本日は「死にたいほど苦しい状況とは何か?」というテーマでお話しします。
臨床場面でもそうだし、このYouTubeでもそうなんですが、「この状況で死にたいと思ってしまうのは私の甘えですか?」「こういう状況だったらもう生きていたくないですよね?」とよく質問をされたり、話題になることがあります。
「まあそうだよね」という風に僕は共感というか、どこまで感情移入したらいいか、ちょっと迷ったりしながら聞きます。
あまり感情移入すると苦しくなると言うと語弊があるのですが、正しい臨床ができなくなってしまうので、ある程度は客観的に見ようとしているのですが、こういう状況の時には「そう思っても当然だよね」「仕方ないよね」「これはあなたの問題ではなくて、解決していかなきゃいけないよ」「社会とか僕らに頼ってもらって解決しなきゃいけないよ」と言うことがあるんです。
そこら辺を今回はお話しします。
コンテンツ
基本的人権
これは基本的人権と呼ばれるものなんです。
基本的人権が守られていない場合は、やはり苦しいし、死にたくなってしまう。
思わず今生きている世界から目を背けたくなるんです。
これは憲法で保障されているものであって、そういう状況があってはいけないよ、ということなんです。
それは本人の甘えではなくて、国というか社会がやっていかなければいけないことなので、あなたの甘えじゃないですよ、ということでもあります。
上手く言えてないかもしれないですけど、そういうことです。
この話の専門分野は障害学、社会福祉学、倫理学などになります。
僕は精神科医なのでこの分野の専門ではないのですが、やはり皆さんと基本的人権ということについて、一緒に考えてみたいなと思ったので今回動画にしました。
とにかく基本的人権が守られてない状況は、やはり苦しい状況だと思います。
あなたのせいではないです。
生存権
1つ目は生存権の問題です。
難しい言い方をすれば、生存に関係すること、生命に関することなんですけれども、簡単に言うと、病気や障害があったときは助けてもらえるということです。
それは個人でやらなければいけないことではなくて、病気や障害があったときには自分一人の力で解決するのではなくて、皆に助けてもらうものなんです。
個人がやるべきことは「助けてほしい」と言うことであって、ある程度は克服する努力は必要なんだけれども、助けてもらうべきものなんです。
そもそもそういうものです。
精神科に通っているのは甘えですか、とよく聞かれるんですけど、甘えじゃなくてそもそも助けてもらうのは当然の権利なんだよ、ということは言います。
平等・尊厳
病気や障害があっても「平等」に扱われ、そして人間には「尊厳」があるということです。病気や障害があっても、他の人と同じように扱われるべきなんです。
病気や障害があるからといって、プライバシーはない、最低限の生活が保障されない、教育は受けてはいけない、結婚してはいけない、子どもを産んではいけない、色々ありますけど、そんなことはないんです。
病気や障害があっても、平等に扱われるべきなんです。
そもそも昔は、昔というと何百年前の話ですけど、人間はすべて平等だという意識はなかったんです。
本能のまま考えていけば、人間はすべて平等であるという思想にたどり着くまでは、すごく時間がかかるんです。
個人がそれに気づくまでには、すごく時間がかかるんです。
なかなか人類の歴史上、すべての人類が平等であるという理解というか、気づきに至るまでは、何万年、何百万年もかかって、本当につい最近なんです。
「俺はこう思う」じゃなくて、ここの概念にたどり着くまではすごく人類は時間かかったんです。
男女平等であるということ、性的マイノリティーの人も平等なんだということに気づくようになったのは、本当にここ百年の話なんです。
性的マイノリティなんてここの数十年の話ですから。
そういうものなんです。
教育を受けたり、そういう歴史を知らないと、この概念まで到達できなかったりします。
若い患者さんは特にこういうことの教育を受けた経験がない人もいます。
色々な家庭の事情があったり、その人の特性で授業中にそこに関心が及ばなかったり色々ありますが、まあそうなんです。
