本日は「俯瞰的に視る」というテーマでお話ししようと思います。
難しいですね、タイトルが。
臨床の中で「どうやって俯瞰的に見たらいいんですか」と患者さんとやりとりがあったので、そこで話した内容をもう一回動画にしてみようかなと思ったという感じです。
ちょっとシャッター音が入ってますけど、取材中なんですよ、実は。
動画を撮っているのも取材したいってことなので、シャッター音が入っているかもしれないですけど、気にせず見てください。
自分の今の置かれている状況を俯瞰的に見ることで感情的になり過ぎないとか、不安に支配されない、怒りに支配されなくなるわけですね。
自分はこうだなと客観的に見ることで冷静に落ち着いて行動できるので、俯瞰的に見られるようになることはとても重要です。
実際どうやって俯瞰的に見るんですかというと、歴史の勉強とか色々な知識を身につけるとかありますけど、まあそれは人それぞれやり方がありますね。
ただ僕の場合はどうかという話をしますね。
僕は俯瞰的に自分を見ている時はこういうイメージでやっています、ということを話をしますね。
たまたま僕らはこの瞬間に生きている
元々僕らは単細胞生物から生まれてきて、だんだん進化とともに猿になってきて、猿から人間になってきたという感じですよね。
だから僕は猿とか原始時代の人間をよく想像するし、自分の子供を見ていても猿だった時の人間の姿を子供を通じて見てたりするんですけどで、それがたまたま進化して今ここにいるんですよね。
自分が死んだ後も人類は生きていて、いずれは絶滅するかもしれないし、絶滅しなくても宇宙はいつかはなくなってしまうので、地球もなくなってしまいますから、こういう一直線上の世界観というのを予想して、たまたま僕らはこの瞬間に生きていると思っていますね。
そういう風に俯瞰的に見ている。
自分の行動力とか自分の人生、自分の自由はどれぐらいあるのかというのも、あまりないんじゃないかなと僕は思っているんですよね。
この瞬間にたまたまこの電車に僕は乗っているというイメージで、その電車の中でやれることをちょっとやっているというのが、僕の世界観だし、俯瞰的に見ているという感じです。
自分というのもそもそもデカルト的な「我思う故に我あり」というのでなく、「私とは何か」と言ったら、生まれ持ったDNAから生まれてきた脳の形もあるだろうし、環境や今まで培ってきた知識や経験から、その組み合わせで「私」は生まれている。
だから自分は唯一無二というよりは、この組み合わせで出てきている、この電車に乗っているたまたまの今なのかなと思っています。
相手もそうだと思っているんですよね。
相手はたまたま自分のこことこことここの部分だけが違ったら、自分はああだったのかなと見ている感じですね。
だから世の中は「運」なんだろうなと思っているという感じですけど。
これって何なのかなとか思いますけど。
でもこの話を僕、前に佐渡島さんという人と喋ってたんですよ。取材かなんかでね。
その時も「ああ、僕もそうなんです」みたいな話をしていたので、まあ今っぽいイメージなのかなという気はします。
佐渡島さんは『ドラゴン桜』などの編集をしていた人ですね。
社会化していく
人間は10代とか子供のうちは自己中心的だし、自己中心的なものの考え方をするんですよね。それはそれでいいと思うんですよ。自分が成長するためには。
だけど脳が拡張していって、より抽象的なものを考えられるようになってきて、そして知識や経験がついてきて、自分達が個人として生きているのではなく、群として生きている。
そして群の中で活躍するようになってくると、この自己中心性というのは徐々に放棄されていくんですよね。
それが社会化していくということだし、大人になっていくということだし、この大人になっていくということは俯瞰的に見るということでもあったりしますね。
だから、自己中心性から社会化していく中では、この俯瞰性は重要視される。
俯瞰的に見られるようになったら自己中心性も放棄できるし、感情的なものも放棄できるのでいいんじゃないかなと思います。
あくまでこれは僕のイメージです。
僕が俯瞰的に考える時にどういうイメージを利用しているか、僕なりの理解なのでもし良かったらこれを参考にしてもらって、俯瞰的に見るということを自分なりにアレンジして使ってもらったらと思います。
前向きになる考え方
2023.10.1