本日は、虐待を受けたことがある人、元虐待児の治療というテーマでお話ししようと思います。
これは、いじめを受けたことがある人と言い換えてもいいかもしれません。
子どものときにひどい暴力を受けていたとか、ネグレクトに遭っていたとか、そういう人は結構難しいんです。治療するにしても。
今回はそういう人たちのことをちょっと話そうかなと思います。
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脳の成長
人間というのは、他の動物よりも不完全な状態で産まれてくるんです。
他の哺乳類よりも不完全な状態で産まれてくるんですよ。
皆さんイメージがつきますよね。馬や牛は産まれた瞬間から立って歩くことができるじゃないですか。人間はそれさえできないですよね。
人間は未熟なまま産まれてくるんですね。しっかり養育しなきゃいけない。
カンガルーも産まれた後にお腹で育てるみたいに、人間も細やかなケアが必要ですね。
それはいろんな理由があるのですが、とにかく未熟なまま産まれてきます。
脳みそが完成するのはいつなのか、大人としての脳みそになるのはいつなのかというと、これ結構遅いんですよ。
何歳ぐらいだと思いますか?
僕の動画をよく見てる人だったらわかるかもしれないですけど、25ぐらいです。
10代くらいまでに大きくなってきて、思春期に入ると2回目の出生と呼ばれる形でバッと変わるんですよ。
脳の組成が変わるような感じですね。
ホルモンの影響も受けるようになるし、色々なものが変わってきます。脳の中の組成が。
その結果複雑なものを考えたり、抽象的なものを考えられるようになるんですね。
子どもの時はなかなか考えられないんですよ。相手の気持ちや他人のことはなかなか考えにくいんですね。
本能的には捉えているんだけれど、理性的に捉えたりはできないです。
前頭前野で考えながら、相手が来たらこうだなと考えるのは難しいんですよね。
思春期をきっかけに考えられるようになるんです。
だから逆に、思春期をきっかけに相手は自分のことをどう思ってるんだろうととても気になるし、相手よりも好かれたいとかモテたいとか、優秀でありたいと思うわけですね。
最初のうちはホルモンの方が強いんです。
理性よりも本能の強いんだけれど、だんだん年とともに理性的な部分の成長が追いついてきて、30代前ぐらいになってくると、だんだん感情のコントロールができるようになってくるということです。
子どもの時の強烈なストレス
そういう未熟な脳のときに強烈なストレス体験をすると、脳の成長がちょっとうまくいかないんじゃないかということはわかってきているんですね。
そういう経験があると、そういう経験がない人に比べて、うつ病や他の病気になりやすい。大人になってから。
そもそも子どものときにうつになってしまうこともあるので、暴力、虐待、性的な虐待も含めて問題があったりしますね。
親からの虐待というのは一番ひどいです。
大人からの性的な暴力もひどいんです。
そして、同級生からのいじめというのもやはり問題があります。
だから虐待のある人の治療は結構難しくて、大人になってから病気がどんどん悪化していく。
20代とか10代でようやく見つかってくるというパターンもあれば、子どもの時からあるパターンもありますね。
それは隠されていたけれど、社会人になってやっていく中でとうとう火を噴くパターンもあったりします。
こういう人は結構多くいますね。
若いうちはパワーで乗り切ったけれど、40代や50代になったとき、エネルギーが尽きてきたときにトラウマが目を開くみたいなこともあったりします。
現状認識
こういう人の治療はどうするかというと、もちろん元疾患、うつ病、PTSD、不安障害、摂食障害、強迫性障害など、それぞれに合わせた精神療法ないし薬物療法をしますが、共通しているやり方もあるので、今回は共通している部分について解説します。
とにかく今の現状を認識するのはとても重要です。まず最初に。
今どれぐらい自分が傷ついているのか、記憶を隠ぺいしていたり、考えないようにしているんだけれども、どれぐらい自分が傷ついているのかを理解しなきゃいけない。
これがまた後ででも説明しますけど、避けてしまっているので、本来くっつくべき記憶と記憶、知識と知識の連動が繋がってなかったりするんですよね。
だから一回繋げてしまうと、芋づる式にいろんなものが繋がってきて、いろんな虐待とか過去のものが出てきちゃうので、それをしないように記憶と記憶とか、知識と知識を分裂させているんです。イメージとしては。
それだから安定しているんだけど、逆に分裂しているからこそ、想像力の豊かさや物事を深く理解することができなかったりしている。
この傷ついてる自分を認めて理解した上で、知識と知識を結びつけていく作業をしていかなきゃいけないですね。
加えて、「弱い他者」を理解する必要があります。
自分を傷つけた人間はいじわるで凶悪な人、そして強大な悪者だと思っているかもしれないですけれど、強い人は相手を攻撃したりしません。
これは残酷な事実なのですが、豊かな人、強い人は原則戦わないんです。
戦うというか、攻撃しないですね、弱い人に対しては。わざわざね。
傷つけた人というのは弱いからなんですね。
だから相手の弱さを理解しなければいけないんですよね。
自分を傷つけた相手が弱かったんだというちっぽけさというか、「こんな奴に」みたいな奴に傷つけられているので、それを理解するのはとても嫌な思いをします。プライドも傷つくしね。
ここも経なきゃいけない。
そして「トラウマ」というものが持っている本質ですね。
脳の記憶の中にそれがあるということは、他のものとの知識の連動がうまくいかなかったり、トラウマがあるからこれまで挑戦できたところを挑戦できなかったり、自信をつけるべきところをつけられなかったり、被害的になってしまったり。
