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精神疾患は甘えではない 精神医学概論②

00:00 OP
01:55 精神疾患:遺伝子+環境
07:11 不運の連続
11:06 社会適応の範囲
12:25 気の持ちようも強い
13:15 ニューロダイバーシティ
14:20 必ずしも森の中に戻る必要はない

本日は「精神疾患は脳の病気なのか、それとも甘えなのか」というテーマでお話しします。

精神疾患のことを認めない、精神科はインチキだ、俺は心の病気なんてないと思っている、お前は違う、嘘つきだ、と言ったりする人は一定数います。
僕の感覚ですけど、体感的には3割くらいいるんじゃないかなという気がします。

医学部の同期でも、精神医学はよくわからない、あんなの嘘だ、と思っている人もいました。
医学をあれだけ学んでいても、まだまだ人間の心というのは脳が生み出している、脳というのは人間の臓器の一つでしかない。心臓や胃、腸と同じように病気になることもあるし、使い過ぎたらヘタるということがわからないという人たちが一定数いるみたいです。

人間の心というのは、脳が生み出している活動の一種、一部分でしかないけれども、それがなかなか認められない、認めにくいということがあるようです。
天動説/地動説、神様がいる/いないと似ていて、なかなかですね、神様がいないといったらあまりよくないですが、そのまま見ることが難しいみたいです。

なぜあるがままに見れないのか、なぜ我々は信じたいものを信じてしまうのか、信じたい、信じるがままに世の中を見てしまうのか、ということは、人間の脳のある種の仕組みというか特性としてあります。

精神疾患:遺伝子+環境

精神疾患というのは本当に身体だけの病気なのかというと、そういうわけではなく、やはり社会的に生み出されるものでもあります。
だからわかりにくいのです。
だから甘えなんじゃないかと思ってしまうわけです。

つまり、精神疾患というのは遺伝子と環境の合わせ技によって発症するということがわかっています。
遺伝子というのは、生まれ持った脳の特性だったり、体質だったりします。
人によって脳の特性は違います。

賢い子もいれば賢くない子もいるし、運動神経がいい人もいれば運動神経が悪い人もいます。
運動神経というのは小脳の働きなので、小脳の働きが良い人がいれば、小脳の働きが悪い人もいる。
それはわかりますよね。

器用な人もいれば、器用じゃない人もいる。
喋るのが上手い人もいれば、下手な人もいる。
感情のコントロールが上手い人もいれば、下手な人もいる。
生まれつき違うのです。

子どもを見たら明らかじゃないですか。
5歳や10歳の子どもが努力をしたから賢くなった、努力をしたから運動ができるようになった、努力をしたから喋るのがうまくなった、感情コントロールができた、とは思わないです。

努力していないですよ。してるとは思いますよ、多少はね。
2~3年はやってるかもしれないけれど、そんなの大した差はないです。
それくらいの年齢だったら努力によってそんなに差は開かない。

生まれ持った差があるということです。
生まれ持った差でしかない、才能でしかないんです。
それをなかなか認めにくいみたいですが、そういうものがあります。

人類の歴史上ずっとそれは議論されているのです。
生まれの問題なのか、育ちの問題なのかというのは、ずっと議論されていた話でもあるので、一般の人もすぐにすんなり受け入れられないというのもよくわかるのですが、でもありますよ、ということです。

育ちの問題というのも、もちろんあります。
生まれの問題だけじゃなくて、育ちの問題というのもあって、環境要因というのも精神疾患の発症の要因となります。
遺伝だけの問題では説明がつかないし、環境だけの問題でも説明がつきません。

環境とは何かというと、ストレスの問題だったり、精神的な疲労がどれぐらい蓄積されているか、という問題でもあります。

あとは記憶です。
どういう生い立ちなのか、どういう学習経験があるのか、どういう風な常識に捕われているのか、ということです。

やはり虐待を受けていると、幼少期の記憶がグチャグチャになってしまいます。
人間とはこういうものである、無償の愛情をくれるものである、人間というのはやさしいものである、という何となくの前提が崩れてしまうのです。

