本日は「治療後の世界、寛解後の世界」というテーマでお話ししようと思います。
精神科の治療はなかなかイメージが湧きにくいし、治った後どうなるのかもイメージが湧きにくいですよね。そもそも人間はどうなっていくの? どういう状態が幸福なの? というのは、一般の人も答えにくいし、たぶん精神疾患がある人はなおさら答えにくいんじゃないかなと思います。
普通の幸せというものを経験したことがなかったり、見ていてもよくわからないんですよね。
これがいいんだよというか、これが標準なんだよということを知らなかったりするので、今回はそこら辺の話も含めてしようかなと思います。
こういう状態であればいいんだというのがわからないと、なかなか治療は進みにくいと思うんですよね。
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人間は矛盾を抱えている
そもそも人間とは何なのか、ということから考えてもらいたいのですが、心とは何かというと「脳」なんですよね。
脳はタンパク質でできた機械ですね。遺伝子という設計図をもとに、タンパク質や脂質などいろいろなものを使って組み上げられた機械、構造、臓器です。
その中でいろいろな情報をやりとりして、考えたり、判断したり、情報を整理したりしているわけです。
心というのは脳なんですけれど、人それぞれ違うんですよね。
違う人間たちが集まって、ああだこうだ言いながら狭い世界で生きているわけですよ。
互いに主張し合ったりするので、妥協しあえるようにルールが大量にあります。
ルールが大量にありすぎる。暗黙の了解まで含めると、本当に大量にあります。
人間が作ってきたルールがある。それは僕らが生まれる前から、はるか昔から少しずつ作り上げてきたルールでもあるし、そして現在に生きている僕らが付け加えているルールでもあったりします。
その中で情報のやりとりをしたりとか、いろんなことをやったりしていますね。
だから複雑かつ矛盾を抱えてるんですよね。
脳もそうですよね。脳も進化してきていますから、最初は微生物というか、ミドリムシみたいな状況から、どんどん少しずつ進化していって、神経系も進化していって形になって、魚類から爬虫類に進化して、そしてほ乳類になっていく。
哺乳類もだんだんサルみたいに賢くなってきて、その先に人間がある。
神経系もどんどん複雑に進化していっているんですよね。削られるというよりは、追加されていることが多いので、人間の脳の中も矛盾するんですよ。
いろんな感情とか考えとかが。
どっちがいいんだろうというときに、Aと答える部分もあればBと答える部分もあって、どっちかを選ばなきゃいけない。
個人の中でも矛盾したり悩むのに、社会の中ではなおさらそうですよね。
矛盾した同士が集まってなんとかうまく生きようとしてるので、社会はとても複雑だし矛盾しています。
お腹が空いたな、食べたいな。「食べたい」というのと「でも食べ過ぎちゃいけない、太っちゃうから」というのも個人の中で矛盾しますよね。
それが社会に出てくると、モノを売りたいな、体に悪いものも売ってやろうみたいなね。
体に悪いものを売っていたら医療費が増すよね。健康が悪くなって医療費が増すして税金が増えちゃう。
だけどたくさん利益を出してもらった方が税金が増えるからそうするとか、矛盾しているわけですよ。
社会の中でも矛盾があるし、脳の中でも矛盾がある。
複雑かつ矛盾を抱えていて、何が正解かはその場その場で変わってくるし、失敗も多いです。そしてかつ変化していくんですね。
複雑かつ矛盾しているけれど、変化がなければ何十年とか、何百年とか、何万年もかければいつかは正解にたどり着くかもしれないですよね。
これがいいだろうというベターな回答が出るかもしれないけど、そうじゃなくて変化しているんですよ。
人間自体もゆっくりだけども進化していたり変化しているのもありますし、社会はそれ以上にどんどん変化していますよね。僕らが生きている間だけでも、この5年、10年でも社会の常識、ルール、価値観は変わってきている。
この中で正解というか、正しさを見つけていくのは至難の業ですね。
だから人間というのは常に変化に合わせて選択して、そして選択した結果、失敗することももちろんあります。
たった1回の人生しかないのに、何でこんなことが起きるんだと思うかもしれない。
たった一回の人生で、僕らは死んだ後に何も残らないにも関わらず失敗するんですよね。
それはぎょっとしますよね。たった1回しかないのに、失敗することがあるっていう、その恐ろしさがあります。
ストレス・不安・悩みは尽きない
結局、ストレスや悩み、不安は尽きません。
お釈迦様というか、ゴータマ・シッダールタも死の直前に本当にストレスや不安や悩みがなくなったかというと、そういうことはないと思いますね。
