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親を憎むのを止める方法

00:00 OP
00:32 親を憎めない人もいる
03:30 治療アプローチ
04:14 あるがままの「親」を見ることは難しい
07:33 親はメタファーである
10:20 親の愛情を欲する
11:20 現実的な問題を回避している

本日は「親を憎まない方法」というテーマでお話しします。

臨床をしていると、患者さんは親に傷つけられたり、傷つけられたというファンタジーがあったりして、親のことをよく話すことになります。

親を憎めない人もいる

実際いろいろな親がいるので、憎まなくてもいいだろうという人もいれば、憎んで当然だなという人もいます。
患者さんがどういう結論を選ぶのか、親を憎むということを決定するのか、憎まないということを決定するのか、どちらかわからないけれどその曖昧な状態を許容していくのか。

どう決断しても良いと僕は思うのですが、ただこの相反する気持ち、「憎みたくないのに憎んでしまう」「憎みたいのにどうしても憎めない」といったジレンマが問題だったりします。
そこはスッキリさせてあげた方が生きやすいだろうなと思います。

「憎みたいけど憎めないな」と思ってそこで決着がつくのならば良いのですが、どっちつかずでウジウジ悩み続けてしまうと、やはり問題というか苦しいだろうなと思います。

心ない人というか、精神科に関係ない人は、「いや、親はやっぱりなんだかんだ言って大事だから感謝した方がいいよ」とか、「そうは言っても血の繋がった人なのだから、大事にした方がいいんだよ」というアドバイスをしたりします。

ですが、普通の親ではないことが多いです。
教育的虐待、つまり厳しすぎる親。
子どものためだと思って体罰を伴うようなことをして勉強させ続ける、椅子から離れたらダメだみたいなことを言う厳しすぎるしつけをしていることもあります。

アルコールの問題、ギャンブルの問題で家庭をめちゃくちゃにしてしまう親もいます。
ストーカーみたいになってしまって子どもを監視し続ける親もいます。

これは問題あるなという親もいろいろいるのですが、それでも子どもというのは親を憎めなかったりすることもあります。

ひどい人だなと思うし、ひどい人っているんですよね、世の中には。
子どものことをどう思っているんだろうと疑いたくなるような人もいるのですが、それでもなかなか憎めないという人もいるので、そういう人たちはどうやって治療していけばいいのかということなのかなと思います。

もちろん憎んでしまう方に振り切るなら振り切るで僕はいいとは思うのですが、憎めない人、憎めない患者さんもいるということです。
それで悩んでしまうことがあります。

治療アプローチ

現実的に、精神科はどういうアプローチで治療していくのかということです。

結局、治療のアプローチとは何かというと、「患者さんが親をきちんと理解する」ということなんですよね。

きちんと理解をして、「ああ、この人ってこんな人なんだ」「本当は弱い人だから、あんなひどいことをしたんだ、じゃあ許そう」となってもいいし、「弱い人なんだ、でもやっぱりあれは許せないよね。もうちょっと頑張りようがあったんじゃない?」と憎むパターン、どちらでもいいと思います。

ただ、きちんと理解することはとても重要です。

そんなのわかっているよと言われるかもしれないですが、これがなかなか難しい。
きちんと理解することはとても難しいです。

あるがままの「親」を見ることは難しい

親はなかなか理解しにくいです。子どもから見ると。
やはり自分の思いとかいろいろなものが重なってしまいます。

いろいろなものを投影してしまうし、いろいろなものを反映させてしまうので、親を「そのまま見る」ことはできません。

親は、一番最初の何も知らない赤ん坊のときから一緒にいます。
赤ん坊や子どものときは「親ってすごいな」「親ってかっこいいな」「親てキレイだな」「何でもできるんだ」と思うわけです。

でも何でもできる親なんかいません。
そこら辺のおじさんだったり、そこら辺のおばさんだったりするのですが、子どもはすごいものだと思うようにできています。本能レベルで。
大人になっても一番最初の記憶は強烈だから、なかなかこれが取れません。

どうやってその思い込みから解放されていくのかというと、話をしながら「親はどういう人たちだったのか」を整理していきます。

ここでちょっとお話ししたいのは、「物理的現実」と「社会的現実」の話です。
物理的現実というのは、あるがままの世界です。
「お金」はお金ではなく、紙や金属。
「お寿司」ではなく魚と米。
あるがままの意味のつかない世界です。

ですが、僕らは先入観なしにモノを見ることはできません。
自分の記憶や価値観、興味によって物事に意味をつけてから理解し、吸収して脳で再現しています。

お寿司を見ても、ただ「米だな」と思うわけではなくて、「おいしそうだな」「高そうだな」などと思うということです。

「親」もそうなんですよね。
「ただのおじさんだな」と思ったりしません。
やはり「怖いな」とか「素敵だな」とか、いろいろ思ったりします。

それをあるがままに受け止める。
親をあるがままに見るためにはどうしたら良いのかというと、やはりきちんと話してみる。
整理してみる。
生い立ちを語ったり、親ってこんな性格かなとか、そういう話をしたりします。

最近だと発達障害の問題もあります。
「親は何で私にお弁当を作ってくれなかったんだろう、私が意地悪したから、親に反抗してしまったから、親は私を愛してくれなくなっちゃったのかしら」とかいろいろなことを言うのですが、話をきちんと聞いていると、これは発達障害なのではということがあります。
ただ忘れてるだけなんじゃない?ということもあります。

「でもお母さんって、その次の日は作るんでしょう?」
「そうなんです」
とか言って、
「でも、その日はお金もくれなかったんですよ」
「いや、これ忘れてるんじゃないかな」
みたいな。そそっかしそうだと。

