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精神科医の苦しみと葛藤。治療者を目指す人はボランティアも含め、見てください

00:00 OP
02:23 4つの苦しみ
05:30 相手の理解困難
07:19 感情的負担
17:26 治療の難しさ
20:26 資源不足
22:27 責任・使命感

本日は精神科医である苦しみ、葛藤などを動画にしてみようと思います。

精神科医は病みませんかとよく聞かれるんですけど、病まないんですけど、決して楽な仕事ではないんじゃないかなと思います。

別に益田を褒めてくれとかそういう話じゃなくて、これから治療者を目指す人へ、またピアサポーターとして誰かを助けようとしている人たちに対して、ちょっと怖さがあるよ、こういう辛さがあるよ、ということを伝えたくて動画に撮るという感じです。

僕自身の精神科医としての苦しみを伝えることで、それを応用してピアサポーターの人とか他の支援者、治療者の人にも理解してもらおうかなというか。
皆さんも同じような苦しみを持つと思うので、これからなりたいと思う人たちは、そういうところは用心してもらいたいなと思っております。

あらかじめこんなことが苦しいんだとわかっていると対処法もわかりやすくなるので、理解してほしいと思うところです。危険性とかね。
僕らでさえ苦しいからです。
助けてあげたいなと思ってもですね、簡単にやるものじゃないですね。結構大変ですから。

4つの苦しみ

精神科医の苦しみというのは、大きく分けると4つに分けられるかなと思います。

一つは「感情的負担」ですね。
いわゆる共感しすぎたり、共感するけど、入り込み過ぎちゃうと苦しくなるんですよね。
じゃあ相手の気持ちに入らないかと言うと、入らないわけじゃなくて。

人を馬鹿にするとか差別するとか、そういう形で相手を否定することで、自分の心を守ってただ仕事としてこなすというのもあるんですよね。
裏では患者さんの悪口を言うことで心を保つみたいなパターン、そういう駄目なパターンの治療者もいます。多くの人はそんなことないんですけど、でも感情的負担があるが故に結構疲れるというのがあります

もう一つは「治療の難しさ・限界」です。そして複雑性に関することですね。
精神疾患はすべてを治せるものではないので、そういう中で自分がどういうことができるのかを淡々とやるっていうのは結構難しかったりします。

あとは「資源が少ない」。足りないんですよ。
人・金・時間、全てのものが足りない中でやっていかなきゃいけないという苦しさがあります。

あとは「責任感と使命感」ですね。
これがあるが故に、自分を追い詰めてしまうという苦しさもあるなと。
自分が苦しかったが故に助けてあげたいという思いがあると思うんですよね。
これからピアサポーターをしようと考えている人は、そういう思いがあるんじゃないかなと思います。やってやるぞというものがあると思うんですけども、それがあるが故に追い詰められてしまうこともあると思うので、その点もちょっと理解してもらいたいなと思います。

1個ずつ行きましょう。

相手の理解困難

治療の難しさや限界性の話ですけれども、理解してもらえないというのがあるんですよね。
あとは理解できない。
患者さんが理解してくれない、患者さんがやっぱり理解ができないことがあるんですよね。時間が経てば理解できるものもあれば、時間が経っても理解できないものもあります。

理解ができないが故に、その人は苦しいんですよね。
知的な問題、発達障害の問題、俯瞰的に見れない問題などがあります。
理解困難が解消されないというのがあって、それが故に相手が怒ったりする。
これがやっぱり真ん中に常にありますね。

どんなに言葉を尽くしても理解できない、してくれないというのがあって、ここに毎回いろいろな葛藤が起きるんじゃないかなと思います。
これをまず最初に伝えます。
治療の難しさや限界性のことですね。

複雑であるが故に理解できない。
自分自身も「じゃあ、お前はどうなんだ」と言われそうですけど、自分自身ももちろん理解できないことはあります。
でも、まあまあという感じですかね。

感情的負担

感情的負担ということですけども、患者さんは苦しいわけですよ。
患者さんというか、病気の人は。
だからその苦しさを共感したいと思ってもやっぱり同期しちゃうんですよね。

共感というか同期というか。
同期が故にすごい疲れてしまうとか、悲しくなるということがあります。

何なんだこの人生は、この社会はとか、そういう思いに囚われてしまうところがあります。これがあるが故に、こちらも怒る。社会に対して怒るとか絶望するとか、そういうものを味わいます。

