本日は「メタ認知」です。
俯瞰してモノを考える、というテーマでお話します。
「生きていることに意味あるんですか?」
「生きてることに意味ないですよね?」
「自分はどうしてダメなんでしょう?」
「別に自分ってダメじゃないですよね?」
と、よく患者さんから質問を受けるんです。
ちょっと一歩引いて考えましょうよ、もっと客観的に考えてみましょうよ、ということは治療者側から言われると思うんです。
ついつい悩んでいるときや落ち込んでいるときは、どんどん視野が狭くなっていって、その対象に入り込んでしまうことがあると思うんです。
だけどもう一歩引いてみよう、そもそも何だっけ、そもそもなんでお金を稼がなきゃいけないの、給料が下がったと落ち込んでいるけどそもそも給料が下がることの何が問題なの、評価されてないのがいやなの、それとも老後の資金が気になるの、老後って言っても物価って変わるんじゃない、今まで牛肉食べたり外食してたのをちょっと減らせばいいんじゃない、他の人ってそんなに外食してないよ、とまあ色々一歩引いてみると「あれ? そんなに悩むことないな」ということが多いと思うんです。
もっと引いていけば、しょせん脳の回路の問題なんだな、しょせん自分の命は宇宙から見たらちっぽけだな、宇宙自体に意味がないな、そういう風に思ったりするわけです。
ここら辺のことはちょっとグチャグチャとしていることが多いので、一度整理して、どういう形でメタ認知を鍛えていくのか、どういう形でメタ認知を考えていくのか、ということをちょっと話してみようかなと思います。
僕には精神分析や精神科のことを教えてくれる先生がいて、マンツーマンで教えてもらっています。
もうかれこれもう6年か7年くらい週1で教わっているんです。本当に長い付き合いです。
その先生と喋っている中で、「多くの人は意味なんか人生にないのに、意味があるかのように悩んじゃうよね」みたいなことをふと仰って。
時々言うんですよね、3ヶ月か4ヶ月に1回くらいそういうお話をされるんですけれども、いつもは流してたんですけど妙に引っかかったんですよ。
まあ、確かにそうだなと思って、なぜ多くの人は意味があると感じているんだろう、ということを疑問に思ったんです。
昨日、他の人と喋る機会があって、その人もどういう風に生きたらいいんですか、どういうことがやりがいなんですか、と聞いてきたんです。
僕もさらさらっと答えたんですけど、でももう一回整理して答えた方がいいかなと思ったので、自分の頭の整理も兼ねて喋ります。
コンテンツ
「意味はない」の世界
根本的には脳の神経の回路には意味はないです。
「こういうことがしたいから」と言って、神様が人間の脳を作ったわけでもない。
宇宙ができたのは、もしかしたらデザインをした人がいて宇宙を作ったのかもしれないし、何か意図があったのかもしれないけれども、少なくとも僕らはその意図はわからないし、恐らくないんじゃないかな、という気がします。
単純によくわからないからできたという気がするんです。
よくわからないけどできていて、重力とか色々なものがある中で、エントロピーが拡大していく、だんだん拡散していく中で、逆行するような謎の自己修復をしていく、自分で自分を複製していくような物質というのが現れたんです。
それが生命であって、それがよくわからないうちにどんどん変わっていって、最終的には膨大な時間をかけてやっているので、人間みたいなものにたどり着いたということなのかな、と思います。
脳神経細胞がどうなっているのかというのは、それ自体意味がないことが結構多く、悩んでいるからには意味があるんだと思うかもしれないけど、それは脳のバグだったり、そもそも進化の過程の中でまだ捨て去ることができないものだったり、そういうものがあるので、ただの現象でしかなく、これは何のためについているんですか、と言われても説明がつかないことがあります。
というか説明をつけちゃいけないんですよ、そもそも。
説明がつかないのが科学であって、法則を無理やり捻出しないのが科学の本質なんです。
相関があるんだなということがわかっていく。
哲学的なこともそうです。
意味を出していくということは、あんまり美しい行為じゃないんです。
ただ、ニュートンの古典物理学のような法則や説明というものは、人間が何かを考えるときにはすごく有効で必要なものなんです。
科学者になるためには、法則や説明を抜きに考えられるようになった方がいいんだけれど、なかなか人間の認知としては、そこまで賢くないので仮の法則を応用させて複雑な物事を考える、ということをしているということです。
AIみたいな形でデータを膨大に扱えるなら、そもそも法則とか意味を持つ必要がないんです、そんな無意味なもの。
それが「意味はない」の世界です。
人間には意味が必要
そうは言っても僕らは人間なので、意味や因果、やりがい、法則、そういうものが必要なんです。
それがないと考えられないんです。
僕はこういう人間なんだ、こういう生き方をしてきたんだ、こういうストーリーを持っているんだ、そしてこういうことにやりがいがあって、こういうことに価値観を持っていて、そして仲間がいて愛情があって、そういうことを考えるんです。
ここの世界は意味や因果、不幸にも意味があるし、幸福にも意味がある世界です。
これって結構難しいんです。
