本日は「益田がメンタル最強になった方法」というテーマでお話しします。
小っ恥ずかしいですね。
「精神科医益田がメンタル最強になる」というと、何かすごい笑っちゃいます。
自分で言ってて恥ずかしいテーマですけど、こういうテーマだとバズりやすいのかなと思ってやってみました。
色々本や動画には過剰な文句が出て、精神科医の人って病まないのかな、心が強い人がなるのかななど、色々なことを思うと思います。
僕も精神科医になる前はそういうことを考えていたし、強くなりたいというのはやはり思ってました。
僕自身、繊細というのか、繊細だったんだろうね、HSPというか、発達障害系のHSPという感じでした。
強くなりたいというのは、やはりすごくあったんじゃないかなと思います。
自衛隊に入ってますから。
自衛隊に入って色々なことを学んだりして、気がついたら中堅というか、開業してスタッフを雇って、自助会もやって、中堅ですよ。気がついたら中堅だなと思いました。
まだまだ若手だなと自分の中では思っているんですけど、やはり中堅になってきたんじゃないかなと最近は思うことが増えました。
やはりひと回り下の世代、医学生や若手ドクターと話すと、自分はもう中堅だなと思いますし、だからこそ責任があるなと最近考えています。
自分のことをメンタル最強だとは思いませんが、でもある種の到達はしていると思うんです。一定量の。
どういう風に今の自分は考えているのか、ということを皆さんにお話しすると、皆さんもメンタル最強になるヒントが得られるんじゃないかなと思って、今回動画を撮ります。
コンテンツ
僕自身の価値観
僕自身の価値観というのはどういうスタンスなのかというと、宗教的な考え、スピリチュアル的な考え方としては、諦観というものに対して美意識を持っているという感じです。
難しいんですけど、いわゆる仏教的な世界観、禅的な世界観に対するもの、そういうものに対して美意識を持っています。
儒教よりは老荘思想みたいな感じです。
侘び寂びというか、世の中って諸行無常だよね、みたいなものに美意識を感じるということかなと思います。
お金や権力、地位に憧れる一方で、益田はミーハーなので憧れる一方で、でもそれは美しいものじゃないんじゃないかと思っているところがあります。
感情を揺さぶられるよりも、感情をコントロールする。
楽しいこと、苦しいことがない平坦なもの、禁欲主義みたいな、そういうものに憧れがある。美意識を感じるという感じです。
哲学的には道具主義と呼ばれるやつで、役に立ったらいいじゃないか、という考え方です。
こういう真理があるからこう言うべきだ、こういう真理のためにこういう道徳法則のためにこうすべきだ。そういう考えは僕はあまりなくて、どちらかと言うと道具主義で役に立てばいい、今目の前の人が良くなればいいじゃないか、というスタンスです。
科学者というよりは臨床家というか。作家というよりはYouTuberというか、そんな感じなんです。
そういうスタンスの人間だということをまず最初にご理解いただきたいです。
よくある悩み
よくある悩みとしては、人の目が気になるということです。
あとは劣等感です。
自分はできない、他の人より劣っているんじゃないか、自分は恋人ができない、結婚ができない、誰からも愛されない、そういうものってあります。
ここの問題は、集団の中で生きている限り付きまとうなと思います。
僕も今一人でクリニックをやっているので、こういう問題から距離を取れているんですけど、自衛隊の中にいたときには、すごく人の目が気になったり、劣等感を感じていました。
今は一人でやっているのでそういうのは気にならなくなってきましたけど、やはり会社の中とか組織にいるとどうしてもこういう問題はついて回るのかなと思います。
ただ、気にしても仕方がないことなので、自分でコントロールできないことなので、僕は諦観を持って諦めている感じです。
あとは道具主義的なので、人の目が気になることで頑張れているからいいじゃないかという形で、「仕方ないな」と。
劣等感を感じているから、この苦しみがあるから、ここまでやれてるんだという形で、切り替えているというのが僕の考え方かな。
あとは他人からの無理解や誤解です。
評価されなかったり、益田は嫌なやつだ、嫌いだとか言われることはあります。
誹謗中傷というのはYouTubeをやっている限り絶対ありますし、クリニックをやっていても悪い口コミをつけられたりとかします。
まあそれは仕方ない部分もあるなと思います。
相手の読解力の問題だったり、相手の心理的なバイアスの問題だったり、あとはこちらの能力の限界だったり、色々重なるのである部分は仕方ないなと思います。
あと、失うものがあるということです。
自分には限界があるし、いつかは老化していくし、弱っていくし、できないこともあるし、死というものが訪れるというのも仕方ないなとは思えないですけれど、日々そんなことを考えながら生活しています。
そういう患者さんたちを見ているから、いつかは自分の番が来るのはわかっているので、そんなことを肌で学んでいるなと思います。
集団の中にいた経験があるので、今個人になったらこんなに楽なのかと思ったので、やはり環境って大きいなと思いますし、個人の努力ではどうにもならない心の葛藤だなと肌で覚えました。
無理解や誤解があるとか、そういうのはYouTubeをやったり、クリニックをやることで身につけたものでもあります。
医師をやってるから失うものがあるということが、経験的に学べたという感じがします。
言語化するとありふれた平凡な話で、「益田、特別なこと言ってないじゃないか」と言われそうですが、でも本当にそうです。
皆が言っていることをただ経験したので理解したという感じです。
そんなに賢い人間じゃないんで、僕も。
動揺しないのは
あとは何を考えてるのかなと思いましたけど、自分が動揺しないようにする、感情が揺さぶられないようにするためにはどういうことを考えているのかというとです。
神様を信じるのはやめようと思ってます。
少なくとも神を信じるのをやめようと僕はいつも思っています。
それが一点です。
色々な理由があります。
色々な人を見てきたというのもありますけど、やはり一応、医師は科学者なので神を信じることはやめようというのは自分の中で思ってます。
ただ、人間の尊厳はきちんと伝えでいこうかなと思います。
利益や役に立つ、そういうものとは別に、道具主義者であるからこそ、人間の尊厳を純粋な法則として理解したり、純粋にそれを伝えていく必要があるんだな、というのは、臨床しながら最近考えてます。
客観的に考える、メタに考えていく、小手先のテクニックじゃなくて、もうちょっと魂にズドンと来るようなことを伝えていく必要があるんだなというのは最近よく考えてます。
あとはまあ、結局できることをできる分だけやろうというのは思います。
あとは知らんというか。
自分には限界がある。
自分ができることをやって、あとはどうなってもいいじゃないか、といつも思ってます。
他人がどう思おうが、結果がどうなろうが、あとは知らんって感じです。
あとはどうなっても仕方ないなと思いながら生活してます。
僕の医者人生はあと25年から30年くらいです。
椅子に座って患者さんの話を聞いて薬を出す、という人生だと思うんです。
ただそれだけの人生なので、それは人から見たらすごく地獄のようというか、何か救いがないようにも見えるかもしれないです。一部の人からは。
でも別に、それは僕が選んだ生き方だし、別にそれに対して後悔はないし、日々色々な発見があるし、色々なことを学べたり、気付けたりするので精神科医という生き方に決して後悔はないです。
そういうことを考えていくと、あまり揺さぶられないし、疲れもたまりにくいという感じです。
精神科医の裏側
2023.1.6