いわゆる漫画で言う「闇堕ち」というやつですね。そういうのがあります。
これに対してじゃあ何とかしようと思っても足りないんですよ。

助けてあげたい、寄り添ってあげたいと思うけれども、寄り添うと無責任だったりするんですよね。
それはなぜかというと、時間が足りないし、やらなきゃいけないことがある。
これからピアサポーターをする人は、自分とその患者さんだけじゃないんですよね。
自分には家族がいるかもしれないし、同時に複数の人と座談会をしていたりしますからね。

だから一人に寄り添うことはできないわけですよね。
だから色々なことを考えながらやらなきゃいけないんだけれども、相手がまた理解してくれないんですよね。人によっては。
こういう事情だから私の話を切っちゃったんだなとか、こういう事情だから話を聞いてくれなかったんだなということを理解してくれないパターンがあります。
この理解困難が結構難しくて。

例えば人によっては時間感覚がない人がいるんですよ。
すごい言い方をすると遅刻しやすい人はやはり時間感覚がなくて、相手の時間を奪ってしまっているということがなかなか理解しにくかったりしますね。
それを指摘するとすごく盲点を突かれたかのように、傷ついてしまうということもあったりするということだったりします。

だから共感すると苦しくなるし、これをやってあげたいと思っても結局できないという問題がある。そしてできないと思うことのジレンマを相手が理解してくれない、という苦しみがあります。

あとは相手に合わせて動かなきゃいけない。
すごくデリケートな話題ですから、常に注意を払わなきゃいけないですね。細心の注意。
だから疲れますね。細心の注意というか、どっと疲れると言うか。

動画を撮るなんてまあそんなに大変なことじゃないですよ。
やっぱり人の表情を見ながらやらなきゃいけないので、表情や声色からもチェックしつつ、言動とか。
そして絶えず相手の理解力をチェックし続ける。
理解力に合わせて言葉を変えなきゃいけないし、こういうのは結構注意を払わなければいけないので疲れます。
もちろんこの理解力には、理解が困難という問題が出てきたりします。

あとですね、相手の話をしっかり聞かなければいけないですよね。
コンテインと言うんですけど、コンテインしなきゃいけないんですよね。

例えば良くない例だと、相手の話を聞かずにすぐアドバイスをしちゃうとか。
それはコンテインされた感じはしないんですよね。
一回受け止めて、相手の出してるものを全部受け止めてあげる。
相手がふーっとなった時にちょっとずつ返してあげるみたいな。

相手がせっかく時限爆弾じゃないですけど、モノを持っていて、「はい」と渡した後にこっちも「あ、これね、はい」と返してしまったら、相手は苦しいわけですよ。
だからこのコンテインする感覚が結構大事ですね。

それは例えば怒りだったり悲しみだったり、いろいろあります。
怒りの対象になることはどうしてもあるというかね。それは思春期の親とも似ていますね。
思春期の子供たちのどうしようもない社会への怒りとかあるわけですよ。

成長の過程で絶対起こるものだし、それを親は受け入れるというか、味わわなきゃいけないんですけども。
その時に親が味わうことに恐れ過ぎて、すぐ返しちゃうとかする。
「あんたはこうなんでしょう」と言っちゃうと、子供たちは十分に怒ることができないんですね。
怒ることが許されないというか。

そうするとやはり自由に発言できないし、自立心を生むことはできない。
だから「憎まれる」というのも一つの仕事なんですよね。
その役割を受け入れられるかというのがありますね。
これも結構しんどいですね。

結構怖いんですよ。
かといって、そういう情動的なものから単純に怖いものとかもあって。
定期的に殺害予告が来るとか、誹謗中傷が来るとか、そういうのがありますね。

一方、裏切られるというのがあります。
殺害予告、あと誹謗中傷ですね。

本人の苦しいことを治療者側に投影や転移することもあれば、妄想でそうなってしまうこともあるし、誤解だったりすることもある。
もちろんこちら側の力不足もあったりするでしょうけど、結構危険ですね。
実際、時々事件になっていますよね。

あと裏切りと言ったら、ODや自殺をしてしまう。治療をしている相手がね。
そうするとすごく無力感に支配されてしまう。
自分は何て無力なんだという思いになってしまうこともあります。

