益:カウンセリングとか精神科の治療とか、どういう風に僕が頭を使っているのか、考えてるのかを話します。
今、池口さんに聞いてもらっているんですけど。僕は動画で考えるのは得意だし、図で考えるのは得意なんですけど、文章に起こすのは苦手だなと思って。
時間かかるなと思ったんですよね、メンタルヘルス大全を作るのも。そもそも時間がかかるから、池口さんに来てもらったわけなので。
あらゆる角度からいろいろ話しつつ、一番最適な編集パターンを探すために、同じような話も何度か続くんですけれども、ご了承ください。
コンテンツ
心は脳である
益:やはり僕らは精神科医、医者というのは科学者なので、いろいろな人の悩みを聞いたりとか、いろいろなことを考える時に、「心は脳である」というところからスタートするんですね。
心は脳なので、今どんなことが脳内で起きているのかをいろいろ想像するわけですよね。
だいたい調子が悪いことが多いので、まず休みましょうと言うんですよ。とりあえず一回休もう、寝よう。
そうしないと臓器だから治らないので。
ただ筋肉と違って、何もしないで休まるというものではないんですね。脳みそって。絶えず動いてるので。
なので休まる場所を作りましょうということなんですよね。
だから整理しようと。
曖昧としていると、やっぱり落ち着かないんですよ。
「あれ何だっけ?」みたいな。モヤモヤしてるといけないので、だから明確化、きちんと言葉にしてあげるというか。
わかるところはわかる。わからないところはわからないという明確化していく。
整理しつつ明確化していく。
ただ心の病というのは怪我と違って、瞬間瞬間で起こるものじゃくて、長年の蓄積で起きますよね。
脳は疲れに強いというか、じわじわと疲れを溜め込んでいって悪化する臓器なんですよ。
結局、ストレスを溜めやすい考え方をしているんですよね、皆さん。
だから、疲れにくい考え方を目指していく。
整理された情報をもとに疲れにくい考え方を作っていく。
疲れにくい考え方をすることで、脳が休まっていくということですね。
これが基本ですね、精神科の。
まず休む。それで整理する。それで、疲れにくい考え方をするということです。
シンプルですね。
治療のスケジュール
治療のスケジュールはどういうものかというと、まずは休みましょうということです。
とりあえず一回落ち着いて休もうよみたいなで助けを呼ぼうということなんですよ。
信頼できる人やプロにね。
その後は、ちゃんとその人たちに従おうということなんですね。
今調子が悪いから自分で判断せずにまず従う。だから信頼できる人やプロの言うことを聞く。そこからスタートしようということなんですよね。
ある程度休んできて頭の中がスッキリしてきたら、次のステージに移る。
1つ目がマインドフルネス。
考えるための足腰みたいなもので、マインドフルネスができるかできないかは結構大事なんですよ。
2つ目が知識をつける。YouTubeもそうです。
あとはトラウマと向き合うというか弱点と向き合うというか。知識を整理していくという段階になるんですよね。
それらがだんだんできてきたらようやく自分のやるべきこととか、目標・目的を定める(3つ目)。
だからそれまでは従っておくんですよ。人の言うことに。
目標・目的を定めて計画を立てる、戦略を立てる。
計画を立てて行動して、その結果に合わせて修正していく。これは別にメンタルに限らず、皆そうですよね。
目的を定めて計画を立てて行動を修正していく。
自分だけじゃなくて、周りも世の中も社会もすべては変化していく。
変化すれば状況が変わるので、変化に応じてもう一回繰り返す(4つ目)。
疲れているなら休むし、学びが足りないなら学んでいく。整理が足りないとすると、もう一回目標や目的を修正するかもしれない。
これを繰り返すというのが治療とかカウンセリングの基本だったりしますね。
心は脳であって、休む。それで整理して、その上で疲れにくい考え方をしていく。
循環を日々やりつつ、全体の流れはこんな感じですよね。
池:1、2、3、4というのは明確なんですか?
