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罪悪感と感謝について。どうやって良くなるのか?

00:00 OP
01:27 精神分析のカルチャー
03:30 臨床は罪悪感と感謝を体験する場
09:06 落ちた時に乗り越えられるか

本日は「罪悪感と感謝」というテーマでお話しします。

ちょっと前の動画なんですけれども、治療において罪悪感と感謝が治療を促進させるんだ、患者さんの心を成長させるんだ、ということを動画で撮ったんです。

正確に言うと、患者さんというのは治療者たちの時間やエネルギーを奪っているという事実に気づき、そこに対する罪悪感や感謝の気持ちが芽生えることで治療が進むんだ、という話をしたんです。

そのコメントを見て、「あぁそうだったな、自分はそうだったな」そういうことを書いていただける患者さんもいれば、一方で、「何でそんな上から目線で言われなきゃいけないんだ」「我々は対等であるはずだ」「きちんとお金を払ってるでしょ」という形で批判も受けたんです。

もっともだなとは思います。

ここら辺をきちんと説明しなかった僕に問題もあると思いますし、あと独特な言葉の使い方なんですよね、この罪悪感とか感謝という使い方は。

精神分析のカルチャー

それは精神科というか、精神分析ですね正確に言うと、というものがもたらしたカルチャー、そこの訳語は微妙というか、西洋的というか、ユダヤ教的というか。そういうものがちょっと、耳慣れない言葉なので、そう感じたのかなとは思うのですが、でも実際そういう教えはやっぱりあって、確かにそうだなと思ったりします。

実際「ONE PIECE」もそうじゃないですか?
ルフィとかわからないかもしれないですけど、シャンクスに対する罪悪感、自分が海で溺れたからシャンクスが片腕を失うんです。

申し訳ないという気持ちと、彼に対する感謝の気持ちから、少年から一人前の男になるみたいな描写があります。

古今東西色々な物語で、罪悪感や感謝の気持ちは描かれています。
僕らの臨床のみならず、皆さんの人生の中にも申し訳ないなとか罪悪感、上の人、先輩方、先生方、親に対する罪悪感と感謝がある。
そこはむずがゆくてなんとも居心地が悪くて、それが子供の心を大人にさせているところもあるんじゃないかなと思います。

実際、臨床をしていく中で、そういう罪悪感や感謝の気持ちを持てずに大人になってしまった人たちというのはたくさんいるんです。
彼らにそういう心の余裕がなかった、恩知らずだ、恥知らずだという話じゃなくて、単純にそういう人たちと出会う機会がなくて、適切な愛情を受けることがなかったというのも結構大きいんじゃないかなとは思います。
そういう機会がなかったということです。

臨床は罪悪感と感謝を体験する場

精神科臨床というのは、診察室の中でそういう体験をもう一度提供する場でもあるし、その生々しい体験が治療に活きる、治療に活かす場所でもあるんです。

最初は自分のことを中心に話すんです、患者さんというのは。
カウンセリングもそうなんですけど、自分のことを中心に話していって、自分のこと、困りごとをきちんと伝えていくんです、自分の過去はどうだった、とか。
そういう場面では治療者に対してすごく無関心で、とにかく自分のことで頭がいっぱいの時期を過ごします。

一通り話し終わる。自分の生い立ちや過去、色々な自分の話したいことを話し終わるというのが、だいたい20回~30回ぐらいかなと思うんです。
20回~30回ぐらいかかると思うんです。
そうすると、だいたい話すことがなくなってきて、徐々に治療者への関心が高まっていくんです。

益田先生は良いヤツかな、素晴らしい人かな、益田先生のこと好きだな等々、陽性転移ですね、恋愛感情を持つこともあれば、逆にあいつはボンクラだ、無能だと思うこともあるだろうし、思ったより大したことないなと思うこともあるかもしれない。
あとは怖いなと思うことです、益田先生自分にも厳しそうだな、お医者さんだからすごい勉強していて、怠けてスマホとかいじってる自分のことをバカにするんじゃないかな、申し訳ないな、嫌われるんじゃないかな、色々なことを思ったりします。

そういうのがあります。
大学生のときは教授や上の先輩に対してそういうことを思ったりします。

恋愛とかもそうです。
片思いのときすごく好きで、付き合ってくれるのかな、自分なんかより素晴らしい子なんじゃないか、対等ではいられないんじゃないかなど色々思ったりすると思います。

それが次のフェーズだと失望と怒りに変わります。
その失望と怒りは些細なことがきっかけだったりします。

些細なことなんだけれども、治療者側はやはり完璧な人間じゃないので、絶対犯しちゃうんです。
患者さんの名前を言い間違える、約束をすっぽかしてしまう、患者さんが喋った内容を忘れちゃう、診察中に居眠りしちゃう、別のこと考えちゃう、色々あります。

別のことを考えたり居眠りはさすがにないだろうと言われそうですけど、5分診療だったらないかもしれないけど、これでギクリとした心理士さんはいると思います。
45分とか50分やっていればやっぱりそういう瞬間ってありますから。
そういうことを患者さんに見抜かれてしまう時ってあります。
そうするとすごく怒られるんです。
治療者側もすごく申し訳ない気持ちになるんです。

