本日は「なぜ精神科医になろうと思ったのか」をテーマにお話しします。
なぜ精神科医になろうと思ったんですかとよく聞かれるので、毎回色々と答えたりしていたのですが、改めて自分なりに過去を振り返って、どうしてこういう仕事を選んだのか、どうして今こういう活動をしているのか、ということをお話できたらなと思います。
コンテンツ
転校が多かった
僕は子どものとき転勤族でした。
親の仕事の都合で結構移動していました、2年ごとに転校していました。
ASD傾向があるのかないのか、やはり人付き合いがうまくできませんでした。結構苦労しました。
転勤ばかりしてるから苦労していたというのもあるだろうし、実際にASD傾向みたいなものがあったからというのもあると思います。
言うことを聞かないし、長男だし、そういうのもあったと思います。
いろんなことが考えられます。
ただ、発達障害的なものが今はどうかと言われると、なんだかんだ言って障害と言うには軽すぎるので、ASD傾向は多少あると思いますが、人付き合いが苦手な人という感じです。
思春期
思春期に入る前のことはそんなに覚えていません。
何となくそんなこともあったんだろうなと思うくらいで、自分が思春期に入ってからのことしかしっかり覚えていません。
僕は90年代の後半ぐらいに思春期入ったので、90年代ぐらいの半ばぐらいかな。
少年犯罪などがすごく注目されたり、切れる17歳、オウム真理教、そういうものが注目された時でした。
バブルが崩壊して、まだ余韻が残っている時にどんどん世の中が悪くなっていく。
そして少年犯罪が起きている中、すごく世の中は暗くて、でも悪いのは子どもたちだみたいな。
だけど、子どもたちを育てた親も悪いんだよみたいな。
そういう責任の押し付け合いというか、世の中の空気が悪いなと思っていた時が、僕の思春期の始まりでした。
そういう中で、インターネットもその時始まったばかりで、インターネットがあるからこんな犯罪が起きるんだ、インターネットがあるから少年たちが不良になっていくんだ、いじめが起きるんだ、売春行為、援助交際が起きるんだ、そういう風潮もゼロではありませんでした。
僕はインターネットを通じて、エヴァンゲリオンのこの話はどういう意味なんだろうということを調べていく中で、精神分析に出会い学んでいました。
当時、忘れていたのですが社会学も読んでました。
よくわからないなと思いながら、社会学的なものも読んでいました。
世の中とはこうなんだ、と人文系のものも読んでいました。
ただ人文系のものは、僕は理系だったというのもあるのですが、あまり興味は持てませんでした。政治とかそういうものに。
その当時は特に持てなくて、どちらかというともっと自分の中にこもるような、自分のことを見つめるような精神分析や、そういう狭い世界のことに関心があったという感じです。
防衛医大
その後色々あって防衛医大に入るのですが、やはり世の中にもっと目を向けていくべきだ、お金がタダだなど、色々ありました。
防衛医大に行こうかなと思って自衛隊に入り、医者だし、いいかなと思って入りました。
そこから自衛隊のことも学んだり、精神医学のことを学んだりしつつ、ここではずっと居られないと思い、あまり評価もされてなかったですから、誰からも止められることなく辞めて、山田病院で働かせてもらった後に開業しました。
開業してコロナが始まり、YouTubeを本格化させたという感じです。
運が良かった
なぜ精神科医になろうと思ったか、と聞く人は、背景に僕にもっと心のトラウマや家族の葛藤、身内に誰かすごい不幸な人がいたなど、そういうものを期待されて聞くのかもしれないですが、意外と僕は、成功と言えるかどうかわからないですが、大きな挫折なくいけています。
運がいいというか。
YouTubeがなぜ成功したのかというと、運もあるし、運だと僕は思っているのですが、でもこの運に至るまでの知識や能力、才能、外見の見た目、体力などはもう運だろうなと思います。
なぜうまくいったかというと、そもそも精神科医が少なく、精神科医で毎日喋れる人はさらに少ないし、毎日YouTubeを続ける体力だってなかったりします。
ルックスの問題も別にすごい格好いいわけじゃないのはもちろんわかっていますけど、そこそこというのが良かったんだろうなと思います。
これが不摂生で太っていたらたぶん見てくれないと思いますから、まあそうなのかなと思います。
僕はもう才能とか運とか、色々なものに恵まれてたんだなと思わざるを得ないです。
患者さんを見ていて、やはりすごく悲しくなるし、不幸が続いています。
僕だって苦しいこと、不安や悩みがないわけじゃないんだけれども、やはり皆さんのものを見ていく中で、自分の持っているものはそんなに大きなものじゃないなと思います。
だからすごく語ることが難しいのです。
なぜ精神科医になろうと思ったんですか、と患者さんに聞かれたときに、「いや…」と思うのです。本当に難しい。
面白いことを続けられている幸運が僕にはあったからなんです。