益:もちろん1と2はだいぶ被っていたりもするし、2と3も被ってたりしますし、3と4も被っていますけど、だいたい2と3の間だよねとか、ほとんど2だよねとか、そういうのはあったりしますね。
どれぐらい休んだらいいんですかというと、マインドフルネスがきちんとできるかできないかなんじゃないかなと思いますね。
そもそも目を閉じて3分とか5分とか座っていられるかということなんですよね。
これができないとやはりまだ調子が悪いということなので、まず休んでくださいとか従ってくださいということになるのかなと思うんですよね。
マインドフルネスは何度も言いますけど、何か考えても「いかん、いかん」と思って呼吸に戻る。
そしてまた何か考えるんだけど、呼吸に戻るというこの連続。
これが少なくとも3分~5分ぐらいできないと、次の学びとかトラウマに向き合うということは難しいし、目標目的を持つとか計画を立てるというのも難しいんじゃないかなと思いますね。
マインドフルネスも終わりはないので極めれば極めるほど先もありますけど、まず初級編はやっぱりマスターしていないと次に進めないなと思います。
だからこれがまずできないのなら、例えばうつがひどくてマインドフルネスができないのであれば抗うつ薬をしっかり飲むとか、統合失調症の幻覚妄想が酷いなら向精神薬を使うとか、発達障害の症状が酷いのであれば薬の補助を使うというのも大事かなという気がしますね。診断やアセスメントです。
余談ですけど、精神科の中では診断や薬を出すことしかしていない人がいて、右半分をやってないということなので、あんまりいい治療とは言いがたいんじゃないかなという気がします。
整理・明確化
益:整理・明確化というのは、どういうものを整理・明確化していくかということなんですよね。
精神科で伝えたりとか、整理していくとか理解してもらうものは何かというと、一つは「私は何者か?」。
心は脳であるんだけども、診断を受けるとか、社会的な状況も含めて理解するということだし、感情に支配されないトレーニング。つまり今自分はどんな感情があるのか。
感情は本質的には複雑なものなので、思考とか価値観とか色々絡み合っているのが感情なので、それに支配されないためにかなり整理してあげないといけないんですね。
トラウマや記憶とも結びついている。
だから支配されないために整理・明確化していくとか。
あと「どう生きるか」ですよね。
目的・目標にも関係するんですけれども、どういう価値観を作っていくのかということも整理・明確化していかないといけない。
それと「周囲からの誤解」。
誤解をどう解くのかどう受け入れるのか、そのための心の整理だったり、相手の理解は大事だったりします。
あと「孤独・自立」ですね。
孤独を受け入れるとか自立を受け入れるためにはやはり整理・明確化が必要だし、これらが主なポイントかなと思います。
なぜこういうことを言うようになったかというと、僕がYouTubeをやりながら多くの人とコメントとかを通じて、患者さんたちが助かったと言うのは、この5個の項目のどれかだったりするんですよね。もしくはそれの複合化。
学ぶこと、動画を見たことで、頭の中が整理されて自分のことがわかりましたとか、感情に支配されなくなりましたとか、誤解を解くことができましたとか、誤解を受け入れることができましたとか言っているので、そういう実践的なところから来ているという感じですね。
知識や経験をここで整理して、こういうものがわかっていくということになりますね。
私は何者か?
「心は脳」と関係するんですけど、「私は何者か」って結構難しくて。
脳というのは遺伝子という設計図を元に作られているので、人によって体質は結構違いますよね。
あと、これまでつけてきた記憶(知識や経験)。
ハードウェアに対して、こういうソフトウェアを入れてあげると脳は出来上がってくるんです。
あとは今の状況ですね、体調、環境。
それに合わせて人間は瞬間瞬間変化していくので、自分を理解しようと思ったら大きく分けてこの3つの重ね合わせで起きる。
同じ人がいないということは、この3つの掛けあわせのバリエーションがめちゃ多いからだと思うんですよね。
同じDNAの人はそもそもいないし、似たようなDNAの人はいたとしても同じ人はいない。双子以外は。
同じ経験をしてきている人もいない。
同じ状況になることもないので、物理的に。地球は2個ないですから。
そういうことになるかなと思いますね。
あとですね、人間の苦しみとは何かというと、脳の中の「内部矛盾」という問題があるんですよね。だからああしたいけどこうしたいというか。
脳は複雑なので、Aという部門がやりたいと思っていることと、Bという部門がやりたいことがバッティングし合うことが多いんですよ。
例えば、人気者になりたいとか痩せたいとか言っても、やっぱり食べたいっていうのがある。