そのトラウマというものの本質、傷というものの本質を、知識だけじゃなくて、感情的に経験に基づいて理解しなければいけないという作業があります。
いろいろありますが、とにかく現状認識ですね。
現状およびこういうトラウマが持っているもの、幼少期に傷つけられているということを理解しなければいけない。
人間として良い状況
その上で重要なことは、どういう状況になるべきかということなんですよね。
例えばウェルビーイングです。
人権的に認められていて、社会的にも肉体的にも精神的にも健康な状態である。
自己実現が認められている状態を目指す。
あとはいい状態というのは、正直なコミュニケーションを取れる。
自分の自由な発言ができる、そして自由な発言をきちんと相手に認めてもらえるという条件。
そういう人とコミュニケーションを取れる、人格と人格を尊重し合えるコミュニケーションを持てているか。
あとは、社会とのつながりですね。
人間社会の中でつながりを感じられているか。自分は社会から必要とされているという感覚。
社会に貢献できているという感覚、社会だけじゃなくて世界ですよね。
地球というか、自然界というか命というか、そういう大きなものとのつながりを意識できるのか、理解できるのか、そういうのがとても重要です。
幸福がわからない
こういう状態を「幸福」と呼ぶのですが、そもそも幸福とはどういうことか考えたこともなければ、見当もつかないという人が多いですね。
今は苦しいのはわかる。だけど苦しくない状態になりたいと言うんですよね。
だけどじゃあ、その先に何があるのか。
全く苦しくない状況とか、不安がない状況はあり得ないわけですよ。僕らは人間で、生きている限りは。
それは追い求めても手に入らないんですよね。だけど良い状況は手に入るんですね。
ウェルビーイングが達成している状況とか、自然や社会とつながれているというか、人格が尊重されているなと思える状況は達成できるわけですね。
これは別に権力者だとか、社会的に成功しているとか、金持ちになったとかスポーツで優勝したとかそういうわけじゃなくて、誰にでも手に入るものなんだけれど、この状況というのがよくわからないんですね。
こういう状況になっていくんだよ、治療していけばなっていけるんだよ、そういう楽観性というか常識的な楽観性。自分は治療を続けていけば、今すぐではないかもしれないけど、数年後良くなっていくんだという漠然とした楽観性が持てていなかったりするなと思います。
でもこれを理解するんですよね。この状況を知識として理解していくことが重要です。
目標はどこなのか。
良い習慣を身につける
こうするための日々のトレーニングがとても重要で、良い習慣を身につけるということですよね。
内省する時間をつくるとか、もし内省する時間を取りにくいのであれば、シャワーを浴びている時でも歩いている時でもいいです。
なかなかできないのであれば、瞑想する時間や座禅を組む時間をつくるのが大事ですし、日頃から自分の体やストレスの状況、心身の状況を把握する、モニタリングする癖をつけるとかそういう習慣を身につける。
良い食習慣、睡眠の時間、程々の飲酒もしくはゼロ飲酒ということをやるのは大事です。
くれぐれも物質的な快楽の世界を追い求めすぎないことが大事です。
別に僕はそんなすごい真面目というか、お坊さんになれと言っているわけじゃないので、別に肉を食べてもいいと思いますし、お酒飲んでいいと思っているんですけど、でもこれだけにすがらない。
お金とかお酒とか、目に見えるものだけを追いかけるのではないんですね。
そういうものだけを追いかけていても、決して豊かにはなれないし、内的な充足感は得られませんから。
それは程々に、人生のスパイス、楽しみだと思って追いかけつつも、良い習慣を保ちウェルビーイングを目指すことがとても重要です。
罪悪感と感謝のミックス
やはり人間不信がもともとあるんですよ。虐待を受けていた人は。
自分がどんなに信用しようと思っても、なかなか信用しきれない。
最後の最後まで受け入れがたかったり、他者を取り込めないところがありますね。
これは自分から「私は人間嫌いなんです」と言える人もいれば、「私は皆のために何かしたいんです」と言ってもなかなか自己開示できない人もいる。いろんなパターンの人間不信というのがあります。
人間不信を解くのは結構難しいんですよね。
過去の怒りがあったり、他者に対する怒りがあるのですが、同時に受容していかなきゃいけない。
受け入れる、でも受け入れつつも怒っていいんです。
相手を怒る、憎しむことを持っていてもいいんだけれど、同時に受け入れるということをしなきゃいけない。
感謝をしなきゃいけないんだよね。でも感謝をすると、すごく罪悪感に襲われるんですよね。
自分はダメな奴なんじゃないか、こんな人に迷惑をかけてよかったんだろうかとか。罪悪感と感謝のいい感じのミックス。
罪悪感がないところには感謝は生まれないので。
ここをいい塩梅で自分の中で抱えられるのか、複雑な感情を抱えられるか、というのがとても重要なポイントです。難しいね、こういうのは。
トラウマや虐待というものを自分の中に消化していくのは、誰しもできるものではないんじゃないかなという気はしますね。
すごく抽象的で難しい作業なんじゃないかなと思います。
だから必ずしもすべての患者さんにトラウマを100%癒していった方がいいです、とは僕は言えないです。それよりも日常の問題を解決して楽しみを見い出したらと言ってお茶をにごすことが多いです。
ただしっかりね、虐待やトラウマと向き合って治療していこうということになると、こういうところがポイントなのかなと思います。
今回は虐待のある人の治療というテーマでお話ししました。
精神医学
2023.4.24