今日は「躁うつ病(双極性障害)の希死念慮」について解説します。
躁うつ病
躁うつ病とは、「躁状態とうつ状態を繰り返す脳の病気」です。
脳における「感情」を司る部位の病気だと考えられています。
元々気分の波のある体質の人(そうでない場合もありますが)が、だんだんその波が激しくなってきます。
そして正常のラインを超えてきます。
そうすると社会的な問題が起きるようになり治療を開始する、というのが躁うつ病のモデルです。
躁うつ病には薬物治療が効きます。
躁状態を抑えるのが、リチウム、バルプロ酸と呼ばれる気分安定薬、それから抗精神病薬のオランザピン、クエチアピン、エビリファイ(アリピプラゾール)などです。
上から押さえると下に落ち込むので、下から持ち上げる薬を使います。
気分安定薬のリチウム、ラモトリギン、ラツーダ、それからクエチアピン、オランザピン、エビリファイの量を調整して持ち上げることをします。
上下の波を抑えるのが躁うつ病の治療です。
躁うつ病はなかなか寛解が難しい病気で慢性化しやすいです。
ですから薬を飲み続けなければいけない人が多かったりします。
病気のせいでなかなか安定せず、なかなか仕事に就けなくなってしまう人も多くいます。
精神科の病気の中で統合失調症や躁うつ病は重く、障害として付き合っていかなければいけない病気です。
躁うつ病の人の希死念慮
躁うつ病は、自殺を考える人が多い病気です。
実際にそうなってしまうことも多くあります。
躁うつ病の人の自殺が多い理由として一番多いのは、「治療をやめてしまう人が多い」ということです。
うつの間は通えるけれど、うつが良くなってくると忘れてしまって通院をやめてしまう。自分は躁うつ病ではないのではないかと思ってやめてしまう。このようなパターンがあります。
ですから、治療を継続してもらえると事故に至ることは少なかったりしますが、治療をやめてしまう人が多いです。
・「うつ」が苦しい
治療によって良くなりますが、またあの苦しみを経験するのかと思うと嫌になってしまう人が多いです。
うつ病のうつよりも、躁うつ病のうつの方が治りが悪いことも多いので、独特の苦しさがあります。
おそらく、うつ病の場合は「制止」といって止まる感じ、苦しみさえ感じられなくなるほどの「止まり」が強くなったりするのですが、躁うつ病の場合は意外と制止の症状が強く出ず、なんとなく焦るような感じ、うつの時でもまだ動ける感じがあるので余計に苦しいのではと思います。
・「躁」のトラブル
躁状態の時に元気が良すぎて大きな買い物をしてしまう、他人と喧嘩してしまうといったことのツケがうつのときに回ってきて、「なんであんなことをしてしまったんだ」と自分を責めてしまい、こんなトラブルを抱えながら生きていくことはできないと思い、死んでしまいたくなることも多いです。
そのトラブルでさえ解決できるのですが、うつのときはそれはもう解決できないのだと思ってその考えに囚われてしまいます。
・落差が激しい
少し良い状態から下がるので、普通の落ち込み程度でもすごく苦しく感じます。
そういう落ち込みはあるなと思っても、気持ち良い時も経験しているのでその落差で落ち込みます。
「アンタぐらいの幸せだと満足できないんだよ」と言われたりもします。
・すっきりしない
治療はまだ続くのか、薬を飲み続けるのかということについてすっきりしないことが嫌だと思ってしまう人が多いようです。
人生を刹那的に考える人が躁うつ病の人には多く、中長期的に考えることが苦しいのです。
刹那的に考えてしまいやすいというのは、躁状態の時に脳の何かを刺激しているせいでそうなってしまうのかわかりませんが、すっきりしない感じがそもそも嫌だという人は結構いると思います。
・「躁」を経験すると、人生をつまらなく感じる
このように言う人もいます。
それで死のうとは思わないけれど、「一度躁状態を経験したら、もう私は平凡な人生はつまらなく感じるんですよね。でも家族がいるから生きていますよ」という言い方をする人は結構います。
覚醒剤依存の人と似たような言い方をします。
薬物依存の人たちも「脳がよだれを出す」というか、「覚醒剤(アルコールも)の楽しみに比べたら、今の粛々とした平凡な生活もつまらなくはないけれど、うーん…」と言ったりします。
「低め安定」では満足しにくいということがあります。
これも認知の歪みを取ってあげる必要があるのですが、でも「益田先生はわからないんですよ」と言います。
そんなに良いの?と興味も湧くのですが、あまり知りたくもないですね。
・どれが本物の自分?
すごくハイテンションなときと落ち込んでいる時の自分を経験しているせいで、自我がなんだかあやふやなものになっています。人生というものは儚く、社会というものも砂上の楼閣のようになってしまうようです。
そのような話も聞きます。
だからなんだかつまらないものになってしまうと言う人もいます。
・「右肩上がり」にならない
次第に悪化してから右肩上がりにどんどん良くなっていく、躁状態を経験していると、低めの人生がつまらない。なんだか生きている感じがしないと言ったりします。
哲学的な世界というか、そのようなディスカッションになることも結構あります。
双極性障害で通院している人で「人生とはどのようなものなのだろう」ということを訴える人は多くいます。
もちろん、波瀾万丈な人たちだからとも言えますが。
そのような話を聞いて僕なりに考えたりもします。
ですが、それで死ぬ理由にはなりません。
・人間関係がうまくいかない
アップダウンがあるので、周りの人がその人をどう受け入れて良いかわかりません。
そもそも周囲に躁うつ病についての理解がなく、本人も理解が少ないことが多いのです。それで上手くいかないことが多くあります。
だからもう死んでしまいたいと思う人も多いようです。
虐待、発達障害、依存などの二次障害も絡んできたりするので、余計に問題がこじれてしまうことも結構あると思います。
躁うつ病は遺伝負因も強いです。躁うつ病は発症していないけれど、正常を超えてはいるけれど、通院にまでは至っていないケースの人がご家族にいたりして、それが虐待やネグレクト、DVになってしまっているケースもあります。
アップダウンのときの配慮のなさが、凹凸のように見えることもあります。
ドラッグなど何かに依存してしまうことも結構あるので、問題が大きくなってしまうこともあります。
でも1つ1つ問題を解決いていき、低め安定かもしれないけれど、平凡な人生を楽しむということは別に悪いことではありません。
僕らも平凡な人生を歩んでいるわけですが、だからといって不幸だとは思っていません。
そういうことを知ってもらうのも、治療上とても大事だと思います。
1つ1つの問題を解決していくことが非常に重要です。
机上の空論、抽象的な話にどんどんなりやすかったりします。
躁うつ病の人たちは頭の良い人たちでもあるので、抽象的な話題になって「人生とはこうなのではないか」「自我とはこうなのではないか」となります。
そのような議論も大事なのですが、もっと地に足のついた話、その人の困っていること、今困っている人間関係などを丁寧に臨床的にやっていくことがトラブルを防ぎ、治療を継続するコツなのかなといつも考えています。
このような話をすると、コメント欄にそのような臨床の話を聞かせてくださいというコメントが時々来るのですが、個人情報なのでできません。ご了承ください。
僕が経験したことや患者さんとのやりとりの中で知ったことは、小説のように伝えたいなと思うこともあるのですが、それはできませんのでこのような形でお話ししています。
躁うつ病
2021.12.4