あと自分自身のトラウマを刺激されることもあるわけですよ。これも結構疲れますね。
自分の中に、解消したはずなんだけれど、解消しきれていないもの。
もしくは解消しきれていないものがあったりして、それが刺激されると妙に苦しくなったりする時があります。

妙に学歴コンプレックスがあったりすると、そこを突っ込まれるとなんかなとか。結構ありますよね。
東大の理IIIとかね。
理IIIの先生は良かったのとか言われると、何となくモヤモヤモヤっとしてきたりとかしますけどね。

というのは感情的な負担に関することかなと思います。
また後で話しますけど、この負担に自分がちゃんと気付けてるかも結構大事です。
そうしないとバーンアウトしちゃうんですよね。
セルフモニタリングできているか。

そして自分の弱みを知っているのかも大事です。
概ね無意識に溜め込まれることもあるんですよ。
だから自覚しようと思っても、自分の無意識があるわけですから、無意識に溜まり込んでしまって、ある時ボンと爆発することもあるのでこれも大事ですね。

発達障害の人はすごく苦手なので。
自分は大丈夫だよ、疲れてないよと言っているけれども、ある瞬間ぽんと弾けちゃうこともあるなという感じです。

治療の難しさ

治療というのはですね。やはりちょっと苦しみということで伝えますけど、難しいですね。
いろいろなことを知らないといけないので、とても複雑です。

生物的な問題と社会的な問題がやはりあります。患者さんには。
生物学的なことも理解しなきゃいけないし、社会的な背景も理解したりしなきゃいけない。
そしてそれは答えは出せないこともあるんですよね。

スタンダードな答えがないが故に、毎回試行錯誤ということが大事だったりします。
試行錯誤する勇気というか、今までの答えに甘んじないというのも大事だったりします。
それも結構しんどいですけどね。

あとは曖昧なものが多いので、曖昧さを受け入れることも大事です。
あと、時間がかかるんですね。5年、10年の単位で物事が考えられるのか。

今は自分が怒りの対象になって憎まれているけれど、それを受け入れるのか。こういうことも大事です。
そしてこれらは患者さんに全て共有されることはないでしょう。難しすぎるから。
その孤独感も受け入れられるかということですよね。

一方で、これをちゃんとやってくれない治療者もいるわけですよね。
薬だけで出して終わらそうとするような人たちもいる。
これを拒否する、否認してしまう治療者がいた時の怒りをコントロールできるのか。
「益田はよく某チェーン店のクリニックの批判をしてるじゃないか」とか「某先生を批判してるじゃないか」とか言われそうですけど、それぐらい可愛いものですよ。自分で言っちゃいましたけど。

それぐらい言っておかないとね、ガス抜きしておかないと、変なとこで爆発しても困るなとか思ったりしますけど。

あと丁寧に治療しても、治療結果が変わらなかったりするんですよね。
だから、カウンセリングの効果はやはり限定的ですし、論文によっては否定されることも多いので、そういうことも理解しつつやるということだったりします。

資源不足

福祉の業界というのはですね。人とお金が常に足りないですね。
人・金・時間が常に不足していて、これが足りることはないでしょう。
たぶん人類史上、足りたことは一回もないですね。だから今後もないと思います。

そういう中で多くのスタッフの人、自分のチームメンバーが苦しんだりするので、そういうメンバーのケアも大事ですね。

あと嫉妬しちゃいますよね。他の人は何か楽しそうだなとか。
僕の場合だけかもしれないですけど、何かなとか。
また同時にされちゃうんですよね。医者が看護師に、看護師が医者に、心理士が医者に、心理士同士でもとか色々あります。嫉妬したりされたりもする。
そういう変なジレンマに入りやすくなるので、これも自覚する必要がありますね。

あとは時間が足りないんですよね。
時間が足りない中で終われるようにいろいろなことを処理しなきゃいけないので、常に。
これも結構苦しいですよね。
話を聞いてくれないのとか、これをやってくれないのと言って貪欲な相手。
相手が貪欲になってしまった時にとてもジレンマで苦しくなる。
だから結局、寄り添うと無責任になってしまうという事実を理解してくれないとか、そういうのも結構あったりします。
ここのジレンマも治療者の苦しみかなと思います。

責任・使命感

そういう中で、自制心というのはすごく求められますね。
相手の理解困難があるが故に自制心というのは大事。だけど、この自制心があるがゆえに、反動を起こす仲間たちがいたりします。
治療の中で信頼していた仲間から裏切られることは結構あります。

