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神経発達症(発達障害)は医師でも見逃されやすい理由

00:00 OP
02:22 啓発不十分
05:19 ニューロダイバーシティ
11:51 優生思想
14:47 障害という概念
16:51 きちんと診断をしていく

本日は「なぜ神経発達症(発達障害)と診断されないのか」、ドクターからは発達障害のグレーゾーンだよ、こういう特性の傾向があるよねと指摘はされるけれど、「発達障害」と診断されないのかをテーマにお話しします。

発達障害は「神経発達症」と言うように変わります。
「発達障害」という言い方はもう古い言い方になります。
「障害」という言葉を使わずに、「○○症」と言おうとしているのです。

強迫性障害ではなくて、強迫症と言ったりしますし、いろいろな病気が「○○障害」というよりは、「○○症」という言葉に置き換わっていきます。

なぜ受診して「発達障害」と診断してもらえないのかをお話ししようと思います。
生活してもうまくいかないし、仕事が長く続けられない、職場でも人間関係がうまくいかない。
音が騒がしくて集中しにくい、忘れ物が多くていつも怠け者だと言われる、数学がどんなに勉強してもできない、漢字を覚えられない、いろいろあると思います。
そういう中で発達障害のことを知るんですね。

益田の動画を見て知った、いざ病院に行きました、診断してくださいと言うと、「君は違うねえ」とか言われる。
これはよく視聴者さんからコメントでもらったり、身近でもよく聞く話です。
なかなかドクターは診断してくれないことが多いですよね。

啓発不十分

実際、統計的にはどうかというと、ASD自閉スペクトラム症、ADHD注意欠如多動症、LD学習症は10%弱ぐらいいると出ています。
もちろんこれらは重複があるので、10%+10%+10%で30%の人が発達障害だというわけではありません。

大人になるにつれてだんだんほかの能力が育ってきて、ASDの特性が目立たなかったり、ADHDの特性が目立たなかったり、LDの特性が目立たなくなったりしますが、実際はこれぐらいいるということがわかっています。

国際的にも、いろいろな国でデータを集めると、だいたい10%未満いることがなんとなくわかっています。
これを見ている方が、人間関係に何度も何度も苦しんでいる場合、何度も何度も適応障害になっている場合、発達障害かもしれないと思った場合は、やはり発達障害である可能性はかなり高いのです。

なぜかというと、そもそも多いからです。
益田が名医だとか、益田はいい加減なことを言ってるとか、いろいろな感想を持つかもしれないですが、10%前後いるということはもうデータに出ている話なので、僕が決めたことでもありません。
まあ、そういうものだということですね。

だから啓発不十分なんですね。
世の中の人はよくわかっていなくて、「うつ病」はだいぶ一般化して、うつ病と診断することには抵抗感がなくなったドクターはたくさんいます。
ですが、発達障害と診断することに抵抗があるドクターはたくさんいるみたいです。

僕はうつ病、双極性障害、統合失調症というのはやはり慎重に診断を付けるべきだと思います。
発達障害の方がまだパーセントも多いし気軽に付けられるというか、気軽につけちゃダメなのですが、付く病気だなと思います。
ですがまだまだ慣れてないんだろうなと思います。

世間はまだこういう特性がある人のことを「甘え」だとか言うんですよね。
忘れ物するのは甘えだ、人の立場に立って考えられないなんて失礼な奴なんだとか言うのですが、そうではなくて特性なんですよね。

すごく意地悪なことをしているとか、我慢が足りないとか、人をバカにしているから失礼な態度を取ってやろうとか、そういうわけではなくて特性なのです。

ニューロダイバーシティ

これから科学が進んでいけば、ニューロダイバーシティという発想に移っていく可能性があります。
ニューロダイバーシティとは何かというと、脳の特性が違うということです。
人それぞれ違うということです。
異なる感性を持つ人がいるということを理解していこうよ、というのがニューロダイバーシティです。

ニューロは神経。ダイバーシティは多様性、ということです。
これはもともとLGBTQ、性的マイノリティーの人たちが、自分たちは障害ではなく個性だ、生まれ持った特性なんだということで、社会に認めてもらっていったという背景がありますよ。

