本日は「発達障害がある人のカウンセリング」というテーマでお話しします。
発達障害がある人をどうやって理解していけば良いのか、どのように相手の心を理解してカウンセリング的なアプローチをしたら良いのか、精神療法的にアプローチをしたら良いのか、ということについて解説します。
発達障害について、この動画を見ている人はよくご存知だと思いますが、改めて説明すると、ASD(自閉スペクトラム症)とADHD(注意欠如多動症)、LD(学習障害)の3つの病気のことを「発達障害」といいます。
ASDとADHDは合併することが多いので、僕は発達障害とひとつの言葉でまとめることが多いです。
どうやって彼らの心に近付いていけば良いのか、彼らをどのように理解してあげれば良いのか、ということをお話しします。
僕は発達障害の専門ではないですが、発達障害の人の治療をしっかりやっており、評判良いんですよ。評判良いんです。
発達障害の人の気持ちがすごく良くわかっている、と言われます。
「益田先生、なんでわかるんですか? やっぱり益田先生もアスペだからですか?」と色々な患者さんや患者さんの家族からも言われます。
確かに僕にも自閉的な部分があり、ちょっと暗いし陰キャのところがあって間違っていなくもないのですが、そうでなくやはり知識で補っているところがすごくあります。
その知識を皆さんと共有したいと思います。
ご家族の中に発達障害がいる方、カサンドラで悩んでいる方、旦那さんが発達障害もしくは奥様が発達障害、お子様が発達障害で、どうやって理解してあげたらいいんだろう、どのように話しかけたら心を癒してあげられるんだろう、と考えている方には、ちょっと良い知識かなと思います。
コンテンツ
心の多次元構造の理解
これは僕が書いている図で、W.ビオンらの考え方をアレンジして使っています。
基本的には心というのは、皆さん同じように健康的な部分と神経症的な部分、悩みがあってグジグジしている部分、自閉的な部分、発達障害のような部分、何か変わっている部分というのがあります。
それは発達障害がスペクトラム障害だという通り、僕らにも自閉的な部分があるし、それが大きいのか小さいのかの差なんです。
僕らは僕らで変わったところがあるし、相手の気持ちを読めないというのがあったりします。
自分なりのこだわりというのがあったりします。
それが大きいか小さいかの差だったりもします。
その大きいか小さいかの差が決定的な差でもあるのですが、そういうものだと思ってください。
この心の多次元性ということが理解できているか、というところがポイントです。
良いカウンセラーかそうでないのか、良い治療者なのか、実力がない治療者なのかの見極めのポイントは、こういう心の多次元構造を理解できているかどうかです。
これを直感的にセンスとして理解できているのか、そして知識を補うことによってこれが理解できているのか、によって結構違います。
今この人と会話をしている中で、この人が働かせている心の機能は健康的な部分なのか、共感し合える部分なのか、それとも神経症的で弱っているところ、語りかけてもなかなか通じ合えないような部分なのか。
もしくは自閉的な部分、質が違って病的な水準まで落ちている、いわゆる統合失調症の病的な部分みたいな感じで、何か会話をしていても通じ合わない、語り合うことで却って問題が悪化するものなのか。
こういう見極めが重要で、今、患者さんの心の中、相手の心の中でどういう部分が優勢を占めているのかを見極める力がとても大切です。
言葉で言うと難しそうなんですが、何となくわかりますよね?
奥さんと喋っていても思いますよ。普通に会話をしていると思ったら急にムッとして、何喋っても言い訳にしか聞こえない時とか、その時は神経症的な部分に入っちゃったかなとか、自閉的なところまで落ちこんじゃったかな、とか、何かあります。
夫婦で喋っていても「あれ? なんか全然通じ合えないな」みたいなところもあったりとか、神経症的なところを刺激してしまったりとかあると思います。
この見極めは結構難しく、図ではわかりやすく三層構造で示していますが、実際の心というのは、どこに自閉的な部分があり、どこが神経症的な部分かはわかりません。
マーブルアイスみたいな感じになっています。
すごく入り組んでいて、こう喋っていたと思ったら突然神経質なところに触れたりすることもありますし、通じ合えない部分に入り込むこともあります。
普通の会話であれば表情を見ながらちょっと調整したりできますが、YouTubeは一方通行だからそこができなかったりもします。
発達障害の人はこの見極めが結構難しいです。
いわゆる、ゴルフ場でいうバンカーの部分が多すぎて、どこを歩いていても、ちょっと歩くとその自閉的な部分にぶつかることも結構あるかなと思います。
治療者側の逆転移の問題も結構あるかなと思います。
つまり、わかってあげたいという思いです。家族もそうです。
相手の気持ちをわかってあげたい、相手はこう思っているんじゃないか、相手はこういう風に感じているから、こっちはこう動くべきなんじゃないかという風に、ついつい自閉症的な部分とかあまり考えられていないところを、こちらの想像力で補ってしまうことがあります。
実際は本人は何も考えていなくて、ただ何も感じていなかったり、ただ何も気が付いていなかったりするのに、怒っているのかな、傷付いているのかなと勝手な空想を埋めることで発達障害らしさを見失ったり、神経症的な問題として扱ってしまうことが結構あったりします。
何か難しいですね。
難しいのはちょっと分かりにくいかも知れませんが、最後まで聞いてください。
わからない人は何回か見てもらうとわかると思います。
神経症:支持と自立のバランス
