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どこまで頑張る? 伴走し続けて思うこと…

02:46 頑張らなくて良い? そのままで良い?
05:55 結果と過程
11:37 「親切である」こと
14:36 嫉妬と劣等感

本日は「どこまで頑張る? 伴走し続けて思うこと」というテーマでお話します。

臨床をしていると患者さんから、
「どこまで頑張ったら良いですか?」
「わたしはもうちょっと我慢した方が良いんでしょうか?」
「転職したり仕事を休むのは甘えですか?」
と聞かれます。

患者さんの家族からも、
「この子にもっと勉強させた方が良いんでしょうか?」
「頑張らせ過ぎたんではないでしょうか?」
「甘やかして良いのでしょうか?」
とよく聞かれます。

どれくらいの能力があるのか、どれくらいの伸び代があるのか、どこまで頑張れるのか、というのはわからないのです。

例えば、お風呂。
子どもをお風呂に入れていても、どれくらいお湯に浸かっていられるかというのは子どもによって違います。
片方はすぐ熱くなって苦しくなっても、もう片方は元気、ということがあります。
どれくらい我慢できるのか、我慢させた方が良いのかというのは人それぞれ違います。

どれくらいということは客観的な指標でわかるものではなく、診察だけでわかるものでもありません。
子育て中のお母さんも全然わかりません。
我が子をどこまで頑張らせたら良いのか、これは厳し過ぎるのか、これは甘やかしすぎなのか、ということは本当にわかりません。
色々な人から批判されたりもします。
外野はうるさいですから。

今回は、宮口幸治先生の『どうしても頑張れない人たち―ケーキの切れない非行少年たち2―』という本を読んだ感想を交えながらお話します。
宮口さんは児童精神科医で立命館大学産業社会学部教授です。
本に載っていることと僕が考えたことをミックスして喋ります。

頑張らなくて良い? そのままで良い?

「頑張らなくて良い」「そのままで良い」と良く言いますが、本当にそれでいいの?と思いますよね。
そうやって言うことで後で結局困るんですよね。
患者さんに対して優しいことを言ったり、動画でも「頑張らなくて良いんですよ」とか優しいことや口当たりの良いことだけ言っていたら、診察室で困るのです。

僕もYouTubeを始める前に決めていたことがあります。
他のドクターに迷惑をかけることはできるだけやるまいと思っていました。
口コミなどには「診察室とYouTubeでは全然違うじゃないか」と書かれますが、極力その差がないようにする、口当たりの良いことだけを言うのではなく、残酷な現実を言わないといけません。

頑張らなくて良いんだよ、そのままで良いんだよと言うとその場では安心するかもしれませんが、後で困るわけです。
だから「頑張れ」と言わなければいけないのです。

そもそも、「頑張らなくて良い」と言ってしまうと、「ああ、頑張らなくて良いんだ」と思ってしまいます。
それは自分がうつになってしまう、勉強ができない弱い人間だから頑張らなくても良いんだ、と思うこともあれば、期待されてないんだから頑張らなくてもいいや、など色々なパターンがあると思います。
そもそもこの本にあるように「ケーキの切れない非行少年」たちのように境界知能や知的障害、発達障害があるからそのまま言葉通り受け取ってしまうパターンもあると思います。

頑張らなくて良い、そのままで良い、と言うのは、その場は丸く収まります。
何だか優しくしてもらったと思い、聞いている側は心地良かったり、言っている側も良いことを言ったなと思って気持ちが良いのですが、後で困ります。

かといって、「頑張れ」と言っていいのかというと、これもダメなのは事実で、うつが悪化します。
うつ病の人に頑張れと言ってはダメなのは皆が知っている常識です。
頑張っている人に頑張れと言うと潰れてしまいますし、無理をさせてしまいます。

では実際に現場に行くと、どっちなんだろう、と思うわけです。
世の中に頑張ってない人はいないですから、「まあ、良いんじゃない?」と言うとダメで、もうちょっと頑張らせた方が良いこともあれば、頑張り過ぎて潰れていることもありますから、ここは難しいです。
難しい、わかりにくい、一概に言えるものではありません。
相手の表情、疲れ方、ゴール設定の問題、色々なことを考えながら調整しなくてはいけません。

