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他者の受容:ニューロダイバーシティ時代に向けて

00:00 OP
01:21 脳は皆違う
03:48 AIやITがもたらすもの
05:07 すれ違いも多くなる
06:52 すれ違いが大きくなる場面
10:05 なかなかわかってくれない人たち
12:43 相手の話を聞く

本日は「他者の受容」というテーマでお話ししようと思います。

副題で「ニューロ・ダイバーシティ時代に向けて」と書いているんですけども、ニューロ・ダイバーシティって聞いたことありますか?

ニューロ・ダイバーシティとは何かというと、生まれつき人って脳が結構違うよねということです。

ある人にとっては得意なこともある人にとっては苦手だったりするし、ある人にとっては気にならないこともある人にとっては気になることがあるんですね。それは本人の甘えとかそういうものではなくて、生まれつきの脳の違いでそういうことが起きていたりするんです。

そういう生まれつきの脳の違いを考慮した上で、互いの違いや特性を認め合って、多様性を認め合って生きていこうよという、多様性を許容できる社会にしていこうというのをニューロ・ダイバーシティ運動と言います。
そういう時代に変わっていくと思うので、そういう時代の中で我々はどういう価値観で生きたらいいのかも含めてお話ししたいと思います。

脳は皆違う

生まれつき脳は結構違うよねというのはまあ考えてみればその通りだと思うんですね。

運動神経も全然違うじゃないですか。人によってはダンスがうまい、逆上がりも練習せずにできるんだけども、人によってはなかなか練習してもできない子たちがいるわけですよね。
勉強もそうですよね。すぐできる人もいればできない人もいるわけです。

成績がいい子たちは努力をしているんだと言うかもしれない。
スポーツ選手になる人たちはすごい努力をしているんだって言うかもしれない。

けれども、10代の努力なんてたかが知れている、知れてますよね。
2、3年の努力ですから。2、3年ちょっと努力しているかどうかくらいの差でこんなに差って開かないわけですよね。努力だけで決まるのであれば。
努力している同士でも結構差が出たりしますからそれは才能だよねということですよね。
逆もあるということです。

すごく優れたものもあれば、優れていないものもあったりします。
そういうことは日常の中でもわかっているんだけど、あまりオープンには語られていない問題じゃないかなと思います。

人間平等なので、同じだけの能力があって同じ教育機会があれば同じようなことが出せる、同じような成果が出るんだという平等論みたいなものが前提としてあるはずなんですよね。
それが民主主義国家のなんとなくの前提だったりするんですけども。

でも、今SNSとかインターネットが発達し、SNSによって色々な人の情報が可視化されてきた。色々な人の発信とか発言が見えるようになってきた中、やはりそれらの知的な問題も含めて脳の特性というものが可視化されつつある。
そしてその中でじゃあどういう形がいいんだろう。
生物学的にありますから、それを無視するのではなく、それを認めた上でどういう形にしていけばいいのか、どういう社会をしていけばいいのかということを考えるフェーズに来ているんじゃないかなと思っているわけです。

AIやITがもたらすもの

加えて、AIやITが発達するにつれて、個人に合った情報だったり、個人に合ったものが届くようになってきているんですよね。
今までだったらテレビしかなかったところが、YouTubeという形で無限にチャンネルがあるわけです。

自分が見たい情報とか、自分が知りたいことにアクセスしやすくなっているし、それは情報やコンテンツだけじゃなくて、あらゆるものがそうなってきてます。
ITの進化によって今後ますますそれができていく。AIの進化によってますますそういうのができていくと思います。

学校の先生の授業を一方的に聞いてたのが、AIを駆使すると一人に一人以上の家庭教師AIがつくみたいな時代がなってくる。
そうすると多様な生き方ができるようになると思います。

働き方も多様な働き方が認められるようになってくると思います。
皆が出社するという時代から、在宅勤務とか休み方もテクノロジーの力を使ってうまく補填できるようにシステムが変わっていくはずなんですよね。そういう社会に変わっていくと思います。

すれ違いも多くなる

そうなってきた時に、色々な人の色々な価値観が生まれてくると思います。
多様な価値観の時代になっていくんですよで。
多様な価値観の時代というのは、生きやすい反面すれ違いが多くなる社会なんですよね。

異なる価値観や立場の人たちとよく出会って、その都度すれ違ったり対立したり、摩擦が起きやすくなる社会になります。

そういう中でじゃあどうやってこの相手を認めていくのか。どうやって相手を許容していくのかっていうのは、また別の問題が出てくるわけです。
自分と違う概念、考え方、価値観を持っている人を受け入れるのは結構苦しいんですよ。
それを受け入れていくことが今後求められているんですよね。

どうして異なる価値観の人が増えてきてるかというと、そもそも可視化されているよということだったり、専門化が進んでいる。
色々な仕事、業種において専門化が進んでいるので、専門化が進めば進むほど異なる価値観や立場の人が増えていく。
そしてご存じの通り、格差や分断が起きているので、異なる立場の人が増えているという感じです。

そういう中で不快な行動とか不快な言動ってあると思うんですよね。
こっちのことをわかってくれないし、理解してくれなかったり、相手の怒りを感じる場面が多いと思います。

すれ違いが大きくなる場面

どういう場面ですれ違いは大きくなるのかを精神科医目線で例を挙げてみました。

例えば、無知や偏見がある人たちは、すれ違いや摩擦が起きやすくなります。
こちらのことをよくわかってくれなかったり、社会的な理解とか他者の理解、人間理解が少ない人、知識や経験が少ない人だと感情的になりやすいのかなと思います。