健康な部分を増やしていって、神経症的な部分を減らし、そして自閉的な部分も減らすのがカウンセリングというか治療的なアプローチになります。
神経症的なところについては、共感して支持してあげる、優しく支えてあげる部分と、一方で、自立を促す部分のバランスがとても重要です。
保護するだけだと、本人の自立や自分で治っていこうという力を失ってしまうので、ある程度は頑張りなさいと言って突っぱねる部分も必要。厳しく接しなければいけない部分も必要です。
ここの母性と父性のこのバランスが重要だったりします。
いわゆる普通のカウンセリングでやることと一緒です。
自閉:こまめなケア
逆に自閉的な部分については、そういうアプローチというのはむしろ悪化させるので、こまめなケアをしてあげる必要があります。
合理的な配慮と呼ばれるようなものです。
本人がわかってなかったりするので、きちんとコーチングをしてあげる、マネジメントをしてあげることがとても重要です。
ここの部分の見極めがすごく苦手で、ついつい話を聞いていたりとか、ついついマネジメントを怠ったりとか、SST(ソーシャルスキルトレーニング)を怠って普通のカウンセリングみたいにすると、発達障害の人は良くなっていきません。
合理的な配慮をしなければいけない。
本人の不得意なところはしっかりSSTなり発達障害的なアプローチ、福祉的なアプローチをすべきところと、一方では、いわゆる通常のカウンセリング的なところを見極めながら、うまくハイブリッドしてカウンセリングしていくことが重要です。
ここの部分が結構カウンセラーは苦手だったりします。
カウンセラーは、患者さんの立場に立って一緒に考えていくとか、心のことを扱っていく、支持的に聴いていく、傾聴していくことが重要だと教科書的には教わっているので、マネジメントしていくとか、ソーシャルスキルトレーニングをしなければいけないという発想になかなか至りにくかったりします。
認知行動療法をメインにやられている人はそんなことはないと思いますし、現代的なカウンセラーはそんなこともないのですが、昔のカウンセラーの人は特に苦手です。
なかなか現代的な部分というのは、気持ちが切り替わっていかないというか、脳のスイッチがなかなか見極めにくかったりします。
家族病理、性的トラウマ、自傷
それに加えて、他の問題としては家族病理の問題があります。
発達障害の人の家族は混乱していることが多かったりします。
本人が混乱しているから、健康的な家族、普通の家族も混乱した状態のように見えることもあるし、実際に混乱されている家族というのもあります。
遺伝的な問題がありますから、発達障害の親は発達障害のグレーだったり、発達障害だったりします。
発達障害のある種の遺伝性というのは、統合失調症や双極性障害の遺伝子の脆弱性とも似ていたりします。親族の中に他の精神疾患の人がいる方もいたりして、家族病理の問題というのはあります。
虐待の問題とかそういうのもあったりします。
性的なトラウマの問題というのもあり、防御力が低い時は警戒心が薄いので、女の子は特に性的な被害に遭っていることが多かったりします。
男の子でもいます。
男の子でも性的な被害に遭っている人はいます。
ここら辺はやっぱりケアしていかなければいけないなと思います。
他にも合併症の問題、自傷、過食症、摂食障害の問題、境界性パーソナリティ障害のような状態、自分の感情に左右されてコントロールできなくて、ぐちゃぐちゃになるような状態も起きたりするので、やはりややこしいんです。
いわゆる発達障害だけの問題ではなく、家族病理とかトラウマの問題、合併症の問題とも重なるので、より起きていることは複雑で彼らを理解することは難しかったりします。
だから知識、力量も必要で、センスや経験が必要だったりします。
これらの問題を患者さんたちは語りたい、治療していきたい、発達障害よりもこちらの問題を扱いたいんだ、ということもあるんです。
でもこの問題を扱うのは結構難しかったりするので、タイミングやその人のメタ認知の力、伸び代の見極めも重要だったりします。
何でもかんでもトラウマはひっぺ返したらいいとか、家族トラブルの問題をひっぺ返したらいいということではなく、その人が本当に清濁併せの呑むようなもの、母親は確かに意地悪かもしれないけれども愛していた部分もあるんだよとか、そういうところをその人たちがきちんと理解できるのか、というところがあります。
良くなっていった先に、彼らは本当にそういう複雑な状況というものを理解できるのか、この見極めが重要です。
ある種の発達障害の人には見極め困難かもしれないし、ある種の境界知能の人にはそういう混濁とした人間関係の複雑さは理解できないかもしれません。
それは本当に扱って良いのかというのも問題ではあります。
本人たちが扱ってほしい、それをカウンセリングのテーマにしてほしいと言っても「本当にして良いのか?」というのは職業倫理が問われる部分かなと思います。
それよりも現実的なマネジメントをしっかりしてあげて、安心した環境でまずは生活できることを目指した方がいいんじゃないか、というのもあるかなと思います。
5年、10年カウンセリングをやって、どんどん悪化していく一方とか、それで自分の人生がわかればわかるほど、現実への恐怖感、社会への恐怖感が増していき、自分で自分を傷つける行為が増えていってしまったらいけないわけで、そういう生々しい現実というものをどこまで彼らが理解する必要があるのか、というのは治療者側のセンスというか、価値観というか、思想もあるのかなと思います。
今回は、発達障害のカウンセリング、というテーマでお話しました。
心の多次元構造、どういう問題があるのか、一般的にどういうことが合併しているのか、ということは非常に大切なポイントなので。改めて説明してみました。
発達障害
2022.9.11