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自殺は身勝手、理解困難のASD

00:00 OP
02:26 なぜ自殺は身勝手なのか

本日は「自殺は身勝手が理解困難のASD、自閉スペクトラム症」というテーマでお話ししようと思います。

なかなか自閉スペクトラム症の人に自殺というのは身勝手な行為なんだよ、自殺しちゃダメだよということをきちんと説明する、理解してもらうことは難しかったりします。

僕らはどうやって自殺を止めるかというと、通常はつながりを持って引き留めようとするんですね。
社会の中での価値だったり、僕が君のことを大事に思っているとか、人と人とのつながりの中で、あなたは一人じゃないんだということを伝える中で、自殺を踏みとどまってもらおうとするんです。

だけど、ASD自閉スペクトラム症の人は、つながりをそもそも理解しにくかったりするんですよね。
僕らは仲間なんだよとか、君のことを大事に思っているよ、だから死なないでくれと言うことで、なんとか死の本能を抑えて引っ張っていこうとするんだけれども、なかなかASDの人はそのつながりが理解できないから、こちらの気持ちが理解してもらいにくいんですよね。

親御さん、友人とかいろいろな人が彼・彼女らの自殺を止めようとして、いろいろな言葉を使うんだけど、結局は「いや、だってこれは自分の問題でしょう?」「私の自由でしょう?」と横を向いてしまうことがよくあります。

そういうジレンマというか、そういう辛さを感じたことがある支援者の人、身近な人はたくさんいると思いますし、本人も「自殺は身勝手じゃないか」と言われても混乱してしまうことが多いと思うんですよね。

今回はそこら辺の話をしようかなと思います。

なぜ自殺は身勝手なのか

そもそもなぜ自殺は身勝手なのかということですよね。
これは定型の人にとっては当たり前なんですよね。

自殺というのはそもそも身勝手な行為だ。だけど苦しい人がいる、苦しいから死を選んでしまう人がいるかもしれない。
だから身勝手なんだけども責めてはいけない、と思っているわけですね。

なぜかというと、どんな人間も社会の一部であり、社会に取り込まれて価値や責任があるからです。
それは働いていようが働いてなかろうが、年を取っていようが若かろうが、僕らは社会の一部であり、社会とのつながりがあり、そこには責任と価値があるわけです。

だから自殺というのは、社会システムの根底を否定するんですよね。
僕らは暗黙の了解で、この人たちは明日も生きている。自分から死ぬことはない。自分から誰かを傷つけることはないという、その前提があるから社会生活は遂行できているわけですよ。

警察とかそういうシステムもあるけれども、基本的には抑止力として「あるよ」ということにして、警察があるということによって、みんなは安心して生活しているんですね。
基本的にはやらないという前提でやっているわけです。

だけど自殺っていうのはその根底を否定する行為なんですよね。
自殺というのは他人に影響を与えます。もちろん、多くの人のメンタルに影響を与えて、多くの人を落ち込ませたりするし、トラウマになったりするし、傷つけたりします。

他者の影響を考えると自分勝手な側面があるんですよね。これはどうしようもないですね。
それはそういうものなんですよ。
ある一面から見ると自殺というのは身勝手なものだ、というのは、多くの人にとっては、特に年を取った人にとっては、社会のことを理解している人たちにとっては、当然の事実であり、自明なんですよね。
わざわざ言う必要はない自明の事実だったりしますね。

ただ、この話をしても、よくコメント欄で「いやいや、そんなことないだろ」「自分勝手って何だよ」「勝手に産んだのはそっちじゃないか」と言われることが多いですね

どうしてかなと思うと、発達障害の人とかASDの人、ASDグレーの人、境界知能の人とか知的な問題がある人たちは、社会との共感やつながりというのを理解するのはやっぱり難しかったりします。
もしくは根本から欠けていることもあったりします。

ある種のパーソナリティ一症の人は、社会と自分たちはつながっている、社会を僕ら全員で作り上げているという意識がなかなか持てなかったりします。
そういうところだと、そもそもこういうのがよくわからなかったりしますね。