この内部矛盾にこだわって苦しくなっちゃうとか、その内部矛盾をうまくコントロールできない人も多いですね。
こういうことを言うとだいたいよく言われるのが、「人間は社会的な生き物だろう?」と。それもよくわかっています。
人間というのは、社会的な生き物でも同時にある。
社会的役割や期待もあったりするので、そういう側面からも自分たちのことを理解していかなきゃいけないのかなと思いますね。
心は脳と言いながらも、あくまで精神科医はこちらをベースに考えますけど、社会的な部分も理解してあげないといけない。多くの人はこっち側だと思っていますからね、心は脳と思っていないので。
この社会的役割や期待を理解していく上で、色々なことの勉強も必要だし、医学がわかっていても、こっち側がわかってないと全然実力不足ということになっちゃいますね。
心理士さんもそうですけどね。
この社会的役割の中でも、期待の中でもやはり内部矛盾があるわけですよね。
同じ仕事の社員だとしても、上司と部下との板挟みがあるとか、会社員であることと父親であることのバッティングとかもあるでしょう。
しかもこことここのバッティングもあるんですよね。社会的には求められているけれど、脳的に無理だよ。
高校生が朝早く行かなきゃいけない。だけど10代は生理的に睡眠のリズムが後ろ側なんですよ。だから本来は夜ふかしをする生き物なんですね。生物学的には。
だけど社会的にはそれが許されないというそこの矛盾で、うまく調整できる人もいればできない人もいて、そこで苦しんでいる子供も多いですよね。
だから医者としては心は脳だからということを優先させるべきだし、そういう風に社会を変えていかなきゃいけないんだけれども、人間という動物性を理解した上で、社会に訴えかけていかなければいけないんですけれども、まだまだ後手後手に回っているという感じですよね。
ここでもうちょっと言いたいのは、最近だと精神疾患になりやすい遺伝子はあるよとかもあるんですけれど、病気に満たないようなものに対する社会的責任と遺伝子的な仕方なさのバッティングで苦しむパターンが多いですよね。
一つは知的な問題ですね。
民主主義は基本的には全員平等で全員が同じことを考えられる。全員が自由意思を持って同じことを同じように考えられる。教育を受ければ同じように判断できるんだと考えるんですけれども、やはり人間というのは生まれ持った知的な能力の差があるということがわかっている。
そこが上手くまだ人類は価値観の中に取り込めていないですね。
明らかな知的障害だと何となく社会の中で融合されたりとか、無視されたりしていますけれども、最近目立つのが発達障害ですよね。
人口の1割弱いると言われてる発達障害の人たちは、一部の知的障害、一部がわからない、相手の立場に立てないとか、一部のところに問題がある場合。その場合どうあるべきなのか。
そういう人たちが起こす社会的な問題をどう考えるかというのはまだ答えを持たないし、そこの間で僕ら精神科医は結構患者さんと悩んでいることが多いですね。
あとはバイタリティですよね。
体力の差というのもやはりよく出てくるなと思いますね、臨床をしていると。
つまり体力は違うので。僕よりもっと体力ある人もいますけど、僕も結構ある方で、週7で働けるんですよ。週6.5日とかで働いてますけど。
医者は体力あるんですよね、そもそも元気というか。
普通の人から見たら躁状態みたいな人が結構いるんですけど、バイタリティの差がありますね。
人によっては週3で働けないとか、人によってはもう焼肉食べただけでお腹を壊して1週間体調悪いという人もいますから、結構差がある。
だけれどもこのバイタリティーの差が妙に隠蔽されてますね、現代は。
それはなぜかというと、まず女性と男性でバイタリティが全然違うというのもある。
もちろん女性の中でバイタリティがある人はいますけれども、やはり全体的に男性の方が体力がありますよね。
だけど、女性が社会進出している中で、女性も男性と同じことを求められている中で、バイタリティという存在はもしそれを考慮してしまうと社会が成り立たなくなってしまう部分もあるので、無視されているなとは思います。
でも生物的に考えたら考慮しなきゃいけないものかなという気もします。
休む
こういうことを踏まえて、心は脳であるということを日々マインドフルネスしながら、瞬間瞬間セルフモニタリングする必要があるんですね。
今の自分の状態はどうなのかなとか、今自分の体力はどんな感じなのかな、疲れ具合はどうなのかな、今自分はどんなことを感じてるのかなとか。
セルフモニタリングに合わせて休んだ方がいいこともあるし、もうちょっと頑張ったほうがいいかもしれない。
絶えずチェックをしながら目標・目的・計画・行動に移していく。
だからドラクエのHPやMPみたいなものなんですよね。