結果と過程

この本では結果と過程の話を言っています。
どちらを重視するか、ということです。

結果だけ見て相手を評価して良いのか、という問題があります。
結果だけで相手を褒めたりするとモチベーションが下がります。
100点を取ったときだけ褒めて、100点を取れなかったときは褒めないとすると、子どもは勉強しなくなります。

たまたま今回テストが簡単だったから100点だった、今回は難しかったから勉強した割には点が取れなかったなどがあるので、結果だけ見て褒めてはダメです。
努力したかどうかで褒めなくてはいけない、ということがあります。

ですが、世の中は結果が全てです。
頑張ったら良い、というものではありません。結果も重視しなければいけない。
頑張れば良いんだ、となってしまうと生産性が下がり、真面目に仕事をすれば良いんだということになって、アウトプットが弱くなります。

世の中は結果で評価されます。
結果が伴わなければ努力をしても無駄とは言いませんが、基本的には無駄なのが世の中です。

逆に教育現場で結果だけではなく頑張った人を評価するのはどうなのか、ということですが、それはそれで問題があります。
そもそも「頑張れない人」がいます。
頑張るだけなら誰でもできるじゃないかと思うかもしれませんが、そんなことはないのは明らかです。

そもそも能力の問題があります。
発達障害的な問題、例えばADHDの人なら衝動性があり、一つのことをやり続ける集中力が続かないということがあります。
知的な能力の問題として、中長期的な物を見通す力、我慢する力が弱いということが衝動性の問題に加えてあります。

能力だけではなく環境の問題もあります。
努力できる環境にいない、ということがあります。
例えば、ヤングケアラーの問題。家族に病気の人、高齢者の人がいる、父親か母親が精神科の患者である、病気だ、兄弟に病気の人がいる、という形で家のことが忙しくて勉強ができない、自分のために時間を割けないというパターンもあります。
貧困の問題もあります。
自己肯定感が低いと頑張れないですし、愛情がなかったり自分を見てくれている人がいないと頑張れません。

僕だって毎日動画を撮ってすごいねと言われますが、皆が観てくれて、毎日数字でフィードバックを与えてくれるし、良いコメント(悪いコメントももちろんありますが)をくれるので頑張れます。
運が良かっただけだと思います、ハッキリ言うと。

そうじゃない人はなかなか頑張れません。
僕が今からYouTubeを始めようとしたら、先行しているところに益田がいたら、なかなか1000人までが気持ちが重いです、たぶん。
始めたときは他に精神科のYouTuberがそれほど多くなかったので毎日やれた、ということもありました。
そういうこともあると思います。

また、アピールが下手な人もいます。
頑張っているのが評価されやすい人、頑張っているのが目に見えやすい人もいれば、アピール下手な人もいます。
僕もYouTubeをやっているからアピールが上手くなりましたが、僕なんて勉強していても勉強してないように見えたし、いつもヘラヘラしている、真面目にやっていないと言われていました。上手い下手があります。
逆に全然勉強していないのに、している雰囲気を出すのが上手い人もいると思います。

「結果が全て」と言いながら、サラリーマンをされている方はご存知の通り、結果なんて出ません。
YouTubeみたいに再生回数でわかるとか、学生のようにテストの点数でパッと結果が出ることなんて本当にありません。
世の中の結果は「印象」です。
結果が全てと言いつつ、それは上司の印象だったりします。
結局アピールの下手な人は印象が下がります。
なので、どんなに努力していても、成績が良くても、評価されないということがあります。

だから過程か結果かという対立の問題も難しいです。
結果だけで相手を評価してもダメ、かと言って、過程だけで評価してもダメです。
相手をきちんと見ることが重要ですし、努力の問題は運なので、そこは謙虚に考えないといけないと思います。

