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カウンセリングの歴史。現代の公認心理師に求められる力など

00:00 OP
01:13 カウンセリングや精神療法は西洋から生まれてきた
05:54 日本でのカウンセリング
09:32 やはり大切なこと

本日は中間報告みたいな形で、なぜ倫理とか哲学、心理学、宗教を益田のYouTubeチャンネルで取り上げているかということをお話ししようかなと思います。

まあ結構やってきましたよね。
キリスト教、仏教、実存主義、日本の仏教、ギリシャ哲学、アウグスティヌスまで来ましたね。
近現代の哲学も話をしてきたと思いますし、人権の話もしてきたので、中途半端なところからスタートして、ぐるっと回って1周してきたというところもあるかなと思います。

また再開しますけど、とりあえず大雑把に語れたので、一回中間報告をしようかなと思います。

カウンセリングや精神療法は西洋で生まれた

皆さんだんだんわかってきたと思うんですけども、カウンセリングとか精神療法はやはり西洋から生まれてきたものでもあるし、西洋のカルチャー、つまりキリスト教とか、そこに付随する哲学の影響を受けて成立しているんですね。

だから、カウンセリングが求めている治療というのは、すごく西洋的な価値観の中にあります。
と言いつつ、どういう歴史があるかというと、もともとキリスト教があったんですよね。キリスト教の中では精神疾患は保護されたり、もしくは悪魔がついてという形で魔女狩りに遭ったりしていたんですね。

聖書の中では語れなかったんですよ。
病気とは何かというのがよくわからなかったので。
それが聖書の影響から離れて科学のメスが入るようになってきた。その中で脳の病気なんだということがだんだんわかってきた。

そして人権の概念も広がりつつあって、患者さんにも人権があるよ、だから優生思想みたいな形で病気の人だから全員処刑だとか、そういうことはないわけですよね。
そういうのが出てきている。

治療をしていく中で薬以外のやり方はどういうものがあるかということをまず考えた。
薬は1956年くらいからできます。
精神医学は19世紀ぐらいから始まっているんですね。19世紀の中頃から、つまりダーウィンの進化論が1850年ぐらいなので、そこら辺でようやく聖書の影響を受けずに科学のメスが入ったんですよ。

最初は動物とか生物学に科学のメスが入り、次に人間の精神や人間の体に科学にメスが入った。なので19世紀ぐらいから始まっていく。
人権運動も広がりつつある。それまでは魔女狩りに遭ったり、見世物小屋に入れられたりとかしてたんですね。
呪われてると言われたりした。

でもそうじゃないよねと言って、ピネルという人が人権を訴えたんですけど、当初は催眠術で治せるんじゃないかという概念があったんですね。
催眠術をシャルコー先生が教えていて、そこに学びに行ったのがフロイトなんです。

でもフロイトは催眠術が下手だったみたいですね。
下手だったから催眠がうまく掛けられなくて、代わりにカウンセリングをしてたんですよ。
秘密の話とかうまく喋れないことを聞く。
催眠をかけて暗示をかけてあなたは良くなったよと言い聞かせるのではなくて、相手から話を聞く、つらいことを聞く、傾聴してあげると良くなるんだということがわかってきた。

そして、いろいろなことを伝えたり、勉強すると良くなるということで、「精神分析」というのが出来上がった。
精神分析は今もあるんですけども、だんだん権威主義的になってくるし、科学的じゃないんですよね。
精神分析は科学じゃなくてカルチャーだみたいなね。

精神分析は精神分析でしかないという形で、科学であることをやむをえず放棄することになるんですけども、そこからその精神分析的なエッセンスとかを色々引き抜いて、「認知行動療法」というのがある種でき上がるんですね。
正確にはちょっと違うんですけど、まあそういう風にイメージしてください。

精神分析は結構ややこしかったり、特別な用語を色々言うので、もっとわかりやすいタームにしていって、全12回で終わるようにカウンセリングのセッションを構造化しましょうよということでCBT(認知行動療法)が出来上がった。

CBTから次に、ただカウンセリングだけじゃなくて、もっと行動療法の側面を生かして、そして行動療法の中にマインドフルネスといって瞑想も取り入れた方がいいよねということがわかってきたので、今は第3世代のCBT +マインドフルネスというのが一番オーソドックスというかメジャーですね。

これが精神医学の歴史です。

日本でのカウンセリング

じゃあ実際、今の日本のカウンセラーというのはどういう手法で、どういうカウンセリングが求められているのかと言うと、これも結構ややこしいんですよ。
こういうカウンセリングの技法とはまた違ったものが求められています。

いわゆる総合力、ここら辺の知識全般に知っておけよみたいな、そして応用しろよと。
そして現実主義で現場主義であれよ、という感じなんですよね。
ここら辺はある程度言語能力が高くなければいけないし、時間とコストもかかるんですね。コスパも悪いんです。

時間もかかるし、エネルギーもかかるし、患者さんが必要とするエネルギーだったり、学習意欲だったり、いろんなものが必要になってきたりする。
そもそも発達障害の人には難しかったり、子どもには難しかったり、知的障害の人には難しかったり、統合失調症の人も難しく、いろいろな側面があるので、それよりも福祉をきちんと導入することを勧める。