そこから見習って、ASDやADHDの人たちがインターネットを通じて集まって、自分たちの特性というか、受け取り方が他の人と違うんだよということを皆にわかってほしいというところから発しているという感じです。

この話をするとよく「そうだよね、みんな人それぞれ違うもんね」「いや、僕にもそういうものってあるよ」と言ったりします。
それはちょっと違っていて、皆それぞれ違うと言えばそうですが、発達障害の人たちは結局マイノリティーなんですよね。

マイノリティであることは事実なので、皆それぞれ違うと言うと、メジャーの人たちの中でも多様性はもちろんあるのですが、そことは離れたところにまたちょっと違うマイノリティーとしての人たちがいるわけです。

皆それぞれ違いがあるよねというと、この多様性というか少数の人たちを無視することにもなるので、そういうのはちょっと違います。
ここが毎回毎回喋っていても、「ああ、そうだよね」と思ってくれる人もいれば、何度も説明しても通じない人も結構います。

集団の多様性や人類の多様性ということを考えたときに、集団の多様性や生存率を上げるためには「異なった感性」を持つ人たちがいることが結構重要なのです。

皆が他人の立場に立って考えたり、相手の気持ちに敏感だったりして、相手に合わせたりするとダメなんですよ。
集団が混乱しやすいので、相手に左右されないとか鈍感な人たちも一定数いないといけないし、人と違ったことをする人たちがいないとイノベーションは生まれません。
そういう人たちを1割ぐらいつくろうよという神様の考えというのは、なかなか興味深いというか、理にかなっているなという気がします。

そういう多様性があった上で、特性というのは甘えじゃないんですよね。
同時に、才能でもなく、特性です。

僕はよく運・不運と言っているのですが、甘えとか才能とかそういう水準で語られるものではなくて、もっと人間というものを動物的に考えたときにわかる何かなのです。

僕もやはりAS特性があるんですよね。
自閉的なところもあるし、ADHなところもあります。

学生の時とかね、防衛医大とかひどいんですよね。
ひどい言い方で悪口を言われたりしました。
「益田は白アスペだからまだいいんじゃない? いい奴なんだよ」とか言われたりして。

白アスペって何ですかと言うと、「アスペの人には白と黒がいて、白っていうのは性格がいいアスペのことで、黒アスペっていうのは性格が悪い奴のことを言うんだよ」とか言って、「何々科のナントカ教授は黒アスペだが気をつけろよ」と言われたりしました。

今も益田先生は熱心だねとか、素直だね、誠実だね、謙虚だねと言われるのですが、これは特性だと僕は思っています。
素直だというのは美徳なのですが、一方で裏表が作れないという特性なんですよね。
年をとったから多少はできるのですが、まだまだ演技力は不十分ですし、謙虚というのも僕は謙虚という言葉ではなくて、何かあんまり興味がないんですよね、単純に。

親しみやすいと言うかもしれないけれど、ただあまり関心がないというか、そういう感じなんだろうなと思いますね。
それがあるところに行ったら美徳になるし、あるところに行ったら短所になったりします。

空気が読めない、敬語を使えない、失礼な奴だとか言われます。
そういうものなんですよ。
だからよくわかりますね。

どうして僕が自分のことをAS特性やADH特性と言っていこうかなと思ったかというと、フフランクに使っていかないとニューロダイバシティーという発想は世間に浸透しないなと思ったので使うようにしています。

信州大学の本田先生も同じようなことを仰っているので、自分も言っていこうかなと思っていますね。
医者には多いですよ、やっぱり。
勉強ができるというのは努力の成果とか、才能があるというのではなく、特性だったりすることも多いです。
だから自分で偉そうなことを言うよりは、運が良かったんだなと思った方がいいと思います。

ニューロダイバーシティーという観点に立つと、ASD、ADHD、LDというのはもっと診断されてしかるべきだと思いますし、もっと助けてもらう、合理的配慮を受けるべきだと思いますが、なかなかそこまで世間は至っていないのかなと思います。
国際的にもまだまだ理解されていない発想だなと思います。

