今日は、患者さんが自分たちの病気や障害を研究したり、YouTube等で情報発信したりすることについて僕がどう考えているかをお話ししたいと思います。
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当事者と僕らとの違い
そもそも当事者と僕らの違いは何なのかと考えました。
・病気、障害での判断能力の低下
精神の障害や病気は判断の主体そのものに混乱が起きます。ここが他の肉体的な疾患とは違うところです。
・教育機会がなかった
医師、看護師、心理士、医療系治療者、福祉の人たちは税金の補助により体系的な教育を受けています。当事者の人たちはそのような機会がありません。僕なんか防衛医大ですから税金で育ててもらいました。
・誹謗中傷を受けやすい
僕らは権威をまとわせてもらっているので、そのようなものがない中で偏見や差別と戦っていくのは大変だろうと思います。
他にもあると思いますが、大きくこのような特徴があると思います。
この辺りの弱さについては援助があるべきだ、援助を受けるべきだと思っています。あとは責任ある人間同士、上手くやっていきましょうというのが僕の大筋の考えです。
結局YouTubeにしても研究にしても「仕事」なので、他人の仕事を奪うなという感じもします。仕事だから逆に医者にしかやらせたくない、利益を独占したいというよこしまな考えもゼロではないと思いますが、そういう自分の弱い心は無くして、責任ある人間同士やっていけたらと思います。
態度について
僕は個人主義なんですよね、「個人主義で性格がいい奴」というのが僕のポジションです(笑)
個人主義の反対は父母性や共同体主義で、性格が良いの反対は性格が悪いになります。日本人は座標の右側の人が多いのではないかと思います。ですから、保護しなければいけない、チームでやらなければいけない、治療者と患者さんは社会で言えば家族なのだという価値観は強い気がします。平等のために援助は必要だし、福祉によって機会損失したものは再分配されるべきだし、チーム全体の幸福を目指すべきだろうという考えがあると思います。これは僕もそう思います。
ですが、それが行き過ぎると「当事者や病気の人はそもそも保護されるべきだ」とか、「守るのだから対価をくれ」とお金、地位、権利、自尊心などを要求してしまうようになるのではないかと思います。そう言うのは好きではありません。
僕は人間は個々に別のものだし、契約関係で繋がっていくものだと思っています。これは価値観の話です。全体があるところで私たちがいるよねと考えるのか、まず私たちがいて、それが少しずつ契約を結ぶことでまとまりがあると考えるのか。
僕は座標の左側です。契約関係において弱さがあるなら、その弱さを補うような契約をし直すべきだと考えます。僕は社会によって教育を受けさせてもらったし、健康に産んでもらったので、それに対して社会への恩返しをしつつ、仕事として対価をもらい、色々な人に還元をしたいと思っています。そのような「契約」があるのだろうと考える派なのです。
でもこれは逆を言えば、そもそも僕らは平等なのだから奪われる側が悪いとか、全てを救えないんでしょ、そんな責任ないじゃない、契約を結びませんと言えば全てを救う必要はない、となったりするのでここは危険かなと思いますが、僕は座標の上の方です。
他人の仕事に口を出す気はないですし、口を出すのはライバルだからだと僕は思っています。仕事や研究は、互いに奪い合うというより互いに切磋琢磨すれば良いのではという感じがします。ですが、スタート地点で違うところがあるので、平等になるようにルールを変えた方がいいんじゃないのというスタンスです。このルール作りをどうするのかを一個ずつ検証しながら最適なルールを考えたら良いのではという立場です。
全員が輝くための「良いルール」を
生きる上で仕事は大事です。生きがいを与えてくれるし、仕事がなかったらいくら豊かな生活であっても人の心は荒んでいきます。
その人に合っている仕事を与えれば良い、ベーシックインカムにすれば良い、お金を渡して趣味だけやっていれば良いんだという考えは良くないと思っています。皆そんなに弱くはないし、平等なルールを作りさえすれば、全員が輝ける社会になると思っています。それが次の世代にとって良いものが生まれてくると思います。とやかく言わずに良いルール作ろうよ、というのが僕の価値観です。
あと、細かいことは文句言わないでくれ、ほっといてくれ、好きにさせてくれよと思うのも僕が個人主義だからかなと思います。
もともと自衛隊にいたので今は左側に強く触れる言動をしているけれど、心の内は右側かもしれないし、ここら辺は結構ぐちゃぐちゃです。
今のところこのように考えています。
医療系YouTuberの会
2021.3.9