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【実践】発達障害者が支援者に怒りを向ける時、どうする?

00:00 OP
00:44 葛藤から受容へ
04:06 感情の中で自由に振る舞うことを許す
06:27 支援者サイドは

本日は「発達障害者が支援者で怒りを向けるとき」というテーマでお話ししようと思います。

先日、福祉事業所で講演会を頼まれて講演会してきたんですけれども、その時に「利用者さんから怒りをぶつけられたときに僕らはどうしたらいいんでしょうか」という質問を受けたんですね。
その時に答えた内容をもう一回改めて考え直し、動画に撮ってみたいと思います。

葛藤から受容へ

支援者へ怒りを向けるときと書いてますけど、別にこれが支援者でなくても治療者でもいいし、医師でもいいし、看護師でもいいと思います。
学校の先生でもいいと思うし、親でもいいと思います。

発達障害の人に限らず、僕らが生きている上で不都合な真実に出会うわけですね。不都合な真実を受け入れなきゃいけないわけです。
自分は障害があるとか劣っている部分があるとか、誰かに片思いで愛されていないとか、なんでもいいんですよね。
不都合な真実というのはあります。競争に負けてしまったとかね。

それらは否定しがたくて受け入れなければいけないです。
ただ、受け入れることはなかなかできないんですよ。葛藤がありますね。
ただスッと受け入れることができないですね。僕もそうです。
なかなか受け入れがたい。

まず否定してみたりするんですね。
否認があったり、そんなことはないとか、自分は病気じゃないんだとか、病気と診断しやがってと怒りをぶつけたり。自分を病気にした社会が悪い、親が悪い、学校の先生が悪いんだとか。

あとはうつですね。落ち込んでしまう。
もうこうなったらいいとか、もう自分はダメなんだ、もう終わってしまう、終わってるんだ、そういう落ち込み。

それから取引です。
こうするから治してくれよ、こうするから神様幸せにしてくれよとか、いろんな取引をしたりします。
神様仏様でも、社会でも行政でも何でもいいんですけど、自分はこうするから、その代わりこの病気を治してくださいとか。治せないとか僕は許しませんよとかやるわけですよね。

こういう葛藤をぐるぐる経て、最終的には受容に至るという話です。

キューブラー=ロスの「死の受容の5段階」です。
例えば、がんと病名を告げられたときに、最初はがんを否定したり、怒ったり、抑うつ的になったり、取引したりとか。がんはこうやったら良くなるんじゃないかとか。
末期のがんだったときには否認をしたり怒ったりとか、そんな病院はありえないとか、別の病院に行こうとか。
落ち込んでしまったり、じゃあもう治らないんだ、これだったら治療に向かうよりも死んだほうがましだとか。
あとは取引ですね、これからやるので、神様どうか私を天国に連れて行ってくださいとか取引をしたりしつつ、いろいろなことをやって受容に至るというキューブラー=ロスの臨床的な気づきとかをデッサンしたものがあるんですけれども、死の受容だけじゃなくて、いろいろな受容はこういうものを経ます。

感情の中で自由に振る舞うことを許す

まあやるわけですよ。
発達障害者の支援をしていると、こんなことしちゃダメだよとか、世の中の人はこう思うからこういう努力をしなきゃいけないよとか。
確かにイライラするかもしれないけど、これは我慢しなきゃいけないんだよとか、相手のことを受け入れなきゃいけないんだよとか言いますね。だからよくありますね。

発達障害の人はこだわりがあったりして、こんなの正しくないじゃないかとか、変じゃないか、社会が変じゃないか、相手がちゃんと我慢すべきなんだろうとか言ったりするんですけど、理屈は通っていたり部分部分は正しかったりするんだけれども、そんなにうまくいかないのでここは受け入れるしかないんだよと話したりします。

そうすると怒りがこちら側に向くんですね。
治療者側、支援者側、親に向かったりします。
怒りだったり、罵倒だったり、場合によっては「死ぬ死ぬ」みたいなね。
「じゃあもういいよ死んでやるよ」という死ぬ死ぬ詐欺みたいな。詐欺じゃなくて、本当に死んじゃうこともあるんですけど、こういうことを言ったりします。

子育てもそうだし、中高の先生もそうですけど、理不尽にそれらをぶつけられたりします。
そういうのは仕方ないんですよね。
そういう時間こういう葛藤があるんですよ。

葛藤抜きに、良い子でいろとか葛藤しちゃいけないみたいな感じだと良い教育とはいえないし、良い治療とは言えないので、ある程度彼らの怒りとか落ち込みとか感情の中で自由に振る舞うことを許しつつ、受容に至るのを待ってあげることも大事です。
このネガティブケイパビリティの力は、治療者側、支援者側、親のサイドも必要だったりします。

これは起きますね。だからこれらの起きている過程の中で、グーグルで口コミ1を付けられるとか、益田が言っている話は変だとか、お前が喋ってる内容はイケてないとか、お前は精神科医としてまともじゃないからYouTubeやってるんだろとか、まあいろいろ言われたりします。
不都合な真実を伝えるとそういうことを言われたりしますけど、まあ別にいいんです。
そういうものですね。

