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「死んだら無」を噛み砕いて教えてほしい

00:00 OP
01:12 それはわからない
05:39 人間の2つの側面
08:18 死の本能

本日は、「死んだら無」をかみ砕いて教えてほしい、というテーマでお話しします。

これも自助会の人からの動画のリクエストで来ました。

『身近な人を失ったときに、人はどのような反応を示し、回復に向かうのか。
グリーフケアについて解説しますの動画はすでに観ているんですが、もう少し踏み込んだものをリクエストします』

グリーフケアについての動画は以前撮ったことがあるので、それを見てくれたということですね。

『死んだら無をもう少しかみ砕いて教えてほしいです。
そして、身近な人の死を科学的に理解するというのはどういうことなのか。
それをふまえて、遺されたものはどう振る舞うのが最適なのか。
しんどくても長い目で見て目指すべき心持ちについて教えてほしいです』

というリクエストが来ました。

それはわからない

結論を先に言いますけど、そんなものわかりません、ということです。
どういうことなんですか、死というのはどういう風に受け止めるべきなんですか、臨床上どういう風に扱われているんですか、その価値観とは何なんですか、気になると思います。

確かに僕らは特殊な生活をしています。
人の死に関する生活をしています。

救急の先生、外科や緩和ケアのドクターと違って、僕なんか死に触れることは少ないです。
精神科医ですし町のクリニックなので、いわゆる直接的な死を扱うことはないんです。
でも中には事故に遭うとか自死される方もいますし、そういう人、そういう家族もいらっしゃいますから、常に毎日死について考えないことはないという生活を送っています。

僕らドクターの間では、どういう風にその死を受け入れたり、価値観として落とし込んでいるのか、そしてご遺族の方はどういう風に振る舞っているのか、その正解はあるのか、どういう風に普段から考えていけばいいのかと思います。

僕も医師になることを決めたとき、受験生の頃かな、受験生の頃にどんな仕事に将来就くのかということを考えたときに、当時は終身雇用制だったんです。本当に一生の仕事というのが、今よりも遥かに窮屈に決まっていた時代だったんです。

その中で医師という仕事をどうして僕が選んだのかというと、別に医師になってYouTuberみたいな形になってやろうとか思ってなかったですよ、はっきり言って。
無名のまま、ただの一介の臨床家として生きていくと思っていたんですけど、有名になって本を書きたいとかそういうのも全然なくて、ただ普通に臨床をやっていくんだろうなと思ってました。

世の中を変えてやろうとか、それはちょっとありました。
それはどういう意味かというと、自衛隊に入っていたので、自衛隊という形で普通の医者とはちょっと違うことをしたかった、というのがありましたけど。

でも何か大きなことをやりたいとかそういうのは実はなくて、医師というものを体験したかったというのが本音です。
助けてあげたいとかそういう強いモチベーションではなく、どういうことなんだろうということはすごく知りたかったです。
だから質問してくれた方の気持ちはよくわかります。

医学は西洋から来ているものなんですが、聖書というものがあって、我々は聖書の世界に支配されていたんです。

医学というものが生まれてくる時、つまり聖書の教えを疑い始めたときに、人間中心主義というのが始まります。
神様はいないんだということです。
科学の目線から見ると神様はいないので、ということは人間には魂がなくて、死んだら他の動物同様無になるんだろうということがわかってしまった。

そういう中で神様というものを信じてこなかった、文化の中に取り入れることが少なかった東洋哲学を見習うというか、取り込むようなことを西洋医学はしてきたようです。
マインドフルネスや認知行動療法というのは、東洋哲学的な要素、禅の要素というのが含まれています。
だから、まあどうなのだろうなって思います。

我々の持っている価値観というのは、キリスト教的な人間中心主義というか、博愛主義というか、キリスト教文化圏から発したそういう人間中心主義というのがあるし、プラスどこか禅的な思想というのがあるというのが医師の価値観なのかなという風にも思います。

人間の2つの側面

人間というのはそもそも生物学的、物理的な存在であるのと同時に文化社会的な存在であるんです。
だからここの二面性というのはすごく複雑というか、理解しがたいんです。

僕らというのは本当にただの動物と一緒なので、脳によって生かされている。
我々の心とは何かというと、我々は何かというと、脳の中で起きている内部活動でしかないんです。
電気信号の流れでしかないんです。
脳が止まってしまえば、生きてないということです。

