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精神科医目線でキリスト教をメンタルヘルスに応用する

00:00 OP
00:48 キリスト教
04:04 自己理解と自己成長
05:25 寛容と許し
08:08 ストーリーテリング
09:04 完璧主義の人へ
09:38 許しのパターン

本日は「現代臨床とキリスト教」というテーマでお話しします。

以前、仏教哲学ということでChatGPTを使ってちょっと遊んでいたんですが、今回はキリスト教です。
イエス・キリストと話してみようかなと思ってやったやつを動画にしようかなと思います。

仏教が面白かったのでキリスト教だとどういう考えなのかなと思って、精神医学とキリスト教の接点を教えてくださいとChatGPTと話していたら、こういうことを教えてもらいました。

キリスト教

キリスト教はどういう宗教なのかというと、元々ユダヤ教の中から生まれてきたんです。
ユダヤ教の教えをイエス・キリストがアレンジして作った、作ったというとアレですね、彼は考えて、考えたと言ってもダメですね、でもまあ神様がいないという無神論の立場から言うと、あくまで個人的な意見ですけど、作ったということです。

本格的に広まるのはローマ帝国のときなんです。
ローマ帝国が国教に据えて拡大していく。
ローマ帝国は強い帝国で、その当時のヨーロッパの様々なカルチャーを国家を潰しては取り込み、拡大していった帝国でした。
その帝国を維持するためにも必要だったのがキリスト教です。

ヨーロッパに広がって、その後ローマ帝国の崩壊と共に国家が分裂して、今とはまたちょっと違いますけど、ヨーロッパは小さい国がいっぱいあるじゃないですか、あんな感じで分かれていくんだけれども、同じキリスト教を信じているという意味では、結構繋がりがあるという感じのものが続くんです。

カトリックの次にプロテスタントが生まれてくるんです。
プロテスタントから資本主義や民主主義が生まれてくる。
もちろんカトリックの要素もあるんですけど、共存して、今でいう資本主義や民主主義が生まれるに至るという感じです。

だから結構繋がっているんですよ、資本主義的な考え方と民主主義的な考え方とキリスト教と。
だから面白いなと思います。

僕ら日本人は、キリスト教的なカルチャーを引きつがず、資本主義や民主主義だけを借りてきたというところがあって、元の歴史を知らないから誤解しているときがあったり、上手く使いこなせないときがあるんですけれど、ベースはこういう流れがあるという感じなんです。

僕らが学んでいる精神医学やカウンセリングの技法というのは、基本的にはヨーロッパから生まれてきているので、やはりこういうカルチャーから生まれてきているということなんです。

前提となる議論や歴史背景を知らない人たちが心理士をやったりカウンセリングをしていると、何かよく分からない感じというのはあるかなという気がします。

自己理解と自己成長

ベースにある価値観の中心というのは、自己理解と自己成長のようです。一つの見方をすれば。
自分を理解していく、自分を成長させていくことが重要視されている。
それはなぜかというと、人間というのは神から造られているんです。
そういう選ばれた生物なんです。

神様に近づいていく、神様にはなれないんだけれどもなろうとしていく、という努力をすることが人間には求められている。
それはなぜかというと、人間には「原罪」があるからということのようです。

そういうことをしつつ、そのために自己理解をして自分を成長させていく。
そして何をしていくのかというと、神様の教えをもっと多くの人に教えていきましょうよ、宣教していきましょうよ、ということなんです。

そして、みんなが幸せになれるようにしましょう。
それは神様の教えなんです。
神様の教えであり、神様の愛だからだ、ということです。

宣教の部分、自己成長というのが、やはりローマ帝国っぽいですよね、確かに。
ローマ帝国に合うなあという感じがしますね。

寛容と許し

色々なカルチャーを組み込んでいくので衝突があるんです。
他の人との衝突があったり違う意見があったりするので、そういうことがあっても許していこうということが大事なんです。

問題はあるかもしれないけれども許していこう、寛容と許しが大事だ、ということです。
相手に対しても寛容と許しが大事だし、自分たちに対しても寛容と許しが大事なんです。

だから「許す」ということを重視するんです。
これが大事だなと思います。
やはりキリスト教の教えの、日本のカルチャーとちょっと違う重要な概念だなと思います。

精神分析が僕は好きなんでアレですけど、カウンセリングのカルチャーはやはりそうなんです。
問題は起きるんです。
問題は起きるし、起きている。だけどそれを許していこうよ、ということなんです。

治療者とのトラブルが起きるかもしれない、だけど許していく、治していこうよ。
ケンカは起きるかもしれないけれど、そこから修復していこうよ。
修復していく作業が成長でもあるし、自分を認めることでもあるし、許していくということなんです。

そしてそれが神様の愛と同じ。神と一緒なわけだから。
神様も人間を許してくれるんだよね、愛があるから。
だから僕らも神様ほどできないけれども、許していこうよということですね。
もちろん自分の身を守りつつ、相手を許していくということなので、そこまでマゾヒスティックなものではないんですけれども、そういうものだという感じです。
これも面白いというか、興味深いものがあります。

この寛容と許しという概念が身に染みていないので、治療がなかなか進まないことがあります。
日本人はそういうところがもったいないなと思います。

ネットで問題があっても叩くじゃないですか、悪いことをした人を叩いてもう二度と出てこられないように、完膚なきまで叩いちゃう。それは何かあるなと思う。
許すことをあまりしないカルチャーがあります。

ストーリーテリング

キリスト教の中で良い手法というか、応用の効く手法としてはストーリーテリングの重要性です。
物語を使って説明していくことの重要性が説かれている。

物語、フィクションというものを重視したり、それに対する価値を重んじるというのは、ヨーロッパのカルチャーだなと思います。
日本もそういうものがあるじゃないかと言われたらそうなんだけれど、やはり物語というものが持っているパワーというとヨーロッパという感じがします。

完璧主義の人へ

臨床応用としては完璧主義の人たちにこそ寛容と許しというのを覚えてもらいたいです。
自己理解や自己成長ということばかり追いかけられるけど、「寛容と許し」とセットなんだよね。

自己理解や自己成長だけ注目しちゃうと完璧主義になって、どんどん疲れちゃいますから。成長、成長みたいな感じだと。
それでうつ病やひきこもり、摂食障害になっちゃったりしますから。
そうじゃなくて許しというのがとても重要です。
許す、寛容と許しということかなと思います。

許しのパターン

この寛容と許しにも、色々なパターンがあるんです。
すごい許す、許して一緒に暮らすとかじゃなくて、敵対したままだけれど許す、憎んでいるけど許しの部分が少しあるというか。
だけどやはり本当の意味で受け入れたり一緒に暮らすことができないから、何て言うのかな、一緒に生活することはできないから理解して許そうとしている気持ちはあるけれども、自分の弱さも受け入れているので共存しているよみたいな、そういうことです。

寛容と許しが大事だというと、コメント欄で「じゃあ誰でも許さなきゃいけないのか」「犯罪者も許さなきゃいけないのか」そういうことになりそうですが、そういうことじゃないんだよね。

罪は罪、100%愛するというか受け入れることもしない、だけど許す、みたいな。
許しのバリエーションというか、何て言うんだろうね、たくさんの許しがあるんですよ。
たくさんの種類があるというのが豊かさでありカルチャーがあるということなんですけど、そんなことです。

ということで、現代臨床とキリスト教というテーマで、ちょっといつもとは違った角度でこころの平和、不安の取り除き方を語ってみました。


2023.4.15

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