葛藤があって、その葛藤をなかなか自分の中で抱えきれずにコメント欄を通じて発露するとか解消しようとか、怒りをぶつけることはあるんでしょうね。

支援者サイドは

でもこれがきつすぎるよということですよね。
支援者サイドがきつすぎるんだけど、これは耐えるしかないんですか、避けることはできますかという質問を受けました。

でもこれは仕方ないんじゃないかなと僕は思っています。
耐えるしかないんじゃないかなと思っています。
避けちゃいけないんじゃないかなと思っていますね。
避けてしまったら、葛藤を抱えてあげる作業をしていないことになるので、葛藤を押し返しちゃっている感じになるんだよね。

子供がちょっと反発した時とか、患者さんがちょっと反発した時、「こんなのやってらんないよ!」と言った時に、「そんな言い方しちゃダメだろう!」と怒っちゃうと、その人はやっぱり怒れない。怒れなくなっちゃう。
そうすると育つものも育たなくなってしまうので、こっちはただただ嫌なんだけど、避けずにこういうものだなと思ってある程度耐える必要があります。

もちろんその怒りを持って犯罪まで至とかそれだといけないですよ。ある程度のラインもありますよ。
だけど、このラインの中であれば、僕らは自分の不快があったとしても我慢し続けなきゃいけないというのがあります。
だから結構きついなと思います。

きついので逆にチーム体制を整えるとか、休む時間を作るとか、そういうことで患者さんと支援者との間でフラストレーションを抱えるのではなく、バックヤードでこのフラストレーションをどう解消するかと考えた方がいいんじゃないかと思います。

後はやり方があるんですよ。
例えば、怒っている時に甘い言葉でかわす。
怒ってるから怒りの矛先を変えるためにアメをあげちゃうとか、お菓子をあげちゃうとか。
「そうだよね」と言って怒りに同調してあげるとか、そういうのもありますね。
甘い言葉でかわす。

医者だったら、じゃあどんどん薬増やしましょうね、みたいなこともあるかもしれないけども、これも良くないですよね。
甘い言葉でかわすのはフラストレーションを避けることなので、治療者側、支援者側がそのフラストレーションを抱えずに避けようとしている行為なので、これも良くないですよね。

かといって妥協も必要です。
厳しくあってもいけないので、ある程度妥協しつつ柔軟性を持つ。伸縮性のある袋みたいなものですよね。
彼らの怒りを時にキュッと締めたりとか緩めたりとかが大事だなと思います。

この葛藤の期間はどれぐらい続きますかということですね。
半年くらい我慢したらいいんですかということですけど、これは人によります。あとテーマにもよりますね。

葛藤が5年、10年とか20代はずっと続くこともあれば、比較的短くて半年、1年、数年の場合もありますし、いろいろなものがあるので時間はかかるんじゃないかなと思います。

あまりにも長い時間なので、治療者側とか支援者側は治った姿を見れないとか、感謝というお返しをもらえないとか、いろいろなことが起きると思います。
「何なんだ」というまま終わっちゃうかもしれないですけれど、あまりにも葛藤の期間が長いからね。
でもまあそういうものなんですよね。

後は、本当に葛藤の後に受容に至ることができるかということですね。
これはやっぱり個人差がありますね。
葛藤を経て受容に至るだけの知的な能力が、そもそもベースにあるのかということがありますね。
これは結構難しいなと思います。
需要ができないから、発達障害の人ということなんですよね。こだわりだったり、視野の狭さだったり。
あとはロジカルに考えていったりとか、システム的に理解していけないという問題があったりするので、限界があります。

不都合な真実を我々人類は皆が皆受け入れるわけじゃなくて、僕だって不都合な真実を全て受け入れるわけでなく、受け入れられない事実もあります。
理解困難なものもありますよ。
量子コンピューターなんて僕理解できないですからね。

量子コンピューターが理解できない人もいれば、素数が理解できない人もいたり、知的能力だったり、興味関心の問題だったり、色々ありますけど、できないこともあるのでそこも苦しいなと思います。

相手の立場に立って考えるとか、相手の気持ちを理解するとか、これは確かに理屈は通らないかもしれないけれども、受け入れるしかないんだよとか。
視野を広げてみればこれは理屈が通ってるんだよとか、それは理解できるものもあれば理解できないものもあったりするので、そこは障害の程度によって変わってきたりします。
でも難しいなと思ったりします。

いくら話しても伝わらないことは結構ありますね。
少しずつ理解していけるのかなと思ったら、ザルのように知識が抜けていくこともありますから。
だから障害なんだよね。本当に苦しいですよ。

こちら側がイライラしてしまうこともあるんだけど、相手はもっと苦しかったりしますから、そこら辺も理解しつつやっていくことが大事です。

とにかく耐えるしかないことはいっぱいあるので、じゃあどうしたらいいんですかっていうよりは、耐えるしかないという前提で、支援者サイドがどういうチーム体制を作るのかとか、どういう風にフロントに立っている支援者をチームでフォローしていくのかを考える方がいいと思います。

今回は、発達障害者が支援者へ怒りを向ける時どうしたらいいのか、というテーマでお話ししました。


2023.8.21

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