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私は泣きながら、親身に話を聞いてもらいたい

01:25 退行の願望
04:27 子宮の中には戻れない
06:47 手助けを受けて元の場所へ戻る

本日は「私は泣きながら、親身に話を聞いてもらいたいです」というテーマでお話します。

確かに僕もよくわかります。
すごく泣いて気持ちよく泣きたい、ただ話を聞いてもらいたいという時があります。
僕もすごくあって、そういうことをよく空想します。
何か話を聞いてもらいたいな、と思ったりします。

益田は結婚しているし奥さんにしてもらえよ、と言うかもしれませんが、そんなことなかなかできません。
できないし何を話せば良いかわからないですが、そういうことがあります。

実際それが臨床上叶うかというと、もちろん皆さんがそういう体験ができないように、どの病院へ行ってもそういうことは起きません。
時々はあるかもしれません。
時々は泣きながら話してしまうことがあるかもしれませんが、原則あまりありません。
原則、そういうことはサービスとしてできません。

それはこちらの努力不足ではなく、治療上良くないからです。
今回はそのお話をします。

退行の願望

左の図ですが、泣いて抱えてもらうような感じ。こういうことは起きるのですかということです。
空想上のことですが、赤ん坊が泣いているとき、お腹一杯力を振り絞って泣いて「ああ大丈夫、大丈夫」とお母さんが抱えてくれるような感じ。
自分は不満を発散している、泣きながら「助けて」と言っている、お母さんが優しく抱きかかえてくれて、おっぱいをくれるような状態、壊れそうな自分の自我を保持してくれているようなイメージ図です。

これは確かに子どものときにはありました。
僕らは子どものときにはあって、赤ん坊のときには同じような体験をしています。
まだ小さいうち、小学校に上がる前、小学校に上がってもそうかもしれませんが、親が慰めてくれている、泣いている姿をギュッと抱きしめていてくれることはあるかなと思います。

この動画を見ている方で、そんな経験はしていない人もいると思いますが、そうは言っても1歳、2歳のときはやってもらっているのです。
お母さんではなく別の人かもしれないですが、やってもらっています。
やってもらっていなければ今生きていないので。
その時の幻想が脳の中にあって、僕らはそこへ戻りたいという願望を心の奥底に持っています。

子どもに戻りたいことを「退行」と言ったりします。
実際に戻ることも退行といいます。
退行というのは赤ちゃん返りみたいなものです。

退行を許容して欲しいという願望が誰にもあります。
退行を許容してもらえるとき、安心感や一体感を感じられます。

お酒を飲んでいるとき、薬物を使っているときも安心感や一体感を感じるし、ちょっと酔っぱらってグデングデンになっても認めてくれる、世話をしてくれたりします。
子どものときの親、恋人との関係、先生や師匠と呼ばれる人との密着的な関係の中では退行は許容されたりします。その延長線上にこれ母と子の図があったりします。

僕らは信頼できる人を見つけたい、100%信頼できる人が欲しい、導いて欲しいという願望を心の奥底には持っています。
これは生物的なものだと思います。
人間は群れ社会で生きており、犬や狼の社会と同じで、リーダーに従った方が安心する本能を持っているので、信頼できる人が欲しい、導いてもらいたいという気持ちは否定しようがないかなと思います。

子宮の中には戻れない

ただ、それは願望であって現実には存在しません。
子宮の中には戻れません。
「自立」が人生においては不可欠です。

人生の真実というものがあります。それは人は老いること、死や別れがあること、病があるということです。
お釈迦様も言いましたが、生老病死は人生の真実です。
200年、300年経って人類が科学で不老不死を実現させるかもしれませんが、少なくとも今生きている僕ら、この動画を見ている僕らはこの真実を避けることはできません。

それと同じで、僕らは泣きながら親身に話を聞いてもらうことは原則できません。
それをやろうとした結果は、過去の失敗、教訓として精神医学史に刻まれています。
宗教の問題、ドラッグの問題、陽性転移の問題など色々ありました。

医師を好きになったり崇拝してしまったりという形で安定するときもありますが、それは数ヶ月か数年しか持たず、ギャップが来ます。ドラッグと同じです。
僕らは自立していかなければいけないし、盲目的になってはいけません。

治療は、泣いても良いですが「泣きやむ」必要があります。

診察室の時間の中で5分なのか、カウンセリングみたいに45分なのか、その構造の中で泣いても良いしきちんと気持ちを言っても良いのですが、近付き過ぎない、泣いていても良いが自分で泣きやむ。

泣いても良いが抱きしめてもらわないことに慣れる。手を繋いでくれない、抱きしめてくれない、Hな行為をしてくれない、して欲しくないよと言うかもしれませんが、そういうことはできないし、我慢しなければいけません。
それを我慢させないような治療は良くありません。
互いに不幸になると僕は思いますし、それは歴史上わかっています。

手助けを受けて元の場所へ戻る

手助けを受けて元の場所へ戻る、そもそも病気はそういうものです。

劣等感を受け入れて元の場所へ戻る。
一時的に病気になるのですが、それを治療してもとの場所へ戻る。そういうことです。
次の場所へ行くのではなく、元の場所へ戻らなければいけないです。

こういう願望(信頼できる人が欲しい、導いて欲しい)はありますよね。
エヴァンゲリオンで言うところの「私に還りなさい」みたいな感じで、液状にビチャッとなってみんなくっつくみたいな。

良いものですよ。僕も自衛隊にいましたし、同じ釜の飯じゃないですが、そういうことをするとか、スポーツ競技をしているときに一体感をみんなが感じてすごく集中してゾーンに入って良いプレーができるのは楽しいです。
でもそれはあくまで人生の一時的なものであって、基本的には自立などを意識しないと上手く行きません。

特に調子が悪いときこそ、人生の真実と向き合わないといけないことはあるかなと思います。
調子が悪いときほど、ギャンブルやお祭りをやって、その世界に入っていこうとすると依存の問題になったり上手く騙されたりします。
意地悪ではなく、患者さんのことを思えば思うほど「自立が不可欠」という人生の真実は伝えなければいけないというのがあるかなと思います。

今回は、私は泣きながら親身に話を聞いてもらいたい、というテーマでお話しました。


2022.3.19

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