現代社会においてどういう生き方が正しいのか、どういう生き方をするのがいいのかということを益田目線で、僕の個人的な主観も交えてお話ししようかなと思います。
やりたいことがないとか、自分はどう生きたらいいかわからないという人がたくさんいると思うんですよ。
お金を稼げばいいんだろうか、でもお金じゃないよねとか、幸せに生きたいけれど幸せって何なのかと迷っている人が多いと思うんですよね。
僕はどういう根拠で、どういう思想的なバックボーンがあるから、そういう風に答えているのか。
それは僕が個人で考えているのではなくて、きちんと背景に理論があるんですね。
僕は理論に基づいて説明しているので。精神科医ですからね。
精神医学や何かの理論に基づいて喋っているわけですよ。だからそういう話を今回しようかなと思います。
僕らが持っている思想的なバックボーンというのは、恐らく今日に生きる皆さんとも相反しないと思います。
なのでそこら辺を理解してもらえたらと思います。
■ニューロダイバーシティ
まずよく生きる生き方の一つとしては、ニューロダイバーシティを意識するということです。
ニューロダイバーシティとは何かというと、人は生まれながらにしていろいろな形の脳みそを持っているということです。
ニューロ=神経、ダイバーシティ=多様性です。
人それぞれ生まれ持った脳も体も違うんですよ。
人によってはすごい元気だったりバイタリティがあって、努力は努力でない。
1日4時間か6時間寝たら朝から晩までバリバリ働けるし、勉強だってずっとできる、集中力も続くみたい人もいれば、虚弱な人、週5日は厳しい、週3とか週4で働かないと体力がないんですという人もいるわけですよ。
それはそうですよね。同じ人間だからといっても違うんですよ。
僕らはわかっています。
同じ親から生まれた猫とか同じ親から生まれた競馬の馬でも、同じように生まれてきたメダカでも、イキが良いやつもいれば、悪いやつもいるじゃないですか。
それは絶対あるわけですよ。
そういう感じで多様だし、優劣も時にはあるし、優劣とは言わなくても好みの違いとか特性の違いがあったりします。
それに合わせて、優秀だから素晴らしいとか、劣勢だから弱いから価値がないとかではないんですね。
それも含めて多様性だったりするし、多様性があるということ自体を俯瞰的に見れば、全体として価値があるんですよね。
一見弱くて何も役に立っていないようなものが、それがきっかけで後の大発見に繋がることもあるし、その人が発見しなくても、その人の影響を受けた人が大きい発明をするかもしれない。
最初の人がいなければ発見につながらなかったりするので、何が価値を生むかわからないわけです。
でも、多様であるということは、可能性として価値があったりするわけです。
そういう人それぞれ生まれ持ったものが違うという理解があり、それに基づいた社会設計を作るというのはとても重要だったりします。
それを理解した上での精神科医料をするということがとても重要なので、僕はこういうニューダイバーシティという価値観があります。
■ポストモダン、ポスト構造主義
次にポストモダンとポスト構造主義という価値観があります。
ポストモダンとは何かというと、モダンとは近代ですね。近代後ということです。
近代とは何かというと、聖書が終わったということです。
今までは聖書だったわけですよ。
聖書に書いていることが全てだったのが、科学がわかってきて新しい発見がどんどん増えていく中で、「あれ? 聖書に書いてあることって全てじゃないよね。もしかして神様って人間たちが作ったものなのかな。神様が決めたことじゃなくて、もっと自由に科学的に実験的にいろいろなことを考えていって、自由に振る舞っていった方がいいんじゃないかな」と。
神様じゃない、聖書じゃない、真理を追求していけばいいんじゃないか、真理を探求していくべきなんじゃないかというのがモダン、近代なんです。
でも、その近代の後なんですね、現代というのは。
真理というものがあるに違いないと言って探していった結果、実はたった一つの真実なんかないんだとわかるわけですね。それがポストモダンです。
例えば、数学だって公理体系が違えば全く答えが違うんですよ。
数学というのは真理だと思っていたんだけれども、数学は一つのルールの中で起きている変換でしかなくて、絶対的な真理じゃないんですよね。
最初のルールが変わってしまえば、公理体系が違えば別の数学とかあったりするわけです。
科学だって同じだし、いろいろなものがそうなんですよね。
