのが得意になったとか、トラウマがあるから甘えるのが苦手になったとか、色々あります。
それは、その人のキャラクター、性格もあれば、時代を反映させていたりもします。

だから「精神疾患は本当に脳の病気なんですか?」と言われるのですが、実際に薬が効く、脳の画像でわかる、遺伝子検査で健康な人と病気の人が違う、というところをみると、ただの文化の影響で出てくる自己暗示や自己催眠の影響で出現しているものとはどうしても考えにくいです。
文化の影響も受けるけれど、それだけでは説明のつかないこともたくさんあります。

時代と共にどう変わってきたのかというと、統合失調症と診断される人、統合失調症は人口の1%くらいが世界中でまんべんなく発症すると言われている病気ですが、これも段々と軽症化していますし、診断される人も減ってきています。
薬が効くようになってきた、世界的な衛生環境が良くなってきたなど色々な説がありますが、事実としてそうだと思います。

境界性パーソナリティ障害や摂食障害もおそらく減ってきているような気がします。
もしくは合併症の中に紛れているような感じがします。

対人過敏、対人関係の中でトラブルを起こすような病気も減ってきています。

増えているのは発達障害です。
自分は空気が読めないんじゃないか、マルチタスクが苦手、忘れ物が多い、そういう風に発達障害を自認する人、発達障害を診察するドクターが増えていることは事実としてあると思います。

これは考えてみると、心の世界の貧困化、他者関係の希薄化だったりするのかなと思います。
統合失調症の診断が多くされていたとき、例えば百年前は、家族関係も密で、オカルトなもの、宗教も人々の間で信じられており、マスメディアも発展していなかったということもあります。
今のようにインターネットですぐ調べることもできなかった時代です。
親戚付き合いも多かったです。

境界性PDの時代になってくると、核家族化が進んでいた。
おじいちゃん、おばあちゃんとは別に暮らしているけれど、家族みんなでテレビを観たりするので、各部屋に1台テレビがあるのは珍しかったりします。
今は1人に1台スマホがあり、同じリビングにいてもスマホを見ながらテレビをつけていたりすると思います。僕も奥さんとリビングに一緒にいてもお互いスマホを見ていたりしますから、不思議だなと思ったりします。
そういう中で他者関係が希薄化しているように思います。

治療者側の変化?

共同体やコミュニティが崩壊している中、減っていく中で、やはり病気のありかたも変わってきています。

実際に過去の統合失調症と診断されていたケースを現代の視点で見直してみると、これって発達障害じゃない?アスペルガーのことじゃない?ということがあります。
境界性パーソナリティ障害だと思っていたケースも、これは不注意や衝動性の高いADHDじゃない?と思うケースも多いです。

患者さんそのものはそんなに変わっておらず、むしろ診ている側の変化かもしれないと思ったりします。
患者さんたちは自分の混乱や困惑をあるがままに表現しているので、それを診ている側の違いでもあるのかな、という気もします。

治療法の変化

治療法についても、精神分析から認知行動療法(CBT)が生まれ、認知行動療法から今は第3世代の認知行動療法、マインドフルネス、発達障害も多いのでSST(Social Skills Training)が出たりします。
SSTは、こういう時にはこうしましょう、というワークショップみたいなもの、コミュニケーションの練習などより実践的なものです。
アルコール依存症の人もワークショップだったり、心理教育+実践トレーニングという風にやったりします。

精神分析が考えていた心のもの、家族のもの、無意識はどうなのか、という「探求」から、「機能」の問題に移ってきているというのは、肌身で感じます。

心の探求は魅力的で素晴らしいものだと僕も思っていますが、実際は治療効果としては機能を追求していく方が患者さんにもわかりやすく、治療成績も良かったりするということもわかってきているというか、わかっているのかわかっていないのか、よくわかりませんが、そういう変化があります。
論文上はそうだと言われています。

ただ、なぜそういうごまかし方をしたかというと、心の世界について皆が興味を失っているのか、心の世界について語ることが治療的ではないとは、僕が臨床している中では思えないということがあります。

論文に書きやすいから、論文になりやすいから、研究しやすいから数値化したり機能として表現された論文ばかり出ていくだけで、実際の臨床はちょっと違うんじゃないか、という印象はあります。

それはなぜかというと、YouTubeをやっていて僕が心のことを語っていたり、病気の単純な説明でなく心や家族も含めた病気の説明の方が再生回数も伸びているからです。
伸びているし、皆の興味を掴んでいるらしいのです。
それは病気の治療とは違うだろう、と言われそうですが、僕の臨床実感としては本当にそうなのか?という気がしています。

治療者側の責任

精神科医側、治療者側の責任もあるんじゃないか、という風に思います。
心を直接的に扱うことや、論文にならない、学術的な評価に繋がらないというものが軽視されやすくなっているのかな、ということは今の社会構造上あるような気がします。

じゃあ心をそのまま語っているものが良いのかというと、それはそれで権威主義に走ってしまいマニアックなことになり過ぎるので、僕の中では歯痒い思いがあります。

僕が5年前に開業したとき、YouTubeを始めたときにもこういう思いがあり、実際にYouTubeをやってみても自分の思いというのはそんなに変わっておらず、でもこのことに関して相談する仲間はそんなにいません。
そりゃそうだろ、という感じはします。

益田みたいなヤツはいないでしょ、益田みたいにYouTubeをやってる人はいないんだからそりゃあなたは孤独でしょ、と思うかもしれませんが、この孤独というか問題はどういう風に解決していくのか、どうやって仲間を見つけていくのか、どうやって仲間を育成していくのかということは、本当に考えないとなと考えていたりします。
何かイマイチ良くわかってない、という感じです。

とにかく今僕がやらなければいけないことは、自分の目の前の患者さん、今抱えている400~500人の患者さんについては、一人一人、今これをやった方が良いという課題感は見えているので、それを一個一個解決していくということは今もやっているし、YouTubeをどうやって伸ばすのか、という自分ができることはやっています。

ですが、もうちょっと大局的にモノを見たとき、どういうことをしたら良いのか、ということはまだよくわかっていません。
そういう感じかなと思います。

今回は、人々はどう変化したのか、について解説しました。


2022.7.10

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