冷静に考えていくと、「あれ? 意味ないよね」ということになっていく。
社会や会社は本質的には虚構です。お金というのも虚構だし、地位というのも虚構なんです。
それは宇宙とか生命とか脳神経とか、それよりもはるかに手応えのない虚構なんだけれど、虚構じゃないと思いがちです。
なんでしょうね。
ここら辺は上手く説明がつきにくいというか、上手く腹落ちさせにくいんですが、例えようがないんですよね、これって。
本質的には意味がないんだけれど、人間が生きるためには無理やり意味をつけているというか、人間の脳みそという限定された装置、機械を使うためにはこういう意味性を咬ませてあげないと物事を理解できない、単純にそういう話なんですけどそれがなかなか理解しにくいですよね。
益田はそんなにドライに生きているのかと言われると、そんなことも当然なくて、やっぱり人権や人間の尊厳、色々なことを言います。
そういうものがなかったりするとやる気がなくなってきますから。
定期的に人間の価値は何かと考えたりすることでモチベーションを上げているというのはあります。
なんか面倒くさいなって思ったら、究極的には脳神経の世界に行ったら見えちゃってるから、もういいやと思いがちですけど。
この前ね、感動したんです。
リョーハムさんのYouTubeをちょこちょこ観てるんですけど、そうしたらリョーハムさんの義理のお母さんが出てきて感動しました。
リョーハムさんのことを言っていて、リョーハムさんのために頑張ろう、ウチの受付スタッフのために頑張ろう、自分の家族のために頑張ろうと思っていても、だんだん慣れてきちゃって、何かいいやって思うじゃないですか。
いいやとは言わないけど、慣れちゃう。
だけど、もうちょっと外側の人たちがすごくやってくれてると、「そうか、僕の頑張りの一部がリョーハムさんに届いて、そしてリョーハムさんがしっかり働くとか、ウチのスタッフもそうですけど、何かやることで、仕事を生み出すことで、その人の幸せもそうだけど、その周りの人も幸せにしてるんだな」と思うと、YouTubeぐらい撮るかとか、臨床ぐらいちゃんとやるか、そういう風に思います。
そういうことを思うと、お酒を我慢しているのも、飲んでも仕方ないな、松崎先生との話もそうでしたけど、キャバクラとかそういうところにも行かないんです。
誰かを傷つけることになるなと思うと、自分の欲望というのは我慢しやすいというか、我慢せざるを得ないというか、そういう感じです。
意味のある側の世界だけじゃなくて、意味のない側に行く、そしてまた戻るというのは色々な水準であります。縦に行ったり横に行ったり。
メタ認知を駆使した治療
そういうことを言うと、益田ってサイコパスっぽい、益田先生は気持ちをわかってくれないんじゃないか、解決してくれないじゃないか、ということだったりもするんですけど、気持ちをわかってないじゃないか、個人の物語とか因果とか何だよ、そんなことどうでもいいんだよ、そうじゃなくて私の気持ちをわかってほしいんだよ、脳神経とか意味がない世界とかよくわからないんだよ、と言われちゃうんです。
言われちゃうのがわかってるので言わないんですけど。
本質的には意味がないということは今私は死んでもいいんですか、みたいなことになりかねないので話さないですけど。
治療者はどういうことをしているのかというと、結局メタ認知を駆使した治療をやっている。
メタ認知を駆使した治療とは何かというと、意味の側のことばかり喋ってるとき、「自分の生きがいは?」「やりがいは?」と意味の側ばかり喋ってるときは無意味の方に振ってやる。
「そもそも脳神経ってこうだよね」「外から見たらこうだよね」「世の中にはこういう変な人もいるよね」「意地悪なことをしてくる人もいるよね」「悲観的に考える人もいるよね」「あなたはもうすでに努力をしてるし、それはもう体質の問題だよね」と無意味の側に振ってあげる、と。
逆に無意味の側に振ってる場合、「命って意味ないよね」「生きていることって意味ないよね」「お金なんて意味あるんですか」「しょせんみんな死んじゃうんだから、別に今頑張る必要ないですよね」と無意味の側に振ってるときは意味の側に戻してあげる。
「いやいや、そんなこと言わないでよ」「人間には生きている価値があるよ、尊厳があるよ」「あなたにだって思い出があるでしょう」とそういうエモいことを言ったりします。
それは何ていうのかな、そういうものなんですよ、治療って。
振り幅を調整していく、そういうある意味視点移動というのがメタ認知であり、技術というかトレーニングなんです。
それ以上でもそれ以下でもないというか、そういうことなんですけど。
なかなかここら辺のところは、ひと繋ぎで考えることがあまりないと思うんです。言われないと。
なので今回メタ認知というテーマで一回こういう俯瞰的な見方、視点移動のことを整理してみました。
あと、オンライン自助会もやっています。
やはり人と喋るというのがメタ認知を鍛えるにとても良いので、オンライン自助会に参加してもらうとか。
あと書籍も出ています。
親を憎いと思っている人は、親に問題あったんじゃないのと意味の側から無意味の側に行かせるような本ですので、意味側に行き過ぎている人はこの本をお読みください。
無意味側にいる人は、『夜と霧』とかそういう本を読んでたら良いかなと思います。
前向きになる考え方
2023.2.14