「親切である」こと

僕らが治療していかないといけない人たち、支援しないといけない人たちというのは、「頑張れない人たち」です。
そして結果も出せない人たちです。
ひねくれて弱くなっていて、僕の動画のGoodボタンを押す人ではなく、僕の動画を観てもすごく嫌な気持ちになってBadを付けたり悪口を書いたり、そういう人たちこそ救っていかなければいけない、精神科の治療を受けてもらわないといけません。

僕も人間なので、口コミで1をつけてきて、すごく嫌な気持ちになります。
親切にやり続けても変に逆恨みされることもあります。
よく思いますが、やはりやっていかなければいけないんだろうな、と思いつつあります。

本にもありましたが、結局、評価が全てです。
世の中は評価が全てなので、頑張ることができない子が頑張れるようにするためには、味方をつくらないといけません。
ただ味方を作るにもそもそもアピールが下手だったり、頑張れなかったりするので、味方を作るのが苦手だったりします。
なので、味方を作るにはどうしたら良いのか、ということを書いています。

それは何かと言うと、「親切である」ということです。
人のために何かをするということをし続ければ、相手はこちらのことを褒めてくれます。

僕の動画もそうです。
僕が好きなことをしゃべっていることもあります、ラーメンの話とか。
だけど人のために何かをやっている、患者さんのためだと言うことを恥ずかしげもなくやっています。
それをすることで評価をもらえるわけなので、小っ恥ずかしくなるくらい親切心を出すことが重要です。

でも、この「親切」というのは難しいです。
相手が何を望んでいるのか、今何をしてあげたら良いのか、と空気を読むのは難しいので、どうすれば良いかと言うと、「マナーを身に付ける」ということです。礼儀を身に付ける。

これはきちんとお辞儀をする、きちんと挨拶をする、というのは技術なので身に付けることができます。
頑張るためには、まずマナーを身に付けることが良いんじゃないか、とこの本には書いてあります。
さすが少年院にいた先生です。なるほどな、と思いました。

僕もこれからは患者さんにこういう説明をしようかなと思います。
落ち込んでいてやりたいことがないときには「親切なことをしたら?」。
親切なことが何かわからないんだったら「とりあえずボランティアを始めてみるとか、マナーを身に付けるとかしたらいいんじゃない?」と言えば、とにかく一歩は進むことができるという感じなんでしょうね。

嫉妬、劣等感

ホワイトボードを書いた後に考えたことですが、さっきの頑張るという話でなぜ頑張れないかと言うと、嫉妬の気持ちや劣等感があるからです。

人間は難しいです。
自分のことだけを見ていれば良い、とはならなくて、相手がいるから頑張るし、相手がいるから頑張れない、すごく嫉妬しますし劣等感も感じます。

僕もすごく劣等感があります。
それは上手く行かなかったことがあるからです。

失敗が結構あるし、医者の中ではあまり優れていないといつも言っています。
これを見ている方は、いやいやそんなことないでしょ、と言ってくれるかもしれませんが、いやいやそんなことはあるんです。
階層がありますから、階級、ヒエラルキーが。僕は低いんですね。
それは立場の問題もあるし、僕が医学博士を取れていないなど色々ありますが、でも何かありますね。
だからすごく悲しい気持ちになるとか、嫌な気持ちになることもたくさんあります。
でもそれがあるから臨床ができるということもある、と思えるようになったのは最近のことです。

きれい事だけじゃない、ということです。
頑張らなくても良い、と言ってもダメだし、頑張れと言ってもダメ、結果を意識してもダメだし、過程を意識してもダメ。
自分だけの話ではなく、人間には嫉妬や劣等感があるので、それを無視して話を進めることはできず、相手の嫉妬心や劣等感を意識しながら、それでもなおその人を見続ける、伴奏し続けるということが重要なのかなと思います。
ドクターや治療者は患者さんからの嫉妬の対象になることもあり、難しいなと思います。

どこまで頑張れば良いのか、ということをテーマに今回動画を撮りました。


2022.4.2

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