カウンセリングで頭がいっぱいになるんじゃなくて、カウンセリングしつつ福祉を導入するとか、内的な活動、内的な探求だけじゃなくて、現実的な対応やコミュニケーションのし方を学ぶようなカウンセリングも大事だよね、という形になっているんですね。

だから今の公認心理師というのは、内的な探求もしつつ、現実的な力も身につけさせつつ、福祉も導入しなきゃいけないというすごい総合力が求められているという形に変わっています。
ただまあ、それがここ最近ですね、僕はそれがいいと思います。

やはりカルチャーになってしまうので、精神分析もそうですけれど、カルチャーになってしまって。現実の患者さんというのは別に心理学オタクになりたいわけじゃないので、楽になりたいし、救われたい。
尖っていくというのも大事だとは思いますけど、それだと研究になってしまうので、そうじゃないのが大事だというのは僕も同意ですね。

日本はキリスト教のカルチャーはないところに、精神医学が入り込んできて、もともと仏教や儒教みたいなものがあったところから入ってきて、公認心理師もできちゃったというので、この流れをあんまりよく知らなかったりするんですよね。

なので混乱があったりとか、なかなか勉強しにくかったりもするし、患者さんもよくわからないので混乱してるのかなと思います。

ヨーロッパだとベースの流れというか、少なくともここの流れはありますから、ここがわかっているので、もうちょっとカウンセリングが導入されやすかったり、理解しやすかったりするんだけど、日本の場合はカウンセリングカルチャーが元々ないので、仏教とか儒教の国でしたから、教えを請うみたいな国だったので、なかなかここの部分が理解しにくいのはあるのかなと思います。

僕個人としては元々自衛隊にいて、どちらかというと「チャス!」みたいな世界から医者になっていって、精神医学を学んで自衛隊を辞めてちょっと精神分析を学ぼうかなと思って。
でも精神分析を学ぼうと思ったら、もう発達障害の時代になっていて、開業してね。
YouTubeをやったらと言われて。早稲田でやっているので、学生さんから勧めがあってやり始めて今に至るという感じですね。

やはり大切なこと

YouTubeを始めて4年ですけど、4年の中でも結構変わってきていて、世の中が。
ChatGPTが登場したり、メタバースの時代が来るだろうとオンライン自助会を2022年の3月に始めたりしているという感じですね。
なんか面白いなとは思います。

もう一回戻るとなぜ歴史をやるのかっていう。
ここら辺のことを取り上げているのかっていうと知る必要があるからですよね。
もちろんそれはその歴史的な興味ではなくて、現実的に必要だとわかったからなんですよ。

SSTとか福祉導入をやっていても、やはり患者さんの満足度というか、心の平和は訪れなかったりするんですよね。

だから、内的充実を得るためには、自分が無価値なんだということ、この誤った認知を否定してあげなきゃいけないんですよ。
いや、自分たちは価値があるよねって。
だけどそれを、僕らは人権があるから価値あるよとか、それってあなたの努力ではなくて、運の問題だよねとか、そもそも脳で決まってるんだよ、心の病気じゃなくて脳の病気なんだよとか何度言っても、やはり取れなかったりするんですよね。

僕も臨床をやりながら、何でなんだろうと考えてみると、なぜ日本ではそうなんだろう、他の国とはちょっと違うんだろうということを考えていくと、やはりベースの歴史というか。海外の人が歴史をしっかり勉強しているかというと、そういうことではないと思うんだけども、その土地にあるカルチャーというのがやっぱりないから身に付いてないというか。
だから僕らはそういう風に思えないのかなと思ったんですよね。

ちょうどその頃、ChatGPTにも人間らしさとか倫理とか大事だよとか言われて、これからの時代はそうなのかなと思って、ChatGPTができることではないことを僕はやった方がいいんだろうなと思いつつ、もう一度そういうところから含めた流れを、そして患者さんたちが人権があるとか、生きている価値があるということをもう一回説明したいなと、自分でも学び直したいなということで、倫理とかをやり始めたということです。

だからゴールはここなんだよね。
どうして僕らは人権があるのか。どうして僕らは運に支配されてしまうのか。
そして運に支配されてしまう僕らは本当に無価値なのか。
ニューロダイバーシティみたいな形で、脳は生まれながらにして色々違うんだけども、優れた脳と優れてない脳があるかもしれないけれども、それはどういうことなんだ。

本当に僕らは無価値なのかということを、もう一回歴史に戻って過去の偉大な人たちはどう答えたのかを振り返りたいし、彼らがどう考えたのかというのは、今日のカウンセリング技法の中にも残ってますから、その相違点を発掘していきたいなと思っている訳ですね。

難しいね、難しいですけれども、人気ないコーナーかもしれないですけれども、頑張って見ていってもらえればなと思います。
あと、僕より詳しい人はたくさんいると思うんですよね。なのでコメントで色々教えてくれると僕も学びになります。

僕もこれからYouTubeか何かわからないですけど、医者はあと20年+10年くらいやる予定なので、どんどん勉強していきたいと思っていますので、一緒に勉強していけてたらいいんじゃないかなと思います。

今回は、歴史をなぜやっているかみたいなテーマでちょっと話しました。


2023.5.26

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