【書籍】親を憎むのをやめる方法
https://amzn.to/3WItXFk
本日は「高校生の親の役割」というテーマでお話しします。
高校生の子どもを持つ親御さんで、子育てをどうしたらいいのかな、と悩んでいる方は多いと思うんです。
高校生自身も、ウチの親って何なのかな、自分はどうやって生きたらいいのかな、と悩んでいる方も多いと思います。
今回はそれらを踏まえて、親の役割ということを考えてみます。
この動画の内容をより詳しくすると、本を書いたんです。
『親を憎むのをやめる方法』という本をKADOKAWAから出しました。
興味が湧いたら書籍の方もお買い求めいただけたらなと思います。
精神科というのは、生物学的、脳科学的、脳神経科学的、医学的に個人を捉えたりするんです。
脳科学的にどういうことが起きているのかということをまず最初に話します。
次に社会学的な要素も大事なんです。
人文科学的に人間を理解するということも重要なんです。
そういう形で理解して、患者さんの言語的な介入をしていくので、社会的な背景ということも考えます。
最後に応用技です。
個人の物語として、僕らの内的な世界でどういうことが起きているのかを語ります。
親の役割ということなので、親本人を中心に語ります。
親にも親がいるんですよ、当たり前ですけれども。
本人、親、そして子ども、高校生から見たら親であり祖父母の話になるかなと思います。
コンテンツ
生物学的には
・高校生
高校生というのは16歳~18歳ぐらいで、思春期が始まってちょっと経った感じです。
だいたい人間は脳みそが、胎児、お腹にいる時に発生して、25歳になるまで成長し続けるんです。
ずっと伸び続けるとも言えるかもしれないけど、25歳くらいまで成長し続けています。いわゆる身長が伸びるみたいな形で成長しています。
思春期に入る前と思春期後には、脳みその構造はガラッと変わるんです。
思春期までの脳みそは、まだ子どもの世界で複雑なことを考えることが苦手です。
思春期に入ってから複雑なことを考えることが得意になります。
抽象的なことを考えたりする能力が急激に上がるとともに、性ホルモンの影響も受けるんです。
性的なものの影響を受けて物事を考えられるようになります。
思春期に入ると、急に脳みそが大きくなるので気持ち悪いんです。
今までは「ウェ~イ」と言って、友達が楽しいな、男の子だな、女の子だなというのはふんわりしているんですけれども、急に脳みそが大きくなるので「えー!アイツ何考えてんの」みたいなことが気になり始めちゃうわけです。
今まではそこまで考える脳がないんです、ある意味、すごく失礼な言い方とか雑な言い方をしちゃえば。
だけど思春期に入った後に複雑なことを考えられるようになるので、それが気になる。
社会ってどうなっているの? これは嘘なの? 本当なの? あいつは友達って言うけど本当はどう考えているの? ということが気になってすごく混乱します。
加えて性的な影響も受けるので、すごく異性が気になったりします。
性的マイノリティの方だったら異性じゃなくて同性かもしれないし、とにかく恋愛的な要素を持ち始める。
もちろんそういう性的なものを持たないパターンもありますが、多くの人は持つようになります。
加えて報酬系の刺激に支配されやすくなるんです。
ドパミンの影響に支配されやすくなってしまって、新しいもの、刺激的なもの、反抗的なものを好むようになるのです。
それを以て自立を促したり、親を疑う、そういうことができるようになるんですけれども、そこら辺の支配をされるので、とても混沌としているのが子どもたちの脳の中です。
自分の意志の力ではどうしようもないものがすごくうごめいている、というのが高校生の頭の中です。
・50歳前後
では親はどうなのかというと、50歳前後なんじゃないかなと思います。
女性であれば(男性も一部あると言われていますけれど)更年期的な影響を受けます。
性ホルモンの影響が、女性では閉経があって変わっていく、そうすることによって今度は性ホルモンの影響を受けなくなってきて、自律神経系が乱れたり、脳への影響が出てきたりします。
うつ病というのも好発年齢だったりします。
50歳前後というのも、脳の色々な影響、変化が起きるような年代だったりします。
・80歳前後
生物学的に考えると、祖父母、80歳前後の人にはどういうことが起きているかというと、健康の問題が悪化していく、介護の問題が出てきたり、場合によっては死ぬということを意識する、死ぬということが起きていく、死という現象が起こるというのがここら辺からかなと思います。
日本人男性の平均寿命が78、79とかですから、ここら辺からですという感じです。
生物学的にはそういうことが起きますよ、ということです。
社会学的には
社会学的にはどうなのかというと、大人になりつつあるけれども大人にならずに自分たちの中で社会を学んだり、自分のことを理解したり、様々なことを学習する期間だったりします。
生き方がわからないということが多いです。
伝統的な社会というのが崩壊し、変化が多い時代に突入していますので、どういう風に生きたらいいんだろうと困惑するのもこの年代の特徴かなと思います。
世代を経るごとに豊かになっていると思います。
「いやいや益田、そういう風に言うかもしれないけれど、賃金の格差などが広がっているじゃないか」とか色々言われますが、でもどう考えてもスマートフォンがあってインターネットがあって、色々なものが増えてきていますから、豊かであることは事実です。