文化だってそうだし、美しいという基準だって歴史が変われば違うし、社会が違えば美徳とされていることも変わるわけです。
だから、本当の真理というものはないんだ、恐らくないんだろうと気づくのがポストモダンです。
僕もそう思っています。いろいろなものがあるし、自分が正しいと思っていることは100年後正しくない可能性もある。今医学的に正しいと思っていることも違う可能性もあるとわかりながらやっている。それがポストモダンの思想です。
そしてポスト構造主義ですね。
構造主義とは何かというと、人間は知らず知らずのうちに社会の常識や文化、他人の影響を受けて生きているということです。
そういう他人の影響を知らず知らずのうちに受けていて、無意識に何かやってしまう。
その体系を構造とかシステムと呼ぶんですけれども、この構造に支配されているということを人間はわかるんですね。
だけど、その構造というのは、真理というか永遠にそういうものがあると思っていたのが、それさえも変化していく。
構造というのは変化していく、だからポスト構造主義なんですよね。
人間というのは真理もなければ、これが正しいんだとかこれが真理なんだということを言っても、それは本当はそうじゃないし、自分はこういう風にやれるんだとか、自分の意志でやっているんだというのも実は無意識に支配されたりしている。
脳の神経配線が生む縛りもあれば、そうじゃなくてその時代に生きていることで受ける縛りだったり、価値観だったりもあるわけですよね。
僕らはお金に支配されているので、高いものは良いと無意識に思わされているし、お金を稼いでる人は優秀だと無意識に思わされている。
そんなこと本当はないわけじゃないですか。
お金を稼いでいない人は低く見積もってもいい、価値がないやつだと馬鹿にしてもいいと無意識に思わされているというか。そいうのがあるんですよね。
でも、そういうところを意識することはとても重要だということです。
これが現代が持っている科学者だったり、哲学者の常識だったりします。
■道具主義
そういう中で僕らはどういうものに価値を見出すのかというと、一つの答えが「道具主義」と呼ばれるものです。
役に立つもの、実用的なもの、役に立つものは価値があるんじゃないかと考えるんですね。
神様にしても、科学にしても何にしても、全ては道具だと。
思想にしても何にしても道具で、僕らの生活を豊かにするための道具でしかないということです。
だから道具主義。
一見真理というものはなくて、真実というものはなくて、全てのものが矮小化されたような感じがするかもしれないけれど、そうじゃないよと。
目の前にいる人たちの苦しみや幸福にこそ価値があるというか、そういう風に思うことはとても重要です。
人の命よりもお金が大事だとか、人の命よりも科学の発見が大事だとかじゃなくて、やっぱり目の前のその人たちの幸福がすごく重要だと。実用的なものが重要だというのが考えていくべき道具主義的な立場かなと思います。
■デジタル思考、科学主義
そして、世の中は不平等だし不公平だし、いろいろな問題を抱えていますよね。
でもどうやってそれを解決するのかというと、結局イノベーションによってしか解決していかないんですね。
技術革新によってしか変わっていかないです。
つまり、デジタルをもっと利用する、AIやITをうまく利用することとか、科学を進歩させることでしか人類というのは全体の幸福を高めることができないんですよね。
こういうのを科学主義みたいな言い方をします。
教育の限界というものがあるんですよね。
だから人類というのはこれまでいろいろなことを考えてきたし、いろいろな賢い哲学者の人とかとても深遠な宗教家の人たちとか、いろんなことをやってきたわけです。
現代ほど差別平等が少ない時代というのはないわけですよ。人類史上ね。
もちろん差別偏見はまだまだたくさんありますよ。
不幸だってたくさんあるんだけども、とは言いつつもやはり今は歴史上一番いいんですよ。
それはなぜかというと、科学が進展しているからですよね。
だからイノベーションによってしか解決していかないという主義主張をする人たち、価値観の人たちがいて、医者というのはそういう人たちが多いです。僕もそうです。
いやいやそうじゃないよとかそう思う人たちもいると思います。
それは別に、こういう根拠があってねと言うかもしれないし、まあそうと言えばそうかもしれないです。
