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QEEGや光トボグラフィなどの高額な検査で診断は正確になるのか? rTMSの治療は?

00:00 OP
00:37 一般的な診断や治療方法
02:27 精神医学
08:11 実験~論文レベル
09:51 なぜ違和感があるのか
13:38 限界がある

本日は「QEEG(定量的脳波検査)と光トポグラフィーで精神科の診断はできるのか、そしてそこで診断された結果をもって、rTMSの治療をすることは正しいのか正しくないのか」について個人的な見解を述べようと思います。

一般的な診断や治療方法

最初に言うと、QEEGや光トポグラフィーを使ってうつ病や双極性障害、発達障害を診断することは一般的ではありません。一般的な診断方法というのは病歴ですね、これまでどういう生活をしていたのか、どういうふうに症状が変わってきたのか、それをきちんと聞きます。

うつ病にしても躁うつ病にしても、そして発達障害にしても、成育歴や今の生活の困りごとなどいろいろ聞きます。
聞いた結果、医師の判断で診断をつけるということになります。
それが一般的なやり方です。

もちろん、心理検査を補助的に使うこともあります。
WAISという知能検査、バウムテストなどいろいろありますが、あくまでそれは補助的なものであって、基本的には診断というのは問診から病歴を取って診断することになります。それが一般的なやり方です。

治療のやり方というのも、薬物治療が一般的で、rTMS(反復経頭蓋磁気刺激療法)というのは一般的な治療ではありません。
「いやいや、益田はそう言うかもしれないけれど、rTMSは保険診療として認められたじゃないか」とか「光トポグラフィーも認められてるじゃないか」とか言うのですが、これは極めて限定的な処置のやり方なので、まだまだ一般的ではありません。
それが今の日本の精神医学の常識です。

世界的にも同じようなものになります。すべての国のことは僕は知りませんが、基本的には国際的にも大きく外れていないやり方です。

精神医学

ではこれが完全なウソや詐欺なのかというと、それを否定するのは非常に難しいです。
それを否定するのは難しいんですよ。
僕みたいな臨床家が科学を否定するのはとても難しいですね。

「白いカラスはいるのか」と言ったときに、「白いカラスはほとんどいない」ということは言いやすいのですが、「白いカラスはいません」と証明することはとても難しいのです。

精神医学というのは科学の中でもかなり疑似科学に近いものです。
いわゆる物理学とかそういうものとは違って、極めて曖昧なものを含むし、科学的に取り扱いにくいものを扱っていたりします。

ただ、目の前には患者さんがいるんですね。
精神医学は科学ではないし、それは科学として扱ってはいけないだろう。
もっと時代が進んでいろいろなことができるようになったら、人類がいろいろな科学技術を身に着けて、いろいろな実験装置を手にしてから、精神医学や心の問題に取り組めばいいのではないかという科学者の意見はあると思います。

たぶん、精神科医以外のすべての科学者、物理学者、物理科学者、科学繊維の科学者、エンジニアも含めた意見の中ではそちらの方がメジャーなのではないかなという気がします。

だけどそれは今僕らが扱うものではない。僕ら人類が扱うものではないのではないかと言われたら、そうかなという気はします。

「科学哲学」という分野があります。
僕も好きなので本を読みますし、若い時は特にどこまでが精神医学で、どこまでが臨床なのかとかいろいろ考えてみましたが、やはり勉強すればするほど、本当に精神医学は難しいというか、科学的に扱いにくい部分があります。

僕が高校生の時や中学生の時に考えていた精神医学、つまり心の病を科学的にアプローチしていくということをやろうとすれば、おそらくもっと先の未来にならないと難しいのではないかという気がします。

ただ、僕らの目の前には患者さんがいるし、その人たちは苦しんでいるんですよね。
であれば、彼らに対してできることを、現代の科学力でやれることをやっていかなければいけないと思います。
とても難しい分野なのです。

そうは言っても、今も日々研究されているし、いろいろな先生が臨床応用できるのではないかと研究しています。
でもなかなか結びつかないのが今の科学力なのです。
それを知ってもらいたいんですね。

そういう中で、こういう検査というものがどこまで科学的なものを反映しているのか、反映していないのかというと、ほとんど反映できていないと僕は思っています。そういう事情があるから。

薬物治療とか、そういうもっと「確からしい」ものでさえ、わかってないことが多いのです。

抗うつ薬のメカニズムさえまだまだわかっていないことが多い中で、やはりメジャーではないものというのは、より不確かなような気がします。
ただ、不確かだからと言って、こういう論文がありますよとか、こういうデータは取れたんですよと言われると僕も反論しにくいし、なおかつそれを反論するのは非常に難しいです。