脳の中で何が起きているか、内部の活動というのは「記憶」と「本能、感情」と呼ばれるものがミックスされたもので起きているのですが、記憶がもしなくなってしまったら、我々は生きているとは言えないと思うんです。
植物人間ということです。

結局は我々は記憶+αの存在ということになるのかなと思います。
それ以上でもそれ以下でもないです。

もう一方で、文化社会的な存在でもあるんです。
色々なしがらみの中で社会の歯車の一つとして生きているというのが僕らの存在でもあります。

多くの人は常に、文化社会的な側面だけを意識しているんだけれども、ふと「死ぬ」とか「病気になる」とか、そういうときに「あれ?」と思うわけです。
自分とは文化社会的な存在じゃなく、ただの動物だったんじゃないかということに気付かされるんです。

死んでしまうし、死んだら何も残らないし、お金というものを価値があると思っているけども、それは人間が思ってるだけであって、科学的な目線とか超地球的な目線から見たら、お金なんか価値なんか何にもないし、しかも一瞬なんです。
時代の中のこの一瞬だけに価値があるものであって、100年後、200年後に価値のあるものとは到底言い難い。
それがお金の存在だったり地位の存在だったりします。

それに気がつくと、急にギョッとしてこちら側(人間が生物学的・物理的存在であるという認識)に来て、虚無感というか恐ろしい感覚に襲われることだったりします。

人間の二つの側面というのが面白いです。
僕らが生きているということは何なのかとか考えていくときに面白いなと思います。

僕らは医師なので常にこちら側(人間が生物学的・物理的存在であるという認識)に立ちつつ、精神科医だからこういうもの(文化的社会的存在)もあり、こちらの立場からこう理解して、またこっちへ戻ってるということなので、普段こっちにいる皆さんから見れば、面白い生き方をしているんじゃないかなと思います。

死の本能

あとは死の本能というものがあって、「生の本能」と「死の本能」とか、精神分析の世界で言ったりしますけど、死の本能とは死にたいという本能とも言えるんだけども、攻撃したい、破壊したい、壊してしまいたいという本能です。

これが自分に向かってしまえば、やはり死に向かっていく、自死というか、そういうものになっていくし、相手に向かえば攻撃していく、愛するものを壊していく、誰かを殺すまでの憎しみに変わったりします。

あとは「死」というのは何かというと、自分たちには制限がある、限界がある、ということのメタファーでもあります。
自分たちにはできないことがあるんです。
脳みそだけだと、文化社会的な存在の中でいると、無限の力があって万能感があるんです。
何でもできそうな気がする。
パソコンとかあれば何でもやれるような気がするし、お金さえあれば誰かをコントロールできるような感覚さえあったりするんですけど、実際、本当はできなくて、僕らには物理的な制限があったりします。

あとは死を意識するということは何かというと、生まれるということを意識するということでもあるんです。
僕らは両親を憎んでも、両親とは違うと思っても、どう考えたって愛する両親、その瞬間愛されていた両親から産まれてきたのは確実なんです。
もちろん、愛されていない関係で生まれてきたこともあるんですけど、基本的にはそうです、その瞬間。
だから両親の遺伝子を引き継いでいるという、この奇妙な感覚というのはあるんじゃないかなと思います。

あとは僕らは毎日死んでいるんです、寝ているので。
眠るということは死ぬことと一緒なので。
毎晩毎晩僕らは意識を失っている。
だから、ある意味疑似的に死を経験しているということでもあります。

あとは記憶なので、僕らは忘れているので部分的に死んでいるとも言えるし、時間をかけて部分的に死んでます。
自分が子供のときの記憶というのはどんどん忘れていってますし、そういう意味では僕らは少しずつ死んでいるとも言えます。
認知症というのは緩やかな死のような感じはします。

だから死んだら無というのはどういうことなのか、死ぬとはどういうことなのか、と考えるのはとても重要だと思うし、面白いテーマです。

僕らは臨床しながら色々なことを考えたりしますけど、死を否定するというのは自分の限界性を否定するということでもあるし、攻撃性を否定するということでもあるし、そして愛する2人から産まれてきたものなんだということを否定することでもあるので、何かちょっと辻褄が合わなくなって、矛盾が生まれてきてしまうということかなと思います。

ということで今回は、死んだら無について、かみ砕いてちょっと話をしてみました。


2022.10.23

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