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理解されない双極性障害Ⅱ型

00:00 OP
00:34双極性障害とは
03:11ケース紹介(創作)
05:14診断は難しい
09:34双極性障害II型
11:29 精神医学を理解するのは難しい

本日は「理解されない双極性障害Ⅱ型」というテーマでお話しします。

創作のケーススタディをする中で、双極性障害はどんな病気なのか、どういう人が多いのか、ということを一緒に考えていけたらと思います。

双極性障害とは

双極性障害とはそもそも何かというと、元気な時、いわゆる「躁状態」と呼ばれるような状態。元気で多弁で色々なことができる活動的な状態と、反対の「うつ状態」、元気が出なくて落ち込んでいて食べられなかったり、眠れなかったりする状況。
躁状態の時も元気過ぎて寝られないのですが、うつ状態というのは元気がなさ過ぎて寝ることが難しかったり、寝たら今度は起きられなかったりするという病状なんですけれど、この躁とうつを繰り返すものを双極性障害と言います。

双極性障害Ⅰ型とⅡ型があって、Ⅰ型は重いもの、簡単に言うとⅠ型は凄く重い、Ⅱ型は軽いんです。
軽いから目立たない、見つかりにくいというイメージです。
そういう病気です。

躁→うつ→躁→うつと繰り返すんじゃなくて、躁があったとしたら、うつ→うつ→うつ→時々躁、というのもあるし、1年間のうちに躁うつが全くない年があったりします。
全くない1年を過ごしたかと思ったら、次の年には半年間うつがあるとか、そういうこともあったりするので、結構わかりにくいです。

病気としてもわかりにくいんですが、本人もわかりにくいんです。
診察する側もわかりにくいんです。

医師が2~3年ごとにころころ変わると全体が診られないんです。
診ていないからわからないんです。
引き継ぎがあっても「こういう人なのかな?」と思ったりすると、あまりわからなかったりします。

本人も「何か今年はこんな年だったからこうだったかな」「最近、自分も考え方が変わったからこうなのかな」と色々理由が付いてしまうんです。
なのでわかりにくかったりするんですけれども、長く診ていくとわかってきたりする病気です。

検査結果では出ないので、人間が観察する中で、自分のバイアスを排除したりしつつ診なければいけないので、診断は結構難しいです。
コロコロ診断が変わって、なかなか診断確定まで至らないということは結構あるのかなと思います。

ケース紹介(創作)

Aさん、40代の男性でひきこもりです。

恐らく発症は高校生の時なんです。
高校生の時にテストや友達との喧嘩がきっかけで不登校となってしまう。
親から怒られたりして、でも起きられなくて元気が出ない。
何とかギリギリ卒業する。
でも大学受験を頑張ろうと思って頑張って大学に行くんだけれども、やはりまたうつになってしまう。
調子が悪くなってひきこもってしまって、結局中退してしまうという感じです。
結構あります。

大学は卒業する人たちがだいたい7~8割と言われたりします。もうちょっと高いのかな。
全員が卒業するわけじゃなくて、大学側も中退する人がいるからといって珍しくはないんです。

中退してしまって、親から怒られたりして、でも何か頑張れないな、自分が悪いのかな、怠けているのかな、と思ったりするんです。
実際ゲームをしていたり、躁状態の時の自分を知ってるので、自分は本当は頑張れる人間なのに頑張れていないんだ、という風に思ってしまうんです。
だから自分を責めてしまうという感じです。

当初うつ病と診断されるんだけれども、途中からやはり発達障害なんじゃないかと言われたり、通院も途絶えて別の病院へ行ったら人格障害じゃないかと言われたり。

何度も通院していく中で、最終的に双極性障害なんじゃないかという風に診断がわかってくる感じです。
長く診ているとわかってくるんです。

診断名がコロコロ変わるし「あなたは別に病気じゃないですよ。うつ病じゃないですよ。だから薬なんかいらないですよ」と医師に言われたりして、何なんだ?と思ったりするというのは双極性障害のあるあるです。
もうこれで全部セットです。

