本日は「日本の仏教と現代心理学」というテーマでお話しします。
ちょっと前になると思いますが、仏教と心理学の相違点と同じところ、そういうテーマで動画を撮りました。
その時はゴータマ・シッダールタ、お釈迦様の教えと現代心理学の相違点をお話ししました。
僕は無神論者なのでお釈迦様という人を一人の人間として捉えているんですけれど、紀元前500~600年前の哲学者というか宗教家の人なのかなと思っています。
彼の教えが今も変わりながら残っていると思います。
ゴータマ・シッダールタの教えがインドから中国に渡り、中国から日本に移ってきたという形です。
コンテンツ
奈良仏教、平安仏教
日本に仏教が伝わってくるのは奈良時代なんです。
奈良時代、平安時代と仏教が伝わってきます。
そもそも仏教はどういう形で伝わったかというと、国家を守るために仏様の力を借りようとして学びに行ったというところがスタートなんです。
だから国家主導なんです。
初期の仏様の教えから、インドから中国に渡っていく中で、色々なカルチャーがもみ合って、ゴータマ・シッダールタ自体が神格化されていって、仏様いわゆる神様の仲間になっていく。スピリチュアルというか、超常現象の一種というか、そういうものに変わっていく。
その超常現象の力をお借りするために、国家がお金を出して留学させに行ったということです。
奈良時代とか平安時代、色々な当時のエリート、当時のインテリの人が送られて学んできて、日本に広めたのが奈良仏教だったり平安仏教だったりします。
色々な宗派があるのですが、色々な人が学んで開いてきたという感じです。
日本の精神分析や認知行動療法と似ています。
日本は島国なので大陸から来たものを学んだりしてるのですが、留学をして学んできて、日本で広める、みたいな感じです。
奈良時代、平安時代の仏教というのは密教の影響が大きかったようです。
とても抽象的で難しいんです。
これが庶民のもとに広がっていくためには、どういう風に変化してきたかというと、日本の土着信仰、日本に元々あった多神教の要素、日本の風土に合わせて変化していくんです。
庶民に伝わってくるのは、時間がかかって鎌倉時代になります。
鎌倉仏教
鎌倉時代というのは色々変動があって、武士が政治を治めた時代です。
平安時代から鎌倉時代は「末法思想」というのが流行っていたんです。
お釈迦さまが亡くなって1500年くらい経つので、困った情況ですよ、この世の終わりですよ、という末法思想が流行った時代でもありました。
そういう中でどういう風に救いを求めていくのか。救いを実践していくのか。
庶民が救われるにはどうしたらいいのか、ということを考えていた時代のようです。
いつの時代も今が最先端なんです。
今が最先端で、いつの時代も今はもう終わりの時代なんだ、と思いがちです、だいたい悩んでいる時はみんな。
日本もそうじゃないですか。
もう日本は終わった、世紀末だ、高齢化社会で日本にはもう先はない、これから日本というのはもう経済大国じゃなくて、どんどん色々な国に抜かれていって、落ちていく一方なんだとそういう言い方をしますけど、いつの時代もそういう風に考えがちです。
鎌倉仏教は大きく分けると、浄土系と禅宗系に分かれます。
浄土系というのは浄土真宗や浄土宗などです。
禅宗系というのが曹洞宗や臨済宗です。
浄土系というのは阿弥陀如来の信仰を重視するんです。
悟った人というのはお釈迦さまだけじゃなくて色々な人がいますよ、その中に阿弥陀如来というのがいて、仏さまとも繋がるんですけれども、めっちゃいいヤツなんです、簡単に言えば。
めっちゃいいヤツだから救ってくれるんです。
みんな救ってくれますよ、という形です。
自分の力ではなかなか救われないし、自分たちは弱いんです。
庶民は忙しいから、ずっと修行していくわけにもいかないわけです、自分たちの生活があるから。
