本日は「神経発達症を親が理解しない(できない)場合」について解説します。
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神経発達症(発達障害)で来院する方が多い
通院している患者さんで、「私は発達障害だと思うんですけど」と言って、うつになって来られる患者さんが結構いるんです。
マルチタスクが苦手で不注意があって、会社で叱責されて、なんでこんなに自分は仕事が上手くできないんだろうということで、ネットを見ていると発達障害ということがわかり、ウチを受診することは珍しくない、というか最近は多いです。
精神科ではよく見られるケースです。
10年ぐらい前は、どちらかというと長時間労働による適応障害が多かったです。
長時間労働、パワハラ、セクハラが結構多かったんですが、やはり働き方改革、パワハラやセクハラの意識が皆さんに共有されることによって、そういう患者さんは減りました。
代わりにIT技術、日本の国力低下というか貧困化に伴って業務量が増えたんです。
マルチタスクが強いられようになって、その結果、不適応になってしまった、うつになってしまう患者さんが増えてきた、という印象があります。
過去のエピソードを聞くと、決して問題児だったわけじゃないけれど、よく聞いてみると、友達ができなかった、いじめに遭っていた、学校の授業中は全然集中できなかったなどいろいろ発達障害的な特徴が見えて、実際の職場の様子を聞いても、発達障害の要素、神経発達症の要素があることが確認がとれるケースは多くあります。
薬物治療
薬物治療を開始しようとしたときに、ADHD(注意欠如・多動症)の薬は3つしかないんです。
基本はコンサータ、ストラテラ、インチュニブです。
コンサータのみ第三者からの承認が必要となっています。
第三者からの意見という形でやり方が面倒くさいんです。
コンサータを処方するときだけ、過去の通知表を持ってきてもらう、親や友達、周りの人の意見書みたいなものを出してもらわなければいけないんです。
じゃあ親に相談します、と言ったときに、親が「あんたは病気じゃない」「やればできるんだ」「お前の努力が足りないからだ」と言ってつっぱねちゃうケースがあるんです。
親が薬なんか飲ませたくない、あんたは病気なんかじゃないんだから絶対薬なんか出すな、と言って、ウチのクリニックに脅迫的な電話をかけてくるケースもあったりして、僕も患者さんとの板挟みになって、どうしようかとなるケースは珍しくないなと思います。
神経発達症の遺伝
実際本人に神経発達症(発達障害)の傾向があった場合、両親のどちらかがグレーゾーン、神経発達症もしくは本人よりも重症ということは結構あります。
両方その場合もあったりします。
よく聞いてみると、本人の旦那さんも神経発達症だったり、グレーゾーンだったり、子どもたちもそうだったり、というケースがあったりします。
神経発達症は遺伝性が結構あるんです。
それは、運動神経が良い親から運動神経の良い子どもが生まれてくるようなもので、似たような子どもが生まれてくることが多いですし、相手も似たようなタイプを選びがちだったりします。
スポーツ好きな人がスポーツマンと結婚するみたいなもので、似た相手を選んでしまうので、周りはみんなそうだみたいなケースは決して珍しくないです。
もちろんフルコンプリートで全員がそうだということはもっと珍しいのですが、身内のうちに何人かいるということは珍しくないな、という感じです。
かつてはやればできた
親の世代というか上の世代は、割と今の人たちよりもマルチタスクが不要だったり、あとは日本が豊かだったので、上手く逃げ切れた人たちでもあったりするんです。
「やればできる」というのは彼らの世代にとっては当たり前のことでした。
彼らの世代というか、彼らの価値観ではそうだったんだけれども、現代ではそれが通用しなくなっているということもあったりします。
だけど元々の特性が故に、価値観や世代観が切り替わっている、そういう変化が起きていることに気づけない。理解しがたくて、自分たちの常識を子どもに押し付けて、子どもが困るというケースは多いです。
高卒の人たちがどんどん豊かになっていった、給料がどんどん上がっていったと言うと、今の20代の人たちはビックリします。
高卒の人が転職せずに給料が上がっていくことが考えられないというか、驚きます。
カサンドラでうつに
と言いつつ、本人が2番のケース(片付け苦手+カサンドラ)、発達障害でADHDみたいなもの、ASDみたいなものがあって、プラス旦那さんや親が理解なく共感されない。理解されなくてカサンドラのようになってしまう、うつ状態になってしまう、というケースもあれば、逆に、何でも気づく、完璧主義だったり気づきすぎてしまう、敏感すぎるHSPみたいな感じで、対人不安が強い。