こういう人たちに対してはきちんと説明をしていくとか、理解をしてもらうということが求められるのかなと思います。

あとは心理的葛藤の状態の時にはなかなか受け入れ難いんですよね。
LGBTQの問題とかと似ていて、最近では無知と偏見は減ってきますよね。だけど、まだ葛藤があるんですよね。
LGBTQの人たちを受け入れるとか、それを理解していくことに。
ある人は否認する。そういう人たちのために何かをすべきじゃないとか、そういう人たちは本当はいなくて嘘をついている人もいるんだとか、怒りですよね。
あとは、じゃあその代わりこういうことをやってくれよと取引を持ちかけたり、落ち込む人たちもいたりします。

異なる価値観の人に対して、そういうことが起きやすいし、例えば発達障害の人に対してもそうなんですよね。
発達障害なんていないんだ、甘えているだけなんだとか、発達障害の人というのはもうダメな奴らなんだとか、仕事ができないんだからダメだと怒ったりとか。
発達障害の人がいてもいいけれど、その代わり仕事はしっかりやってよねとか、それはいいんだけれども仕事なんだから普通の人と同じだけのことをやってくださいよと言って取引したりとか。
ああこんな人たちがいるんだ、もう嫌だなとかうつっぽくなっちゃうとか、そういうこともあります。

でも、これもまた時間の中でこの葛藤を乗り越えていけば受容できたりするので、相手の立場に立ちながら、今この人はこういうことなんだなとか思うのがいいと思います。

精神科医だとこれらの問題に立ち会うことが多いですね。
親御さんから、「お前、なんで勝手に自分の息子、娘を精神疾患だって言ってるんだ」「そんな精神病扱いするな」と怒られたり。
「お前のところを受診するようになったから調子悪くなったんだ」と言って電話がかかってきたり。
あとは子供の病気を受け入れがたくて子供に対して怒っちゃうとか、今はうつだからいいかもしれないけれども、来年までには就職しないとお前を家から追い出すんだって取引したりとかね。
逆に落ち込んじゃってお母さんがうつになっちゃうとか、いろいろあったりします。

でもそれは一時的なものだったり、その葛藤を乗り越えるための準備期間だったりもするので、今はこういう時期だから、その後には変わっていくよみたいな話を本人及び家族にも説明したりします。

なかなかわかってくれない人たち

あとはなかなかわかってくれない人たちもいます。
例えば、発達障害の人たち、ASD/ADHDの人とか精神発達遅滞、いわゆる知的障害の人たちは、説明しても理解しにくかったりすることがあります。
それは、本人たちの知的な能力の問題だったり、盲点と呼ばれるようなものがあったりして、説明してもなかなか入っていかない感じです。

例えが悪いですけれども、本当に知性というか、知的な構造という部分のピースというか、パズルのピースが少なかったり多かったりするんですよね。
定型の人たちと違うので、見たことないものを説明するかのような感覚というのがあります。

あとは人格障害とか、特に自己愛性人格障害の人は自分の自己愛を傷つけられることを過度に恐れたり、過度にそれに対して攻撃的になったりするので、なかなか異なる立場の人を受け入れ難かったりします。

うつ病や統合失調症で妄想がある場合は、異なる立場の人を受け入れ難かったり、被害的になったり、妄想で認知が歪んでしまうとか。
躁うつ病の躁状態の人は攻撃的になったりすることがあるので、異なる立場の人を受け入れにくい、認知症の人は異なる立場の人が受け入れ難いとかあったりするなと思います。

こういうことなんだよと何度も説明してもわかってくれないこともあります。
上の2つだと時間をかけていくと良くなっていくこと、わかってくれることもあるんだけれど、やはり病気の問題があった時にはどこまで説明しても理解し得ない領域があったりします。

そこを必死になり過ぎるとカサンドラ症候群みたいな形でうつになっちゃったりするんですよね。
自分の説明の仕方が悪いのかなとか、自分が相手の立場に立てていないのかなとか、そういうことがあって、うまくいかないなと燃え尽きてうつっぽくなってしまうことも結構あるなと思います。

他人を受容しよう理解しよう、理解した上で説明して理解してもらおうとしても、なかなか難しいこともあったりするので、そこら辺の区別も重要ですね。
理解し合える部分もあれば理解し合えない部分もあるということかなと思います。

相手の話を聞く

と言いつつ、話をしっかり聞くというのも大事です。

相手の話をしっかり聞くということがほとんどの人はできてないです。
僕もそうですけどもできていないですね。

やっぱり現代って速過ぎますね。その時間の中で成果を求められるし、長い時間感覚を持てなくてやっぱり刹那的だし、早く成果を求められるというか、そんな感じですよね。

「精神科の治療は時間がかかりますよ、年単位ですよ」「5年単位で起きますよ」みたいなことを言うんですけど、実際、5年後と言って受け入れられる時もあれば、本当にその5年という時間の長さを体感した時は驚愕しますよね。5年も話を聞かなきゃいけないんだみたいな。

5年かけてこういう変化をしていくということを知って、その5年分を日に分けて、じゃあ今日どれくらいを聞いたらどれくらいの変化が起きるのかとか、途方もない時間ですよね。現代人の速いスピード感覚だと。
でもまあそれが必要というか。

他者を受容していく時にはニューロ・ダイバーシティの観点が必要で、ただ無知や偏見、心理的葛藤があるから異なる立場の人を受け入れ難いとかではなく、疾患の存在もあるということを理解してほしいです。
その疾患に合わせた説明の仕方というのも工夫する必要があるとか、話の聞き方も工夫する必要があるということです。
くれぐれもカサンドラで燃え尽きないようにしてくださいということでございました。


2023.7.11

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