障害や病気があっても平等に扱われるべきだというのは、同じようなサービスを受ければいいというわけじゃなくて、その障害とかを配慮した上で平等になるようにやっていくということが必要なんです。
最近はニューロダイバーシティという形で、発達障害の人たちの権利、感覚の違い、生まれ持った特性の違いも社会が理解して、その上で平等に扱われるようにしていこう、ということが謳われているという感じです。
■教育、居住、働く権利
「教育を受ける権利」、「発言をする自由」、「政治参加をする権利」というのは、すべての人が持っています。
居住の自由、子どものときは親と一緒に暮らすとか、大人になったら一人暮らしをさせてほしいとか、もしくは愛する人と暮らさせてほしいとか。
半分東京というのは、この居住の自由が認められていないんです。
一人暮らしをするには家賃が高すぎるから。
それで親と暮らさざるを得ない子たちはたくさんいるんですけれど、そうなんです、大人になっても。
あとはヤングケアラーで教育を受ける自由、働く権利が守られない、働くことが自由にできない人たちというのも出てきてます。
教育を受ける権利、働く権利というのは、本当に基本的人権に関わることなので、働けるような社会をつくるべきなんです。
合理的配慮というのは、経済的な目的とかそういうことではなくて、やはり基本的人権に関わることなので、それはみんなでやりましょう、ということです。
そしてそれらは法で守られるべきなんです。
そういう権利もあるということです。
基本的人権が守られるために
これらの基本的人権が守られるために、警察がきちんと動いてくれるとか、「わかりました。じゃあ選挙でやりましょう」じゃなく、「選挙で決まればいいよね」と言うとマイノリティの意見は絶対抑圧されてしまうので、そうじゃなくて、基本的人権を守るために民主主義だけのルールでなくて、こういう権利、人権のことを考えましょうということなんです。
ここら辺は僕もきちんと教育を受けたわけではないし、高校とかでサラリとは勉強しましたけれど、なかなか人に伝えようと思ったら説明しにくいですね。
これは常識として知ってるものだと思ってたんですけど、どうやらそうじゃないということが最近わかってきたというか、YouTubeをやっていてわかってきたんですけど、こういう基本前提がわかっていない患者さんが多いし、周りの人もわかっていないことがあります。
精神疾患の人に対する差別・偏見はあってはいけないし、それは甘えじゃなくてちゃんと治療を受ける権利があるんです。
そこら辺は何なんだろうというか、よく思いますけど、僕自身も上手く説明できた感じはしないですけれど、そういうことなんです。
そして、これらが脅かされているときには、やっぱりこの世界に対して目を背けたくなります。
病気があっても通院させてもらえない、なかなか受診できない、職場で不平等に扱われてしまう、生活保護を頼りたいと思っても頼らせてくれない、教育を受ける権利・働く権利が保障されない、やっぱりあるなと思います。
通級へ行けないとかそういうのも良くないなと思います。
と言いつつ、やはりこれらの人権を満たすための社会を作ろうとはしているけれど、絶えず作ろうと変革はしているけれど、なかなか追いつかない感じです。
社会は常に動いているし、変化しているし、科学技術の進歩と共に、価値観やら何やら色々なものが変わっていくんです。
それにあわせて政治や国家は少しずつ形を変えていくんですけれども、技術革新のスピードに政治のスピードが追いついてないというのはやっぱりあるなと思います。
ただ、追いついてないからといって、それらが認められていないというわけではないので、卑屈にならずにそこの権利は意識していくということです。
そして子どもたち、若い人たちにはそういうことを知らない人がいたりするので、きちんと知ってもらって、他の動画や他のサイトでも学んでもらったりしつつ、治療に臨んでもらったらいいなと思います。
今回は、死にたいほど苦しい状況というのはどういう状況なのか?について解説しました。
心について考察
2023.1.8