豊かになってきています。
彼らが言う孤独だとか、安心させてほしいというレベルが、僕らが考える安心や孤独というものよりも基準が高い時が結構あります。
それは子どもたちが甘えているとかそうじゃなくて、本当に豊かになった象徴かなと思います。
例えば、僕が医者になった頃やなる前は、引きこもりというと母親としか喋ったことがないみたいな子だったりするんです。
人間関係というのは母親と喋るだけで、あと時々外来に来る主治医としか喋らない、看護師さんと喋るぐらい。
じゃあどうやって喋れる人を増やそうかね、みたいなことが大雑把に言えば引きこもりの治療だったりしました。
デイケアに通って他の人と喋れる機会を作りましょうよとやっていたのが、今は引きこもりの人といってもネットゲームとかして「僕、友だちいないんです。だからネットでゲームを一緒にやる人とか、Slackとかチャットとかするだけで、本当の友だちはいないんですよ」と言ったりしています。
「え、ネットの友だちがいるの?」みたいな。
「すごい喋ってるの?」
「昨日も夜通し喋ってて一緒にゲームしてたんですが、こんなんじゃダメだと思っていて、みんな病んでいるんですよ」
とか言って、不思議だなと思います。
引きこもっているんだけれど、昔の引きこもりと違うので。
もちろん社会的な接触がないという意味で孤独だし、苦しいのはわかるのですが、やっぱり昔と比べて今の方が楽になっているだろうなと思います。
それは苦しさの質が並列的に動いたというよりは、軽くなっていると思います。
その証拠に、その患者さんたちと喋っている時に、「ネットゲームがなかった時代のことって知っている?」と聞いたりすると、「ああ、そういえばそうですね」と言ってびっくりしたりすることって多いんです。
ちなみにね、ちなみにですけどもう一回脱線します。
こういう引きこもりの治療をする時に、やはり他の選択肢、過去のこと、そういう狭い世界じゃなくて、別の世界の視点から物事を捉えるという会話展開というのは結構有効なんです。
他の選択肢を考えてみたことがなかったりするので、考えてみた時に、自分の立場が見えてきて、悪くないな、頑張らなきゃいけないな、と色々なことを考えるようなので、そういう会話の流れややり方というのも決して悪くないです。
良い治療のやり方です。
はい、終わりです。
では50代の人たちはどういう社会的な問題を抱えているのか、社会的な立場に置かれているのかというと、例えば仕事によりますけれども、社会的責任を負うことが多くなっています。
出世している人は出世しているという形です。
逆になかなか上手く仕事が続けられなかった人は、再就職が難しい、若い人と仕事の取り合いになって、なかなか次の仕事が見つからないことが起きたりします。
あとは夫婦問題です。
結構違うんです。離婚をしている夫婦もいれば、夫婦仲が冷めていて、この時期にとうとう離婚になるということもあるだろうし、浮気の問題や色々なものが出てくるで、浮気をしていたのが破綻するというのもこういう時期です。
だんだん老いてきて、今までは若者に負けじと不倫できていた人がとうとうできなくなっていくる、というのもこの時期だったりします。
そういう話はよく聞きます。
あとは教育、子どもの教育をどうするかということで、結構差が出てしまいます。
教育をきちんとできる、それは大学受験とかそういう話じゃないんです。
そういう話じゃなくて、子どもにきちっと教育できる親と、そうじゃない親。
避けてしまう親、心を扱えない親、生き方とかモラトリアムを扱えない親によって教育格差が広がっているというのはあるかなと思います。
あと依存症の問題です。
若い時には自分でコントロールできていたアルコールやドラッグの問題、ギャンブルの問題とかがいよいよコントロールできなくなってきたというのも、こういう年齢では結構多かったりします。
依存症は一歩一歩進んでいくんです。 。
益田、科学的じゃないぞ、と言われそうですけど、あくまで臨床的な説明として言わせてもらいますが、お酒は一杯飲めば飲むほど依存症に近づいていきます。
依存症になるのが先か、寿命が来るのが先か、なんです。
そして一回飲むのをやめたら元へ戻る、ということはありませんから、基本的にはだんだん少しずつ貯金というか、積み上げていった人はここら辺で依存性の問題が出てくることも多いです。
あとは祖父母のことで言えば資産です。
遺産や資産の有無で結構違います。
格差社会だと格差の問題があると言うんですけれども、それは優秀な人がバリバリ稼ぐから格差ができているというよりは、世代ごとに積み重なっていく、子どもたちに資産をつなげた世帯と、つなげなかった世帯での格差が広がっているということでもあるので、ここは結構重要なポイントです。
あとは兄弟の問題です。
兄弟の仲が悪くて、遺産争いが裁判沙汰になるというのも結構多い時期です。
こういう背景があります。
親の役割とはどういうことなのかというのは、こういうことを知りながら、子どもたちにこういう常識を伝えていけるかどうかが、教育格差として、親の役割としてあったりします。
個人の物語
もうちょっと個人の物語の話をします。
子どもというのはこの時期、親の影響から離れて無秩序の世界に飛び込むんです、混沌とした世界。
社会は混沌としていて、正しいもの/正しくないものがわからないですよね?