優生思想

対を成す概念というわけではないのですが、もう一方で、人類の悪い歴史としては「優生思想」というものがありました。

これは19世紀末ぐらいから出てきました。
ダーウィンの進化論が出てきたあたり、精神医学というものが出てきたあたり。
聖書の教えというものを信じなくなってきて、より科学的に人間を見たときにすぐに生まれた思想です。

障害者はダメだ、知的な問題や障害がある人、精神障害がある人は、言ってしまえば子どもを産むのをやめさせようという発想です。そういうものが出てきました。

日本も1948年から1996年までは優生保護法があり、障害のある人の保護者は彼らの子どもを産む権利を奪ってもいいというか、堕胎を許可してもいいというものがありました。

恐ろしいですよね。
96年ですから最近です。本当にそういう感じでした。

優生思想的な発想というのはすぐ思いつく発想なのです。
ちゃんと勉強しないと、きちんと科学的なリテラシーがないと容易に思いついてしまう発想ですし、容易に差別に至る発想です。

人間も動物でしょ、動物ということは弱肉強食でしょ、ということは弱者は別にいらないよね、みたいな発想です。
精神科の患者さんも「自分たちはいらないんじゃないか」と優生思想に染まりやすいです。

正しく学ぶ、歴史を学ぶ、新しい発想でいくということはとても重要なのですが、そうしないと安易な思想に染まりやすいし、すごく古臭い考え方に支配されやすいんですよね。

あまり発達障害と診断しないと、優生思想になってはいけないと思って、「障害」と付けるのはやめておこうとなりがちなんですよね、という話です。
ニューロダイバーシティの観点に立てば、もうちょっと診断の幅が広がるのではないかと思います。

障害という概念

「障害」という概念が、日本の場合は福祉の対象というイメージもあります。
障害年金などの福祉の対象となっていくんじゃないかと。

日本において障害者というのは人口の1割ぐらいの弱者のことを指すという、ベースの思想というか感覚があります。

究極的に言ったら生きやすい人はいないので、何かしら困るんですよ、生きていくためには。
ちょっと苦労をしなければいけないので、その中で特に苦労している1割ぐらいの人は障害者なんだろうという形でやっています。
精神疾患の場合は1~2%、ある特性の中の極端なものの1~2%位は障害という形にしよう、知的障害も1~2%。
ASDやADHDも特性ですから、忘れ物が多い上位の1~2%、人とコミュニケーションを取りにくい上位の1~2%の人を障害という形にしようとやっていたのですが、ナントカ症という形でニューロダイバーシティの観点に立てば、10%くらいは傾向としてあるし、もうちょっと診断の幅を広げても良いのではということになるのかなという気がします。

いろいろな言い方があるし、いろいろな兼ね合いがあって決定的な何かというのはなかったりします。
日本の中に誰かすごい偉い人がいて、その人が「私はこういう方針で行く」という形で決まるものではないので、なんとなくいろんな思想、雰囲気、流れとか、いろいろなもので決まっていって、だんだんこういう流れができてくると思います。
でもこういう背景があるんじゃないかなと個人的には思います。

きちんと診断をしていく

僕はやはりきちんと診断をしていくことは重要だと思います。

神経発達症というか、ASDとしてD(障害)までつけるのか、それともAS特性があるグレーゾーンだねという形にするのか、それはまだまだどちらが良いのかわかりませんが、きちんと評価をすることはとても重要だと思います。

Q:なぜ適応障害を繰り返すのか?
その人が生きづらくて何度も休職している、何度も転職している、その度に適応障害になっていると考えるときに、それはなぜかということです。
毎回運が悪いのか、それは考えにくいですよね。
繰り返すということはもしかしてうつ病なのかと言うのですが、うつ病ともちょっと違う。
であれば、やはり特性のことは考えないといけないと思います。

Q:子供の頃に診断されていない(ことなかれ主義)
あとは事なかれ主義みたいなところがあります。
子どものころに診断されていない、子どものころは普通級だったとか、それで診断されていない。自分は診断するつもりはないと。

