本日は「精神医学を日常に活かす」というテーマでお話しします。
こういう話題は真面目な先生たちに怒られそうですが、精神医学って面白いよ、精神医学ってこういう風に日常に役に立つんだよ、そういうことをみなさんに伝えるために、面白おかしくコミカルにお話ししたいなと思います。
科学的なところから少し離れるところもあるんですけど、話半分で聞いてもらえたらなと思います。
今回はやる気、誘惑をどうコントロールするのか。
どうやってモチベーションを上げていくのか、どうやってやりたいことをやっていくのか、どうやって目標を達成するのか、ということをテーマにお話しします。
コンテンツ
やる気、誘惑とは?
やる気や誘惑というのは何なのかということです。
なかなか説明するのは難しいんですが、人間というのは「快・不快」で動く生き物でもあるわけです。
不快なことは避けて、嫌なことは避けて、快楽があること、気持ちいいことをやるという風にできている部分もあるんです。
それはなぜかといったら、動物の本能としてうまく機能するように快楽を与えることで動くようになっているというか、そういう風にプログラムされているわけです。
AIがどうやって動くのか、どうやって学習してもらうのか、ということと似ていて、人間も快楽を求めるように動いてもらい、不快を避けるように動いてもらうという本能が備わっている、ということです。
やる気を自分でコントロールする、誘惑に負けない、というのは何なのかというと、快楽を手懐ける決意をしているかどうかなんです。
「そんなの人間の意志だけじゃない」「依存症というのは人間の意志ではなくて、環境や遺伝の問題が大きいんだよ」と散々言われてると思いますし、僕も言っています。
でも治療上本当に重要なのは、そこを超えてもなお「決意する」ということなんです。
それは嫌だよ。
嫌だけど決意しなきゃいけないんだよね。
それが治療なんです。
最初から「お前決意しろ」と初診の段階で言ったら、患者さんは通院をやめちゃうので言わないですけれども、どこかのタイミングでは、やはり患者さんに「それは決意の問題なんだよ」ということを話します。
そして決意をしてもらう。それが大事なんです。
それをじゃあ、どうやって決意してもらうのかということを考えていく、と。
決意するためには
決意するためには、そもそも「脳汁が出ている」ということを理解することが必要です。
さも快楽というのは「自分そのものだ」と思っていることが多いんです。
快楽こそ自分で、快楽に浸っているときの自分こそ本性だと思っている人たちがいるんです。
変な風に聞こえるかもしれないですけど、「それはあなたじゃないですよ、それ脳汁が出てるだけでしょ」と言いたくなります。
その背景に悲しいトラウマや色々な現実があったりするんだけれども、でも結局は快楽に負けるという決意をしていたりします。
依存させるもの
アルコール、大麻、ドラッグなどは基本的に脳汁が出るんです。
それは物質的にそれが出るような物質を集めてきているし、脳汁がより出るように進化しているというのはあります、工夫しているとか。
買い物、ギャンブル、ゲーム、そういうものも、行為ですけれども、やると気持ちがいい、だからやらせるように工夫されている。
ホスト、SNS、人間関係などの中にある承認欲求とか色々ありますけど、それもやはり脳汁が出るようにできているんです。
人に認められると気持ちがいいので、そこに支配されちゃう。
そしてそれらが全部組み合わさると性依存みたいな形で、性器をいじるということは基本的には脳汁が出るんで、その脳汁に支配されちゃう。
その上、他のものも重ねたりとか、人間関係のドラッグとかと合わせるので、ハマっちゃうんです。
でもこれはあくまで脳汁の問題なので、あなたじゃないですよねということです。
人間は脳汁だけでできているものじゃない。
キレイ事ぬかすな、と言われそうですけれど、キレイ事でもなんでもなくて、人間というのはキレイなんです。
放っておいたら満足した豚のようになっちゃうかもしれないけど、やはり僕らというのは人を助ける、芸術のために打ち込む、科学のために打ち込む、高尚な存在でもあるわけです。
やはり満足した豚よりは不満足な人間の方が良いし、満足した人間よりは不満足なソクラテスの方が良い。
そういう質的なものというのはやはりあります。
支配されたら虚しい
脳汁だけに支配されたら虚しいです。
何か虚しいなと思うんです。
虚しいなと思ったときに、「これもっと刺激が必要なんだな、じゃあもっと度数の高い酒が必要だな」「もっと過激なギャンブルをしなきゃいけないんだな」そういうことじゃないんだよね。
やはり虚しいと感じたなら、卒業のタイミングなんです。
僕らはたった一回の人生を大事に生きなきゃいけないし、それは自分のために生きるというだけじゃなくて、他人のためにも生きる必要があるし、そういう決意をどこかでしなきゃいけないんです。
別に若い時からしろとか、年を取ったら自分のために生きてはいけないとか、そういうことじゃないです。
自分のために生きなきゃいけないし、自分のために集中するというところもどうしても必要なんだけれども、それだけじゃダメだ、ということです。
自分のために生きた方がいい、というのは自由競争というか資本主義的な発想です。
でもこれだけだとやはり破綻しちゃうわけです。
かといって人のために生きよう、もっと理性的にやろうとして、究極的な形は社会主義みたいことですから、これでもやはり上手くいかないんです。
ここの上手いハイブリッドを目指すべきです。国家の運営もそうだし、僕らの生活でもそうなんです。
脳汁に支配されすぎず、程よく脳汁と付き合いながら楽しく生きる。
自分たちを惨めな存在だとかダメなやつだとか思わずに、やはり素晴らしい存在なんだと思って、素晴らしいことをしていく、美徳のあることをやっていく、ということはとても重要かなと思います。
とにかくそういう決意です。
汗臭いかもしれないけど、結構重要だったりします。
今回は、精神医学を活かす、というテーマで動画を撮りました。
快楽や誘惑とどう付き合っていくのか、手懐けるのか、ということをお話ししました。
前向きになる考え方
2023.2.22