本日は「神経発達症(発達障害)は増えたのか」というテーマで話そうと思います。
昔は「発達障害」と呼んでいて、今でも発達障害と呼びますけど、最近は新しい呼び名になっているんですよ。
「神経発達症」と呼び名が変わっているんですけれども、同じですね。発達障害のことです。
最近知られてきた概念でもあって、じゃあなんで最近増えたのということですよね。
最近耳にすることが増えたけど、なぜこの病気が増えたのかと思っている人も多いと思います。
実際は増えているわけじゃないんですよ。
今まで人類にはずっと神経発達症の人がいて、それが今までは黙殺されてたんですね。だけどそれが気づけるようになったということなんですけども、じゃあなぜ気づけるようになったのか、なぜ診断するようになったのかをお話ししようと思います。
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2004年発達障害者支援法
2004年に「発達障害者支援法」というのができたんですね。
発達障害という概念自体がわかってきたのが1970年代とか80年代です。
知的には障害はないけれど、特定の分野が苦手な人たちがいるとわかってきた。そういう人たちの親御さんなどが声を上げ続けた結果、政治や政策に結びつき、2004年に「発達障害者支援法」というのがついにできたんですね。
この支援法ができたので診断する意義が生まれたんですよね。
これまでは医師はこうかもしれないなと思っていても、診断をつけなかったんですよ。
特別効く薬もないし、診断することによってかえって本人の自尊心を傷つけるんじゃないかとかそういうこともあったので診断してこなかった。
でも支援する福祉サービスが整ってきたので、じゃあ診断しましょうということが増えてきたということですね。
増えていった結果、皆がいろんなことを知って臨床の見方も変わって、どんどん診断をつけてくるようになったという感じです。
僕が医者になったのがこの支援法の後なんですよ。
上の先生が統合失調症と診断していたんだけど、「これ発達障害でしょ」と言って診断をひっくり返したことがあるんですね。
僕が若い時ですけど。生意気盛りだったんですけど。でもまあそんな感じですね。
10年ちょっと前くらいはまだまだそんな感じでしたね。
僕が開業した当初は、発達障害の記事を書いたり発達障害に関するものをブログの記事や薬のことを書いただけでバズったりしてましたから。
それもまだ6年、7年前の話なのでやはり発達障害が一般的になったのはここ数年のことだなと思います。
でもそれまでにはいろんな人の努力があったということですよね。
その努力の結果、僕らは診断する意義が生まれ、そして支援ができるようになったということです。
イノベーションとか科学の進化というのは何も新しい顕微鏡ができたとか、新しい装置ができたとか、そういうことだけじゃないんですよ。
こういう政策に反映していくというか、地道な社会の変化も立派なイノベーションなので、そのイノベーションの一端にあずかったり、イノベーションの恩恵にs預かっているのは良かったなと思います。
診断の弊害
その弊害はどういうものがあるのか。
診断することが増えた弊害は何なのかと言った時によく言われるのが、薬漬けにされているとか、薬だけの治療が起きているんじゃないかということですよね。
これはそういう部分もあるんじゃないかなと思いますね。
実際、発達障害と診断したからといって、治療が薬物による脳介入だけで行われるかというとそういうわけじゃないし、薬じゃない方がいいこともあるわけですよ。
薬は副作用があったりもするので、このバランスが難しいんですね。
職人技なんですよ。
副作用はあるかもしれないけど、使った方がいいなというケースもあるし、効果はあるんだけど、副作用が強いからやめておこうというケースもある。
ここら辺は調整が必要だったりします。
良くないのは、患者さんがもうやめちゃおうと言って、医者とのコミュニケーションを絶ってしまう場合です。
それは良くなくて、コミュニケーションを取りながらベストな値を探していくというのが精神科の治療なので、薬の量もコミュニケーションしながら決めていくものです。
あの人が出したら副作用があった。じゃああいつはやぶ医者だとかそういう話じゃないので、コミュニケーションを取ってもらえたらなと思います。
ただ実際、コミュニケーションがうまくいってないケースは多いんじゃないかなと思いますね。
ぶっちゃけ精神科医になる人はコミュニケーションが、僕もそうですけど、苦手な人が多いです。
患者さんもどうコミュニケーションを取ったらいいのかがわからなかったりすることも多いので、こういうことが起きているんじゃないかなと思います。