だけどこういう人たちを見捨てないですよね、という話です。
これはキリスト教などの一神教とも似てますが、神様というのは偉大だから助けてくれるというやつです。
助けてくれるから大丈夫だよ、その代わり信仰しなさい、しっかり信じなさいよ、というシンプルな教えです。
これを他力本願と言ったりしますけど、これが浄土系です。
南無阿弥陀仏と唱えなさい、唱えるだけでいいんですよ、念仏を唱えるだけでいいんですよ、と言ったのが浄土宗です。
念仏さえ唱える必要ないよ、だけど感謝を伝えるために念仏を唱えなさいよと言って、より戒律を緩めたのが浄土真宗です。
踊っていればいいですよと言ったのが、踊り念仏とかいう時宗というやつです。
踊りで伝えようみたいな感じの浄土系です。
禅宗系というのは、いやいや自力が大事だよということで、座禅を組んで悟りに近づいていこう。
公案と言う抽象的で難しい問答を繰り返す中で、人間の知性というか理性の限界性ということに気づき、その中でよりスピリチュアルな部分で悟りを得ていく。
今を一生懸命生きる。
日々の生活の中での掃除なり何なり、全てのものに修行の要素があって、そういうものを通じて悟りに至りますよ、仏だけじゃないんですよね、みたいな感じが禅宗です。
とてもシンプルかつ実践的な教えということになります。
面白いなと思います。
どっちの要素もあるなと思います、本当に。
自分はそんなに強くないし、弱い存在、だけど認められる。
弱いんだけど、だからこそ認められている、弱いからこそ救ってくれる、弱いんだけれど、世界から認められている、承認されている、ということです。
承認されているんだから大丈夫だよ、承認されているということを何度も思い返さなきゃいけないよ、お前は大丈夫なんだよ、と言い続けてくれているような感じです。
共感・問題解決
臨床的ですよね、とても。
虐待を受けてる人や自己肯定感が低い人に、いや大丈夫だって、大丈夫だよ、君は大丈夫だから、価値があるんだから、働けなくたっていいんだから、福祉に頼っていいんだから、人権があるんだから、価値があるんだから、時間が解決する、うつ病は絶対治るよ、と言い続けてあげるような感じです。
これもひとつの臨床的なパターンです。
共感を重視する、繋がりを重視する、みたいな感じで。
一方で、座禅を組む、自分の中で過去のトラウマと向き合っていく、自分の中で色々なものを解決していく、問題解決が大事だよ、という感じです。
瞑想する、マインドフルネスが大事だよね、とか。
前頭前野ですね、抽象的なことを考える力、理性の力を高めていかなきゃいけないよね、自己理解を深めていかなきゃいけないよね、だから公案は大事だよね、みたいなやつです。
これも大事だと思いますね、精神療法とかカウンセリングとか。
益田のYouTubeは、どちらかと言うと禅宗系という感じです。
元々自衛隊というのもある。
武士が結構好きだったみたいですね、禅宗系が。
自分の力で頑張っていこうみたいなやつが。
益田のYouTubeは禅宗系ですが、でもYouTubeを使っているという意味では、皆を救いたいというのもあるので、そもそもそんなに難しく考える必要ないよ、世の中の人は能天気なんだから僕らも能天気でいこうよみたいな教えも大事だから。
教えというかそういう部分も大事なので、浄土系も大事かなと思います。
最近でこそ逆輸入という感じで座禅や禅というのが人気ですが、日本っぽい感じというと浄土系というか、おじいちゃんおばあちゃん、みんな含めて信じていたのはやはり他力本願というか阿弥陀如来というか、念仏信仰だと思います。浄土系だからダメとかそんなことはないと思います。浄土系が基本かなって気はしますけどね。
知的好奇心とかそういうものに興味があれば、禅宗系も学んでいいかなという気はします。
ということで今回は、日本の仏教と現代心理学、というテーマでお話しました。
心について考察
2023.4.28