細かいことを言ったらいろいろなことがありますし、議論の余地はたくさんありますけれど、概ねこういうことをベースに考えているし、これをもとに僕はいろいろ相談を受けたりすると、ニューロ・ダイバーシティの観点からは差別はよくないなとか、いろいろ考えていきます。
ニューロ・ダイバーシティの観点からこの人は脳の特性上、こういうことが起きているな。
そして教育も大事なんだけれど、教育以上にイノベーションを用いた方が幸福が高まる可能性が高い。
つまり、デバイスを使うとか薬を使う方がいいだろうと考えたりします。
まあそういうことですね。
とはいっても、僕はやっぱり臨床家なので、イノベーションの方が重要だと思っているし、薬が発展していくこととか、薬以外のやり方とかを発展させること、AIとかをうまく駆使すること、社会システムを変えていく方が重要だと思っているんです。
思っているけれども、でも僕ができることというのは教育的なことだったり、目の前の患者さんに対する正しい診断とか、精神療法とか心理教育なので、これをやっているということになります。
■精神科医YouTuberとして
益田裕介というのはそもそも「心とは何か」ということに興味がある子供だったんですよね。
その結果、やっぱり精神科医かなといろいろなことを学んできて、今ここに至っている。
そして自分が何を今すべきなのかと思うと、たまたまYouTubeが跳ねているんですね。
だから益田裕介というのは何かというとYouTuberなんですよね。
精神科医のYouTuberなのではないかなと僕は思っています。
それは社会が与えてくれた役割だと思っていて、僕が本当にやりたいこととか、研究者とかそういうこともしたかったですし、科学が好きなのでそういうこともやりたいし、哲学も好きなんだけれども、でも与えられたのはやっぱりYouTubeなんじゃないかなと思います。
たまたま始めたYouTubeで、YouTuberとしてやっていくつもりは全くなかったんですけど、始めた時は。
もっとクリニックを大きくするとか、起業家としてとか色々思ったりしましたけど、今はもうちょっと違って社会的役割というか、求められていることは精神科医YouTuberとしての役割を100%やるということなのかなと思っています。
精神科医YouTuberは何をするのかというと、心理教育だったり、治療的に意味のある動画を撮ったり、あとつながりを作っていくということだと思っています。
つながりを作るためにコメント欄をチェックしたり、コメント欄を活性化させることを考えたり、オンライン自助会をやったりしているという感じです。
病気の説明をしつつ、治療的に意味のあるようなことを喋っているということですね。
一見関係ないような話をしているようでも、例えば無意識に僕らは支配されている、ポスト構造主義のことを知ってもらいたいから、中田のあっちゃんの動画を撮って無意識の権力ってあるよねという、中田のあっちゃん対松本人志の事件をきっかけに、関心があるときに、ポスト構造主義を知ってほしいからそういう動画を撮ったり。
社会がもっと平等になってほしいとか公平であってほしい。
ニューロダイバーシティを理解してもらう。
例えば虐待の事実とか虐待から来るPTSDのことを知ってもらいたいから、ジャニーさんの事件をきっかけに、関心があるときにこういうことを知ってもらいたいから動画を撮るとか、そういうことも含めてYouTuberとしての役割なのではないかなと思ってやっているということです。
どう生きるべきかというときに、よくわからなくなると思うんですよね。
だからそういう時には、かつて人類というのは聖書を読んで聖書の中から生きる知恵を見いだしてきたわけですね。
その後に価値観の押しつけはよくないからということで、我々臨床家、精神科医というのは1900年以降、主義主張をあまり言わないようにしてきたんですね。
国家というのが価値観を押しつけてた時代もあったわけですよね。戦前とかね。戦後直後とか戦時中とか特に。
だけどそれは良くないからということで、価値観を押し付けないことをしてきた。
その結果でも今迷っている人たちがいますよね。
押し付け過ぎず、でもヒントになるようなことは言いたいし、ヒントはここら辺にある。
現代の科学者や哲学者のたちのある種の到達点というのはありますから、知ってもらえたらなと思って動画を今回撮ったということになります。
難しいね。でもこういう観点からやっているということを知ってもらえたらなと思って、今回は善く生きるというのはどういうことかを解説してみました。
前向きになる考え方
2023.7.1