ただ、怒りがそれに見合わないほど過度な怒りだったりするんです。
二人の関係を壊しかねないような強烈な怒り、というものを感じるんです。
もういっそのこと一緒に死んでやろうかみたいな、本当にそういう過激な怒りというのを感じます。

それは診察場面でもそうだし、例えばパワハラをされた部下の気持ちだったり、両親に対するすごい怒りだったり、そういう経験は皆さんあると思いますけど、そういうことがこの場でも起きる感じです。

その後にただ冷静になるんです、途中から。
本当にこれで壊しちゃっていいのかな、という気持ちが湧くと思うんです。

今までやってくれたじゃないか、益田は確かにロクでもないかもしれないけれど、まあロクでもない割には頑張ってくれたんじゃないかな、罪悪感、そんなに怒らなくてもよかったなというのと、ちょっとした感謝の気持ち、悪い人じゃないしな、という気持ちが湧き出てくる。
そしてまた自分のことを中心に考えていくということが起きます。

「罪悪感」を「罪感感」って書いてますね。
今気が付いたんですけど、すいません。まぁこんな感じです。間違えるんです。

また自分のことを中心に考えたりしたり、もう治療は不要かな、と終結に向かうということもあるんじゃないかなと思います。

精神科診療の中でできることはごくわずかだし、決して万能ではないので、どこかのタイミングで患者さんは自分の人生を生きるし、自分の人生の中で自分の答えを見つけていくと思うんです。

精神科診療の中ですべてが見つかることはあり得ないので、あくまで病気の状態から病気じゃない状態まで行くのが精神科診療だったりするわけじゃないですか。
人生の成功や幸せをつかみ取るところではないんです。精神科診療というのは。
どこかのタイミングで終結に向かうんですけれど、でもこういうサイクルをするという感じです。

落ちた時に乗り越えられるか

これはハイプ・サイクルかな、科学技術と似ていて、仮想通貨が人気になるとか、新しいテクノロジーが受け入れられるのと似ているんです。
最初は一気に期待が盛り上がっていって失望する、そしてだんだん受け入れられるようになっていく。

インターネットもしかりだし、スマートフォンもしかりだし、仮想通貨もしかりだと思います。
AIもそうだし、メタバースの世界もそうです。
過度に熱狂して、そこから一気に落ちて、そこからまた登っていくということが起きるんです。

重要なことは、この1回落ちた後、ここを乗り越えられるのかということなんです。
強烈に感じるんです。
強烈な怒りを感じるんです。
強烈な怒り、絶望、悲しみを感じるんです。

これを味わうために臨床をやってるんです。

治療とは何かと言ったときに、頭の整理のためにやる、知識を身につけるためにやるというのも、もちろんそれも一つなんですけれど、それは自分のことが中心の段階であって、でもそんな理性的なものだけで本当に治療って起きるんですか、人の心を動かすことはできるんですかというと、そんなんじゃ治らないことってたくさんあるんです。

もっと心の奥底から揺さぶってあげて、心を動かす。
本当の感動を味わわないと良くならないということはあります。
それだけ患者さんたちは苦しんでいるし、トラウマが深かったりするんです。
そのための演出のために、何十回もカウンセリングをやったりするんです。

そこで治療者との関係、過度な思い入れ、というものを起こす。
そしてそれを壊していく。

それは人為的に起こすのではなくて、起きてしまうんです、必然的に。
必然的に起きたときに、患者さんはすごく揺さぶられるんです。

若いときの失恋、親への怒りというのを思い出してほしいんですけど、それと似たものをもう一回診察室で味わうんです。
それはかなり苦しいんですけれども、そこをグッと今度は治療の場面で、治療の場面だからこそ、2回目、3回目だからこそ、そこをグッと乗り越えていくと良くなっていくし、今までのわだかまりが解けていくんです。

「益田も許せるなら親も許せるや」みたいな。
「益田を許せるならパワハラ相手も許せるや」みたいな。

許すかどうかというよりは、そういうこともあるんだなということがわかってくる。
人間の心はどういう風に動くのか、心とはどういうものなのかがグッとわかる瞬間だったりします。

このグッと味わうために、この感情の揺さぶりを味わうために、そして味わうことが許される場所を作るために、僕らは臨床しているというか、信頼できる相手として振る舞うことをやっているって感じです。

こういう話をするとすごくオカルトチックだし、何言ってんだ益田って思われそうですけれども、罪悪感と感謝というのはこういう意味なんです。
とても難しい概念だし、不思議な体験を味わうんです。
その不思議な体験というのが人を本当に治癒に導くという風になります。

こういうのは精神分析で「転移解釈」と言ったりします。
本当に何なんだろうなと僕も思いますけど、でもそういうことなんです。

とても不思議ですけれど、不思議なんだけど再現性がある、再現性がなさそうでよく起きる。
本当に臨床していると不思議だなと思いますけどね。
そんな感じです。

ただ乗り越えるためにはこういうことを予備知識として知ってもらうとか、治療者側もこういう心づもりでいるということはとても重要ですし、ここの混乱を本当の混乱で済ますと治療じゃなくなるので、やっぱりこれを治療的に活かすというのは、それなりの知識や覚悟、経験というのが必要になってくるということかなと思います。

ということで今回は、罪悪感と感謝、というテーマでお話ししました。


2022.12.28

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