診断は難しい

前医が双極性障害と診断をしていた時に、次の医師がそれをどこまで信じるかというのは難しいポイントなんです。

医師によっては、患者さんの社会的な背景を聞かなかったり、家庭環境を聞かなかったりして共感が乏し過ぎて、ただ「双極性障害だろう」「話を聞かずに薬だけ出せばいいだろう」ということで、双極性障害とパッとつけて、「あなたは薬で治りますよ」と言って5分診療というか、お薬外来で終わらせちゃう人というのもいなくはないんです、おっしゃる通り。

いなくもないので疑わなければいけないし、かと言ってきちんと診ている人は診ている人で、今度は共感し過ぎちゃうんだよね。

その人の社会的な背景や苦しみ、悩みに共感したり、理解しすぎたせいで、その人が持っているそもそもの気分の波というものを見逃してしまって、トラウマがあったからなんじゃないか、トラウマがあるからなかなか自信を持てなくてこうなってしまったんじゃないか、人間関係が苦手なのはこういうのがあるんじゃないか、だから社会に出ていけないんじゃないかと心理的に理解が進みすぎてしまって、内因性の病気、いわゆる脳の病気を見逃してしまうということもあったりします。

双極性障害で激しくて、うつだったらうつという感じで本当に食べられない、眠れない、もう入院が必要だみたいな感じだったり、躁状態は躁状態でもすごく激しくて、活動的で、もう何百万もお金を使ってしまったり、道を歩いていたらヤクザともケンカしたり、反社的な人やヤンチャな人、半グレ的な人にもすぐケンカを売ってしまう、というような形であれば双極性障害とすぐ診断がつくんだけれども、そうじゃないとちょっとわかりにくかったりします。

だいたい100人に1人は双極性障害はいるので、臨床している中で、双極性障害の人は恐らくいるだろうと思いながら診察しないと、どうしても見逃してしまうのかなと個人的には思います。
なかなか薬が効かないうつ病の人など、やはり双極性障害と診断を改めて薬を変更したら結構効いてくるとかよくあるので、しっかり診るということが大事です。

僕だってもうそろそろ40歳ですけれども、まだ臨床して10何年しか経ってないので、開業して5~6年経つんですけれど、一番長く見ている人も7年、8年くらいなんです、まだ僕で。
だから本当に2~3年という経過を診ながら、ようやく診断がつくという経験をそんなに多くはしていないんです。

ドクターによっては転職や異動が多かったりして、5年以上同じ場所で働いた経験がない人もいたりするので、そういう人たちだとちょっとわかりにくいだろうなという気がします。

街のクリニックで診ているのと、急性期病棟とかで診ていて、激しいものだけを診ている人たちだとやはり臨床観というのは自ずと変わってくるので、激しいものばかり診ていたり、本当に脳病らしい双極性障害やうつ病ばかりを診ていると、ちょっとわかりにくいのかなという気がしたりします。

やはりなかなか複雑だし、中長期的な視点で物事を判断しなければいけないことになるので、診断は難しいなとは思いますけれども。これは医師側の愚痴ですけど。
患者さん本人からしてみたら「いや、そんなこと知ったことじゃないよ」という感じがします。「お前らちゃんとしろよ」という風に思うかもしれません。

双極性障害II型

やはり生い立ちから見ていくと、10代の後半くらいからうつがあったり、時々躁があったり、こういう風になっていくという感じです。

うつの期間も2週間か4週間と短いんです。
軽度のうつ状態が多かったりします、双極Ⅱ型の人は。
軽躁状態というのも4日から7日くらい、1週間前後だったりして目立たないんです。

1~2ヶ月のうちに1週間ぐらいは頑張れる日があるんです、と本人が言ったりして「普通そんなもんかな?」とか。
「この3日間でほとんど寝てないんですよ」と言った時に「若者だしそうかな?」とか。
「ここ最近元気で、ゲームがすごく面白くてゼルダの新作が出たから3日間ほとんど寝ずにクリアしましたよ」と言ったりした時に「うーん、それは躁状態なのかな?」とは思うし「実際、頑張ってやっちゃうかもしれないな」とか。

