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精神疾患を診断される恐怖

00:00 OP
00:43 自分にもある?
02:43 患者さんの罪悪感
04:51 哲学的な議題にぶつかる

本日は「精神疾患の恐怖」というテーマでお話しします。

精神疾患と診断されること、精神科の病名が付くことというのは、やはり安心を与える一方で、恐怖を感じるものでもあります。
自分の中に狂気がある、人と違うものがある、人より劣っている部分があるということを告げられること、知ってしまうことはとても怖いです。
よくわかります。

自分にもある?

ちょっとネタバレにもなるのですが、『ブレード○ンナー』という映画があります。
どういう映画かというと、未来の話です。
アンドロイドを捕まえる役割の人がいて、それが主人公なんです。
事件が進むに連れて、最後に「自分もアンドロイドだったんじゃないか?」と気付いてしまうという話です。

僕も治療をしている中で、自分で「あれ、オレもこの問題があるな」ということに診察中に突然ビクッと気付いて、患者さんの言葉が急に入らなくなることがあります。

「あれ?オレも発達障害かも?」みたいな。
「あれ?オレもこれの問題あるな」
「オレもこういう親への怒りってあるな」
「罪悪感ってあるな」

組織への怒りや組織の悲しみ何でもいいんですけど、こういうものに触れた瞬間、僕もウワッとなって急に今まで見た世界が変わるような感じ、ウワッと怖い錯覚を感じます。

患者さんも同じ、もしくはそれ以上にこういう恐怖、自分が人間ではなくて妖怪だったんじゃないか、自分は人間じゃなくて人形だったんじゃないか、アンドロイドだったんじゃないか、という恐怖感はやっぱり味わっているんだろうなと思います。

こういう風に治療者が「あれ?これかも」と思わないために、逆転移の治療をしておきましょう、事前に治療を受けておきましょう、ということはとても重要だし、自己理解は重要ですよ、ということになるんですが、なかなか自分のことを100%理解するのは難しいです。
しかし治療者は日々そうしたことを感じ、訂正し、次の治療に活かして、ということをしています。

患者さんの罪悪感

患者さんも同じなんですよね。
患者さんは「自分は治らないんじゃないか」「自分は何か他者より劣っているんじゃないか」「障害があるということはどうなんだ?」ということですごく困惑します。
そういう形で生まれてきたことへの親、カギ括弧付きの『親』ですが、親への怒り、もしくは「こんな自分で申し訳ない」という罪悪感を感じたりします。

「こんな父親で申し訳なかった」
「こんな母親で申し訳なかった」
「お父さんが憎い」
「お母さんが憎い」
とか色々思います。

これにプラスして、恋人がいない、結婚していない、子供がいないなど、親への罪悪感や怒りを感じたりします。

親の方は「なにそれ?」という感じだったり、「あなたのことを別にそんな風に思ってないよ」ということも多いです。

今は結婚しないとか独身でいることや、子どもを作っていないことに対しての親からのプレッシャーや怒りというのは小さかったりするのですが、でもやはり本人はすごくウワーッという感じになります。
自分が精神科に通っていて申し訳ないという感じ、精神科に通わざるを得ないことへの怒り、申し訳なさを感じたりします。

もちろん、親側がそれを「行くな」とか「行きなさい」と言うと、親への反発という形で、精神科に通わなければいけなかった現実を自分で咀嚼する必要はなくて、親への反発で済むのですが、親からのそういう押しつけがない場合は、自分で処理しなければいけないので悩みます。

LGBTQの人も同じように親への怒りや罪悪感など色々感じたりしますが、似ているといつも思います。

哲学的な議題にぶつかる

とにかく精神疾患にかかる、自分が誰かと違うということに気付いてしまった時には、やはり哲学的な議題にぶつかることが多いようです。
自分のアイデンティティが崩れて失われます。

これまで信じていた現実、常識が崩れ落ち、新しい現実、自分を受け入れる必要があるし、創り出さなければいけなかったりします。

そこに柔軟性や創造性があると早く回復するのですが、柔軟性が乏しかったり、0から1を作り出すような創造力が弱い人だと、やはり治療が長引くという感じです。

こういう哲学的な議題にぶつかるときには、お金や資産、地位、SNSのフォロワー数、そういうものは、本当にちっぽけな問題になってしまって「いらない」となります。

臨床しているとよく思いますが、お金とかそういうものではありません。
自分が自分を認められるとか、自分の幸せはどういうものなのか、自分のやるべき道はどこなのかがわかっている。
それが崩れ落ちずに保てるということがどんなに幸せかはいつも考えますし、感じます。

こういうのは「いや、みんなあるよ」と言うかもしれないのですが、みんなないです。
みんなないです。
これはやはりみんなあるものではありません。

挫折と呼ぶにはあまりにも大きい喪失と呼ばれるものです。
みんなあるものではなくて、孤独と喪失をすごく味わうということになります。
喪失ということで、村上春樹によく出てくる羊男を描きました。

挫折というより喪失です。
この喪失の中で哲学的な議題に直面し、考え、そして0から1を作っていくという作業が精神科の臨床の中では求められてくると思います。

僕がよくこういう哲学的な議題をYouTubeで撮っているのは、益田がそういうことを好きだとか悦に浸っているからではなくて、やはり臨床的な話題なんです。

臨床で扱う話題は病気の説明、薬の説明、副作用の説明だったりするのですが、それ以外にもやはりこういう議題、治らないんじゃないか、劣っているんじゃないか、怒りや罪悪感も扱うべきテーマだったりするので、こういう話をしているということです。

でも一般の人にも面白い議題でもあるし、かと言って一般の人に向けているのではなく、やはり僕は患者さんに向けたある種のリアリティのある話題を提供しているつもりです。

今日は、精神疾患の恐怖、というテーマでお話ししました。
罪悪感とか、挫折、怒り喪失の話をざっくりしました。


2022.9.12

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