「白いカラス」と似ているということですね。
やはり脳のメカニズムはとても複雑なので、脳科学者が言っているように、脳波とか光トポグラフィーだけでうつ病ということを判断するというのはまだまだ本当に難しいです。
全然できないというか、誤情報が多いと思います。

医者の診断や診察、問診以上にできることはないと思います。
それが今の科学力です。

脳を開いてもう一回脳を科学的に見ても、科学成分を調べても、うつ病とそうじゃない人のものはなかなか区別がつかなかったりしますし、fMRIといって血流を見る装置、脳波や光トポグラフィーよりはっきりとわかる装置を使っても、まだまだデータが出にくい時代なので、なおさらなのではないかなと思います。
rTMSに関してもそういう感じです。

とは言いつつ、保険診療を認められていることだけが科学で、保険診療で認められないからといって嘘なのかとかそういうわけでもありません。

ここは結構難しいし、自費だからいいじゃないかと言われて、益田と同じ医師国家試験に受かった人間が有用だと判断してやっているんだからいいじゃないかと言われたらなかなか言えないです。
否定するなら否定するだけの論文とか科学的なデータがあるのか、準備しているのかと言われるとそこまでの準備ができていないという感じです。

実験~論文レベル

ただもう1個だけ言うと、実験的に正しいとわかるもの、論文的に正しいものというのは日々たくさん見つかっていて、それが偽造ではなく本当に正しいものだったとしても、それが保険とかガイドラインのレベルになるとか、臨床レベルで応用できるかというと、これはほとんどないのです。

他の分野の研究をやられている人はよくわかると思いますが、科学者とか研究者がやっている発見というのは素晴らしいと思いますし、僕も尊敬しています。

こういうことを将来臨床に応用していければいいなと想像することはいっぱいあるのですが、実際はそれが本当の現場で応用され、できることはほとんどなく、なかなか難しかったりします。
無数にある発見がようやく固まっていって臨床に応用できたりするので、なかなかできないんですよね。

実験~論文レベルのことを言って、自費でやっていくというのはどうなんだろうというのは、皆が思うことなんですよね。

それで高額なお金を取るやり方は良いのか。
藁をもすがる思いの人たちに対してそういうことをして良いのか、倫理的な問題というのはやはり考えてしまいます。

なぜ違和感があるのか

どうしてそういう風に僕は言うのか、どうしてそれが僕らにとっては違和感があるかというと、「医学的には曖昧なんだろう、でも別にメスを入れるとかではない」「非侵襲的なんだから問題ないのではないか」「ただお金をちょっと損するだけなら、個人の自由なのではないの?」と思う人もいるかもしれません。

ただこれは治療の機会を奪っているんですね。
治療の機会も奪っているし、こういうことを経ることによって診療が進まない、治療がうまく行かないことを僕らはわかっているから批判するのです。

精神科というのは遺伝的な問題+環境やストレスの合わせ技、この2つが重なって病気を発症することが多いです。

わかりやすく言えば、健康状態にあるところから、不運とか不幸な状態に人が入ります。
それは知的な問題があったとか、生い立ちが悪かった、環境ストレスが多い、虐待があった、そういうストレスがたまりやすい状況にずっといると、病気を発症してしまうということなのです。

診断をして薬を使って、ちょっとうつがよくなったりしても、また不運な状態に戻るのです。
僕らが言う病気の重い状態というのは入院適応の状態です。
飲めない、食べられない、寝られない、幻覚妄想に支配されているとか、そういう状態から薬を使って不幸の状態に戻すような感じです。

僕ら外来で見ているレベルは「不幸」の辺りだったりするんですね。
ここの前後をうろちょろしていて、でも精神科医が本当に病気だとか病気らしいなとか、研究の対象にしているものは「病気」なのです。
だからちょっと一般の人と感覚がズレている。

研究しているのは「病気」のレベルの話ですから、それを「不幸」の状態のときに使っても、なかなか良くなりません。

それはなぜかというと、今までの話とは別の話で、「健康」と「病気」の間には結構差があって、ちょっと不調感みたいなのものがあります。
この不調感を治す薬というのはないんですね。

肺炎など重症だったら抗生剤を打つとかありますが、ちょっと気だるいなとかちょっと疲れたなというときに医者に行かないし、治す薬もありません。
骨折したとか、血が出ているから手術しなければいけないという時は医者の介入によって良くなっていくのですが、擦り傷をしたとかちょっとなんかなみたいなときには、やはり病院に行ってもやれることはあまりありません。

