東西線「早稲田駅」徒歩1分。夜間・土曜も診療。心療内科・精神科。自立支援対応

WEB予約はこちら

再診患者専用

03-6233-9538

予約制:木・日・祝休診

0362339538
初診WEB予約

  

再診患者専用TEL

03-6233-9538

神経発達症(発達障害)の受容

01:34 人生を俯瞰的に見る
05:39 愛とは?
09:41 自分と他者は違う

本日は「神経発達症(発達障害)の受容」というテーマでお話しします。

今は「神経発達症」と呼び名が変わったんです。
変わるんです。

まだまだ「発達障害」という呼び方が普通なので併記してますが、少しずつ神経発達症という呼び方に移行していきたいなと思っております。

障害受容の話をしていきたいなと思います。
なかなか自分が発達障害ということを受け入れられない、自分の病気を受け入れられない、ということは皆さんにも多くあるんじゃないかなと思うんです。

発達障害に限らず、うつ病だったり、双極性障害だったり、統合失調症だったり、摂食障害だったり、色々な精神疾患があります。
それらも受容しにくいと思いますが、神経発達症を今回は取り上げます。
多いですからね。

だいたい8.8%くらいは神経発達症じゃないか、と言われています。
ただ、これもスペクトラムの概念なので、境界知能とかそういうのと似てます。

人生を俯瞰的に見る

まず障害受容の中で重要なポイントは、人生を俯瞰的に見る、という視点です。

例えば10~20代の患者さんに対しては、どういうものかということを説明するときに、君たちの年齢は競争とか自分探しをする年齢なんだよ、ということを言ったりします。
周りも変と言えば変なんです、そもそも。

急激に脳が大きくなるんですね、思春期に入ると。
脳が大きくなって性ホルモンがブワッと出るようになってくるので血の気が多かったり、ドパミンに刺激を受けて、楽しいことや刺激的なことを好んだり、相手を痛めつけるというか攻撃性も高まっていくし、そこに価値や喜びを見出しやすかったりします。
異性にモテたいとかそういうのもあります。
あと、お金を儲けたいとか。

とにかくそういう競争の中で自分を探そうとするし、自分を探す中では必ず競争がつきまとうという、そういう年齢なんです。
これが年をとると、もうちょっとホルモンの影響が落ち着いてきて、20代後半~30代となってくると、そういう競争への楽しみ、憧れは落ち着いてくるのですが、この年代はそうだったりします。

そういう中で徒党を組みにくい神経発達症の人は意地悪されがちです。
そういう中で劣等感や不安に苛まれるということは、やはり多くあるなと思います。
なかなか人の輪に入れなくて、ひきこもってしまったり、内気になってしまうということもあります。

SNSとかメディアは劣等感や不安を煽ることが多いです。
これをやったら勝ち組、これをやったらモテる、これができない奴はダメだ、日本は終わってる、政治家はダメだ、このままでは日本は沈没する、こんなのオワコンだ、論破してやる、そういう過激な表現を使うことで刺激したり、皮肉を効かせたりすることが多いなと思います。

世の中はそうなんだけれども、もっと人生ってシンプルだし穏やかなものなんです。
発達障害の人は、定型の人に比べてそういう刺激に弱かったりしがちです。
そして真に受けがちなので、すごく不安を恐れるんです。
ですが、あくまでフィクションというか、ファンタジーの世界の話なので、メディアを疑うというのはとても大事です。

疑うことが治療だったりします。
メディアを疑っていく中で、自分というのを見つけたりもします。
発達障害の人の夜見る夢の話を聞くと、wんです。
芸能人とかテレビのタレントが出る比率が高いような気がして、そこの境界が曖昧というか。

あとは、そもそも自分の将来になりたいものが芸能の世界だったりするというのも、発達障害的な特徴というか、平凡を嫌うというか、そういうところがあります。

でもそういうものじゃないんです。
SNSやメディアというのは虚構の世界ですから。
あくまで虚構のものとして楽しむということもとても重要なんですけれど、なかなか思えない。

でもそれがわかるようになってくると世界の見方が変わってきて、障害受容も進むんじゃないかなと思います。

愛とは?