さすが3日間で全クリしたとか言われたらアレだけれども、そんなにわかりやすく臨床で言わないので、患者さんもそういう風に言わないので、「結構長めに集中してゲームできているんですよね、最近は」みたいな話をしていると、それが躁状態とはちょっとわかりにくかったりします。

結局、本人もよくわからないし、医師もよくわからなかったりするし、そして家族なんかよりわからないです。
こいつは甘えているんじゃないかと家族は思ってすごく責めたりするし、本人もすごく自分のことを責めたりすることがあります。

医師が途中でわかって「ああ、あなたはやはり双極だったんですね。だから生き苦しかったんですね」とわかってから説明しても、本人がギリギリ理解できても、家族はなかなか理解できないとかあります。

精神医学を理解するのは難しい

精神医学を理解するのはすごく困難なんじゃないかなと思います。
これは人間の認知能力というか、理解能力をはるかに超えているのかもしれないです。
重力とは何かということを理解するのと似ていて、精神疾患は目に見えないからよくわからないですね。

あとは色々な要素が絡むわけです、人間の心は。
睡眠の状況、脳の病気、その時の環境、生い立ちの問題、トラウマの問題、直前で見た動画など色々な影響を受けるので、色々な影響を受けて心が成り立っているんだよ、ということをそもそも理解するのはすごく難しい。

単純な因果論や単純な白黒思考で考える人は多いので、複数の要因で何かが成り立っているというシステム論的な理解というのがすごく難しい人も多いなと思います。

あとは心は脳であるということ、この単純な事実を認めがたいんです。
人間というのは魂があって…と、そういう風に思いたい人が多いので、人間というのは動物の一種であり、人間の心というのは自然現象の一種でしかない、そういう感じがやはり受け入れがたい人が多いという意味です。

それはすごくさっぱりし過ぎて苦しくないですか、つまらなくないですかと色々な患者さんから言われますけど、そんなことは別に僕はないんですけど。
でも別に僕は医者だし科学者なので、どちらかというと「いや心って脳でしょう」みたいな「悲しみって脳現象でしかないでしょう」とか「文化とか文明というのは群れの動物である人間が勝手に作ったものでしょう」ぐらいしか思わない。
そこを思うのはちょっと苦しいとか心理的抵抗があるということがあります。

あとは心理的抵抗です。
そもそも病気と認めたくない、自分には劣っているところがあるということを受け入れがたい、病気という障害があるということを受け入れがたい、というのはあるんじゃないかなと思います。

プラス共感ですよね。気持ちを分かっていく。
この人はこういうことがあったから苦しいんだ、そういうものに還元してしまって、ストーリーとして理解することに重きを置きすぎてしまって、単純に「脳である」「人間は動物である」ということを受け入れがたいというのもあったりするかなと思います。

だからカウンセリングで良くなるとか、教育で良くなるとか、心がけで良くなる、という風に思うかもしれない、そういう部分もあります。
だけど言語的介入には限界が絶対あります。
人間が教育によって変わることも限界があります。
それはそうですよ、だっていくら走る練習をしたって車より速くなることはないですよね。人間は限界がありますから。

人間が教育によって、そして言語的介入によって変われる部分はたくさんあるんだけれども、でも限界というのはありますから。
そこはやはり十分理解する必要がある。

本人が甘えているから頑張れないのではなくて、やはり頑張れないという現象が起きている時に、働けないという現象が起きている時に、それは気持ちや教育が不十分だから起きているというものではなかったりします。

教育によって全てが解決するわけじゃないんです。カウンセリングというのも教育の一種です。
作業療法も教育の一種なので、それだけでは今の自然現象としての活動量低下というものが改善するかというとそうではない。

だから脳病なんです、精神疾患というのは。
これは理解していく必要があるし、僕らドクターというのも常に患者さんの気持ちに共感する一方で、それを自然現象として相手の心を捉えるということもとても重要だろうなといつも思いますね。

そうしないとこういう人を誤診して薬を使うとか、そういうことができなくなってしまうし、こういう人に一緒に頑張ろうと言ったら苦しいですから。

今回は、理解されない双極性障害Ⅱ型、というテーマでお話ししました。


2023.7.17

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