今日は「母親との和解」というテーマでお話しします。
和解といっても、今回のお話は現実的に和解をするのではなく、あくまで「個人の精神の中での和解」ということです。
お母さんと一緒に旅行に行けるようになったとか、手を取り合って仲良くするということではありません。
精神の中で「とらわれ」が減るということです。
コンテンツ
母親の人生を話すことで理解がすすむ
母親との思いに囚われてしまってなかなか自分の人生を歩めない、幸せに生きていけない人はたくさんいます。
そのような場合、薬で治ることではありませんので、カウンセリング(診察)を受けましょうとなります。
そうなると、カウンセリングでどんなことを話せば良いかと皆さん思われると思いますが、1つの正解としては「エピソードを通じて、母の理解がすすむ」ということです。
診察:
n回目「母親の人生」
n +1回目「母と祖母」
n +2回目「母の友人・恋人(父)」
n +50回目「母の浮気・暴力」
診察のn回目では「母の人生はこうだった」とざっと喋り、
次の回では「母と祖母の関係はこんな感じだった」と喋り、
次は「母の友人関係」
「母と父、どのような恋愛をしてきてどんな夫婦関係を送ってきたのか」などを少ないピースから考えたり紡いだり、そこに自分の人生経験も交えながら「お母さん」という人物像を作り上げ、ストーリーにしていくという作業をやっていきます。
ある程度喋ってみたら、もう一度「母の人生」を振り返って総論を語り直してみたりということをやっていきます。
そうすると「お母さん」の理解が進みます。
お母さんはどんな人だったのか、母親という役割はどういうものだったのか、といったことがわかってきます。
理解することで何を目指すのか
わかってくると何が良いかというと、目指す先はこちらです。
・他人(自他の区別)
まず「他人」なのです。親子といっても他人なのです。赤ん坊として生まれてきたときには自他の区別はつきません。母親と自分の区別のない一体感の世界で過ごしていて、小学生ぐらいになると、なんとなく違うんだろうなというフワフワした状態で子供の時代を過ごします。
思春期に入ったころに「あれ?自分と全然違う!」と気づきます。
そして自他の区別がどんどんついていきます。
ところが、もともとは一体のものだったのでどこかその幻想性にも長く包まれていて、剥がれきれず、いつまでたっても他人と思いきれません。
もちろん自分の家族でなければ他人と思えるのですが、家族にはなかなか他人と思えません。ですが、これも理解が進んでいくと「やっぱり他人だな」「気が合わなかったな」「似すぎているな」といったことがわかってきます。
・血と本能
とはいえ、他人と言っても本当に他人というわけではありません。「血」の繋がりがあります。
長い時間を一緒に過ごしてきたというのは特殊です。少なくとも子供のころは母と自分が同じであるという一体感の幻想を持っていたわけですから、そういう特殊な関係です。
子供は親を憎めないという本能もありますし、逆に思春期に入ったら親のことを憎むような本能も入っています。そのようなことがわかってくると、人間は動物であり、脳に支配されている生き物なのだ、自分の感情は脳が生み出しているものなのだ、ということがわかってきます。
・反復強迫
母親とのこじれた関係を他の人とも繰り返すことを、精神分析の用語で「反復強迫」と言うのですが、それが起きていることに気づきます。母親とのケンカのようなものが恋人関係でも起きているなど。
・自然と通わなくなる
このような理解がなんとなく進み、いろいろなことを話しているうちに自然と通院しなくなるというのが母に関する精神疾患の流れであり、オーソドックスな治療です。
すべてを喋らないと理解が進まないというわけではないし、すべてを理解するなんて不可能ですから、患者さんごとに「落としどころ」があるようで、その落としどころに応じて治療が終わるという感じです。
今まで本当にいろいろな「お母さん」の話を聞いてきました。
話すことがうまくいかいない原因
この動画を見ている人は「実際の臨床はそんなに簡単じゃないだろう」と思われるかもしれません。
それでは、うまくいかない場合の理由を挙げてみます。
・自閉性、精神病性の問題
まずは原疾患が治療されているのか、もしくはその限界性をどれだけ理解しているのか、ということです。
自閉性(ASD)は発達障害の問題ですが、他人の心を理解することが苦手な人が多いので、母親に対する怒りも自閉的な問題で理解が進まないことがよくあります。エピソードを喋っていっても、それで理解が深まったかというと並列的で理解が深まらない感じもあります。とはいえ、喋ると整理されていくのでそんなこともないなとも僕は思っていますが、「教科書」的にはこのように言われています。
精神病性の問題というのは、うつ病、躁うつ病、統合失調症の問題ということです。このような原疾患的な問題、例えばうつのせいで母親との嫌な記憶が思い出されて問題がこじれるのであれば、そもそもうつ病を治さないといけません。薬を使って精神病性の問題を治療していくことが大事です。
・否認、抑圧、投影…抵抗の問題(トラウマ)
心理的な機制(防衛機制)があります。「母親との問題はない」と否認したり、「よく思い出せないんです」と抑圧したり、母親への怒りを主治医に向けるという投影があります。主治医のことをもっと近くに、母親と重ねて同じものと見る投影同一視といったこともあります。
このような抵抗の問題があるときは治療が難しく、トラウマや虐待の問題があるときはこのような問題が起きやすいです。
別の語り口にきりかえる。エピソードを取り扱うにしても、タイミングを見計らうといったことをしないと進みません。
・構造の問題
精神科の外来という短い時間の中でも「先週に先生と喋った後にお母さんとこういうことがあって…」と立て板に水のようにスラスラとプレゼンをする患者さんも多くいますが、照れながら苦しそうに一言二言喋るだけで精一杯という人もいます。
それでももちろんよいのですが、カウンセリングの場で時間をかけて話したほうがいいよな、みたいなケースもあります。
また、現実的に現在も母親との関係が続いていて問題が起き続けている場合は、エピソードを喋っていても仕方がない、今の問題を取り扱うべきということもあります。
・逆転移の問題
これは一番あってはならないのですが、主治医側の問題です。治療者側が自分の中の母との問題を解決していないと、結局そこの押し付けになってしまいます。
例えば僕の母的なものとして自衛隊の話をよくしていますが、僕の中での自衛隊問題がある程度解決していなければ、同じものを患者さんに押し付けてしまう恐れがあります。
「組織なんて良くないよ」と言ってみたり、もしくは過度に理想化して「やっぱり規則正しくやらなきゃダメだよ」言ったりしてしまうことです。
押し付けられても患者さんも困りますので、無意識的な問題が起こらないように逆転移の問題を解決しておく必要があります。
このようなことがうまくいかない場合の原因かと思います。
今回この動画を上げようと思ったのは、「エピソードを語る」ということです。
エピソードを語るのは恥ずかしいですし、喋ってはいけないのではないかと患者さんは思いがちなのですが、喋って良いのです。
それがカウンセリングであり精神科の診療です。
母親との間に問題がある場合は、母の理解を進めることが大事です。この動画を見ている人も、お母さんの人生、年齢、出身高校、出身大学をきちんと喋れる人は少ないのではないかと思います。
そういうことを理解していくと母親との和解が進んでいきます。
親子問題
2021.5.30