ただそれだけだなんだと。本当に一言で表すのなら。
それがわかっているからすごく語ることが苦しいです。
益田先生は仕事の後に趣味とかないんですか、ストレス解消は何ですか、と言われるのですが、そもそも好きなこととか面白いと思っていることをやり続けているから、そんなにストレスは溜まってないのです。
お酒をやめるのは苦しくなかったですか、と言われますが、そもそもYouTubeを撮りたいというのもあって、もっとYouTubeを撮りたいとか、YouTubeにエネルギーを注ぎたい、精神医学を学びたい、という思いがあったからお酒をやめたというのもあります。
自衛隊にいたときはみんなも飲んでいたし、ストレスも溜まっていたし、若かった。
青春の時代があって、誰かと交流したり、皆といるときにお酒というツールがあって楽しく過ごしていたのだけど、開業してコロナが始まって自分の中での青春が終わって、人生の折り返しが来たなと思ったのです。
それはすごく思いました。
幸運を返していくフェーズ
コロナの前に僕は児童精神科の病院の先生と話をつけていて、週1でバイトに行かせてもらおうと思っていました。
まだまだ自分の中の精神医学がどんどん大きくなっていく感じ、発展していく感じ、ビジネスというかクリニック運営も、どんどん発展させていくイメージが実はありました。
ですがコロナをきっかけに、やはりそういうのは色々な問題があるし、感染の問題もあるからやめて、ビジネスを見直して、やることも変えたのです。
最初は受け入れ難かったのですが、今は受け入れられるようになりました。
自分の人生に折り返し地点が来て、この幸運を返していくフェーズに入ったなと思いました。
ノブレス・オブリージュというか、本当に自分の幸運を社会に返していく段階に来ちゃったんだな、と思いました。
これから学んでいって、児童も診られるられるようになって、自分が変わっていく。
自分の精神医学や見方が変わっていくということよりは、もう今まで蓄えた分をどんどん形にして出していくフェーズに入ってしまったということ、そしてそれによって世の中のために何かをしていく、ということに変わったということなんだろうなと思っていました。
語ることは難しい
日本でいえば、やはりこういうことを語るのは難しいなと思います。
自分は運が良かった、才能があった、環境に恵まれていた、不運も含めて。
僕も防衛医大というある種の無法地帯というか、好き勝手できる場所にいたところも含めて、自衛隊的な厳しさはあったけれど、医学界の人間関係やしがらみがないところで自由にできた。
もちろん、それを選んだというのもありますが、でもそういうところも含めて運が良かった。
その運の良さを語ることは、はばかられます。
謙遜しなければいけないし、能ある鷹は爪を隠すじゃないけれども、嫉妬を避けるような言動をすることがあります。
「僕は別にクズなんで」と、成功している人でさえそういう言い方をすることはあります。
自分も本当は弱気で、とか、常に病んでいるんです、とか皆言うけれど、やはりそういう言い方はあまりすべきじゃないなと僕は思っています。
それは実際、精神科の患者さんを見ているからだと思いますが、やはりもうちょっと気張ってよ、と感じます。
皆さんが苦しい、不安だ、孤独を感じている、というのは嘘じゃないと思いますよ。
精神科に通院していないけれど、そういうものを感じているのは嘘じゃないと思いますが、もうちょっと気張ってもいいんじゃないかなと。
逆にもっと成功している人たちは、運が良かったということを言ってもいいと思います。
尊敬される人物を目指すことが反発
でも一方で、尊敬する人を作ってもいけないという日本のどこか強迫観念みたいなのがあり、尊敬する人をもし作ってしまったら、優秀なリーダーを作ってしまったら、また戦争のような愚かなことが起きるんじゃないか、支配されすぎてしまうのではないか、カルト教団みたいになってしまうのではないか、という無意識的な不安が皆さんにあると思います。
そうと言えばそうかもしれないが、でもやっぱり尊敬していく、尊敬される人物を目指すということはとても重要だと思いますし、世の中にとって大事なことだと僕は思います。
逆に尊敬される人物を目指すことが、ロックというか、反発なのかなという気もします。
とにかく、なぜ精神科医になろうと思ったのか、という時にやはり語ることが難しいです。
それは運がよかったからだ、としか言いようがなく、運がなかった人たちに対して失礼だなという気がします。
ただ、精神科医というポジション、医師というポジションは皆さんにとって、ある部分においては尊敬する人たちであってほしいというものもあると思うし、僕もそうあるべきだと思っています。
だから気高い心を持って頑張っている、頑張りたいなと思っています、ということかな。
ということでした。
後なんだろう、喋っていないこと。
これ、取材用の動画です。
1回喋っておくといいですからね。
Q&A
Q: 人づき合いが苦手なんですか? 子供のときはどんなことを悩んでいましたか?
