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正しい叱り方、指導法。正しく大人から叱られたことのない私

00:00 OP
03:16 感情的に怒られる
04:09 ロールモデル不在
05:10 あの人だったら…
05:56 治療者を取り込む

本日は「正しい叱り方、指導方法」というテーマでお話しします。

叱り方や指導法がわからないんですね。
わからないのはなぜかというと、正しく大人から叱られたことがないからだ、ということです。

こういう人たちはどうしてよくわからないのか、そしてどういう風にすれば、正しい叱り方や指導方法を身に付けることができるのか、ということをお話しします。

これは自助会の人からもらった動画のリクエストです。
ちょっとリクエスト内容を述べます。

『叱る、怒るというものをヒステリーを起こす、怒鳴って訴える、という手段で表す大人たちの間で育った人間は、正しく叱る、怒るということを知りません』

なるほどね。
親がヒステリックに怒ったり怒鳴って訴えるということですよね。

『他の家庭を見たことがないためです。
これによって自分の意志、能力とは無関係に人間関係を損なってしまいます。
理論的に冷静にという手段を本来ならば取れる人であっても、知識として持っていなかったために、正しく叱る、怒るをできない人がいると思います。
そのような人々のために、叱る、怒るを正しく学べるようなものを希望いたします。
叱り方、怒り方を知らなかったがために、大切な人間関係を壊してしまう人がいなくなりますように。ご検討いただけると嬉しいです』

はい。
子どもが入ってきちゃいましたけど、そんな感じですね。

感情まかせで怒った両親だったみたいです。
ちょっとおかしいな、と気付けたのは30代半ばということです。
それで後悔しているということのようです。

何かテーマと合ってましたね。
子どもが出てきて動画の撮影中、邪魔されるということが起きましたけど。

感情的に怒られる

どんなことかというと、母親ないし父親が感情的に怒っちゃうということです。
ワーッて、何か悪いことをした時に「何で壊すの!」とか「何で言うことを聞いてくれないの!」という形で怒ったり泣いたりする感じです。

怒鳴る、殴られるみたいなことがあって、迷惑かけないでとか言われたり、死んでしまえというのがあったりします。

子育ては涙と汗が入り交じるのでそんな単純にできないですけど、それでも少しでも感情をコントロールしていこうとか、自分中心で考えるのではなくて、子ども中心で考えるということはやっていかなきゃいけない。

自己中心性の放棄をしていく。
母親役割、父親役割をしていくということは大事です。
なかなかできないですけどね。
できないけれど大事だということです。

ロールモデル不在

その結果ロールモデルが不在なんです。
どういう風にやればいいのかというのが、自分の中でイメージがつかないか、全然できない。

サッカーでいいプレーを見たことがないから、練習してても上手いシュートの蹴り方がよくわからないという感じです。

ただルールだけを教わって練習していると上手くなりません。
サッカーだったら、サッカーの試合を見たり、一流の選手のプレーを見たり、動画で見たりしないとなかなか上手くなったりしません。
そのため正しい叱り方がわからないということだったりします。

あとは感情をコントロールすべきだったり、役割を果たすべき、という発想がそもそもない。
あったとしても拒否したりしているということです。
昔やられたことと同じようなことを部下や誰かにやってしまっているということです。

正しい指導方法、叱り方

正しい指導の方法や叱り方は何かというと、理論ができています。

コーチングだったり、ティーチングだったり、アドバイスだったり、カウンセリングの技法だったり、色々なものがあり、体系もできています。
部下とのやりとりやビジネス的な観点であれば、こういう技法を利用してもらえばいいと思いますし、子どもがある程度大きいのであれば、コーチング、ティーチング、カウンセリングの技法を応用していくことができると思います。

ただ、なかなか子育ても難しいですけど、小さいうちは小さいなりにやればいいので、ある程度成長して脳が大きくなってきて前頭葉でモノを考えるようになったら、そういうのを活かしてもらえばいいんじゃないかなと思います。

あの人だったら…

結局、知識でわかっていてもなかなかできない、自分の感情に取り込まれてしまう、自己中心的になってしまう、ということですよね。
記憶がなかったり、知識を詰め込んでもなかなか定着していかない、ということがあります。

この手のものというのは知識ではないんです。
知識じゃなくて、この時あの人だったらどう考えるのか、あの人だったらどういうプレーをするのか、ということが大事なんです。

サッカーや運動も一緒なんですけど、このときにこういうプレーをしたら効率がいい、ということよりは、こういう場面にあの人だったらどう動くんだろう、あの選手だったらどんな風なパスを送るんだろう、もしくはドリブルをするんだろう、ということを考える方が結構大事なんです。

なぜかというと、人間というのはコンピューターと違って、アルゴリズムをインプットしていくよりは、ロールモデルを取り込んだ方が応用が利きやすいからです。
本で読むよりも、動画で喋ってる方が頭に入りやすいじゃないですか?

美徳や美意識というものは何かというと、憧れた人間のことなんです。

憧れた人間像が鮮明であればあるほど、それが一人だけじゃなく複数いれば本当に適切な行動は取れるし、あの人だったらどう動くんだろうということを考えると本当に動きやすくなったりします。

逆に、最初に取り込んでしまったロールモデルが上手くいってない、一番最初に見た人間というのは親ですから、その親がきちんと機能を果たしていない時には、やはり最初に挫かれてしまうので、成長が上手くいかないこともあったりします。

治療者を取り込む

治療の中ではどうやってロールモデルを見つけるかということなんですが、ひとつは治療者を取り込むんです。

どこまで行っても臨床場面においては治療者の役割は大きくて、主治医だったりカウンセラーだったり、治療者の影響をかなり受けます。
だから治療者というのは、やはり倫理的じゃなければいけないんです。

これは「そんなこと言わないでくれよ」と言われるかもしれませんが、やはり先生と呼ばれる人たちというのは倫理的じゃなければいけないんです。
それは学校の先生も同じで、子どもたちと接する仕事の人は、やはり聖職者と呼ばれるだけあって、歴史の中では言われているじゃないですか、聖職者と。

まさにそうなんです。
本当に倫理的である、正しくある、ということが、子どもたちの成長や患者さんの成長や変化にとても重要だったりするので、理屈じゃないんです。本当にそう思います。
これはもう歴史の中や、文脈の中から明らかで、それはなぜかというと、人間がそういう風にできているからです。

それは酷じゃないか、先生だって人間じゃないかと思うかもしれませんが、そこは歯を食いしばらなきゃいけない。
それは母親役割や父親役割、母親や父親がちゃんと振る舞わなきゃいけない、子どもの前では。
それと同じように、先生と呼ばれる人たちもやらなければいけないというのがあります。
だから目の届かないところで、しっかりガス抜きをしてあげなければいけないということになります。

ということで、今回は正しく大人から叱られたことがない私、というテーマでお話ししました。


2022.10.22

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