二つ目です。
愛はどういうものかというディスカッションというのも結構重要です。

自分より弱いもの、自分の利益にならないものに対して関心を寄せたり、そういうものにエネルギーを割くということはできますか、ということです。
それがなかなかできなかったり、そもそも関心がなかったりすることが、発達障害の人の一部には多いです。

ただ、自分も弱いものを愛せないと、他人にも同じような愛する気持ちがあると思えません
自分が弱い他人を愛せないと、自分も相手から愛されるとは思えないのです

世の中というのは、自分と同じような気持ちでいたらヤバイんじゃないかと思うわけです。
でも自分と同じように思っている人たちはいなくて、やはり他人は他者に対して寛容だったり、感謝の気持ちがあったり、多様性を受け入れている人たちが多かったりするので、大丈夫なんです。

自分の中にそういう感情があれば、相手にもあるということがわかるので、自然と世の中に対する不信感は減っていきます。 
ですが、そういう感情を実感したことがないとなかなか生きるということが苦しい。利害関係だけで成り立っている世界なんじゃないか、と思って不安になるんじゃないかなと思います。

実際、愛ある環境に育ったことがあるのか、体験したことがあるのか、体験は多いのか・少ないのか、というのは結構問題になるなと思います。
自分の都合しか考えない親がいたり、それが虐待になったり、貧困の問題が絡むことがあります。

発達障害の親というのは、発達障害のグレーゾーンか発達障害が多かったりします
あまり良い養育を受けていないということも多いです。

そういう人たちでも親になれた。でも、今の日本は貧しくなっているんだと思います。
10代や20代の患者さんに言うと時々びっくりされるんですけど、昔は高卒で働き始めても給料は上がってたんです。
だから安心して暮らせていた。

そういう親たちは、自分ができたからお前もできるんだ、と押し付けるんですけれど、いやいや、今の時代はあなたたちと同じような能力では生きていけませんよ、ということ。
貧困ですよ、ということもあったりするんです。

大学を卒業したらもう家を出ていくもんだとか言うかもしれないけど、今は一人暮らしはなかなか厳しいんだよ、初任給で一人暮らしできないんだよということも、普通の親以上に発達障害の親はわかってない、理解してないということがあるなと思います。

そういう環境で育ってしまうと、他人の優しさに気づきにくかったり、理解しにくかったりするんだろうなと思います。

愛という概念、優しさという概念を、神というもの、宗教を用いずに理解は可能なのか、というのもよく思います。
神様というものを咬ますことで、今まで人類というのは理解できていたかもしれないのに、それがない状況でどうやって理解していくんだろうというのは、確かに無神論者に対する恐怖というのを哲学者は昔、覚えてましたけど、それにも似ているな、そういう概念というのもよくわかるな、という感じはします。

名誉やSNSの「いいね」じゃない形で愛や優しさ、そういうお金じゃないところで、そういうものがどう気づけるかというのも結構重要なポイントですし、それが何となくわかると障害受容というのも進んでいくんじゃないかなと思います。

自分と他者は違う

あとは、自分と他者は違うということです。
マイノリティ側だということをどう理解していくのかも重要だと思います。
正解のない世界を協力して生きていけるのかもとても重要です。

発達障害の人は変化を嫌ったり、真理を求めるんですけれども、そういうものじゃないので、世界というのは。
そこをどうやって理解していくのか、ということがとても重要です。

そして定型の人は、発達障害の理解がかなり困難です。
理解できない人の方が多いと考えてもいいかもしれないです。

天動説を信じている人たちに地動説を理解させるようなもので、結構シンプルなことなんだけれども、なかなか理解がしにくいというものでもあります。
理解されない世界をどう謙虚に生きていけるのか、というのもポイントだったりします。

周りも理解してくれたら僕も理解してあげるよじゃなくて、周りは理解してくれないけれども自分は理解して、そこを謙虚に生きていく、という難しさです。
とても重要だなと思います。
ここをどう乗り越えるかが障害受容のポイントかなという気もします。

今日は神経発達症の受容というテーマで、思いつくことをベラベラと喋ってみました。


2023.1.2

© 2018 早稲田メンタルクリニック All Rights Reserved.