虐待を受けている人が愛情がないかというとまたちょっと違うのですが、無償の愛を受けて、取引のない愛情を受けて大事に育てられると、やはり人間というのは悪くないものなんだな、いい人なんだな、社会ってそんな悪くないな、人に甘えてもいいんだな、ということが常識として身についた上で社会生活を送ることができるので、ストレスを感じにくいのです。不安を感じにくいというか。
多少嫌なことがあったり苦しい思いをしても、ストレスが少なくて済むのです。

逆に子どものときにガッツリやられてしまうと、何か嫌なことがあるともっと嫌なことが起きるんじゃないか、もっと嫌なことをしてくるんじゃないかと警戒心が半端ないのです。
普通の人だったらちょっと感じる疲労感も、そこでガツッとやられてしまうと、10感じるべきところが200も300もあるわけです。

そうすると疲れてしまいます、警戒するから。
また殴られるんじゃないかとビクビクしながら生活するとキツいので、うつになってしまうということなんですけれど、そういう問題があったりします。

脳の特性や体質に関しては薬物治療が有効ですし、環境要素に対してはカウンセリングです。
あなたは幼少期にガッツリやられたかもしれないけれど、それは特殊なケースであって、多くの人はそんなことないんだよ、ということを伝えていく、理解してもらう。体感的に理解してもらう、情緒的に理解してもらう、ということをやったり。

あとは場合によっては福祉導入。
とりあえず今は働ける状況じゃないから休もうよ、お金の不安があるなら、お金を社会からいただくことでゆっくり休みなさいよ、ということもできます。

精神疾患というのは脳病なのか甘えなのかということですが、脳の特性と環境の合わせ技で決まる、ということになります。

不運の連続

社会的要因で決まるという話なのですが、結局、環境の要素を考えていくと、「不運」が重なることで病気を発症します。

健康な人たちというのはいて、森の中にいます。
森の真ん中を目指します。
リア充になりたい、より豊かになりたい、より幸せになりたいと真ん中を目指すんだけれども、ポンッと外れてしまう人たちというのがいます。森の外に放り出されてしまう人たち。

生まれつき体が弱い、生まれつき能力が低い、虐待を受けていた、不幸な事故に遭ってしまった、そういう人たちです。
そういう不運のところにいる。

この不運な状態がどんどんどんどん積み重なると、ついにストレスがたまりにたまって病気を発症することになります。
精神科の問題はこの不運の連続によって病気に至ることが多かったりします。

病気がちょっと良くなっても、不運に戻るだけなのです。
だからまた病気へ戻ってしまう。また嫌なことがあったりすると。

虐待を受けていた人たちが死にたい、死にたいとなってうつになってしまった。
休んで薬を投与されて不運に戻る。
まあ死ななくてもいいか、ちょっと頑張ってみよう、もう一回頑張ってみよう、となる。

だけどやはりまた嫌なことに遭うわけです。
人間は生活していたら嫌なことは絶対ありますから。

やっぱりそうじゃないか、また起きちゃったよ、と言って、不運が不運を呼んで病気へ行ってしまうことになります。

良くなっても不運にしか留まらないので、どうやって森に戻るのかということを考えなければいけないのです。
それがカウンセリングだったりします。
薬物治療ではなくカウンセリングだったり、そういうことになるのですが、なかなか今の日本の医療体制ではカウンセリングをして不運から森に戻るのは難しかったりします。

不運にいる人たち、という苦しみが多くの人には理解できないのです。
なぜかというと、心とは脳であるということも理解できないのですが、それ以上にこの不運の連続というのが想像できないのです。

サイコロを振ったときに6が連続10回出るみたいなことは想像できないです。
そんなこと起きないと思うじゃないですか。
6が連続で3回なんかはほとんど出ないから、そんなものないと思うわけです。
ほとんど起きないことは「ない」と思う。

でも日本人は1億2000万人もいますから、6が10回出る人もいれば6が5回連続で出る人もいるわけです。
人口の何%はいるわけです。
そういう人たちなんです、精神科へ来る人たちは。

自分たちはそんなに出ないじゃないですか、何度振ったって。
連続で10回6なんか出ないだろう、と。
お前嘘をつくな、と言われてしまうんだけど、嘘じゃなくて本当なんだよね。