今の自分の体力とか疲れ具合はどうなのか。精神的な疲れ具合はどうなのかということをチェックしながら、残っているアイテムとミッションを見比べて、どういうことを今すべきかを考えることが大事です。
だから休むというのは睡眠のことでもあるし、今日体調悪いからちょっと長めに寝ようかなとか、ちょっと体調悪いけれどやらなきゃいけない仕事があるからちょっと今日は無理しようかとか、そういうことを考える。
生活習慣の見直しとかね、そういうのが休むということですね。
疲れにくい考え方
あと疲れにくい考え方という話をします。つまり、今まで考えていたことと違うように考えられるようになる必要があるんですよね。
どうやったら疲れにくい考え方になるかというと、きちんと客観視するということなんですよね。
基本は今の状況を客観視する。
新しいバージョン、主観2.0に移ると言いますけど、自分の思い通りに見ているんですよ。人間というのは。
自分が見たいものを見てるので、正しくものを見ていないんですよね。あるがままを見ていない。
まずそれを客観視するところからスタートする必要があるんですね。
客観視すると、不都合な真実が見えてくるわけです。
自分の弱さとか、自分のダメなところとか。
思ったよりその人は自分のことを愛していないとか優しくないとか。
親を憎んでいたけれども、そもそも親は実力不足だったとか。
この「不都合な真実」を受け入れた上で、最適な行動を取ればいいわけですよね。人間というのは。
急に賢くなるとか、急にパワーアップすることはないから。だけどなかなかできないんですよね。
それを心理的抵抗と言ったりします。
例えば「あなたはガンです」、「余命半年です」と言われたらどういう反応するかというと、キューブラー=ロスの死の受容の5段階とかいうんですけれども、まず否定する。
「そんなわけないでしょう」とか、「別の病院で検査してもらいます」とかね。
「いや、お前やぶ医者だろう」「そんなわけあるか」と怒ったり。
「いや、もうダメだ。自分はもう絶対治らない」「自分の人生はもう終わったんだ」と悲しんじゃったり。
あと取引ですね。「これから神を信仰したらガンは治るでしょうか」とか。
そういうことをやったりします。
心理的抵抗は色々あるんですよ。
精神分析の世界だと防衛機制というものがあります。投影、逆転、逆転移、投影同一視とかいろいろあるんですけども、いろいろな形でその不都合な真実を受け入れないためのことをするんですよね。
それは意識的、無意識的に人間というのは抵抗するんです。
その抵抗を乗り越えていって、不都合な真実を受け入れていかなきゃいけないんですよね。
そのためには医師の信頼も必要かもしれないし、わかりやすい説明が必要かもしれない。
マインドフルネスをして自分と向き合うことは勇気を身につけなきゃいけないかもしれないし、安心できる環境を提供しなきゃいけないかもしれない。
わからないですけれども、いろいろなパターンがありますけれども、心理的抵抗を取って一つ一つこの不都合な真実を受け入れていき、最適な行動を取らなきゃいけないですよね。
これがそんな急には変われないんですよ。だから1.1とか1.2とか、ちょっとずつ変化していったりするんですね。
今までは受け入れなかったけれども、例えば自分の弱さを受け入れないけれども、他人の弱さを受け入れるとか。
他人の弱さ全部じゃないけど、他人のこういうところは受け入れるとか。
旦那さんが掃除をしないことは受け入れるようになったとか。
いつまで言ってもお皿を洗わないとか食器をあげないことは受け入れるようになったとか。
ちょっとした変化があるわけですね。
その変化を積み重ねていくと、ある瞬間ポンと良くなる時がありますね。
これは精神分析だと「徹底操作」とか「ワークスルー」と言うんですけれども、僕はイマドキっぽくわかりやすいように「主観2.0」と呼んでいます。
ちょっとずつの変化から、そのちょっとずつの変化が積み重なって2.0になるかというとそうではなくて、ちょっとずつの変化をやっていって、ある時ポンと良くなるんですよ。
こんなにちまちまやってたら治療が進まないから終わらないと患者さんは思うんだけれども、ある瞬間ポンと良くなることがあったりしますね。
これが疲れにくい考え方に移る時の話です。
複雑に考えるということなので、もともと白黒思考だった人が主観2.0に移っていくイメージですね。
白黒思考というのは良いか悪いかとか、単純に考えちゃうんですよね。
だけど世の中というのはもっとシステマティックですし、色々な要素が絡み合っているじゃないですか、複雑に。
だから白黒思考じゃ把握できないんですけども。でも、ベースが白黒思考だと無理やりそっちに当てはめようとする。
はまらないパズルを無理やりはめようとしてイライラずっとしている。
どこかでバージョンが変わらないといけないんですけど。
