今日は「無理解な家族への対処法」というテーマでお話しします。
患者さんはよく「家族はわかってくれないんです」「家族からうつなんて甘えなんだから気合いでやれ、もっとがんばれと言われるんです」「どうしたら良いのですか、縁を切ったら良いのですか?」と仰います。
これに関して、こうすればいい、という答えはありません。
それぞれの家族ごとに関係も違いますので、これだという万人共通の答えはないのです。
なので、どういうアプローチで個々の最適解に到達しているのか、をお話ししようと思います。
この話をしようと思い改めて自分の臨床を振り返ると、「こういう風に自分は考えていたんだ」「こういう形で臨床をしていたんだ」ということに気付いたり、診察とカウンセリングのやり方の違いにも発見がありました。その点もお話ししようと思います。
また、「精神科医はこのようなことを考えているから、こういうことを言わない」ということもお話しできると思います。
コンテンツ
母親はどんな人?
今回は「母親と私の対立」というテーマでお話していきます。
母親が「アンタ、がんばりなさい。パワハラなんてあるもんなんだから、1、2年我慢すれば良いのよ。転職なんてしないことよ」と言ったり、うつで寝れなくなったと言っても「そんなの新人なんだからよくある」と言われる、ということはあります。
ここに対立があったときに、どのように考えるべきか。
僕らは診察の中で「お母さんはこういう人ですか?」「こういうことですか?」と聞きます。
診察の中で母親の年齢、出身、年齢、兄弟などを聞くと、患者さんはそれが何の役に立つのかと思うかもしれません。ですが、これが非常に大事です。
母親がどのような人なのかをきちんとわかる必要があるのです。
患者さんから見ると母親は唯一の人なので「母親はこのような人」と思ったりせず、母親は「母親」でしかありません。母親のことを、クラスにいるコイツみたいなタイプだなと考えたりはしません。
僕もそうです。そういうことを考えるようになったのは大人になってからです。防衛医大やいろいろなところにいて、「もしかして、うちの父親はこんなキャラだったのかな」などと思うようになりました。
でも普通は考えたりはしません。ですからわからないものですが、そこを考えます。
親といっても限界はありますから、「母親はこういう人なんだ」と理解することが大事です。
私はどんな人?
自分がどのような人かもわかる必要があります。
自分というものは唯一無二ですが、「自分はこういう人間なのだ」ということを俯瞰的に考える必要があります。
劣っているところ、長所、どこでこだわってしまい、どこはこだわらないのか。そのようなことを理解する必要があります。診察の中でも聞きます。
ですから、患者さんが「家族は無理解なんですよ」と言うとき、僕は「お母さんはこんなタイプなんだろうな、この人はこういうタイプだから衝突が起きるんだろうな」ということを想像しながら聞いています。
他人の話だと皆さんそう思うと思いますが、いざ自分の話になるとなかなかそうは思えません。
合理的行動と思い込み
母親のキャラクターを考えると、本人はこのように動くべきということがわかります。おのずと出てきます。
それが1パターンなのか3パターンなのかはわかりませんが、何か合理的な解があるはずです。
ですが、患者さんはそのようにはできないのです。
こう動くべき、こう動いたら合理的、こう思えば母親をうまく手のひらで操れる?とわかるのですが、動けません。
それはなぜかというのは無意識的な問題だったりしてなかなかわからないのです。
僕らが診察の中で伝えていきます。
「あなたはこういうことがあるから動けないのでは?」と言うと、素直な患者さんならば「ああ、そうか」と次の行動に活かしていけます。
頑固な人の場合はそのような行動を取りにくいことが多くあります。
しなやかな思考ができて治療が早く進む患者さんは、そのような指摘を受けてすぐに改善していき、合理的な行動を取れるようになりやすいです。
「お母さんはこういう限界があるから、私がお母さんに合わせてこういう風に動くべきなんだ。それが結果的に良いんだね」と思うのですが、なかなか思い込みが強かったりしなやかに考えにくい、認知の歪みがあったりすると、なかなか合理的行動を取れません。