悩んでたことはやっぱりうまくいかない、誰と仲良くしたらいいんだろう、そういうことは常に考えていました。
何で自分の発言が良くなかったんだろう、空気読めてないと言われたんだろう、そういうのを思っていました。
Q: 中学生のときにインターネットを通じて精神医学や精神分析の考え方を知ったとのことですが、どんなときに何を調べて精神医学に出会ったのでしょうか?
エヴァンゲリオンのストーリーの考察サイトを見ていく中で、これはエディプス・コンプレックスだとかそういう言葉が出たときに、エディプス・コンプレックスって何だろう、と思って調べていったら、精神分析の考え方や社会学の話が出てきて、そこからまた精神医学の話に戻ったりとかそうので知りました。
Q: 何か変われるかもしれないと自衛隊への入隊を決意したとのことですが、なぜ自衛隊だったのでしょうか?
基本的には僕の偏差値レベルだと都心の医学部というと、東大は受からなかったと思うので、そうすると医科歯科か慶応かという感じでした。
お金の問題を考えると慶応は高いししがらみが多そうだなと思いました。
地方の医学部もしがらみが多そうだなと思いました。
防衛医大はタダだし、しがらみもなさそうで、あと軍隊というのもなんか面白そうだなと思って、結局、医師免許があればどこでもいいと思っていたところもあったから、自衛隊でした。
あと、フィールドワークみたいなものに興味があって、入っていって自分が変わっていくことも面白そうだなと思ったというのはあります。
Q: 防衛医大での寮生活はいかがでしたか?
楽しかったですね。やっぱり青春だよね。
同世代の友達がいて楽しかったなと思います。
僕は陰キャだから、陰キャの仲間がいて、男同士でワイワイするのが好きなんです。
陽キャで女の子と遊んだとか、どこかでBBQっていうのは全然面白くなくて、部室にこもってみんなで漫画の話とかする方が好きなので寮生活は合ってましたね。
合ってたんです。陰キャだから。
Q: どんなことに苦労したのでしょうか?
とは言っても陽キャの人たちもいるから、そういう人から目をつけられたりとか、陰キャのくせに目立つから。声でかいし。
そういう点でぶつかる、先輩から目をつけられるとかそういうのはありました。
そういう奴でした。
Q: 自衛隊での生活で悩んでいるのは自分だけではない。誰かのためになることで自分も幸せになれるんだと学べたとのことですが、なぜそう学べたのでしょうか?
やはり人が困っていることをやった方が評価されるからです。
自分がやりたいことを貫こうとしても評価されません。
今こういうことで困っているから、こういうことをやってくれる人いませんか、という時にすぐ手を挙げてパパッとやったらすごく評価されるんです。
そうすると自分も生きやすくなるし、自分の自由も利かせやすくなるので、ああそうなんだなと思いました。
自分のやりたいことをやっているときよりも、誰かのために何かしてるときの方が楽しいんです。
それは自衛隊の中でもわかったし、医者になってからもわかったので、自分の興味を追求するよりは今目の前に起きていること、人から求められていることを解決していくことのほうが続けやすいし、面白いなと思います。
どうせ僕もいつか死んでしまう、30年、40年後には死んでしまうのですが、自分の興味のあることを貫いても死後に何か残るとは思えないので、それなら困っている人を救った方が、その人たちが例えば若い人たちだったら、より自分が遺した作品よりも長生きしてくれる。そういう風に思います。
ということで、なぜ精神科医になろうと思ったのか、というテーマで動画を撮ってみました。
精神科医の裏側
2022.9.25