これまで見たことがないから想像できないし、信じられないんですよ。
でも重なっているのです。
虐待があり、家族の問題があり、家族の不運がつながって、先祖からの不運が最後の自分の代で発散してしまったみたいなことってある。これは理解されません。

社会適応の範囲

あと重要なポイントがもう1つ、社会適応の概念というのは時代によって変わるのです。

昔は長時間労働が耐えられない人たちがうつになっていました。
残業が長いとか長時間労働、あと気の弱い人ですね。
パワハラに遭いやすかったりする人、パワハラを受けたら傷つきやすい人たちがうつになりやすかったのですが、最近だとITの進歩によって業務がどんどん効率化しています。
残業は良くないという形で残業させてくれなくなりました。

上司はパワハラとか言われたくないから、熱心に教える人が減ってしまったのです。
その結果、処理速度が遅い、仕事が遅い人、コミュニケーションが苦手な人、自分から上司に聞けない人たち、周りの空気を読んで行動を変えることが苦手な人、自分の概念を変えるのが苦手な人、スピード変化についていけない人がうつっぽくなるようになってしまいました。

時代の変化によって適応の範囲というのは変わります。
最近だと発達障害のグレーゾーンの人たちが結構うつになることが多いです。
ということがあります。

気の持ちようも強い

とは言いつつ、「気の持ちよう」というのも嘘ではなくて、気の持ちようというのも結構強いです。

例えば、上司がもうパワハラがひどくてボコボコ部下を殴るようなタイプ。今時はほとんどいないですけどたまにいます。そういうところだったら気の持ちようじゃ済まないですよね? ぶん殴られてるから。

だけどちょっと嫌味なことを言われるというか、雰囲気を出しているぐらいだったら、気の持ちようで変われます。
そういうものってあります。
認知の問題で解決できることもありますから、そういう意味ではカウンセリングもとても重要かなと思います。

ニューロダイバーシティ

あとはニューロダイバーシティという発想をしっかりみんなが理解していくことも重要です。
生まれ持った脳の特性は全然違うのです。

LGBTQの人たちは生まれ持った特性で恋愛対象が異性ではありません。
性的マイノリティーの人たちは単純な異性ではなかったりします。

精神疾患も同じような形で、普通の人たちよりも不安を感じやすい人だったり、普通の人たちよりもコミュニケーションが苦手だったり、マジョリティの人たちよりも特性が強い人たち、というのがいます。

そういう「違い」というのも認めていく、そういう存在があるということ、人類はそういうバラエティに富んでいるということを理解し受け入れつつ治療していく、社会適応の範囲を広げていく、互いに助け合っていくことが重要なのかなと思います。

必ずしも森の中に戻る必要はない

別に不運にいる人たちが絶対森の中に戻る必要はないと思うんです。
全員が全員戻れるわけじゃないと思います。
カウンセリングをしたからって全員が戻れるわけではなく、やはり福祉の力を借りながら、ちょっと社会から離れたところで暮らす人たちがいてもいいと思いますし、そういう人たちも認めるべきだと僕は思います。

僕自身もある意味、森の外にいる人なんです。
その一人だと僕も思ってます。
医局というものや日本の医学界、精神医学界とはちょっと外れたところにいます、僕は。

精神科というのがそもそも医学の中では外に出ているような存在だし、その精神医学の中でも僕はちょっと外れ者ですから、森の外にいる人たちの気持ちもよくわかるんです。

でも卑屈になる必要はなく堂々と生きていればいいと思うし、自分ができる範囲の中で世の中のために何かをやる、社会貢献できることをやる、社会からの恩恵を受けることはいいと思います。

働きアリの法則と一緒です。
アリの中でみんなが働くわけじゃないです、休んでる人たちもいる。

休んでいる人たちだけ集めたら、休んでいるアリの中の何割かはまた働きアリに戻って何割かは働かなくなるし、働いているアリだけを集めてもみんな働くかというと、結局は働く側と働かない側に分かれてしまうのです。

人間の社会もそうなので、必ず森の外というのは出てきますから、たまたま運が悪くて森の外側にいるんだということを受け入れつつ、互いに助け合いながら生きていけばいいんじゃないかなと思います。

本日は脳病なのか甘えなのか、というテーマでお話しました。


2022.10.15

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