悟りを得たからといって、それがないということは人間としてあり得ないですよね。
人間であればだけれども、僕は思いますね。
あらゆる哲学者もあらゆる宗教家も、あらゆる精神科医も、ストレスや悩み、不安が尽きたことはありません。人類史上おそらく。
それと付き合いながら生きていくということですよね、程々に。
というのがゴールであり、幸せの状態ということなんですよね。
幸せのゴール
自分に軸があって、世間の価値観に合わせつつ、世間の価値観にフィットして、うまく生きていきつつ、でも世間の価値観に合わせすぎず、自分独自の価値観を持つ。
自分独自の価値観の中で、うまくやっていく、世界とつながりを感じる。感情に支配されすぎない。
そういうことがある程度できているのが幸せの状態であり、目指すべき状態です。
まったく不安がないとか、まったくストレスがない状況はあり得ない。
この選択肢をやり続ければ正解なんだということもないわけですよね。
僕らは常に生きている間は学習し選択し、失敗し続けることを受け入れていかなければいけないし、それがありつつも、それが幸せだと感じられることはとても重要なんです。
これがある種のゴールなんですよというと、今の自分とそんなに変わらないんじゃないかという気がするかもしれませんね。まあ、そうと言えばそうなんだよね。
今の自分とそんなに変わらないんですよね、ゴールっていうのは。
だけどちょっと違うというのが治療後の世界ということになります。
とは言っても、脳内が引き起こしているドパミンとか肉体的な変化もありますから、それだけではありませんが、思考というか、心のあり方というのはこうですよということです。
人格的な成熟が起きた後
じゃあその後どうしていくのか。
精神科に通院していくことで、薬物療法もあるし、主治医との会話の中で、「ああ、これが人間なんだな」「これが社会なんだな」「自分の人生ってこういうものなんだな」ということが、ある程度思考が整理されたり理解が進んだりして、人格的な成熟が起きた後、じゃあ次はどうするんですかということです。
まあいろいろあります。
うつ病、双極性障害、統合失調症、いわゆる昔で言う難治性疾患と呼ばれる病気たちですね。
この3つは再発のリスクがとても高いんです。なので再発予防のため、薬物治療の継続というのが必要です。
悟りに近いくらいに達観したとしても薬は必要です。再発しないために。
「常に必要ない人だっているだろう」と言われるかもしれないけれど、ここは結構難しいです。
学説によって分かれるかもしれないですが、オーソドックスに言うと再発予防のために薬を飲みましょうと教わります。
5年くらいで再発がなかったときにどうしようかと考えたりするのですが、5年以内の再発率が6割7割を超えてくる病気ですから薬は必要だし、臨床的にはまあ5年ぐらい経つ前にはまた再発していたりするので、結局飲み続けなければいけないことが多かったりします。
悟りに近い状態になったとしても必要なんですよ。
次に発達障害、精神発達遅滞、不安障害、強迫性障害、PTSDなどいわゆる心因性疾患の場合どうなのかというと、薬を使うかどうかはその人次第かなという気がします。
生まれ持った体質の問題ももちろんあります。
発達障害であれば注意散漫になりやすい、不安障害であれば不安になりやすいというのがある。
それは悟りに近い心理状況になったとしても、薬でちょっと体質改善してあげた方がいいんじゃないかという考え方もある。
それは精神科医の中では一般的なんじゃないかなという気がしますね。
薬で補ってあげた方がパフォーマンスは良かったりもしますので、身体に問題がないのであれば使っていく。大量ではないですよ。
本人にとって必要な量を考えつつ使い続けていくのもアリかなと思います。
もちろんですね、薬がなくてもうまくやれているし、通院も面倒くさいのでやめますという人もいますから、どっちが正しいというわけではないと思いますが、難治性疾患以外だったらどちらでもいいかなという気はします。本人の自由かなと思います。
通院している患者さんでも、あったほうが良いと言って飲み続けている人もいるし、飲まなくなってときどき顔を見せにくる、久々に先生にちょっと会いに来たんです、という人もいます。
どっちがいいのかという感じです。
でもまあそういう状態になったとしても、その人たちがストレスや悩みとか、不安から解放されてまったくゼロかというとそういうわけじゃなくて、そういう状況がありながらもうまく付き合っているという感じですね。
支配されないということです。
こういうイメージを持ちつつ、白黒思考に支配されず、「ああ、こういうものなんだな」と思いながら治療できる。そういうところを目指していけるといいんじゃないかなと思います。
今回は、治療後の世界というテーマでお話ししました。
前向きになる考え方
2023.4.26