混沌としていて、自分で決めていかなきゃいけないんです。
自分で名付けていって、「ああ、世の中ってこうなっているんだ」と無秩序な世界から秩序をつくっていくという活動をしなきゃいけないんです。
これができる人だったらいいんです。
できる人だったら、「親なんか関係ねえよ」「親ガチャなんか関係ねえよ」「自分の力でやればいいんだよ」と言いますよ、そういう人は。
だってできるんだから、自分の力で。
無秩序の中から自分の中でゲームルールを作っていく力があるから。
そういう創造力がある人は大丈夫なんだけれども、やはりみんなができるわけじゃないんです。
みんなができるわけじゃないので、多くの人はヤドカリのように、人が作ったデザイン、人が考えた生き方、秩序のデザインをちょっとずつ借りてきて自分の殻にしていく、もしくは丸ごと借りてくるということが多かったりします。
それが発達障害傾向のある人はできない。
すごく混沌とした中でどうしたらいいんだろうと、無秩序の中で秩序を作る、もう一回秩序をつくり直すというダイナミクスはできなかったりするので、医学的な問題になることは結構あります。
子どもたちはそ秩序をつくっていく中で、自分の心をつくっていく中で、アイデンティティというものをつくっていく中で、様々な被害を受けます。
例えば、格差による被害を受けます。
親ガチャと言いますが本当にそれはあって、親や環境によって全然スタートラインが違うという被害を受けます。
発達障害や知的障害の有無によっても結構違います。
現代は頭脳労働の時代なので、そこで不利になってしまうことがあったりします。
あとはひきこもりの人に多いんですけれども、判断や失敗を過度に恐れる人たちというのは秩序をつくっていくことは苦手です。
失敗して何となくどんどん作っていくのに、そもそも失敗したくないからということで動かなかった、無秩序のままから秩序はできていきません。そういうことはあるなと思います。
発達障害の人も片付けが苦手なように、脳の中を片付けていく、整理していく、積み上げていく力が弱かったりするという感じです。
親の話をすると、やはり親ごとに育てる力は違います。
育成能力というか、子どもを育成していく力は全然違います。
自分の感情コントロールの問題、子どもに正しい情報や自分の気持ち、正しいことを教える国語力、コミュニケーション能力の問題、問題をマネジメントする力、家族というチームをマネジメントしていく力、チームマネジメント能力は親によって全然違います。
相性とかそういうことじゃなくて違います。
技量が全然違います。
育てやすい子もいれば、育てにくい子もいます。
そこも障害がある子/障害がない子によって全然違いますから、なかなか難しいんです。
やっぱりサポート不足はあるんだろうなと思います。
世の中全体が分断されてきつつあるので、多様化して分断されてきたので、よその家の子どもまで面倒を見ないというか、よその家に口を出さないということになっているので、上手く行っているところがほとんどなんですけれども、上手く行かない家というのはなかなか復帰できないという問題もあるなと思います。
おじいちゃん世代のことを言えば、無理解というか、困惑みたいなものがあります。
メンタルヘルスというものが語られなかった時代なので、アップデートされていない。メンタルヘルスについての関心が持ちにくいというのもあるんだろうな、ということを考えたりします。
ざっくり雑談ぽく喋っていますけど、ダラダラ喋らせてください。
あとは少子高齢化の問題というのがあって、ついつい子どもの問題、教育の問題なんだと言っています。
お金がないからだ、貧困だからだ、と言うんだけれども、貧困の問題というよりは、忙しいとか、そういうシステムの問題なんじゃないかなという気も時々します。
もちろん貧困は貧困で問題としてあります。
これはどういうことなんだろう、なんて時々考えます。
あとはよく言われるのは声を上げやすいだけという話もあります。
声を上げやすいので困惑が見えやすい、子どもの問題は見えやすい、親の問題は見えやすい、ということもあったりするとかあるんです。
あるという言い方もします。
真の意味で豊かになってきているので、そのハードルが上がってきている。
だからメンタルヘルスの合格ラインが上がってしまった結果、問題が増えているんじゃないか、という意見もあるとは思います。
ただ、そうは言っても、もう一回ハードルが下がりますかというと下がらないので、そういう見え方もあるよねと言いつつ、やるべきことはやはりメンタルヘルスの教育だったり、教育システムの改革だったりするので、そういう見方もあくまであるでしょうという感じです。
ということで、高校生の親の役割、というテーマでなんとなく雑談っぽく、思いつくことを喋ってみました。
親子問題
2023.2.9