コミュニケーションを取るためには、患者さん側もしっかり精神科医療の知識が必要なので学んでもらう必要があるし、医者も説明した気になっているんですね、一回だけでね。
だけど何度も何度も説明しないとなかなか理解できないし、複雑だし量も多いですから、何度も説明しなきゃいけないんだけれども、なかなか今の医療体制では忙しすぎてできていないんじゃないかなと思います。
だからYouTubeは役に立っているんじゃないかなとは思います。
あとは虐待やいじめの可能性というのを隠蔽されているんじゃないかということです。
子供が発達に遅れがある場合、もともとの本人の素質だけじゃない可能性があるわけです。
発達が遅れているなりの理由があるかもしれない。
いじめがあってうまくいってないとか、虐待があってストレスのせいでうまく成長できてない可能性もある。
本人のせい、本人の体質、本人の遺伝子のせいとするのではなく、もっと視野を広げて色々な可能性を吟味する必要があるんだけども、それができなくなっているケースもあるんじゃないかということもよく言われます。
あとは、本当に発達障害なんですか、そもそもうつ病やうつの結果、不注意が増えているんじゃないのとか、ミスが増えているんじゃないのとか、コミュニケーションが苦手になっているんじゃないのとかもあったりするかもしれません。
難しいね、医療というのは。難しいんですよ、難しい。
診療が下手だってことですよね。弊害というよりは、これだけ見ていると。
弊害というよりは診療が下手なので、発達障害の治療がまだまだみんな下手なんじゃないかという感じがしますね。
でもうまくなればいいだけなんでと思います。
なぜ増えたのか
なぜ増えたのかというと、そもそも社会構造自体が変化しているからじゃないかみたいな言われ方もします。
単純労働が減って、もっとコミュニケーションをしっかり取らないといけない。
そして頭を使わなきゃいけない。すごく難しい仕事が増えたからなんじゃないかみたいな言い方をすることもあります。
単純な仕事は機械がやったり、データの打ち込みもAIがやる時代になってきていますから、人間に求められるのは、より複雑でより高度なことになってきているので、その結果、なかなか働けない人も増えてきている。
炭鉱のカナリアが発達障害なんじゃないかという主張ですよね。
そういう部分もあるのかなという気がします。
あとは能力主義とか自己責任論が行き過ぎていった結果、能力に対してセンシティブになりすぎていて、その結果ピリピリして発達障害なんじゃないかと疑うケースが増えているのかもしれない。
そういうのもあるかなと思います。
あとは単純労働をそもそも昔からしていたんだろうかということですよね。
単純労働をしていたから社会に溶け込めていたのかとか、発達障害の人が溶け込めていたのかというと、そんなに過去が牧歌的で幸せだったとは、僕はあまり思っていないんですよね。
やはり昔も片づけられない主婦がいて、すごく否定されたり、自尊心が傷ついていたり、あと怒る父ですね。こだわりが強くて怒ってばかりで共感してくれない父親がいる。
今だとこれが発達障害のこだわりなんだとわかるけど、当時はわからなくてでも家族が我慢していたケースもあるだろうし。
今でこそ少子化だからできない子が目につくんだけれども、そもそも兄弟が4人とか5人とかいたら、一人くらいできない子がいたりするのは当たり前だみたいな言い方もあるわけですよね。意地悪な言い方ですけどね。
でもそういう部分もあるので、やはり苦しかったんじゃないかなと思います。
僕は現代だからという言い方はあんまり好きじゃなくて、昔も苦しんでいた人がいた。だけど彼らは声なき声だった。抑圧されていた、無視されてたんですよね。
だけど、無視されまいと思って、小さな声をかき集めてきて、先人たちが頑張って発達障害者支援法にたどり着き、そして僕らは彼らの功績を享受できるようになってきているんじゃないかなと思います。
医者がそういうことを勝手にするから医療費を圧迫してるんじゃないか、そういうことをするから甘えさせているんじゃないか、そういう意見があったりしますけど、僕は違うと思っています。
やはり過去も苦しんできた人がいたし、そして彼らが次の世代のために努力してきたことが、今の僕らの生活に影響しているんじゃないかなと思います。
臨床していても、50代、60代の女性や男性で初診で発達障害じゃないかと思ってくる人はいるんですよ。たくさんいますね。
ようやく楽になれたという人もいるんですよね。
たくさんいるので、やはり単純労働をしてたから平和だった、今だから苦しい、社会が複雑になってるから苦しくなったんだというのは、あまりにも議論を単純化させて過ぎていて、弱い人たちを抑圧するような意見じゃないかなと思いますね。
今回は、神経発達症は増えたのか、というテーマでお話ししました。
発達障害
2023.10.2