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ひきこもりの治療。自己中心性→脱中心化、社会化

00:00 OP
01:04 どのように社会に馴染むか
03:44 ひきこもりの人にとっての社会
06:34 治療で重要なこと

本日は「自己中心性→脱中心化、社会化」というテーマでお話しします。

ひきこもりの人の治療の中の自己中心性や、社会に出て行く、ということをテーマにお話しします。

ひきこもりの人は、社会に対する不安や恐怖を感じています。
社会に出ることが怖いのです。
怖いので出られずに家の中にいます。

それで自分の世界、自己中心的な世界にいる。
自己中心的な世界にいて自分のことを責めたり、自分の見た目が気になったりして過食嘔吐に走ったり、自分の感覚、自分のことを知りたくなくてゲームの世界に逃げ込むなど、色々なことをします。

どのように社会に馴染むか

ではどうやって社会に馴染んでいくかというと、やはり自己中心的なもの、子どもっぽい自己中心的なものを捨て去って、脱中心化する。自分というものを捨て去って、社会に馴染んでいく必要があります。

社会に馴染んでいくというのはどういうことかというと、社畜だ、社畜だ、と言いますが、まあ社畜なんです、社会の一員になるということは。
歯車として人間は機能していくことがとても重要なのです。
社会の一員になるということは、社会の歯車になることです。

子どもから見たらつまらなく見えるし、「大人って死んだような目をしているな」と思うかもしれません。
確かにそうかもしれませんが、歯車として機能する、群れの中の一部として機能するということが大人にとってはとても重要です。
それが社会化ということです。

本当に辛いか、死んだ目をしているか、と言われるとそうかもしれませんが、楽です。
歯車の一部であることは楽です、自分で考えなくていいですから。
考えなければいけないことはごく一部でいいので、とても楽です。

僕も社畜化していますから、楽です。
ガイドライン通り治療すればいいやと思ったり、益田はダメ医者だと言われても、ほかのクリニックへ行ったら色々あるしなとか、良い先生いるしなと思って過度に責任感を負わないくていいので楽です。

研修医の時は、もっと自分がやらなきゃと思っていましたが、だんだん色々なものが見えてきて、自分が歯車の一部だということに気づくと、良くも悪くも肩の力が抜けていきます。

所属しているというのはとても安心です。
別に大きい病院に所属しているとか、自衛隊に所属しているという、そういう肩書きがあるから安心というわけではなく、単純に僕自身も社会の一部としているわけです。
日本人としてというか、世界市民としてでも良いのですが、社会の一部なんだなということがわかるので、会社に所属しなくても僕は何かに所属しているということがわかると結構楽です。

だから楽なんですよ、歯車として生きるということは。
これができるようになるためには、やはりメタ認知の力、自分を客観視する力が育っていかないといけません。

ひきこもりの人にとっての社会

けれども、やはりひきこもりの人は、群れの一部でいるということよりは、社会というものが人間の集まりというより個々の人間の独立した集まりだと思っている節があります。

そういう中で戦って勝つためにはやりたいことをしなければいけないんじゃないか、幸せになるためにはやりたいことをやるしかないんじゃないかと思って、とても不安になったりしているみたいです。
結果的に怖いなと思い、スマホ依存みたいなことになったり、ゲーム依存のようになることというのも珍しくありません。

彼らにとって社会とは何なのかというと、例えば自分が犠牲にならなきゃいけない、奉仕しすぎるような自分を想像することがあります。

ひきこもりの人でよくあるケースは、子どものときに親にすごく厳しく育てられたり、親から虐待を受けていたというケースです。
子どものときに大人の目を気にして頑張って過剰適応する。
それでもう社会でそんなことをしたくないと、社会に対して悪いイメージしかありません。
楽というイメージではなくて、苦しいというイメージになってしまいます。

優等生を演じたりとか、道化、ピエロのように演じて皆の輪を保とうとして気を張り続ける。
その結果、やはり社会は嫌だなと思い、自己中心的な世界に入っていきます。

あとは劣等感です。
自分は無価値なんだ、と思い知らされる場所だと思っているときがあります。

子どもの集団というのは、みんな自己中心的です。
小学校、中学校、高校、20代ぐらいまでそうかもしれないですが、子どもの集団は皆が自己中心的で競争社会です。だから傷つけられます。
互いに傷つけ合っているところもあって、そういう中でもう嫌になったということはあるみたいです。

でも、おじさんおばさんの世界を知っているとわかると思うのですが、僕らは競争しません。
歯車としてやっていくから「競争なんかやめよう」という世界観です。
それが良いか悪いかはまた別ですが、競争しないから腐敗が起きるんじゃないか、社会の腐敗を起こしているとも言えるけれど、楽です。

だけど、競争しすぎる社会の中で揉まれてしまって自分が傷ついた結果、社会を怖いものだと思い込んでいるケースがあります。

治療で重要なこと

ひきこもりの治療の中で重要なことは、自己中心性ということと、脱中心化された世界ということのアンバランスさを理解していくこと。自分自身でそれを理解していくことに加え、かつてのトラウマ、傷ついた経験も癒していくということがあげられます。

「いやいや、益田はそう言うかもしれないけれど、ひきこもってちゃダメなんですか?」「別にお金もかからないからいいじゃないか」「スマホとか使えば安いし、スマホ依存していれば食費とスマホ代だけで安いんからいいんじゃないか」と言うかもしれません。
「孤独じゃないからいいでしょ」ということになるかもしれないけれども、やはり社会に出ていけないということは苦しいです。
そもそも自己中心的であることは苦しいのです。

脳みそというのは自己中心的なものではなく、脳と脳が連結して「ネットワーク」を組んでいます。
この脳のネットワーク性というものを意識できないと、健康には悪いです。
インターネットにつながっていないパソコンみたいなもので、安全なように見えて結構苦しいのです、不便というか。

自分というのはたった一人の存在だし価値があるものですが、同時に自分自身には価値がないというか、自分自身の価値を否定できる、ゆるやかに死んでいく、ゆるやかに歯車として僕らは自分の自己を失っていく気持ちよさがあるので、ここのバランスがすごく重要だし、体感的に理解できるかどうか、というのがとても重要だったりします。

群れの気持ちよさ、歯車としての気持ちよさというのはどうやって味わうかというと、チームスポーツをやる、楽器を演奏する、アルコールやドラッグパーティー、クラブとかフェスみたいなもので一体感を感じる、悪いことを一緒にする、隠れてみんなでタバコを吸うなども一体感かもしれないですが、色々な形で体感していくことが必要なのでしょう。

LSDを使った幻覚の治療というものも、こういう一体感を味わうためにやります。
それを一回味わうことで、自分の認知の歪みに気づくやり方だったりするのですが、もちろん日本でやったらダメなのですが、そういう背景があったりします。

とにかく、うつの人やひきこもりの人は、歯車としての自己ということの絵のバッドイメージが強すぎて、落差や気持ちよさが理解できていないので、そこを理解できるように補助線を引いてあげるのがとても重要だったりします。

今回は、ひきこもりの治療における脱中心化と自己中心性、というテーマでお話ししました。


2022.9.1

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