その場合は、動けないというのはどういうことなのかをまた考えていき、別の提案をしていくというのが臨床の一般的な流れです。
他人を理解する、自分を理解する、マネジメント的なことをきちんとする。
マネジメント通りに動けないのはしなやかさを失っているからなので、しなやかさを回復するように促す。これが治療のオーソドックスな流れです。
科学というのはこのように考えます。
正解を追求するものではない
そういうものだろうと思うと思いますが、多くの人はどこで話がずれていくかというと、
「母はこういう人だから、こうあるべき」
「私はこういう人間だから、こうありたい(こういう人間になるべき)」
というときです。
母親の価値観と私の価値観は世代が違う。
社会はこうあるべき、こういう価値観であるべき、など「べき論」が多くなるときです。
ですが、精神科は正解を追求するような学問ではありません。
治療は正解を追求するのも良いのですが、そういうものではありません。
「私はこういう風になれば母親とも付き合えるし、他の人とも付き合える」というのは、そうと言えばそうですが、時間のかかることです。
そうではなく、「母親に対しては、こういう対応をした方が良いのでは?」というようにやっていくのが現実的です。
主義主張はあまり必要ありませんし、主義主張を追求していくのは精神科医の仕事ではないと思います。主義主張を通すのは、治療よりもはるかに時間と労力がかかります。
こうあるべき、社会はこうあるべきというのは、思想家などがやるべきことであって、僕らはそのようなことはあまり言いません。
実際、自分が変わるというのはなかなか難しいので、それよりもその場その場の1つ1つをうまくやれることの方が大事です。
一個一個やっていけば、結果的に変わっていきます。
小さな変化を積み上げていけば人間は変わっていきます。そうして思い込みも減っていきます。
そのようなアプローチが治療的です。
僕らは「こういうことをしなさい」「これが勝ち組なんだよ」「こうあるべき」ということはあまり言いませんし、社会に対してもそのような態度でいると思います。
共感はしますし、患者さんがこうありたいという気持ちも大事にするのですが、それは治療のメインではありません。
どちらかというと、相手の理解、自己理解、そしてしなやかさを取り戻すような方向に促すというのが基本かと思います。
理解だけで充分なのか?
ただ、それで治療がうまくいくのかというと、そんなに簡単ではありません。
上記は基本の流れですが、知的な理解にとどまっています。
ロジックの果てに治癒があるのかというと、確かにそんなこともないのです。
人間というのはそんなに単純なものではないので、病状が重い場合は、もう少しギミック(仕掛け)が必要になってきます。
・認知行動療法
考え方のアプローチを、ただ指摘するのではなく、きちんとプログラムを組んでやっていく。
問題に焦点を当ててやっていくものです。
・マインドフルネス
「べき論」ではなく「あるがまま」になることを、呼吸やリラクゼーション法で体感的に理解していく。
・精神分析
「転移解釈」と言いますが、特殊なカウンセリング空間を作り、治療者との親密な関係において情動の動きを指摘することで真の理解を得るという技です。
これらはあくまで応用編で、心理士でないとできません。
セッティングが必要になりますので、通常の精神科外来ではやれないものです。
通常の精神科外来でやることは、相手の理解、自己理解、そして自分の思い込みや欲望によって合理的行動が取れないことに対する指摘、共通の理解、一緒に解明していくという作業なのかなと思います。
もう一度まとめると、家族が無理解の場合はやはり家族のことを知る必要があります。
限界がありますし、100%理解することは難しいということを受け入れて、その中で家族の機嫌を取りながらうまくやる方法を考えるのが良いと思います。
ほとんどの家族は味方です。味方ではない家族にもいるにはいますが、おおむね家族は味方です。
味方の部分もありますから、うまく仲良くやれる方法を考えてもえらえれば良いと思います。
親子問題
2021.10.11