これをいきなりできるかと言うとできないんですよね。
なのでカウンセリングというのは、最初は「補助」してあげるんですよ。
この問題を一緒に考えるというか、こうしなさいと指導してあげたりする。
本来はその人が考えるべきことなんだけれども、補助エンジンとして治療者が機能する段階をやりますで。
補助エンジンをずっと繰り返していると、そのパターンを何回かやっていると、子供と同様「真似る」んですよね。
子供も最初は親がご飯作ってくれるんだけど、だんだん真似て自分で作るようになるじゃないですか。
それと同じで、真似るようになります。
見よう見まねで真似てきた時に、次の段階だと「方法論」に興味を持つんですね。
もうちょっと抽象度が高いことを考える。
真似るのではなくて、もっと応用が効くように、そもそもどういう方法なの?ということを学ぶようになってくる。
それが進むと「場の提供」ということに変わっていくんですね。
方法論をマスターしたら、「ああ、益田はこういう風に考えてるのね。益田のやり方はわかりましたよ」「精神分析のやり方はわかりましたよ」「認知行動療法のやり方はわかりましたよ」とか。
そういうことをすると、今度はじゃあ何のためにカウンセリングをやるかと言うと、一人でもできるかもしれないんだけれども、壁打ちの相手になるんですよね。だからその場を提供してあげる。
場があることで、自分もやりやすくなる。
そのためにカウンセリングがあるという感じですね。
イメージとしては補助が支持的精神療法と呼ばれるもので、真似る~方法論が認知行動療法っぽくて、方法論~場の提供が分析っぽいですね。
僕のイメージですけど、そんな感じですね。
こうすると疲れにくい考え方になっていく。この繰り返しだったりしますね。
こんなのムズイ
一番最後に言わなきゃいけないんですけど、こんなのムズイじゃんって話ですよね。
だからこれが全部できる人たちって、これに近づこうとする人達ってやっぱり限られているんじゃないかなと僕はよく思っているんですよ。
最後までできる人たち、この辺は理想目標であって、合理的存在とか。
本当に自分の心をコントロールできるようになるということは、この合理的存在になれるかというと、やはりなれないんで。
それに対してどうするべきかというと、ある程度自分ができないことを受け入れていくしかないなというような気がします。今の私を。
だいたいみんな途中で諦めます。
諦めてというか、こんなことやってたら人生これで終わっちゃうなと思うので、弱さを受け入れということに移りますね。
ある程度途中まで行ったら、今の私を受け入れるようになる。
今の私がより退行した病的な状態、ストレスが溜まるからギャンブルをするとか、買い物依存になるとか、誰かをいじめるとかではなく、そういう病的な反応ではなく、休むとか少しでも合理的存在に行くことが目的なんですけれども。
究極的には合理的存在にはなれないので、ある程度弱さを受け入れつつやっていくということなのかなと思いますね。
だからカウンセリングは終わりはないわけですよね。この図を見たらわかるように。
ここまで行ったらいいとかではなくて、この活動性であるということですよね。
活動性であるということがわかると、ちょっと違うのかなと思いますね。
あとはこれの本筋がわかるまでの細かいところなんですよね。
今の診断はどうなのかな、病気はどうなのかな、じゃあ今はどういう状態で休むのかな、どういう傾向があるのかなとか。
色々な人が色々な研究をしているわけですよ。
こういう病気の人はこういう考え方をした方がいいとか、こういう風に物事を整理した方がいいとか。
こういう社会的な問題を抱えている人は、こういう精神疾患、PTSDとかうつ病になりやすい、こういう場合はどういう風な治療がいいということは、経験論や症例ケースとしてデータが膨大にあるので、そのデータを学びながら自分なりのパターンを計画立ててやっていくことになっていくという感じですね。
池:一つ一つの、最初は心は脳で、休む、整理・明確化、疲れにくい考え方がなるほどなと。
スケジュールもなるほどなと。
その裏にも社会的役割とかそういうのが入ってくると、何回も聞かないとスッと入ってこないというか。そこは習得するしかないかなということと。
最終的にそこを目指すけど、そこは無理だよという認識もすごく重要だなと思いましたね。
益:枝葉が一本筋じゃないんです。循環的な論理を何周も今してたじゃないですか。
この論理はこういうグルグルがあって、こっち側はこっち側でそうなんです。
だから文章化するのが結構むずいなと。
池:そうなんです。重なり合っているけれども、違う作業でもある部分があって、重なり合っているという。
益:そうですね。結構ムズイです。
でもちょっとすっきり説明できたかなとは思いますけど。
カウンセリング
2023.11.29