それで、自分自身の感情に支配されやすいんですよね。
お前たちの理屈はわかるかもしれないけれど、みたいな形になってしまって、押し付けられている、変な理屈を押しつけられているような感覚になる。
余裕がある時は、理屈にも周りのルールにも従ってあげようという気になるんだけれど、追い込まれてくると自分の感情を優先させてしまうということは結構ありますね。

苦しいから死ぬということになりやすいんですよね。
「いや、苦しいから死ぬでしょう」って言われたらそうなんだけども、僕らは苦しいから死にたいけれども、こういうものもあるしなということで、いろいろな側面からみて、いろいろなところから引っ張られて踏みとどまることができるんだけども、ASDとかそういう傾向のある人たち、自閉的な側面があると、他のところは見えなくなってしまって、「苦しいから死ぬ、終わり」となりがちです。
そういうロジックに支配されやすいです。
それはうつ病の人とはまたちょっと違う感じです。

とはいっても、じゃあ全くつながりを理解できないかというとそういうことはなくて、つながりを感じにくいんだけれども、孤独は嫌だしつながりはほしい、誰かと一緒にいたいという思いがASDの人たちにはあります。

他人に興味はないんだけれども、劣等感を感じているんですよね。
なんとなく他人より自分は劣っているんじゃないかとか劣等感を感じているし、他人からの理解を求めています。

自分は相手のことを理解したいとか、他人に興味はないんだけれども、理解されたいという思いは結構あったりします。
苦しいのは嫌なんだけれども、結果は欲しいみたいなね。
アンバランスですよね。

ASDは個性だと言う人もたくさんいるんですけれども、やはり障害だと思える部分もあって、それはなぜかというと、ノーマルなものがどこか欠けている感じにも見えなくもないんですよね。

もし本当にそれだけで完結するのであれば、ASDが個性であり、それが一つの形として完結するのであれば、アリの集団で働きアリの中に女王アリがいて、戦うアリがいて、そういう形で機能分化しているようなものであれば、そもそもこういうふうに感じないはずなんですよ。

つながりを感じにくいけどほしいにならないんですね。
つながりは感じにくいし、つながりもいらないと思うわけですよ。だけど、そうはなってないというのは、やはりノーマルとされるもの、理想とされるものから何か間引かれているからなんじゃないかという発想にもなるわけです。

これは医学的というか、生物学的に考えていけばということですよ。そういうことです。
別に差別偏見があってそう言っているわけではないです。
だからあちらを立てれば、こちらが立たずが理解しにくかったりします。

理解しようとすると、ぐちゃぐちゃとなって「ああ」となってリセット癖が発動したり、白黒思考になりがちだったりします。
それでも「面倒くさい、死にたい」みたいになってしまうことはよくあるという感じです。
自殺はなぜ身勝手なのか、これは身勝手な行為なんだということを理解しにくいかもしれないけど、理解していくことは治療上有効です。

そうすることで、今まで見えなかった社会とのつながりが見えるようになってきますから。
僕らというのは全ての人が本当に価値がある、役割があるんですね。社会の中で。
そして責任があったりします。

社会はあまりにも大きくて複雑だから、ついつい自分たちが社会に影響を与えていないんじゃないかとか、役割がないんじゃないかと思いがちなんだけども、みんなにあるんですよね。
か細いけれどもあるし、自分たちが社会を動かしているという感覚を持てるか持てないかは、治療上大事です。

内面を深く掘り下げていくとか、社会のことを理解していくとか、他人のことを理解していくということを続けていくと、だんだんこのか細い線というか、社会と自分たちとか、一人一人、人間がつながっている、このネットワークというのが、見えないものなんだけど見えてくるんですよね。
それは皆さんに理解してもらいたいです。
特にね、こういう思いで苦しんでいる人たちには理解してもらいたいなと思います。

今回は、自殺は身勝手、というテーマでお話ししました。


2023.8.3

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