対人不安が強いから、逆にあまり他人の目を気にしないパートナーを選ぶけれども、最初は良かったんだけど、子供ができても変わらないパートナーに対して、だんだん理解してもらえない子育ての苦しみからカサンドラうつになっちゃう、ということも珍しくないです。
IT職だから上手くいっているという旦那さんのケースは典型例ですけど、最近はIT職といえどもコミュニケーションはすごく必要になっていますから、昔ながらの言い方は難しかったりします。
あとは子どもが不登校になってる、そういうときに、「あんたの育て方が悪いんだよ」と言って親が怒る、精神科に連れて行こうと思ってと言うと、「そんなの連れて行く方が悪くなる」と怒られるとかよくあります。
どこから紐解いていくか
これはどこから紐解いていくかというのは結構難しいんです。
本人から見えている世界だけだと、どうしても親や周りの人の発達障害の問題は診断できないし、かつ医師というのは診察したことのない人を診断することはダメなんです。
倫理的にも問題があるので、患者さんに対して「あなたの親は発達障害でしょう」とは言えないんです。
でも、どこから紐解いていこうかな、いつ言おうかな、そういう傾向を本人が気づいたときにどういう風にアプローチしようかな、というのは常に悩みます。
この家族病理を紐解いていくときに、かつ、神経発達症という問題が絡んだときに、どういう風にこのパズルを明らかにしていくのかというのは、臨床していても悩むというか、どうしたらいいんだろうと常に思ってます。
神経発達症で神経発達症がまわりに多すぎるパターン、そこで生まれるグループダイナミクスというか軋轢というか、そういう問題をどう考えていくのかというのは結構難しいです。
さまざまなポイントをチェック
ケースバイケースということになるのですが、ケースバイケースというと芸がないので、ケースバイケースと言いながら、様々なポイントをチェックしていくということなんです。
その場その場でゼロイチで作るのではなくて、色々な項目をチェックしていきます。
例えば本人の発達障害の具合、周囲の人の発達障害の具合、サポート・福祉は導入できているのか、そういう制度はきちんと使えているのかなどは、一番先にチェックします。
ただどれくらいの凸凹具合かというのは、何回会ってもいまいち掴めてなくて、途中で気づくこともあるんです。
「えっ、そこにも穴があったの?」みたいなことが起きるんです。
発達障害は凸凹と言ったりしますけど、できることがある中で、できないことが時々あるという感じなんです。
興味の偏りとかもあって、常識的なことを全部知っているんだけど、突然天然なところが見つかったりするんです。
「そこ知らないの? じゃあここは?」と言ったら、「ああ、ここは知ってるんだ。あ、ここは知らないの?」とか「これはできないの」とか人によって様々なのです。
どこに凹みがあるかは手探りでやっていかないと本当にわかりません。
もちろん知識としてはわかっているし、こういうところは凹みが多いよねというパターンはあるんだけど、でもやっぱり個別に違うので一個一個確認しながらやっていきます。
本人は「何のことですか?」みたいな感じでボケッとしているけれど、「これができないからこの人こうなんだ」「これがわからないから、この人はここで誤解されてるんだ」ということを気づいたときに、でもこれをどこのタイミングで言うのかなとか悩みます。
フワフワした話だと思われそうですけれど、とにかくこのグループダイナミクスというか、複雑になってくるケースは多くあります。個別にやっていきます。
親世代がなかなか理解してくれなかったりするというのが一般的です。
これをどう理解してもらうかということに、臨床上の焦点を置くのか。
それともそこは一回切り捨てるわけじゃないけれど、一回それは置いておいて、別の問題を扱うのかというのは、優先度や緊急度に合わせて調整していく感じです。
色々な問題がある中、どの問題を今扱うのかというマネジメントの能力はすごく医師や治療者には求められます。
かつ倫理観、不躾に言ってはいけないですし、かといって我々が気づいたことを患者さんにまったく伝えないというのは、それはそれで治療の妨げになるので、ここのバランス感覚はすごく難しいです。
今でもまだ言語化されてないというか、臨床の最先端かなと思います。
今回は、神経発達症を親が理解しない場合・理解できない場合どうすればいいのか、というテーマでお話ししました。
発達障害
2023.1.9