いい人だなと思っていたら、裏で何かをしていたとか。
反動があるが故に、裏で異常なことをしていた。だからいい人をやり続けると、やっぱり潰れちゃうみたいな感じで、本来はそんな人じゃなかったかもしれないけどアルコール依存症になってしまったとか、本来はそんな人じゃなかったんだけど患者さんと恋愛関係に入ってしまったとか、何か裏切ったとか、そういう倒錯的なことになってしまうこともあります。

そういう人が周りにいると本当にどっと疲れますね。せっかく信頼してたのにみたいな思いもあるし、すごく無力感にやられてしまいます。
だからこのバーンアウトというか、自身の疲労にも気をつけないといけないなと思います。

あとは孤独ですしね。
こういうことがあるから治療者同士もどこか警戒してしまうみたいなところはありますよね。
理想化しない。

あと、患者さんのプライバシーの問題もあるので、あまり言えないじゃないですか。
某ナントカクリニックの話はバンバン言えるんですけど、患者さんの話は絶対言えないですから、そこは墓場まで持っていかなきゃいけないので、そういう中で自制心や孤独とどう付き合えるのかもファシリテーターやピアサポーターに求められる資質だったりします。

あと例えばそれが専門的であるが故に、仲間も理解できないことがあるんですよね。
例えば、僕のYouTubeもよくわかっていないと思いますよ。わかっていないと言うか、わかれないんですよね。
他の精神科医とかも自分がやっているわけじゃないし、その問題とかリスクとかわからなかったりするし、いろいろあるんですけど。
そういう孤独感の中やるべきことをやるっていうのは結構難しいですね。

しかもそれはお金のためでもなくて、人が評価されるためでもなくて、ただやらなきゃいけないことをやるというのはすごいよね。まあマゾヒスティックだよね。
でもまあそういうこととかをやるということですね。

本当にこの中心にある相手の理解困難とか無理解というものを、それがわかった上でやれるかというのはすごく重要なんじゃないかなと思います。

いろいろなジレンマや葛藤の中でやってるのにもかかわらず、理解してもらえない。
それは治療を受ける側と言うか、目の前の相手がわからないということもあれば、同じ仲間であってもどこか理解しきれない部分もある。
この孤独というのは結構きついと思います。

でもその孤独というのは皆違うかもしれないけど、その孤独を皆抱えてたりするので、自助会とか皆でやるということは悪いことじゃないなという気がします。
同じ使命感というか、そういうのを持ってやっているというのはいいんじゃないかなと思いますけど。

でもまあそうは言ってもね、やっぱり人助けというのは、やっぱり人の話を聞くとかいろいろなことは何よりも面白いことだと僕は思っていますし、生きがいだと思います。
それはお金や地位や名誉なんかで手に入らないものなので、こういうものを持てるというのはいいことだと思います。

しかも神様とか信じないで持てますからね。これすごいことなんで。
自助会に入ろうかなとか、今入っている方で、ピアサポーターになりたいと思っている方もいらっしゃると思うんですけれども、まず最初にこのことを知ってもらいたいなと思います。
それでもやりたいと思う人には、僕らも全力で協力しますので、ぜひ門を叩いていただきたいと思いますね。

ただ、こんなにガッツリやらなくても、入って他の人の話を聞くだけとか、ちょっと「いいね」ボタンを押すだけでもやっぱり救われる人ってたくさんいますから。
ガッツリ行く道もあるし、そこそこで自分はここら辺とか色々あると思います。
ガッツリやらないからその人はダメとかそんな風に思っていないですし、ガッツリやっている人が自分たちのより仲間で、いいメンバーで、そうでない人は悪いメンバーとか、そんな風には全然思っていないので、みんな平等だと思っています。
それぞれのエネルギー、生き方、価値観とか色々あるのはわかっていますから。

じゃあ平等だったらやってる方は損じゃないかという感じもしますけど、何だろうね、このマゾヒスティックなゲームはね、という感じですね。

ちょっと怖いよね、定期的な殺害予告とかね。誹謗中傷もあるとか言われながら。
お金にもならないし、何のためにやるんだって感情もあるんじゃないかなとは思いますけど、その通りで。だから精神科医になりたいですという人は少ないですから。
いろいろありますけど、ちょっと一回理解してもらいたいなと思います。


2023.12.2

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