あと夫婦関係はうまくいってるからいいじゃないかとか、仕事は続いてるだろう、奥さんとも離婚していないから障害じゃないんじゃないかと言ったりします。

でも実際よく聞いてみると、親が宿題を代わりにやっていた、さんざん課題を忘れていてかろうじて進級させてもらった、実は算数の九九ができなくて国語と英語だけで受験を通した、授業中は電卓を使うのを許可してもらっていたとか。
夫婦関係だってうまくいっているのではなく、奥さんの側がすごく我慢していたとか。
いろいろあるわけです。

だからことなかれ主義でやるのではなくて、言い訳をするのではなくて、ちゃんと患者さんを見なさいよというのもあります。

Q:本人・家族が望んでいない
あとは「いやいや、そうじゃなくて、本人や家族が望んでいないんだ」という言い方もすることがあります。
本人や家族も望んでいないからそういう診断はしなくていいんじゃないの、言う必要はないんじゃないの、それをこちら側が障害と言うのは失礼じゃないか、と言うかもしれません。

Q:薬が怖い
この人のレベルだと薬は使わない、薬も副作用があるから診断する必要はないんじゃないか。
そもそも自分の地域では合理的配慮をもらえる可能性はない。
福祉も障害者手帳3級のレベルには該当しないただの特性なのだから診断する必要ないだろう。
いろいろな言い方があると思います。

そういうことで診断しないパターンもあるとは思いますが、結局僕らはよく思うのですが、科学者ですから。
科学者として医学、生物学的に正しいことをやっていくべきなのではないかと思います。

脳には特性があることがわかってきているわけだし、人口の中でこれぐらいいるとわかっているわけだし、言わなきゃダメだよね。
常識や偏見を重視するのではなくて、基本的には医学や科学に忠実でなければいけない。
そして正義とは何か、福祉とは何かというときに、金融や数学的に正しい分配をするということだと僕は思っています。

常識や偏見で決めるものとかではなくて、やはりちゃんとロジカルに、理性的に考えていく必要があると僕は思っていますね。

いろいろな事情があると思うんですよね。
ただ不安障害の人が、「自分はこの病気なんじゃないか」と思って、発達障害ではないのに発達障害だと思い込んでいるケースは少なからずあると思います。
うつ病の人で、心気妄想じゃないけれどもいろいろな病気を自分に当てはめていって、これじゃないかと思っているケースもある。
双極性障害の人にしても、統合失調症の人にしても、境界性パーソナリティ障害の人にしても、そういうのはあるとは思います。

もちろんそういうのもあると思いますが、もう一回診断基準というのはしっかり見直して、常に発達障害を疑うという目線で患者さんを見ていくことも重要だと思います。

やはり合理的な配慮を受けるとか、誤解を解くということは患者さんにとって生きやすくなるんですよね。
自尊心が落ちるだけじゃないかと思っている人も多いのですが、そんなことはありません。

診断をしっかりして薬物治療をすれば、今までできなかったことができることもあります。
診断がつくことで今まで家族に誤解されていたのが、誤解が解けることもあります。

合理的な配慮を受けることで、授業中に電卓を使える。
教科書を見てもよくわからなくて、ぼーっと過ごしてた時間が、音声を聞けるようになって楽になる。
試験時間が短くていつも最後まで答案を書けなくて低い点数を取って、自分は頭が悪いんじゃないか、ダメな奴なんじゃないかと思っていた子が、別室で雑音が少ないところだと集中しやすくて、試験時間を延ばしてもらうことでうまく解けるようになり、皆と同じような点数が取れるようになってきたらハッピーになるかもしれない。
いろいろなことができるのです。

もちろん場合によっては障害年金とかそういうところにも至ると思うのですが、診断をするということは悪いことではありません。
科学は素晴らしいものなので、きちんと診断してもらえたらなと思います。

これは誰に向けての動画なんでしょうね、変な動画になっちゃいましたけど。

いや、科学が優生思想を生んだんじゃないかと言われそうですが、それは原始的な科学であって、どんどん素晴らしい発想に切り替わっていきますから、Dr. Stone的な感じです。
皆さんも、ニューロダイバーシティーの発想に協力してもらえればなと思います。


2022.10.2

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