「人の気持ちがわからないとかあるんじゃないの?」
「そうなんですよね。全然人の気持ちがわからないんですよ」
「じゃあ、あなたの気持ちだって全然わからないんじゃない?」
「ああ、そうなのかな」
と言ったり、親の発達障害の問題を見逃しがちだったりします。
ここら辺も整理してあげるのが重要かなと思います。

親はメタファーである

親をあるがままに見れないのはなぜかというと、結局親は「メタファー」なんですよね。
「たとえ」なのです。
社会というもののメタファーだったり、しつけというもののメタファーだったりします。

「超自我」と書いていますが、これはつまり厳しい教えです。
親の意見というのは世間の常識だったり、当たり前のことをただ当たり前に言っているようだけれど、人によっては厳しすぎると思ったりします。

勉強しなきゃいけない、テストの点を取らなきゃいけない。
テストの点を取れないと自分はダメだと思ってしまう。
それは親が言ったからというよりは、そもそも勉強をさせられているという社会の問題だったりするし、テストの点が低いというのは、自分の劣等感だったりします。

自分がそう感じているだけなのに、「親がそういうふうに言うから」と外に投げてしまうようなことが起きます。
「親が言うから僕は勉強しなきゃいけないと思ったんだ」と言うけれど、親に「本当にそんなことを言ったんですか?」と聞くと、全然そんなつもりはなかったり。

「普通の子と接するように宿題やりなさいとか、普通の親が言うようなことを私も言いましたけど、別に勉強してと子どもに言ったことはないですよ」「私そんなに良い大学にも行ってませんから、子どもも行けないだろうと思ってました」という母親だったりする。
でも、子どもはガリガリ勉強しなきゃ、絶対東大行かなきゃいけないんだとか、そういう思いにとらわれていたりします。

また、親は偉い、素晴らしいという幻想があったり理想を重ねていたりするのですが、話を聞いてみると結構だらしなかったり、実際会ってみると「格好良いんです」とか言っても全然格好良くない。
洋服とかも結構ダサかったりするとか全然あります。

「エディプス」と書いていますが、親に対する恐怖感とかそういうものは、子どもは漠然と思ったりするし、幻想を持ったりします。
そういうものを「エディプス・コンプレックス」と言ったり、臨床的には「エディプスの問題」と言ったりします。

親に重ねた幻想から、思春期を迎えるときに反抗したり戦ってみたり、でも戦いきれなかったりとかいろいろなことを思ったりします。

子供はリアルな親を見ているというよりは、どちらかというと自分の内面を反映させた親、社会や世の中の仕組み、自分の思い通りにならないものの一番最初の化身として親を体験します。
それであるがままを見られなくなっているということもあります。

親の愛情を欲する

あとは親の愛情ですね。愛情を欲します。
子供は無力なので、愛情が必要なのです。

愛情が欲しいから頑張って奪う。
それはお母さんの愛情を父親から奪う、兄弟間でも争ったりします。
それが子供の時だけではなくて、大人になってからも親の愛情を奪い争うことはありますね。

遺産相続の話のときに、100万、10万、5万の単位で争ったりする時は金額ではありません。
親の愛情をもう一回争い直すことだったりもします。

少し相手が多くもらっても良いじゃないか、それよりも弁護士代の方がかかるんだからいいじゃないかと普通は思うのですが、なかなか思えないのはそういうことだったりします。

あるがままが見られないということだったりします。

現実的な問題を回避している?

臨床的によくあるのは、親を憎むことで現実的な問題を回避している、というパターンです。
親が悪いんだと言うことによって、自分の問題を回避していることがあります。

精神疾患というのは、「健康」から「病気」にそのまま直接行くというよりは、基本的には「遺伝子」+「ストレス」の合わせ技で病気が発症するので、病気になる前に「高ストレスな状況」で、現実的な問題に苦しんでいる期間があります。

現実的な問題に苦しんでストレスをずっと浴び続けるから、病気になったりします。

ただ、病気の症状を取り除いても、寝れなかったのが睡眠薬で眠れるようになっても、やはり「病気」から「高ストレス問題」に戻るだけで、「健康」に戻るわけではなかったりします。
それで「高ストレス問題」にどうしたらいいんだろうと悩むことがある。

でも、親を憎み続けていれば、親の問題なんだと思っていれば、ある意味「病気」に留まることができます。
そうすると、「高ストレス問題」を考えずに済むので、一生かけて戦う、一生かけて親を憎むようなことも起きかねません。

ただ、スターウォーズの世界じゃないですが、親はそんなに強い人間ではありません。
時々はすごく強い親もいると思います。二代目社長、三代目社長みたいな形で、家業があって継がなければいけないということだと、一生をかけて戦う相手というのが親父ということもあるかもしれません。

でも僕らの人生はそんなことはなく、本当に何度も言いますが、そこら辺のおじさんとおばさんです。
そんなに争う相手でもないのですが、やはり争う相手として見えてしまうというのが子供の子供たる所以なのかなと思ったりします。

とにかく親を憎まないためにはどうしたらいいのかというと、きちんとあるがままの親を知る。そして自分の中の無意識のバイアスを知る。そして現実的な問題を解決していく。

そうすることによってあるがままの親を見ることができるので、憎まなくなるかもしれないし、でもやっぱり憎むということになるのかもしれません。
ただ、一生をかけて戦う相手では全然ない、ということです。

今回は、親を憎まない方法というテーマでお話しました。


2022.7.16

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