それと同じで、「不幸」のレベルのものを治していこうというときには、薬とか何か新しい治療をするということではなかったりします。
それよりもカウンセリングだったり、本人の生きづらさの改善、環境を変えてあげる、そういうことの方が重要だったりします。

しっかり診断をするとか、薬物治療をするというのは大事なんだけれども、福祉の導入やカウンセリングもすごく重要なのです。

限界がある

それが実際できていないだろうなと僕は思います。

本人たちの知的能力、発達障害の問題、非認知能力、コミュニケーション能力、楽観的に考える力が弱い、感情を抱えたりする感情調節能力が弱い、環境が悪い、パワハラがある、家の中の問題がごちゃごちゃしている、家族仲が悪い、借金がある、生い立ちの問題、トラウマの問題がある、虐待の経験があってどうしても人を信じられない、そういう問題を抱えていて、でもこれを知る痛みがあるので隠してしまう。

隠した上で、うつだからrTMSやりましょう、薬を変えても良くならないからrTMSやりましょう、そういうのはあまりうまくいきません。

発達障害があったら、薬だけで良くならないからrTMSをやりましょうではなくて、限界というのもあります。
知的な能力の改善には限界があります。

結婚して子どももいて旦那が発達障害で困るとか、子育てに協力してくれなくて困るとか、子どもたちが発達障害で困る、子どもたちが知的障害で困る、子どもたちが明るい未来を過ごせないのではないか、傷ついて泣いているし、薬を飲んでも全然良くならない。

じゃあ親は何をしてあげられるのだろうというときに藁をもすがる思いでやるのですが、でもやはり限界というのものがあるわけです。
ただ、患者さんにその限界を教えなければいけない。

そういう苦しみを僕らが言わなければいけないんですよね。
余命宣告と言うと言葉は悪いですが、医師というのはそれもするのが仕事なのです。
だけどそれを扱える医師が少ないし、そういう覚悟をしている医師が少ないです。

僕の感じだと7割ぐらいですね。
7、8割の医師はそういう覚悟を持ってやっていると思います。
ですが2割かもっと少ないかもしれないですが、こういう問題を扱おうとせずに、薬だけをぐるぐる回してしまったり、こういう検査があるんですよと言っている。

それは自分で自分を騙しているような感じか、患者さんと共謀関係になっている共依存のようなもので、信じてしまっているところもあるのかなと思います。

いやいや、弱く生まれてきた人たちにとって俺たちはヒーローだ。彼らは養分なんだみたいな形で、弱い奴を養分にして強い奴がお金を儲けるとか、養分にして自分たちの生活を充実させるなんて普通だろうとか、弱肉強食の世の中の論理じゃないかとかルールじゃないか、だから別にいいんだと思っている人もいるかもしれません。
そこまで思っている人ではなくて、変に信じてしまっているのかもしれないですが、でもそういうことなのではないかなと思います。

この話はちょっと難しいのでどこまで伝わったかわからないですが、とにかく日々の発見を臨床に応用することはとても難しいです。
科学者や研究者の人がやっていることは素晴らしいと思うし、僕も尊敬しているし、自分がやりたかったことでもあるのですごくジレンマはあります。

だけどそれは事実なんですね。
発見があった、それは科学的に正しいとも言えた、だけどそれが臨床応用できるかどうかはまた別の問題だということです。
臨床の中でも、特に扱っていないことがあるのではないかということです。

臨床において患者さんの症状を取ることだけではなくて、患者さんの内面をちゃんと正確に評価する。
その上でできないことはできないときちんと伝えるが、できない中で何かをしていくことを考えていくという、痛みを伴う作業を医師がやっていないのではないか。

その臨床の苦しさをやらずに、逃げているのではないかという思いがあります。
それが誰かの不幸を生んでいるような感じに思います。
僕らも辛いんですよね、そういうことをやるのは。

科学者は科学者のジレンマを抱えながら頑張ってやっているし、臨床家は臨床家のジレンマを抱えながらやっているのに、それを飛び越えて安易な形で答えを出されているような感じがして腹が立つのかな、という気はします。

もちろんこういう検査をしながら、次の世代、新しい未来、いろいろな治療に結びつけたいと考えている人もいるし、今でも日々研究されているとは思いますが、一応こういう前提がある上で、今みんながいろいろなことをやっていることを知ってもらえたらなと思います。

ちゃんと説明できたかどうかわからないですが、また説明します。
今回は、検査がなかなか臨床レベルではないのではないかという疑念、でもそれを否定することは難しいということ、そして科学者のジレンマと臨床家のジレンマなどを話しました。


2022.8.1

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